学位論文要旨



No 128321
著者(漢字) 安保,真裕
著者(英字)
著者(カナ) アボ,マサヒロ
標題(和) 過酸化水素検出蛍光プローブの開発
標題(洋)
報告番号 128321
報告番号 甲28321
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1416号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 准教授 富田,泰輔
 東京大学 特任准教授 松沢,厚
 東京大学 特任准教授 加滕,大
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

活性酸素種(Reactive oxygen species, ROS)は、紫外線、虚血、免疫反応などによって生体内で発生すると、その生体分子との高い反応性から細胞障害作用を引き起こし、神経疾患、がん、動脈硬化などの病因となると古くから考えられてきた。しかしながら、近年では、NADPH oxidase(Nox)ファミリーの発見を契機として、スーパーオキサイドや過酸化水素(H2O2)といった、比較的酸化力の弱いROS を積極的に産生することによって、生体は生命機能を維持していることが明らかとなりつつある。Nox はNADPH を酸化し、酸素を還元することでスーパーオキサイドを産生する。スーパーオキサイドは自発的あるいは酵素によって不均化反応を起こし、過酸化水素となる。Nox が特徴的な点は、副生成物としてではなく、真の産物としてROS を産生することである。特に、過酸化水素は生体内での長い寿命と穏やかな反応性から、レドックスシグナル伝達を担う分子として、生物学領域で注目を集めている。しかし、現状では、生体内で過酸化水素を選択的かつ高感度に検出できる系はないと言ってよく、そのような系を開発することはROS の生物学上、重要な課題となっている。そこで私は、過酸化水素を検出するための蛍光プローブの開発を目指して研究を行った。

【研究の内容】

過酸化水素の検出原理として、Benzil chemistry に着目した。Benzil は1979 年にNaOH 塩基性のメタノール中において、過酸化水素と反応して安息香酸とそのメチルエステルを与えることが報告されていた。また、蛍光制御原理として光誘起電子移動(PeT)を利用した。Benzil は還元電位が-1.1 V vs. SCE と大きく、蛍光団近傍に存在する場合には蛍光団からBenzil への光誘起電子移動(donor-excited PeT, d-PeT)が起こり、蛍光の消光が起こることが予想された。以上の知見から、私は過酸化水素検出蛍光プローブの候補化合物として5-Benzoylcarbonylfluorescein誘導体を設計した(Scheme 1)。この化合物は、過酸化水素との反応前はd-PeT により弱蛍光性であるが、過酸化水素と反応して強蛍光性の5-Carboxyfluorescein へと変換されるようデザインされている。この設計に基づき、生体内の低濃度の過酸化水素を検出できるよう、Benzil 部位の修飾によって、過酸化水素との反応性の向上を検討した。

実際に、R が水素、ブロモ、メトキシ、シアノ、ニトロで置換された5 種類の誘導体を合成し、in vitro での評価を行った。吸収蛍光特性は、いずれの誘導体も490 nm 付近の吸収極大と520 nm付近の蛍光極大を示したが、蛍光量子収率は低く抑えられており、d-PeT による消光が確認された。次に、過酸化水素反応性について検討を行った。中性の水中において各誘導体と過酸化水素を反応させ、蛍光強度上昇を測定したところ、強電子吸引性のシアノ基およびニトロ基をもつ誘導体4 およびNBzF は大きな蛍光強度増大を示し、過酸化水素との良好な反応性が示された。誘導体4 とNBzF はともに優れた過酸化水素反応性を示したが、特にNBzF については過酸化水素との反応前がほぼ無蛍光性であるため、反応前後で150 倍の大幅な蛍光強度の上昇が得られた。NBzF と過酸化水素との反応生成物をHPLC およびNMR により解析したところ、主な生成物は5-Carboxyfluorescein と4-Nitrobenzoic acid のみであることが確認された。また、NBzF のROS間での過酸化水素に対する選択性を検討したところ、NBzF は過酸化水素に高い選択性を示した.以上、NBzF は過酸化水素の選択的かつ高感度な検出を可能にする優れた蛍光プローブであることが明らかとなった。そこで次に、NBzF の生細胞イメージングへの応用を行った。RAW264.7マクロファージにNBzF のジアセチル体NBzFDA を負荷し、ホルボールエステルの一種であるPMA で細胞を刺激したところ、細胞内にエンドソームが形成され、エンドソーム内から強い蛍光シグナルが観察された。これは、PMA 刺激により活性化されたNox がエンドソーム内へ産生する過酸化水素を検出したものと考えられる。

