学位論文要旨



No 128325
著者(漢字) 黄色,大悲
著者(英字)
著者(カナ) オウシキ,ダイヒ
標題(和) タンパク結合を制御原理とした新規近赤外蛍光プローブの開発と応用
標題(洋)
報告番号 128325
報告番号 甲28325
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1420号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 教授 船津,高志
 東京大学 准教授 杉田,和幸
 東京大学 准教授 楠原,洋之
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

蛍光プローブを利用した蛍光イメージング法は動的な生命現象を時空間分解能高く、安全かつ簡便に可視化する手法として、近年、生命科学研究において汎用されている。特に、生体組織の構成成分による光の吸収や生体分子由来の自家蛍光が少なく、優れた組織透過性を有する近赤外領域の波長(650-900 nm)の光を利用した近赤外蛍光イメージング法は、生きたままの動物体内(in vivo )において生理応答を高感度に可視化できる。以上の背景から、代表的な近赤外蛍光色素であるポリメチン色素を蛍光母核として、様々な生理活性分子に対する選択的な近赤外蛍光プローブの開発研究が精力的に行われている。しかしながら、近赤外領域において既存の蛍光制御原理が適用可能な生体分子は限定されており、さらに広範な生体分子を近赤外蛍光イメージング法によって可視化するためには既存の設計法を補完しうる新たな制御原理が求められている。そこで本研究では、まずポリメチン色素の特性を精査することで、新たな制御原理に基づく分子設計手法の構築を目指した。そして、本手法に基づいて、既存の手法が適用困難な生体分子を可視化する新規近赤外蛍光プローブの開発と応用を行った。

【本論】

1. タンパク結合を制御原理とした新規分子設計手法の構築

タンパク質共存下において、ポリメチン色素はタンパク結合によって吸収・蛍光波長の長波長化とともに蛍光強度が増大することが知られている。本研究ではこの性質、特に強度の増大に着目し、色素に適切な置換基を導入することでタンパク結合が阻害され、タンパク質共存下において蛍光強度の上昇を抑制できるという作業仮説を立てた。この仮説に従えば、タンパク質共存下、置換基の脱離反応によって、タンパク結合が生じ、蛍光強度が増大する蛍光プローブが開発できると考えた。そこで、まず、代表的なポリメチン色素であるシアニン色素について、色素の構造とタンパク結合に伴う光学特性変化の関係を精査した。その結果、いずれのシアニン色素もタンパク質共存下において光学特性が大きく変化する一方で、スルホ基を有するシアニン色素は顕著な変化を示さず、アニオン性置換基によってタンパク結合が阻害されることが示された。また、シアニン色素のポリメチン鎖を架橋したスクアリン酸色素(Figure 1. (A))についても同様に精査したところ、スクアリン酸色素はシアニン色素と比較して顕著に光学特性が変化し、特に蛍光量子収率に着目すると、緩衝液中においてほぼ無蛍光性であるのに対してタンパク質共存下では約20 倍の増大を示し、強蛍光性となることが明らかとなった(Figure 1. (B))。さらに、ウシ血清アルブミン(BSA)に対する色素の安定度定数を見積もったところ、色素にスルホ基を導入することでタンパク結合が阻害されることが分かった(Figure 1. (C))。以上の結果は、アニオン性置換基によって色素のタンパク結合が阻害されるという知見を強く支持している。

以上の知見に基づいて、Figure 2. に示した分子設計手法を考案した。具体的には、蛍光母核としてスクアリン酸色素を選択し、アニオン性置換基を導入することで色素のタンパク結合を阻害することを考えた。ここでタンパク結合が完全に阻害されれば、スクアリン酸色素は生体内のようなタンパク質存在下において緩衝液中と同等の光学特性を示し、ほぼ無蛍光性となる。そして標的とした生体分子によって置換基が脱離すると、近傍に存在するタンパク質に結合することで吸収・蛍光波長の長波長化とともに顕著な蛍光上昇が生じることが期待される。すなわち、この蛍光特性の変化を追跡することで標的分子の検出が可能となる。

