No | 128379 | |
著者(漢字) | 糸﨑,真一郎 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イトザキ,シンイチロウ | |
標題(和) | 多項式増大する無限遠境界を持つ多様体上の散乱理論 | |
標題(洋) | Scattering Theory on Manifolds with Asymptotically Polynomially Growing Ends | |
報告番号 | 128379 | |
報告番号 | 甲28379 | |
学位授与日 | 2012.03.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(数理科学) | |
学位記番号 | 博数理第387号 | |
研究科 | 数理科学研究科 | |
専攻 | 数理科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本論文では非コンパクト多様体でのシュレディンガー方程式の散乱理論について考察する 20世紀初頭より量子力学は物理学において中心的な研究対象であった.量子力学の理論は基礎的かつ一般的なもので,量子力学をもとに多くの現代物理学の分野が発展してきた.量子力学ではシュレディンガー方程式と呼ばれる偏微分方程式が量子力学的な物理状態の時間発展を支配している. 散乱とは直進している波や粒子が媒質の非一様性や力によって曲げられることをいう.量子力学的散乱とは上述の偏微分方程式の解が,遠い過去には自由に進んでいたものが,ポテンシャルと相互作用し,遠い未来へ進んでいく様を記述するものである.量子散乱は物理において微視的な粒子の性質を調べる上で基本的な観測対象である. 量子力学やシュレディンガー方程式に関しては数学的な構造についての多くの研究がなされてきた.量子的物理状態は複素ヒルベルト空間の点と対応し,シュレディンガー作用素は偏微分作用素の自己共役な実現として表現される.時間発展は自己共役作用素によって生成されるユニタリ作用素である.量子力学的散乱理論は摂動理論としての一面も持っている.非摂動系である自由なハミルトニアンと摂動を加えた全ハミルトニアンとが近ければ自由な系の情報を用いて全体の系を記述できる. ここで数学的な量子散乱理論の基本的な概念を導入する.自由な運動に対して,時間無限大で自由な運動に漸近する摂動された系の運動があるとき波動作用素が存在するといい,自由な運動の始状態を摂動された系の運動の始状態に対応させる作用素として波動作用素は定義される.時間の方向に応じて二種類の波動作用素がある.波動作用素の値域と摂動されたハミルトニアンの絶対連続部分空間とが一致するとき波動作用素は完全であるという.二つの方向の波動作用素を組み合わせて散乱作用素が定義され, 波動作用素が存在して完全なときユニタリとなる.遠い過去に自由に運動していた粒子が相互作用をしてまた遠い未来に自由に飛んでいくとき,この過去の状態から未来の状態への対応を与えるのが散乱作用素である.散乱作用素は自由なハミルトニアンと交換するため,自由なハミルトニアンと同時対角化でき,自由なハミルトニアンのスペクトル分解に従って作用素値の関数として表される.この作用素を散乱行列と呼ぶ.これは定エネルギーでの散乱の様子を記述するものである. 典型的なシュレディンガー方程式はユークリッド空間上のラプラシアンとポテンシャル関数の和で書けるものである.遠方での減少がクーロンポテンシャルよりも早いポテンシャルは短距離型であるといい,波動作用素が存在して完全であることが知られている.遠方での減少がクーロンポテンシャルよりもゆるやかなポテンシャルは長距離型であるという.このとき一般には波動作用素は存在しないが,波動作用素の定義を修正することで同様の理論が構築できることが知られている. 多様体上でラプラシアンとポテンシャル関数の和として書けるシュレディンガー作用素を考える.Melrose は散乱多様体という散乱理論を展開するのに適した多様体の族を定義した.我々は漸近的に多項式増大する無限遠境界をもつ多様体を考察する.ここではその性質を簡単に述べる.ユークリッド空間の極座標表示を思い出すと,ユークリッド空間は球面と半直線との直積として表すことができ,球面の大きさは動径座標と比例して,円錐のように広がっていくと考えることができる.