学位論文要旨



No 128342
著者(漢字) 内田,安則
著者(英字)
著者(カナ) ウチダ,ヤスノリ
標題(和) 細胞内ホスファチジルセリンによる膜輸送制御機構
標題(洋)
報告番号 128342
報告番号 甲28342
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1437号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 紺谷,圏二
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

【序】

ホスファチジルセリン(PS)は生物界に広く保存された酸性リン脂質であり、アポトーシス時に細胞外部に露出し"eat-me"シグナルとして機能すること、また形質膜でプロテインキナーゼC などのシグナル伝達分子の活性化に寄与することが知られている。PS は細胞内オルガネラにも存在するが、細胞内におけるPS の機能はこれまで知られていなかった。リサイクリングエンドソーム(REs)は形質膜から取り込まれた受容体などが再び形質膜へ戻る(リサイクルする)際に必要なオルガネラであり、当研究室での解析から、形質膜からエンドソーム、ゴルジ体へ輸送される逆行性膜輸送経路にも必須であることが示されている。また、脂質結合ドメインとして知られるPleckstrin Homology(PH)ドメインを持つevectin-2(evt-2)タンパク質がPH ドメインを介してREs に局在し、REs からゴルジ体への逆行性輸送に必要であることも分かっている。

私は修士課程において、evt-2 のPH ドメインがPS と特異的に結合することを見出したさらに、細胞内のPS を可視化するプローブを用いて、REs がPS に富んだオルガネラであることを明らかにした。そこで博士課程では、X 線結晶構造解析からevt-2 によるPS 認識機構を解明するとともに、PS との結合がevt-2 の局在、機能に必要であることを示した(参考文献)。また、PS の逆行性輸送への関与をより直接的に検討するため、PS 合成酵素を欠損した変異細胞を用い、PS 減少下での表現型解析を行った。

【方法と結果】

1. evt-2 PH ドメインによるPS 認識機構

evt-2 のPH ドメインとPS の極性頭部であるリン酸化セリンを混合して共結晶化を試み、分解能1.0 Åの共結晶構造を得ることに成功した。evt-2 のPH ドメインはPH ドメインの典型的な構造である7 本のβストランドと、C 末端のαヘリックスから構成されていた。リン酸化セリンはβストランドの間のループに結合しており、evt-2 の塩基性アミノ酸(R11、R18、K20)と塩橋を形成していた。R11 はカルボキシル基、R18 はリン酸基、K20 はその両方と相互作用しており、これらのアミノ酸がPS の認識に必要であることが示唆された。

そこで、R11、R18、K20 をグルタミン酸に置換したR11E、R18E、K20E 変異体(PH ドメインのみのコンストラクト)を作成し、REs の観察に適したCOS-1 細胞に発現させ、局在を観察した。野生型のPH ドメインは、COS-1 細胞でREs が存在するゴルジ体マーカーの内部に局在するが、R11E、R18E、K20E 変異体は細胞全体に分散した。また、K20E 変異体は、in vitroでPS への結合能を失った。この結果から、これらのアミノ酸がREs への局在に必要であり、細胞内でPS を認識していることが支持された。

2. PS との結合がevt-2 のRE 局在、機能に必要である

全長のevt-2 にK20E の変異を導入し、PS 結合能を持たない変異体を作成した。K20E 変異体(全長)をCOS-1 細胞に発現させると、野生型で見られるREs への局在性を失い、細胞質中に分散して局在した。この結果から、PS との結合能が全長のevt-2 のRE 局在に必要であることが分かった。

次にevt-2 の機能にPS との結合が必要か検討した。evt-2 のsiRNA による発現抑制下では、逆行性輸送でゴルジ体に運ばれるTGN46 タンパク質が、ゴルジ体からドット状に分散する。evt-2 の発現抑制下で、siRNA 耐性のmouse evt-2 を発現させ、表現型がレスキューするか検討したところ、野生型のevt-2 を発現させた場合はTGN46 のゴルジ体局在が回復した。一方でPS に結合できないK20E 変異体を発現させた場合は、回復が見られなかった。このことから、PS との結合が、evt-2 の機能(TGN46 の逆行性輸送)に必須であることが分かった。