2. アルカリホスファターゼプローブの開発と応用

1.で構築した分子設計手法をさらに検証するため、アニオン性置換基としてリン酸基を導入したスクアリン酸色素についてタンパク結合に基づく光学特性の変化を調べたところ、導入したリン酸基の負電荷数が増加するにつれて光学特性の変化が抑制されることが明らかとなった。以上の検討から、まずリン酸基の導入によって色素のタンパク結合を阻害し、アルカリホスファターゼ(ALP)によってリン酸基が加水分解されるとタンパク結合が生じ、蛍光強度が上昇するというALP プローブが開発できると考えた。ALP はマーカー酵素として生命科学研究において汎用されている他、肝機能の指標など臨床診断においても重要な酵素である。そこで、ALP プローブとしてFigure 3. (A) に示した6SqPhos および6SqmonoPhos を設計・合成した。その結果、6SqPhos および6SqmonoPhos は当初の設計通りにアニオン性のリン酸基によってタンパク結合が阻害され、タンパク質共存下において弱蛍光性を示した。そして、ALP を添加することで吸収・蛍光波長の長波長化とともに蛍光強度が顕著に上昇することが明らかになった(Figure 3. (B))。以上の結果は6SqPhos および6SqmonoPhos がin vitro においてALP の酵素活性を蛍光検出可能であることを示している

さらに、開発したプローブをALP 標識した抗体を利用するウェスタンブロッティング(WB)に適用した。その結果、プローブのALP による加水分解反応生成物がブロッキング操作を行った転写膜に対して高い吸着性を示すことにより、標的タンパク質を高感度かつ特異的に蛍光検出可能であることが明らかとなった(Figure 3. (C))。以上の結果は開発したプローブがWB においてALP 活性検出蛍光プローブとして利用できることを示している。

3. β-ガラクトシダーゼプローブの開発と応用

1.で構築した分子設計手法をさらに拡張し、糖類などの水溶性置換基もタンパク結合を阻害るという作業仮説を立てた。この仮説に従えば、糖類を蛍光プローブの反応部位とすることが能であり、糖類の加水分解反応を担うグリコシダーゼの酵素活性が検出できると考えた。そこで本研究では..-ガラクトシダーゼ(β-gal)に着目し、スクアリン酸色素に..-ガラクトシル基を導入した6SqGal を設計.合成した(Figure 4. (A))。β-gal は外部遺伝子導入時のレポーター酵素として生命科学研究において汎用されている重要なグリコシダーゼである。6SqGal は当初の仮説通りにβ-ガラクトシル基によってタンパク結合が阻害され、タンパク質共存下において弱蛍光性を示した。そして、β-gal を添加することで吸収.蛍光波長の長波長化とともに蛍光強度が顕著に上昇することが明らかになった(Figure 4. (B))。以上の結果は6SqGal がin vitro においてβ-galの酵素活性を蛍光検出可能であることを示している。次に、開発したプローブの生物応用を行った。まず、β-gal をコードするlacZ 遺伝子を安定発現させたHEK293 細胞を用いた生細胞イメージングについて検討した。その結果、Figure 4. (C)に示したように、遺伝子導入細胞から顕著な蛍光が観察された一方で、遺伝子導入していない細胞からはほとんど蛍光が観察されず、6SqGal がβ-gal の酵素活性を生細胞イメージング可能であることが示された。さらにin vivo 蛍光イメージングについて検討した。β-gal 遺伝子を挿入したプラスミドDNA をハイドロダイナミクス法を用いてマウスの肝臓に導入した後、6SqGal を尾静脈より投与したところ、肝臓から顕著な蛍光上昇が観察された(Figure 4. (D))。一方で、コントロールプラスミドを導入した場合には顕著な蛍光上昇は認められなかった。以上の結果は6SqGalがβ-gal の酵素活性をin vivo において蛍光イメージング可能であることを示している。

【結論】

本研究では、ポリメチン色素のタンパク結合性を精査することにより、蛍光制御原理としてタンパク結合を利用した近赤外蛍光プローブの新規分子設計手法の確立に成功した。そして本設計法に基づいて、ウェスタンブロッティングに適用可能なALP 活性検出蛍光プローブおよび遺伝子発現のin vivo 蛍光イメージングが可能なβ-gal 活性検出蛍光プローブの開発に成功した。これらのプローブは生命科学研究における実用的ツールとして有用であるとともに、本設計法は既存の分子設計法の欠点を補完しうる手法であり、近赤外蛍光プローブの開発研究において本研究が広範な生体分子を可視化するための端緒になると期待される。

Figure 1. (A) Structures of cyanine dye and squarylium dye. (B) Absorption and fluorescence spectra of 1 .M Sq(R1...H.R2..CH2CH2COO.) in phosphate buffer or fetal bovine serum (FBS).(C) Fluorescence intensity of squaryliumdyes with or without sulfonate groups in various concentrations of BSA solution.