これを拡張して,一般に非コンパクトな多様体であって漸近的に錐型な無限遠境界を持つ多様体を散乱多様体と呼ぶ.ここでは球面の代わりに任意のコンパクト多様体を考えることができ,そのコンパクト多様体は境界多様体と呼ばれる.さらに,動径座標の正の実数乗に比例して増大する多様体のことを漸近的に多項式増大する無限遠境界を持つ多様体と呼ぶことにし,この正実数を増大度と呼ぶことにする.散乱多様体は増大度1の漸近的に多項式増大する無限遠境界を持つ多様体である. 本論文は三部からなっている.第一部では,散乱多様体上で長距離摂動をもつシュレディンガー方程式に対して修正型波動作用素の存在を示す.第二部では,漸近的に多項式増大する無限遠境界を持つ多様体上で短距離摂動を持つシュレディンガー方程式に対して波動作用素の存在と完全性を示す.第三部において,増大度が1より大きいとき散乱行列は波面集合を変えないことを示す.波面集合とは関数の特異性を特異性の方向も込めて考えた集合である. 以下,各部について簡単な要旨と注意を与える. ・第一部 散乱多様体上の長距離摂動をもつシュレディンガー方程式を考える.我々は加藤(1967)の2空間散乱理論を用いる伊藤・中村 (2010) の定式化を採用する.これは自由なハミルトニアンとして1次元の自由ラプラシアンを境界多様体と実軸の直積上で考えるものである.Hormander (1976)およびDereziηski-Gerard (1997)の手法を用いて,対応する古典力学的軌道を計算しハミルトン・ヤコビ方程式の厳密解を構成する.この解を修正関数とする修正波動作用素の存在を,Cook (1957)・黒田 (1959) の方法と停留位相法を用いて示す. Melrose-Zworski (1996) は,散乱多様体上の散乱行列の性質を調べている. 長距離型の先行結果としては,Vasy (1998) がクーロン型の減衰をする長距離摂動に対して,散乱行列の性質を調べている.我々は一般の滑らかな長距離摂動を扱っている. 証明の鍵はハミルトン・ヤコビ方程式の解の構成である.我々は Dereziηski-Gerard(1997) あるいは Derezin'ski(1991)の手法を用いる. まず時間に依存する時間について緩減少する力のもとでニュートン方程式の境界値問題を解き,この解が運動量と空間座標が平行(または半平行)となる相空間上の領域に入ることを示す.次に時間に依存しない空間について長距離減少する力のもとでのニュートン方程式に対し,上述の領域へのカットオフ関数を長距離力に掛けることで問題を時間に依存する場合に帰着させる.得られた古典力学的軌道を用いればハミルトン・ヤコビ方程式の解が得られる. ・第二部 漸近的に多項式増大する無限遠境界を持つ多様体上のシュレディンガー作用素を考える.Froese-Hislop(1989) は,Mourre 理論 (Mourre (1981), Perry-Sigal-Simon(1981)も参照) を用いてシュレディンガー作用素のスペクトルの性質を短距離摂動の時に示している.これを拡張して一般の長距離摂動に対しシュレディンガー作用素のスペクトルの性質を示す.さらに,三種類の作用素が加藤のなめらかな摂動作用素になっていることを示す.摂動が短距離型のとき摂動は加藤のなめらかな摂動作用素の積の形に分解することができ,加藤のなめらかな摂動理論 (1966) を適用することで波動作用素の存在と完全性が示される.我々は第一部と同様に伊藤・中村の定式化を用いることで,2空間散乱理論の枠組みでも波動作用素の存在と完全性を示す. De Bievre-Hislop-Sigalは波動方程式の時間に依存する散乱理論をより一般的なクラスの無限遠境界を持つ多様体に対して示していて,漸近的に多項式増大する多様体もその一種である.我々は角度方向の摂動に関してより一般的な場合を扱っている.伊藤・中村(2010) は,散乱多様体に対して時間に依存する散乱理論を構築している. ある作用素が加藤のなめらかな摂動作用素であることはハミルトニアンのレゾルベントの境界値を用いて特徴付けられる.Mourre 理論で得られたレゾルベントの評価式にPerry-Sigal-Simon (1981) の手法を適用して極限吸収原理が示される.Yafaev (1993)の手法による放射条件評価も用いる. 2空間散乱の理論の構成は1 次元の散乱理論に帰着されることがわかる.