3. PS 減少下での逆行性輸送の解析

PS の逆行性輸送への関与をより直接的に示すために、PS 量が減少した条件で逆行性輸送が阻害されるか検討した。PS は哺乳動物細胞において、ホスファチジルコリン(PC)、及びホスファチジルエタノールアミン(PE)から合成され、CHO-K1 細胞を親株としてPC からPS を合成する酵素が欠損した変異株(PSA-3)が単離されている。この細胞ではPE からPSを合成することができるため、培地中にPE の前駆体であるエタノールアミン(Eth)が十分に存在する場合はPS を合成することができるが、培地からEth を除くとPS 量が減少する。

このPSA-3 細胞を用いて、TGN38(TGN46 のげっ歯類相同分子で、逆行性輸送により形質膜からゴルジ体へ運ばれる)の局在を観察した。Eth が豊富に存在する場合は、TGN38 はゴルジ体に局在し、ゴルジ体マーカーと共局在する。しかし、Eth を除いてPS を減少させた条件では、TGN38 は細胞質中に分散した。さらに、この条件下で培地中にPS を添加すると、TGN38 のゴルジ体局在は回復した。この結果から、TGN38 のゴルジ体局在にはPS が必要であり、PS 減少下ではTGN38 のゴルジ体への輸送が阻害されていることが示唆された。

【まとめと考察】

本研究において、私はevt-2 のPH ドメインによるPS の認識機構をリン酸化セリンとの共結晶構造解析により明らかにした。PH ドメインのリガンドとしてはPIPs(ホスファチジルイノシトールポリリン酸)が良く知られており、evt-2 のPH ドメインはPS を特異的に認識する初めてのPH ドメインである。リン酸化セリンを認識するアミノ酸残基のうち、R11はevt-2 に特徴的であり、PIPs を認識するPH ドメインには保存されていないアミノ酸であった。R11 はPS に存在し、PIPs には存在しないカルボキシル基を認識することから、evt-2PH ドメインのPS 結合特異性を規定するアミノ酸である可能性がある。

次に、PS に結合できないevt-2 変異体を用いて、PS との結合がevt-2 によるREs からゴルジ体への逆行性輸送制御に必要であることを示した。さらに、PS 合成酵素の変異細胞(PSA-3 細胞)を用いて、PS 減少下では、逆行性輸送でゴルジ体に運ばれる分子(TGN38)の局在が異常になることを見出した。この結果は、PS に特異的に結合する分子の同定、PS減少下の表現型解析を通じて、細胞内PS の機能を膜輸送という観点から初めて明らかにしたものである。今後もPSA-3 細胞などを用いた解析から、細胞内PS の生理的機能がますます明らかになっていくことが期待される。

Uchida Y*, Hasegawa J*, et al. Intracellular phosphatidylserine is essential forretrograde membrane traffic through endosomes. Proc Natl Acad Sci U S A,108(38):15846-51, 2011. (*co-first author)
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ホスファチジルセリン(PS)は生物界に広く保存された酸性リン脂質であり、アポトーシス時に細胞外部に露出し"eat-me"シグナルとして機能すること、また形質膜でプロテインキナーゼCなどのシグナル伝達分子の活性化に寄与することが知られている。PSは細胞内オルガネラにも存在するが、細胞内におけるPSの機能はこれまで知られていなかった。

リサイクリングエンドソーム(REs)は形質膜から取り込まれた受容体などが再び形質膜へ戻る(リサイクルする)際に必要なオルガネラであり、当研究室での解析から、形質膜からエンドソーム、ゴルジ体へ輸送される逆行性膜輸送経路にも必須であることが示されている。また、脂質結合ドメインとして知られるPleckstrin Homology(PH)ドメインを持つevectin-2(evt-2)タンパク質がPHドメインを介してREsに局在し、REsからゴルジ体への逆行性輸送に必要であることも分かっている。

内田は修士課程において、evt-2のPHドメインがPSと特異的に結合することを見出した。さらに、細胞内のPSを可視化するプローブを用いて、REsがPSに富んだオルガネラであることを明らかにした。そこで博士課程においては、X線結晶構造解析からevt-2によるPS認識機構を解明するとともに、PSとの結合がevt-2の局在、機能に必要であることを示した。また、PSの逆行性輸送への関与をより直接的に検討するため、PS合成酵素を欠損した変異細胞を用い、PS減少下での表現型解析を行った。

まず、内田は共同研究者とともにevt-2のPHドメインとPSの極性頭部であるリン酸化セリンを混合して共結晶化を試み、分解能1.0Åの共結晶構造を得ることに成功した。evt-2のPHドメインはPHドメインの典型的な構造である7本のβストランドと、C末端のαヘリックスから構成されていた。リン酸化セリンはβストランドの間のループに結合しており、evt-2の塩基性アミノ酸(R11、R18、K20)と塩橋を形成していた。R11はカルボキシル基、R18はリン酸基、K20はその両方と相互作用しており、これらのアミノ酸がPSの認識に必要であることが示唆された。