Figure 2. Design strategy based on modification of the protein binding affinity of squarylium dye.

Figure 3. (A) Structures of 6SqPhos and 6SqmonoPhos. (B) Time courses of fluorescence intensity observed with1 .M 6SqPhos in Tris buffer containing 1% w/v BSA after addition of various amounts (units, U) of ALP. (C) Westernblotting detection using HRPleft) or ALP (right) conjugated secondary antibody with 6SqmonoPhos.

Figure 4. (A) Structure of 6SqGal. (B) Time courses of fluorescence intensity observed with 1 .M 6SqGal inphosphate buffer containing 1% w/v BSA after addition of various amounts (units, U) of β-gal. (C) Fluorescence(FL) and differential interference contrast (DIC) images of lacZ-positive or lacZ-negative HEK293 cells loaded with6SqGal. (D) Comparison of the mice inoculated with plasmid DNA encodingβ--gal or control plasmid.

審査要旨 要旨を表示する

蛍光プローブを利用した蛍光イメージング法は動的な生命現象を時空間分解能高く,安全かつ簡便に可視化する手法として,近年,生命科学研究において汎用されている.特に,生体分子由来の自家蛍光が少なく,優れた組織透過性を有する近赤外の波長領域 (650-900 nm) の光を利用した近赤外蛍光イメージング法は,生きたままの動物体内 (in vivo) においても生理応答を高感度に可視化できる.この様な利点から,代表的な近赤外蛍光色素であるポリメチン色素を蛍光母核とした近赤外蛍光プローブの開発研究が精力的に行われてきた.一方で,近赤外色素おいては適用可能な蛍光制御原理が限定されており,さらに広範な生体分子を近赤外蛍光イメージング法によって可視化するプローブを開発するためには既存の設計法を補完しうる新たな制御原理が求められてきた.そこで黄色は,本研究で,まずポリメチン色素の特性を精査することで,新たな制御原理に基づく分子設計手法を構築することで,新たな蛍光イメージング法の確立に貢献することを目指し研究を行った

1. タンパク結合を制御原理とした新規分子設計手法の構築

タンパク質共存下において,ポリメチン色素はタンパク結合によって吸収・蛍光波長の長波長化とともに蛍光強度が増大することが一般的に知られている.黄色はこの性質に着目し,【色素に適切な置換基を導入することでタンパク結合を阻害すれば,タンパク質共存下において蛍光強度の上昇を抑制できる】という作業仮説を立てた.黄色はまず,仮説検証のため,近赤外領域に吸収蛍光を有するシアニン色素誘導体を系統的に合成し,色素の構造とタンパク結合に伴う光学特性変化の関係を精査,スルホ基など,アニオン性置換基を有するシアニン色素はタンパク結合に伴う顕著な光学特性の変化を呈さないことを見いだした.加えて,シアニン色素のポリメチン鎖を架橋したスクアリン酸色素についても精査を行い,スクアリンは水溶性緩衝液中でほぼ無蛍光性であるのが,適切な濃度のタンパク質共存下では蛍光量子収率にして約20倍の増大を示し,強蛍光性となることを見いだした.黄色は続いて,得られた知見に基づくプローブの分子設計手法を考案した.具体的には,蛍光プローブの母核としてスクアリン酸色素を選択し,アニオン性置換基を導入することで色素のタンパク結合を抑制し,酵素などの生体分子との反応によりこの抑制を解除する,といった戦略である.