実際に、Nox 阻害剤であるApocynin および過酸化水素消去剤であるEbselen で処理することにより蛍光シグナル上昇は抑えられた。また、NO 合成酵素阻害剤であるL-NAME では、エンドソームの蛍光シグナル増大に対する有意な阻害活性は見られなかった。さらに、A431 ヒト類表皮がん細胞をEGF 刺激することにより産生される過酸化水素の生細胞イメージングにNBzFDA を適用したところ、EGF 刺激依存的な蛍光シグナルの上昇が見られた。この蛍光シグナル上昇はApocynin およびEbselen により阻害されることからも、EGF 刺激依存的に産生された過酸化水素を検出していると考えられる。A431 細胞においてEGF 刺激依存的に産生された過酸化水素は、ホスファターゼの一種であるPTP1B を酸化して可逆的に阻害することによりEGF によるシグナルを増強していることが報告されており、一種のシグナル伝達因子と考えることができる。シグナル伝達因子としての過酸化水素は、生物学領域において大きな関心を集めており、NBzF は非常に有用な研究ツールとなることが期待される。

以上述べたように、NBzF は優れた特性を有する過酸化水素検出蛍光プローブであるが、問題点として細胞漏出性が高いことが明らかとなった。プローブの細胞からの漏出は、長時間のイメージングを困難にし、また検出感度の低下を引き起こしてしまう。そこで私は、これまでに確立したBenzil chemistry に基づく分子設計法を高い細胞内滞留性を有する蛍光色素であるcalceinに適用することによって、高い細胞内滞留性を有する過酸化水素検出蛍光プローブであるBzCaの開発を行った。BzCa はNBzF と同等の優れた過酸化水素応答性を有し、それに加えて実際に優れた細胞内滞留性を有することが明らかとなった。さらに、BzCa を用いることによって、NBzFでは困難であったA431 細胞での過酸化水素産生の経時的イメージングが可能であることが示された

【まとめと展望】

私は、Benzil chemistry と光誘起電子移動に基づいて過酸化水素検出蛍光プローブを分子設計および合成し、優れた過酸化水素検出蛍光プローブNBzF の開発に成功した。さらに、NBzF のジアセチル体NBzFDA を生細胞イメージングへと応用し、RAW264.7 マクロファージおよびA431 ヒト類表皮がん細胞から産生される過酸化水素のイメージングに成功した。また、確立した分子設計法をcalcein 骨格に適用することにより、細胞内滞留性に優れた過酸化水素検出蛍光プローブBzCa の開発に成功した。Benzil chemistry に基づく分子設計法は様々な蛍光骨格に適用可能な汎用性の高いプローブ設計戦略であり、本研究により実用性の高い過酸化水素検出蛍光プローブ開発への道が切り開かれた

Masahiro Abo, Yasuteru Urano, Kenjiro Hanaoka, Takuya Terai, Toru Komatsu and TetsuoNagano, "Development of a Highly Sensitive Fluorescence Probe for Hydrogen Peroxide",Journal of the American Chemical Society, 2011, 133 (27), 10629-10637.

Scheme 1. Design of novel fluorescence probes for H2O2.

Figure 1. Reactivity with H2O2 in vitro. (A) Fluorescence increments of derivatives upon addition of H2O2. (B) Pseudo-first order reaction rate constant (k) with 1 mM H2O2. (C) Fluorescence spectra of NBzF upon addition of H2O2. All experiments were performed in 0.1 M sodium phosphate buffer at pH 7.4.

Figure 2. Live cell imaging of RAW264.7 macrophages stimulated by PMA. (A) Control, (B) PMA (114/m1) stimulation, (C) PMA stimulation with 5 mM apocynin, (D) PMA stimulation with 5 μM ebselen, (E) PMA stimulation with 5 mM L-NAME, (F) Fluorescence intensities of endosomes were averaged. *P < 0.01, **P < 0.001 and error bars are ± s.d.

Figure 3. Live cell imaging of H2O2 in A431 cells. NBzFDA (5 μM) and inhibitors were loaded on A431 cells at 37 °C for 10 min, then cells were stimulated by 500 ng/ml of EGF for 30 min. Scale bars are 50 μm

審査要旨 要旨を表示する

活性酸素種(Reactive oxygen species, ROS)は、紫外線、虚血、免疫反応などによって生体内で発生すると、その生体分子との高い反応性から細胞障害作用を引き起こし、神経疾患、がん、動脈硬化などの病因となると古くから考えられてきた。しかしながら、近年では、NADPH oxidase (Nox)ファミリーの発見を契機として、スーパーオキサイドや過酸化水素(H2O2)といった、比較的酸化力の弱いROSを積極的に産生することによって、生体は生命機能を維持していることが明らかとなりつつある。NoxはNADPHを酸化し、酸素を還元することでスーパーオキサイドを産生する。スーパーオキサイドは自発的あるいは酵素によって不均化反応を起こし、過酸化水素となる。Noxが特徴的な点は、副生成物としてではなく、真の産物としてROSを産生することである。特に、過酸化水素は生体内での長い寿命と穏やかな反応性から、レドックスシグナル伝達を担う分子として、生物学領域で注目を集めている。しかしながらこれまで、生体内で過酸化水素を選択的、高感度かつ信頼性高く検出できる系はほぼ無いのが現状であった。そこで安保真裕君は、過酸化水素を鋭敏に、生細胞内で検出するための蛍光プローブの開発を目指して、研究に着手した。

