学位論文要旨



No 128158
著者(漢字) 森川,華子
著者(英字)
著者(カナ) モリカワ,ハナコ
標題(和) 腸管病原性大腸菌のエフェクター蛋白質Cifの機能解析
標題(洋)
報告番号 128158
報告番号 甲28158
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3817号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 畠山,昌則
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 准教授 大海,忍
 東京大学 准教授 本田,賢也
内容要旨 要旨を表示する

下痢性疾患は現在でも毎年 150 万人もの乳幼児の命を奪っており、地球規模で解決しなければならない問題である。私は、ヒトの腸管に感染し下痢を惹起する病原性細菌のうち、腸管病原性大腸菌(enteropathogenic Escherichia coli ; EPEC) に焦点を当てて、本研究を行った。EPEC は、特に、衛生水準が低く、インフラ整備が不十分な開発途上国において、乳幼児を中心に、重篤な下痢性疾患を引き起こす。病原性大腸菌に対する最も有効な治療法は抗菌剤の投与であるが、菌が多剤耐性遺伝子を獲得した場合には治療が困難になるなど、問題もある。よって、新たな予防法や治療薬、ワクチンを開発するためにも、感染機構の分子メカニズムを明らかにする基礎研究が必要である。

EPEC は、赤痢菌やサルモネラ、エルシニア、 enterohemorrhagic Escherichia coli (EHEC) と同じく、グラム陰性病原細菌であり、 III 型分泌装置により一群の機能性蛋白質 (エフェクター) を感染の標的である宿主細胞に分泌する。これらのエフェクター蛋白質は、宿主細胞の細胞骨格や免疫応答などを制御し、宿主細胞内シグナル情報伝達経路を巧みに利用する菌の戦略の一つとして、感染成立に重要な役割を担っている。従って、個々のエフェクターの機能を明らかにすることが、これらの病原細菌の感染機構を解明するために必須である。

EPECのエフェクターの一つである、cycle inhibiting factor (Cif) は宿主細胞の細胞周期の進行を抑制することが知られていた。さらに、近年のX 線結晶構造解析の結果、Cif の C 末端側とBurkholderia pseudomallei の Cif ファミリー蛋白質 (CHBP) の全長の立体構造が明らかとなり、papain 様構造を取る活性部位(Cys-His-Gln) が細胞周期進行の抑制に必要であると報告された。しかし、Cif が細胞周期を抑制する分子メカニズムは明らかになっていなかった。そこで、本研究では、Cif の機能解析を行い、以下のことを明らかにした。

(1) Cifは宿主の NEDD8 を標的とし、(2) 感染細胞内で宿主蛋白質の NEDD8 化に影響する。(3) Cif は特にCullin ファミリー蛋白質の脱NEDD8 化を阻害する。(4) また、Cif は SCF 複合体ユビキチンリガーゼに結合する。(1) から (4) の結果、(5) SCF 複合体のユビキチンリガーゼ活性が抑制され、(6) SCF 複合体ユビキチンリガーゼの標的となる細胞周期調節因子群の正常な分解が起こらず、蓄積することにより、(7) EPEC感染細胞において、細胞周期の進行が抑制される。

Cif が宿主細胞周期を抑制する分子メカニズムを解明するために、Cif と結合する宿主標的蛋白質の探索を行った。ヒト蛋白質アレイを用いて、網羅的な探索を行った結果、Cif の標的蛋白質として Neural precursor cell expressed, developmentally down-regulated 8 (NEDD8) を同定した。NEDD8 は、ユビキチンと同様に、基質となる蛋白質と共有結合することによって、その基質蛋白質の機能を制御する。そこで、EPECの感染において、Cif が宿主細胞内でのNEDD8 化に与える影響を検討した。その結果、EPECの野生株 (E22) や cif を過剰発現する株を感染させた HeLa 細胞では、非感染細胞とcif 欠損株を感染させた細胞に比べて、NEDD8 の単量体の量が減少していた。さらに、80kDa のNEDD8化蛋白質の量が増加していることも確認され、Cif によって細胞内のNEDD8 化が変化していることが示唆された。この 80 kDa の NEDD8 化蛋白質が、NEDD8 の代表的な基質蛋白質である Cullin ファミリー蛋白質であると予想し、Cullin ファミリー蛋白質の NEDD8化への影響を調べた。その結果、Cif がCullinファミリー蛋白質の NEDD8 化を亢進することが明らかになった。NEDD8 化は、ユビキチン化と同様に、NEDD8 特異的な E1 活性化酵素、E2 結合酵素による複合反応を経て起こる。一方、Cullin の脱 NEDD8 化は CSN という脱 NEDD8 化酵素により制御される。Cif によりCullin ファミリー蛋白質のNEDD8 化が亢進するメカニズムを調べるために、Cif が NEDD8 化と脱 NEDD8 化に与える影響を調べた。その結果、CSN による NEDD8-Cullin2 の脱 NEDD8 化 が Cif により抑制されることが明らかとなった。以上の結果から、EPEC の感染において、Cif により CSN による Cullin ファミリー蛋白質の脱 NEDD8 化が抑制された結果、NEDD8 化の状態が安定化されていることが示唆された。

