学位論文要旨



No 127678
著者(漢字) 志村,広子
著者(英字)
著者(カナ) シムラ,ヒロコ
標題(和) 中高齢者における歩行行動の長期的変化と住居周辺の環境との関連
標題(洋) Prospective Associations of Built Environment with Change in Walking Behaviors among Middle-Aged and Older Adults
報告番号 127678
報告番号 甲27678
学位授与日 2012.03.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第189号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,義春
 東京大学 教授 佐々木,司
 東京大学 教授 多賀,厳太郎
 東京大学 教授 南風原,朝和
 東京大学 教授 本田,由紀
内容要旨 要旨を表示する

<緒言>

健康に対する身体活動の効果は広く認識されているにもかかわらず、先進工業国における成人の身体活動レベルは未だに低い。日本において運動習慣(1回30分以上の運動を週2日以上実施、1年以上継続)のある成人の割合は30%程度に過ぎず、アメリカ合衆国やオーストラリアでは、健康上望ましいレベルの身体活動を行っている成人の割合は50%に満たないのが現状である。

効果的な介入を行うためには、身体活動と関連のある要因を明らかにすることが重要であり、かつては個人レベルの要因(人口統計的要因および心理社会的要因)についての研究や、個人の行動を変えることを目的とした介入が主に行われていた。しかしながら、例えば運動プログラムを提供するといった従来の方法ではその効果が持続するとは限らず、また、そもそもプログラムに参加しなければ効果が期待できないという問題点があった。

近年、行動を変えるためには個人だけでなく環境に対するアプローチを行うことも重要であるとの考えから、環境の中でも特に人間が作り出した環境(built environment)と、身体活動との関連が注目されるようになった。気象などの自然環境(natural environment)に対し、built environmentは比較的修正を行いやすいと考えられる。これまでに、施設までのアクセス、交通や犯罪に対する安全性、景観、ウォーカビリティ(道路の接続性や土地利用の多様性などの観点から、歩くことをどれだけ促すような環境であるかを総合的に評価した指標; walkability)などが身体活動と関連するという結果が報告されてきた。

本論文では、身体活動の中でも多くの人が日常的に行っている歩行という行動に焦点を当てた。その健康に対する効果は広く知られており、また、効果を得るためには歩行レベルを維持することが大切であるにもかかわらず、人は年齢とともに歩かなくなる傾向があることが報告されている。

歩行とbuilt environmentとの関連についての研究は行われているものの、そのほとんどが横断的な手法を用いている。また、歩行の目的別に検討したものは少ない。さらに、よく知られている身体活動の関連要因(人口統計的要因、心理社会的要因など)を同時に含めた上での検討はほとんど行われていない。

本論文では中高齢者を対象とする二つの研究を行った。研究1では、これまでの横断的研究により歩行との関連が指摘されているwalkabilityに注目し、ある場所から別の場所への移動のための歩行(walking for transport; Wtr)およびレクリエーションとしての歩行(walking for recreation; Wrec)それぞれの長期的変化との関連を調べることを目的とした。研究2では、built environmentに関する要因(walkabilityを含む)以外に人口統計的要因、心理社会的要因なども含めた上で、各要因とWtr、Wrecそれぞれの長期的変化との関連を調べることを目的とした。

<方法>

研究のデザインと対象者

研究1、2ともに、オーストラリアのアデレードに住む成人を対象としたPLACE study (Physical Activity in Localities and Community Environments; 地域の環境と身体活動との関連を調べることを目的とした研究プロジェクト)の一環として行われた。

センサスの調査地区(Census Collection Districts; CCD, 約250世帯を含む)ごとに、地理情報システム(Geographic Information System; GIS)を用いてwalkabilityスコアを客観的に計算した。近隣にある複数のCCDを合わせてneighborhoodという単位を作った。調査対象となる地域は、walkabilityとその地域の社会経済的状況を考慮して選ばれた。walkabilityが上位25%または下位25%にある計32のneighborhoodが対象となり、各neighborhoodにおいて、ランダムに選ばれた250世帯に対し質問紙が郵送された(ベースライン調査; 2003年から2004年にかけて実施)。基準を満たし(年齢20-65歳、施設に入居していない、他人の補助なしで歩くことができる、英語での調査に回答できる)、調査参加の同意を得られた2,650名から回答を得た(回答率11.5%)。ベースライン調査に回答した者のうち41.4%(1,098人、転居した者を除く)から、フォローアップ調査(2007年から2008年にかけて実施)に対する回答を得た。それらのうち、50歳-65歳の成人かつデータに欠損のないものを分析の対象とした。