過酸化水素の検出原理として、Benzil chemistryに着目した。Benzilは1979年にNaOH塩基性のメタノール中において、過酸化水素と反応して安息香酸とそのメチルエステルを与えることが報告されていた。また、蛍光制御原理として光誘起電子移動(PeT)を利用した。Benzilは還元電位が-1.1 V vs. SCEと大きく、蛍光団近傍に存在する場合には蛍光団からBenzilへの光誘起電子移動(donor-excited PeT, d-PeT)が起こり、蛍光の消光が起こることが予想された。以上の知見から、過酸化水素検出蛍光プローブの候補化合物として5-Benzoylcarbonylfluorescein誘導体を設計、開発した。この化合物は、過酸化水素との反応前はd-PeTにより弱蛍光性であるが、過酸化水素と反応して強蛍光性の5-Carboxyfluoresceinへと変換されるようデザインされている。さらにこの設計に基づき、生体内の低濃度の過酸化水素を検出できるよう、Benzil部位の置換基修飾によって、過酸化水素との反応性が向上するかどうかも検討した。

吸収蛍光特性は、いずれの誘導体も490 nm付近の吸収極大と520 nm付近の蛍光極大を示したが、蛍光量子収率は低く抑えられており、d-PeTによる消光が確認された。次に、過酸化水素反応性について検討を行ったところ、強電子吸引性のシアノ基およびニトロ基をもつ誘導体が大きな蛍光強度増大を示し、過酸化水素との良好な反応性を持つことが示された。特にニトロ基を有するNBzFは、過酸化水素との反応前がほぼ無蛍光性であるため、反応前後で150倍の大幅な蛍光強度の上昇が得られた。NBzFと過酸化水素との反応生成物をHPLCおよびNMRにより解析したところ、主な生成物は5-Carboxyfluoresceinと4-Nitrobenzoic acidのみであることが確認された。また、NBzFのROS間での過酸化水素に対する選択性を検討したところ、NBzFは過酸化水素に高い選択性を示した。以上、NBzFは過酸化水素の選択的かつ高感度な検出を可能にする優れた蛍光プローブであることが明らかとなった。

そこで次に、NBzFの生細胞イメージングへの応用を行った。RAW264.7マクロファージにNBzFのジアセチル体NBzFDAを負荷し、ホルボールエステルの一種であるPMAで細胞を刺激したところ、細胞内にエンドソームが形成され、エンドソーム内から強い蛍光シグナルが観察された。これは、PMA刺激により活性化されたNoxが、エンドソーム内へ産生する過酸化水素を検出したものと考え、Nox阻害剤であるApocyninおよび過酸化水素消去剤であるEbselen添加による阻害効果を検討したところ、確かに蛍光シグナル上昇は抑えられることが確認された。さらに、A431ヒト類表皮がん細胞をEGF刺激することにより産生される過酸化水素の生細胞イメージングにNBzFDAを適用したところ、EGF刺激依存的な蛍光シグナルの上昇が見られた。この蛍光シグナル上昇もApocyninおよびEbselenにより阻害されることからも、EGF刺激依存的に産生された過酸化水素を検出していると考えられる。A431細胞においてEGF刺激依存的に産生された過酸化水素は、ホスファターゼの一種であるPTP1Bを酸化して可逆的に阻害することによりEGFによるシグナルを増強していることが報告されており、一種のシグナル伝達因子と考えることができる。シグナル伝達因子としての過酸化水素は、生物学領域において大きな関心を集めており、NBzFは非常に有用な研究ツールとなることが期待される。

以上述べたように、NBzFは優れた特性を有する過酸化水素検出蛍光プローブであるが、同時に細胞漏出性が高く、長時間の観察実験には向かないことも明らかとなった。そこで、確立したBenzil chemistryに基づく分子設計法を、高い細胞内滞留性を有する蛍光色素であるcalceinに適用することによって、高い細胞内滞留性を有する過酸化水素検出蛍光プローブであるBzCaの開発を行った。BzCaはNBzFと同等の優れた過酸化水素応答性を有し、それに加えて実際に優れた細胞内滞留性を有することが明らかとなった。さらに、BzCaを用いることによって、NBzFでは困難であったA431細胞での過酸化水素産生の経時的イメージングが可能であることが示された。

以上のように安保真裕君は、Benzil chemistryと光誘起電子移動に基づいて過酸化水素検出蛍光プローブを分子設計および合成し、優れた過酸化水素検出蛍光プローブNBzFの開発に成功した。さらに、NBzFのジアセチル体NBzFDAを生細胞イメージングへと応用し、RAW264.7マクロファージおよびA431ヒト類表皮がん細胞から産生される過酸化水素のイメージングにも成功した。また、確立した分子設計法をcalcein骨格に適用することにより、細胞内滞留性に優れた過酸化水素検出蛍光プローブBzCaの開発にも成功した。レドックスシグナルをはじめとする、多くの重要な生理作用を担うことが指摘されている過酸化水素の、細胞内ダイナミクスを明らかにするための画期的なツールを開発した本研究は、化学から生物、医学まで幅広い領域の研究に大きなインパクトを与えるものであり、博士(薬学)の授与に値するものであると判断された。

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