細胞周期進行においては、細胞周期調節因子群の選択的な蛋白質分解が中心的な役割を果たしている。この蛋白質分解はSkp1-Cullin1-F-box protein (SCF) 複合体とanaphase-promoting complex/ cyclosome (APC) 複合体という2つのユビキチンリガーゼにより制御されている。Cullin1 は SCF 複合体の構成蛋白質である。そこで Cif とSCF 複合体との結合を調べた。その結果、Cif と SCF 複合体の構成蛋白質である Rbx1、Skp1、Cullin1との結合がみられ、Cif は SCF 複合体と相互作用していることが示された。

SCF 複合体のユビキチンリガーゼ活性は Cullin1の NEDD8 化によって上昇することが報告されている。そこで、Cif による Cullin1 の NEDD8 化の制御が SCF 複合体ユビキチンリガーゼ活性に影響するか否かを検討した。そのために、EPEC 感染細胞における、SCF 複合体ユビキチンリガーゼの代表的な基質として知られる p27 のユビキチン化のレベルを検討した。その結果、E22 野生株やcif 過剰発現株を感染させた細胞では、非感染細胞や cif 欠損株を感染させた細胞に比べて、p27 のユビキチン化が減少しており、Cif 依存的にSCF複合体のユビキチンリガーゼ活性が抑制されていることが示唆された。

また、SCF 複合体のユビキチン化抑制の影響を調べるため、EPEC 感染細胞内におけるSCF 複合体の基質量を比較した。その結果、E22 野生株感染細胞においては、非感染細胞やcif 欠損株感染細胞に比べて p27 の異常な蓄積が見られた。以上の結果から、Cif は Cullin の NEDD8 化の制御を介して、SCF 複合体のユビキチンリガーゼ活性を抑制し、p27 などのSCF 複合体の基質を蓄積させることが示された。

このCif による SCF 複合体の抑制が、EPEC 感染細胞において見られる Cif 依存的な細胞周期抑制を担う分子メカニズムであることが予想された。そこで、Cif が細胞周期進行に及ぼす影響を詳細に検討した。G2 期後期に E22 野生株または cif 欠損株を感染させた HeLa 細胞は、非感染細胞と同様に正常な M 期への移行を示した。しかしながら、cif 欠損株を感染させた細胞は非感染細胞と同様に G1 期、さらには S 期に移行したが、野生株感染細胞においては S 期への移行が起こらなかった。次に、SCF 複合体と APC 複合体の基質蛋白質の経時的な分解を調べた結果、野生株感染細胞において、APC複合体の基質は正常に分解されたのに対し、SCF 複合体の基質である p27やCdt1、CyclinD1 の分解には異常がみられ、これらの基質の蓄積が確認された。以上の結果から、Cif は SCF 複合体を抑制し、細胞周期進行を抑制すると示唆された。

Cif による G1 期停止を確かめるために、細胞周期の進行をリアルタイムに観察できるプローブである Fluoresent ubiquitination-based cell cycle indicator (Fucci) を発現する HeLa 細胞に E22 野生株を感染させ、経時的に蛍光顕微鏡による観察を行った。その結果、cif 欠損株を感染させた細胞や非感染細胞では細胞周期は正常に動いていた。一方、野生株を感染させた細胞は感染後 15 時間以内にすべての G1 期か G1/S 期にいることが観察され、Cif は G1 期停止をもたらすことを示された。

この研究において、我々は、Cif が宿主細胞の細胞周期を制御する SCF 複合体を標的として、そのユビキチンリガーゼ活性を阻害することにより、細胞周期調節因子群の正常な分解を阻害し、細胞周期を抑制することを明らかにした (図 1)。

腸管粘膜を覆う上皮細胞は、絶えず基底部から先端に移動し脱落する。その結果、2-3 日という早い周期で全体が新しい細胞と入れ替わる。この早いターンオーバーは、細菌感染の初期に病原体の感染拡大の足場となる細胞を速やかに除去するシステムとして機能し、宿主の生体防御に重要な役割を担っている。これに対して、病原細菌はこのターンオーバーを破綻させて、上皮細胞へ効率よく定着するために、様々な戦略を持つ。本研究により、EPEC は Cif を介して宿主の細胞周期を抑制することにより、上皮細胞のターンオーバーを妨げ、感染の足場を維持することが示唆された。Cif は EPEC だけでなく、EHEC やYersinia psudotuberculosis、Berkholderia psuedomallei、Photorhabdus luminescens、にも保存されており、本研究を利用することによる Cif の阻害剤の開発は、多くの病原細菌に対する治療法の確立に貢献することが期待できる。