2. アルカリホスファターゼプローブの開発と応用

1.で構築した分子設計手法を実証すべく黄色は,アニオン性置換基としてリン酸基を導入したスクアリン酸色素を開発した.開発した分子は,導入したリン酸基の負電荷数が増加するにつれて,タンパク質有無での光学特性の差が小さくなることが明らかとなった.この知見から黄色は,リン酸基の導入によって色素のタンパク結合を阻害し,アルカリホスファターゼ(ALP)によってリン酸基が加水分解されるとタンパク結合が生じ,蛍光強度が上昇するALPプローブ,が開発できると考え,新規近赤外蛍光プローブの設計・合成を行った.ALPはマーカー酵素として生命科学研究において汎用されている他,肝機能の指標など臨床診断においても重要な酵素として知られる.新規に開発されたALPプローブ(6SqPhosおよび6SqmonoPhos)は黄色の設計通り,プローブ構造上のリン酸基によってタンパク結合が阻害され,適当な濃度のタンパク共存下においても弱蛍光性を示した.系中に ALPを添加すると,吸収・蛍光波長の長波長化とともに蛍光強度が顕著に上昇し,かつALP の活性に基づく定量的な蛍光増大が得られた.黄色は更に, ALP標識した抗体を利用するウェスタンブロッティングに適用し,開発したプローブを用いることで標的タンパク質を高感度かつ特異的に蛍光検出可能とした.以上の結果はプローブ設計手法の有用性を実証し,また,開発したプローブの実用性を示している

3.β -ガラクトシダーゼプローブの開発と応用

黄色は上述の知見をさらに拡張し,アニオン性官能基のみならず,糖類などの電荷を有さない水溶性置換基もタンパク結合を抑制しうる,という作業仮説を立てた.この仮説が真ならば,糖類の加水分解反応を担うグリコシダーゼの酵素活性が近赤外蛍光プローブによって検出できる.黄色はまず,外部遺伝子導入時のレポーター酵素として生命科学研究において汎用されている重要なグリコシダーゼである.-ガラクトシダーゼ(β-gal)を検出対象として設定し,スクアリン酸色素にβ-ガラクトシル基を導入した6SqGalを設計.合成した. 6SqGalは黄色の仮説通り,β-ガラクトシル基によって色素のタンパク結合が阻害されており,適当な濃度のタンパク質共存下においても,弱蛍光性であった.一方,β-galを添加することで,吸収・蛍光波長の長波長化とともに蛍光強度の顕著な上昇が得られた.これにより,黄色の仮説が検証され,かつ新規に構築された近赤外プローブの設計手法の汎用性の高さが実証された.続いて黄色は,開発したプローブの生物応用を行った.6SqGalがイメージング法においてβ-galの酵素活性を蛍光検出可能かについても検証を行うべく,細胞や個体を用いたイメージングを行った.まず, HEK293細胞を用い,生細胞イメージングを行ったところ,β-galをコードするlacZ 遺伝子を導入した細胞から顕著な蛍光増大が観察された.一方で,遺伝子導入していない細胞からはほとんど蛍光が観察されず,6SqGalがβ-galの酵素活性を生細胞イメージングにより検出可能であることが示された.さらに黄色は個体を用いたイメージングについても検討した.ハイドロダイナミクス法を用いて,マウスの肝臓にβ-gal遺伝子を導入した後,開発した6SqGalを尾静脈より投与したところ,遺伝子を導入した個体において,肝臓から有意な蛍光上昇が観察された.以上,黄色は,開発した6SqGalを用い,細胞.個体レベルにおいて,近赤外蛍光イメージング法によるβ-galの酵素活性検出を達成した.

以上の研究により黄色は,ポリメチン色素のタンパク結合性を精査することにより,タンパク結合に伴う光学特性変化を蛍光制御原理とする近赤外蛍光プローブの新規分子設計手法を確立した.開発した本設計法に基づいて,ウェスタンブロッティングに適用可能なALP活性検出蛍光プローブおよび遺伝子発現のin vivo 蛍光イメージングが可能なβ-gal活性検出蛍光プローブの開発に成功した.これらのプローブは生命科学研究における実用的ツールとして有用であるとともに,本設計法は既存の分子設計法の欠点を補完しうる手法であり,近赤外蛍光プローブの開発研究において本研究が広範な生体分子を可視化するための端緒になると期待される.これらの成果は博士(薬学)にふさわしい成果と審査委員会で評価された。

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