多様体の無限遠境界の増大度が2分の1より大きいときは短距離型,2分の1以下の時は長距離型の理論が用いられる. ・第三部 漸近的に多項式増大する無限遠境界を持つ多様体上のシュレディンガー方程式の散乱問題を考える.第二部の結果より散乱作用素および散乱行列が定義される.散乱行列は境界多様体上の作用素となる.我々は多様体の無限遠境界での増大度が1より大きいとき,散乱行列は波面集合を変えないことを示す.これは散乱行列の核が対角集合から離れたところでは滑らかなことを示し,物理的には入射した波がほとんど全反射されることに対応する. 散乱多様体の場合,すなわち増大度が1の場合に先行結果があり,Melrose-Zworski(1996)は,散乱行列はフーリエ積分作用素であり,付随する正準変換は境界多様体上の距離 π の測地流であることを示した.この系として波面集合は同じ正準変換に従って伝播することが示される.彼らの議論は一般化固有関数の漸近展開を用いて散乱行列を定義するものである.伊藤・中村 (2011) は,Egorov 型の定理と Beals 型のフーリエ積分作用素の特徴付けを用いることで時間に依存する散乱理論を用いた別証明と一般化を与えている. 多項式増大する多様体上の古典力学を考える.増大度が1のとき,古典力学的な散乱行列,つまり散乱作用素の境界多様体上の成分は 距離 π の測地流となる.増大度が1より大きいときは,インパクトパラメーターが大きいとき,散乱行列は漸近的に恒等写像に近づく.我々の結果および Melrose-Zworski, 伊藤・中村の結果は,古典力学的散乱を量子化したものととらえることができる. | |
審査要旨 | 糸〓真一郎の学位論文は、非コンパクトな多様体上のラプラス作用素、シュレディンガー作用素のスペクトル、散乱理論についての氏の研究成果をまとめたものである。 コンパクトなリーマン多様体上のラプラス作用素、シュレディンガー作用素は、一般に離散的なスペクトルを持ち、すべてのスペクトルは固有値である。この固有値,固有関数の性質を調べるのが閉多様体上のスペクトル理論であるが、非コンパクトな場合は、一般に連続スペクトルを持ち、そのスペクトルの性質はコンパクト多様体の場合と大きく異なる。連続スペクトルの性質はシュレディンガー方程式(あるいは波動方程式)の解の長時間の挙動に関係し、そのような解の挙動を通して作用素の性質を研究するのが散乱理論である。これまでスペクトル・散乱理論が研究されてきた主な非コンパクトな多様体は、無限遠方で双曲的な多様体と、ユークリッド的(錐的)な多様体である。特に、無限遠で漸近的にユークリッド的な多様体は、R. Melroseにより散乱多様体と呼ばれて、散乱行列の超局所的性質と境界多様体の幾何学的性質との関係などが研究されてきた。 この学位論文においては、主にふたつの対象が扱われている。ひとつは、長距離型摂動を持つ、つまり錐的構造への収束の仕方が遅い場合の散乱多様体のスペクトル・散乱理論であり、もうひとつは、散乱多様体を拡張した、無限遠で多項式状の増大度を持つ多様体のスペクトル・散乱理論である。 第一の研究テーマは、散乱理論においては長距離型散乱理論として知られる問題に属し、L. Hormanderらの研究に源を持つ。古典力学系のハミルトン・ヤコビ方程式の解を用いて修正波動作用素を構成して散乱理論を構成する必要があり、技術的に困難な問題である。この学位論文では、かなり一般的な状況の下で上記の修正波動作用素を構成し、波動作用素の存在を証明した。 第2の研究テーマの、多項式状の増大度を持つ(リーマン)多様体の集合は、ある意味で散乱多様体と、漸近的に双曲的な多様体の間を埋める多様体のクラスである。糸〓真一郎は、一般的で自然な仮定の下で波動作用素の存在と完全性を示した。ここでは、あるクラスの長距離型摂動の場合を含んでいる。さらに、特定の形(α>1で漸近的にr2αの形)の計量の場合に散乱行列の超局所的特異性を研究し、散乱行列が波面集合を不変にする、という、散乱多様値の場合とは著しく異なる性質を持つことを証明した。 以上の研究業績により、論文提出者 糸〓真一郎 は博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。 | |
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