図1. 本論文のまとめ

(A) 非感染細胞では、 G1 期において、SCF 複合体ユビキチンリガーゼの基質がユビキチン化されて分解し、S 期への正常な移行が起こる (上)。非感染細胞はG1/S/G2/M各期に存在する (下)。

(B) E22 野生株感染細胞ではCif による SCF 複合体ユビキチンリガーゼ活性抑制により基質が蓄積し細胞周期進行が停止する (上)。E22 株感染細胞を感染させた Fucci 発現 HeLa 細胞は G1 期で細胞周期が停止する (下)。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はヒトに下痢を引き起こす腸管病原性大腸菌の感染において、腸管病原性大腸菌の菌体からIII 型分泌装置より宿主標的細胞に分泌され、感染成立に重要な役割を果たす、エフェクター蛋白質の一つである Cycle inhibiting factor (Cif) が、ヒト細胞の細胞周期進行抑制を誘導する 分子メカニズムの解明を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.ヒト蛋白質アレイを用いたCif の宿主標的蛋白質の探索の結果、Neural precursor cell expressed, developmentally down-regulated 8 (NEDD8) を同定した。大腸菌に His-Cif を GST または GST-NEDD8 または GST-Ubiquitin と共発現させ、GST Pull down assay を行ったところ、大腸菌内での Cif と NEDD8 の結合が示された。

2.EPEC 感染細胞において、NEDD8化した蛋白質を比較したところ、Cif により蛋白質の NEDD8 化が亢進していた。とくに、NEDD8 の代表的な基質である Cullin ファミリー蛋白質の NEDD8 化を比較したところ、Cif を発現する株を感染させた細胞において、NEDD8 化した Cullin が安定化し蓄積していることが示された。

3.Cif による Cullin ファミリー蛋白質の NEDD8 化の蓄積が NEDD8 の促進の結果か、或いは脱 NEDD8 化の抑制の結果であるかを調べたところ、Cullin 2 の NEDD8 化は Cif により影響を受けなかったのに対し、Cullin2 の脱 NEDD8 化酵素 (CSN) による脱 NEDD8 化は、Cif により抑制されることが示された。

4.G1/S 期同調細胞にGST-p27 と His-Ubiquitin を発現させ、その後 EPECを感染させた。さらにユビキチン化蛋白質を精製して、細胞内でのp27 のユビキチン化を比較した結果、Cif 発現株を感染させた細胞においてp27 のユビキチン化が減少していることが示された。また、Cif を発現するEPEC を感染させた細胞において、p27 のユビキチン化が減少した結果、p27が異常に蓄積しているのが示された。

5.FLAG-Cif を細胞に発現させて免疫沈降を行った結果、Cif は Cullin1 が他の蛋白質と共に複合体を形成してユビキチンリガーゼとして働くSkp1-Cullin1-F-box protein (SCF) 複合体ユビキチンリガーゼの構成蛋白質に結合することが示された。

6.G1/S 期同調細胞をさらに 8 時間培養し、細胞がG2 期後期に入ったところで EPEC に感染させたところ、非感染細胞またはcif 欠損株細胞において正常な細胞周期進行が見られたのに対し、Cif を発現する株を感染させた細胞において、G1 期から S 期への移行が阻害され、G1 期停止が観察された。また、この細胞で細胞周期進行に関わる代表的なユビキチンリガーゼである SCF 複合体ユビキチンリガーゼ特異的な基質の蓄積が見られ、EPEC野生株感染細胞において、SCF複合体ユビキチンリガーゼの基質の蓄積によるG1 期停止が示された。

7.細胞周期の進行をリアルタイムに観察できるプローブである Fluoresent ubiquitination-based cell cycle indicator (Fucci) を安定的に発現する HeLa 細胞を用いて、Cif を保持するEPEC 感染細胞での細胞周期の進行を経時的に観察したところ、Cif によるG1 期停止が確認された。

以上、本論文は腸管病原性大腸菌感染において、Cif が細胞に誘導する細胞周期抑制機構の分子メカニズムの解明から、EPEC と宿主細胞内の ユビキチン・プロテアソームを介した蛋白質分解経路との新たな関係性を明らかにした。本研究は腸管病原性大腸菌の感染成立に働く新たなメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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