測定項目

・歩行行動に関する指標

ベースライン調査およびフォローアップ調査(4年後)におけるWtrとWrecを質問紙により評価した。

・人口統計的特性、健康状態、心理社会的特性、および環境特性

年齢、性別、教育歴、就労状況、世帯収入、婚姻状況、Body Mass Index (BMI)、健康状態、中等度の身体活動に対する自己効力感、中等度の身体活動に対する楽しみ、定期的な身体活動の効用に対する認識、定期的な身体活動を妨げるものに対する認識、身体活動に対する家族または友人からの社会的支援、近所の人との社会的交流、地域の連帯感、近所の人たちの社会的行為、地域の社会的結束、歩道の設備、景観、交通および犯罪に対する安全性を質問紙により評価した。また、オーストラリア統計局のデータを用いて、CCDレベルの社会経済的状況を評価した。walkabilityはGISにより客観的に評価した。

<研究1の概要>

WtrおよびWrecの4年間での変化をアウトカムとし、それぞれのwalkabilityとの関連を調べた。

Walkabilityの高い地域(HW)および低い地域(LW)に住む488名を対象として線形回帰(ランダム切片モデル)を行った結果、HWに住む人たちのほうがLWに住む人たちに比べてWtrの減少量の絶対値が有意に小さかった(p<0.05)。年齢、性別、就労状況、世帯収入、BMI、ベースラインにおけるWtrおよびWrecにより調整した平均値は、HW で-1.1min/day、LWで-6.7min/dayであった(図)。walkabilityとの関連はWtrにおいて見られたもののWrecにおいては見られなかった。

HWとLWの間に5.6min/dayの差が見られたが、これは米国スポーツ医学会と米国心臓協会が推奨している身体活動(中等度の身体活動を一日当たり約20分間)の約4分の1に相当する。中高齢者はレクリエーションとしての身体活動を行う機会が減る傾向にある(オーストラリア統計局, 2007)ことから、日常生活の中で行われているWtrは身体活動を全体的に維持する上で重要であると考えられる。本研究の結果により、このWtrを維持するのにWalkabilityが関係していることが示唆された。

<研究2の概要>

中高齢者におけるWtrおよびWrecの4年間での変化を、下位20%をカットオフとして二値に分けた(Wtr: 21.4min/day以上減少、Wrec:18.6min/day以上減少)。これらをアウトカムとし、人口統計的、心理社会的、環境的要因との関連をロジスティック回帰(Wtrについてはランダム切片モデル)により調べた。その結果、Wtrに関しては、ベースラインにおけるWtrの時間が長く、身体活動に対する家族からの社会的支援が低いと、Wtr減少のオッズが有意に高く(p<0.05)、定期的な身体活動の効用に対する認識が低く、近所の人との社会的交流が中程度であり、地域の連帯感が低く、walkabilityが高いとWtr減少のオッズが有意に低かった(p<0.05)。Wrecに関しては、ベースラインにおけるWrecの時間が長く、歩道の設備が中程度に整っているとWrec減少のオッズが有意に高く(p<0.05)、身体活動に対する自己効力感が低く、身体活動に対する家族からの社会的支援が低いとWrec減少のオッズが有意に低かった(p<0.05)(表)。なお、walkabilityとWrecの変化との間には関係がみられなかった。

<議論および結論>

walkabilityはWtrの長期的変化と有意な正の関係を示したが、Wrecの長期的変化とは関係を示さなかった(研究1、2)。このことは過去に行われた横断的研究(Owen et al., 2007)の結果と一致した。また、WtrおよびWrecの長期的変化について、それぞれ異なる心理社会的要因および環境的要因が関連するという結果が得られたことから、歩行の目的に合わせた介入を行うことが重要であることが示唆された(研究2)。