そこで、R11、R18、K20をグルタミン酸に置換したR11E、R18E、K20E変異体(PHドメインのみのコンストラクト)を作成し、REsの観察に適したCOS-1細胞に発現させ、局在を観察した。野生型のPHドメインは、COS-1細胞でREsが存在するゴルジ体マーカーの内部に局在するが、R11E、R18E、K20E変異体は細胞全体に分散した。また、K20E変異体は、in vitroでPSへの結合能を失った。この結果から、これらのアミノ酸がREsへの局在に必要であり、細胞内でPSを認識していることが支持された。この結果を受け、全長のevt-2にK20Eの変異を導入し、PS結合能を持たない変異体を作成した。K20E変異体(全長)をCOS-1細胞に発現させると、野生型で見られるREsへの局在性を失い、細胞質中に分散して局在した。この結果から、PSとの結合能が全長のevt-2のRE局在に必要であることが分かっだ。

次にevt-2の機能にPSとの結合が必要か検討した。evt-2のsiRNAによる発現抑制下では、逆行性輸送でゴルジ体に運ばれるTGN46タンパク質が、ゴルジ体からドット状に分散する。evt-2の発現抑制下で、siRNA耐性のmouse evt-2を発現させ、表現型がレスキューするか検討したところ、野生型のevt-2を発現させた場合はTGN46のゴルジ体局在が回復した。一方でPSに結合できないK20E変異体を発現させた場合は、回復が見られなかった。このことから、PSとの結合が、evt-2の機能(TGN46の逆行性輸送)に必須であることが分かった。

さらに、PSの逆行性輸送への関与をより直接的に示すために、PS量が減少した条件で逆行性輸送が阻害されるか検討した。PSは哺乳動物細胞において、ホスファチジルコリン(PC)、及びボスファチジルエタノールアミン(PE)から合成され、CHO-K1細胞を親株としてPCからPSを合成する酵素が欠損した変異株(PSA-3)が単離されている。この細胞ではPEからPSを合成することができるため、培地中にPEの前駆体であるエタノールアミン(Eth)が十分に存在する場合はPSを合成することができるが、培地からEthを除くとPS量が減少する。

このPSA-3細胞を用いて、TGN38(TGN46のげっ歯類相同分子で、逆行性輸送により形質膜からゴルジ体へ運ばれる)の局在を観察した。Ethが豊富に存在する場合は、TGN38はゴルジ体に局在し、ゴルジ体マーカーと共局在する。しかし、Ethを除いてPSを減少させた条件では、TGN38は細胞質中に分散した。さらに、この条件下で培地中にPSを添加すると、TGN38のゴルジ体局在は回復した。この結果から、TGN38のゴルジ体局在にはPSが必要であり、PS減少下ではTGN38のゴルジ体への輸送が阻害されていることが示唆された。

本研究において内田は、evt-2のPHドメインによるPSの認識機構をリン酸化セリンとの共結晶構造解析により明らかにした。PHドメインのリガンドとしてはPIPs(ホスファチジルイノシトールポリリン酸)が良く知られており、evt-2のPHドメインはPSを特異的に認識する初めてのPHドメインである、リン酸化セリンを認識するアミノ酸残基のうち、R11はevt-2に特徴的であり、PIPsを認識するPHドメインには保存されていないアミノ酸であった。R11はPSに存在し、PIPsには存在しないカルボキシル基を認識することから、evt-2PHドメインのPS結合特異性を規定するアミノ酸である可能性がある。

次に、PSに結合できないevt-2変異体を用いて、PSとの結合がevt-2によるREsからゴルジ体への逆行性輸送制御に必要であることを示した。さらに、PS合成酵素の変異細胞(PSA-3細胞)を用いて、PS減少下では、逆行性輸送でゴルジ体に運ばれる分子(TGN38)の局在が異常になることを見出した。以上の結果から、PSがevt-2を介して、ゴルジ体への逆行性輸送を制御していることが明らかになった。

本研究は、PSに特異的に結合する分子の同定、PS減少下の表現型解析を通じて、細胞内PSの機能を膜輸送という観点から初めて明らかにしたものであり、細胞生物学的に重要な知見と考えられる。以上の点を鑑み、博士(薬学)に充分値するものと判断した。

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