仮に回帰効果の影響が残っていたとすると、walkabilityが低ければベースラインの歩行量も減り、4年間での減少量も小さくなるはずだが、研究1、2ともにそのような結果は得られなかった。従って、walkabilityとWtrの変化との関係は回帰効果によるものではないと考えられた。また、研究2においてアウトカムのカットオフを下位20% から33%に変えた場合でも両者の関係は確認されたことから、比較的安定した関係であると考えられた。

回答率の低さ(11.5%)、セレクションバイアスの問題などの課題は残されたものの、研究1および2で得られた結果から、中高齢者における歩行行動の長期的変化に対して、住居周辺の環境(built environment)が重要な役割を果たすことが示唆された。

図. 移動のための歩行の4年間の変化(min/day)の調整済み平均値. Walkabilityが高い地域および低い地域に住む人たちそれぞれの平均値を示す(n=488)

表. 人口統計的、行動的、心理社会的、環境的要因と、移動のための歩行 およびレクリエーションとしての 歩行との関連 (n=445).

a Decline = decreased more than 21.4 min/day (n=86 out of 445), bottom quintile of change

b Decline = decreased more than 18.6 min/day (n=84 out of 445), bottom quintile of change

c p for overall comparison

PA: physical activity

*p<0.05, **p<0.01 compared to the referent category.

審査要旨 要旨を表示する

健康に対する身体活動の効果は広く認識されているにもかかわらず、先進国における成人の身体活動レベルは未だに低い。効果的な介入を行うためには、身体活動と関連のある要因を明らかにすることが重要であるが、1990年代中ごろまで、環境的要因との関連についてはほとんど調べられてこなかった。本論文は、身体活動のうち中高齢者における歩行行動に注目し、環境の中でも特に人間が作り出した環境(built environment)との関連について、理解を一歩進めることを試みたものである。

本論文は、全6章から構成されている。第1章では、身体活動の現状や関連要因についての研究の進展状況、中高齢者における歩行行動の重要性などについて言及している。そして、先行研究では環境的要因と歩行行動との関連について、時系列的な変化に関する分析や、人口統計的要因・心理社会的要因などを同時に含めた分析がほとんど行われてこなかったことを指摘し、これらを考慮した上で、歩行の目的別に検討を行うことを本論文(研究1および研究2)の目的として挙げている。

研究は、歩行行動に関連する地理情報が整備されたオーストラリアのアデレード在住の成人を対象として行われた。第2章では、両研究に共通する研究のデザイン、サンプリングの方法、使われた指標の詳細について説明している。また、第3章では、分析に用いた各変数の記述統計、および統計モデルに組み込んだ変数の選択方法について述べている。

第4章では、環境的要因の指標の一つであり、道路の接続性や土地利用の多様性などの観点から、歩くことをどれだけ促すような環境であるかを総合的に評価したウォーカビリティ(walkability)と呼ばれる指標に注目し、ある場所から別の場所への移動のための歩行、およびレクリエーションとしての歩行それぞれの長期的変化との関連を調べ、ウォーカビリティが高いほど移動のための歩行が長期的に維持されることを示した(研究1)。

第5章では、環境的要因以外に、よく知られている人口統計的要因や心理社会的要因なども含めた上で、各要因と、それぞれの歩行の長期的変化との関連を調べている。それぞれの歩行の長期的変化について、異なる心理社会的要因および環境的要因が関連していたことに加え、研究1と同様、ウォーカビリティについては移動のための歩行の長期的変化との間に有意な正の関係がみられたことを明らかにしている(研究2)。

第6章では、統計モデルに組み込む変数選択の基準を変えるなど、分析方法を変えた場合の結果についても考察し、ウォーカビリティと移動のための歩行の長期的変化との関係は比較的安定したものであると主張している。

本論文は、縦断的な分析をもとに移動のための歩行と環境的要因との関連を示した点、人口統計的要因や心理社会的要因なども含めて検討した場合でも両者の関係がみられることを示した点、そして、歩行行動の関連要因は歩行の目的別に区別して分析する必要があることを示した点で特に意義が認められる。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいものと判断された。

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