学位論文要旨



No 128552
著者(漢字) 小林(石原),美栄
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ(イシハラ),ミエ
標題(和) HIV-1由来新規antisense RNAの探索と機能解析
標題(洋)
報告番号 128552
報告番号 甲28552
学位授与日 2012.06.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第809号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,俊樹
 東京大学 教授 俣野,哲朗
 東京大学 客員教授 間,陽子
 東京大学 教授 古川,洋一
 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 准教授 伊藤,耕一
内容要旨 要旨を表示する

[背景・目的]

後天性免疫不全症候群 (AIDS)の原因ウイルスである Human immunodeficiency virus type 1 (HIV-1) は (+)鎖ssRNAをゲノムに持つレトロウイルスであり、自身の逆転写酵素を用いてゲノムRNAをDNAに逆転写し、宿主のゲノム内に組み込む (プロウイルス)。このプロウイルスから宿主の転写・翻訳機構を利用して子孫ウイルスが産生される。今日までHIV-1プロウイルスゲノムのセンス鎖にコードされる9つの遺伝子についての研究が進んでいるが、HIV-1の複雑な生活環に対し十分な理解が得られていないのが現状である。

HerpesviridaeなどのdsDNAをゲノムとするウイルスはアンチセンス鎖側にも遺伝子を有し、限られたゲノムサイズに多くの遺伝子を保持している。HIV-1は9.7kbというコンパクトなゲノムサイズのプロウイルスDNAを介した特徴的な増殖形態を持つことから、DNAウイルスと同様な方法でより多くの遺伝子を保持している可能性がある。また、近年哺乳類細胞の転写産物の約70%においてアンチセンス鎖からの転写も起こっていることが明らかとなり、哺乳類natural antisense RNAのセンス鎖遺伝子発現制御における重要性が徐々に究明されつつある。HIV-1は宿主の転写・翻訳機構を利用して複製を行うことから、宿主遺伝子と同様にsense RNAだけでなくantisense RNA (asRNA)が転写されている可能性が高い。

実際、レトロウイルスに属するHuman T-cell leukemia virus type 1 (HTLV-1) はHTLV-1 Basic leucine Zipper factor (HBZ) をアンチセンス鎖に持ち、HTLV-1のセンス鎖発現調節や感染細胞の癌化に寄与していることが知られている。HIV-1に関しては、プロウイルスからasRNAが転写されていることを示唆する報告が多くなされているが、いまだその構造及び機能について十分な理解が得られていない。最初の研究報告は1988年Millerによるもので、ウイルス株間で高度に保存されているASP (Antisense Protein) がHIV-1のアンチセンス鎖にコードしうることが予測された。その後、MichaelらによりASP mRNAがHIV-1感染A3.01細胞から同定された(図1)。以降もHIV-1からのasRNAの転写を示唆するような論文やASPの機能に関する報告が単発的に報告されたが、結論は各々異なっている。従ってHIV-1由来asRNAの存在評価及び構造決定、機能解析を総括的に検討する必要がある。

哺乳類やウイルスなど、さまざまな生物種におけるasRNAの同定と機能解析により、さまざまな生命現象が明らかとなってきた。従ってHIV-1プロウイルスにおけるasRNAの存在及びその機能的意義を追求することが複雑なHIV-1生活環の理解する上で急務であると考えられる。本研究において私は改めてHIV-1由来asRNAを探索し、感染細胞でのHIV-1由来asRNAの同定と機能解析を行うことを目的とした。

[方法と結果]

1.HIV-1プロウイルスから転写されうる候補asRNAの網羅的予測

感染細胞で低コピー数と考えられるasRNAを同定するにあたり、sense RNAの非特異的な検出が懸念される。そこでHIV-1由来asRNAを特異的に検出するため、HIV-1プロウイルスDNAのアンチセンス鎖を発現するベクターを構築し、HEK293T細胞に強制発現させた(アンチセンス鎖強制発現系)。このtotal RNAを用いてNorthern blotを行い、HIV-1由来asRNAを網羅的に解析した結果、全長RNAのほか、5.5kb、4kb、3kb、2kbの候補asRNAを得ることに成功した。次にRT-PCR法及び3'RACE法を用いてこれらの配列を解析した結果、スプライシングされた3種のasRNAとHIV-1ゲノム内で転写終結する4種のasRNAが同定された。このうち特に、3kbのenv遺伝子領域で転写終結しているasRNAがNorthern blot及び3' RACE法にて多く検出された。この実験により、複数のasRNAがHIV-1プロウイルスから転写されうることが分かった。

2.感染細胞で転写されているHIV-1由来asRNAの確認

RT-PCR法によって、sense RNAと重複する遺伝子領域を持ったasRNAを増幅する際、多量に存在するsense RNAによる非特異的増幅が問題となる。1.で挙げられた候補asRNAが感染細胞でも転写されているかを評価するため、私はstrand-specific RT-PCR法を確立し、HIV-1NL4-3感染MAGIC-5A細胞RNAからasRNAを特異的に増幅してくることに成功した。配列特異的なRT primerの5'末端にtag配列を付けたTag-RT primerを用いてcDNAを作製し、tagに対するprimerとターゲット配列に相補的なprimerでPCR反応を行い、sense RNA由来cDNAを排他的に増幅する方法である。この結果、HIV-1由来asRNAはgag からnef遺伝子領域 (657bp~9094bp) に渡って検出された。また、1.で予測されたようなスプライシングされたasRNAは検出されなかった。

3.HIV-1由来新規asRNA, ASP-Lの同定

候補HIV-1 asRNAの配列情報をもとに感染細胞におけるHIV-1由来asRNAの転写終結点を決定するため、3' RACE法を行った。その結果、1.で高発現に予測された、env遺伝子領域のアンチセンス鎖で転写終結しているasRNAを同定することに成功した。また、同様に5' RACE法により、このasRNAは3' LTRのU3領域に転写開始点があることが分かった。全長の配列決定の結果、このasRNAは図1のような構造をしており、ASP ORFを含んでいた。従って、このasRNAはASP mRNAの新規バリアントフォームと考えられ、ASP-L (ASP mRNA-Lomg variant)と名付けた。

4.ASP-Lプロモーター活性の探索

ASP-Lの転写開始点上流のプロウイルスDNAにASP-Lの発現に影響する配列があるかを検討するために、ASP-L遺伝子上流の配列をpGL4.10に上流配列を挿入したレポーターを作製し、Molt-4細胞に発現させluciferase assayを行った。この結果、アンチセンス方向のプロモーター活性はセンス方向のプロモーター活性の1/3程度であった。また、センス鎖HIV-1転写活性化因子であるTatによるアンチセンス方向の転写活性化は認められなかった。一方、宿主由来HIV-1活性化因子であるTNF-αによる濃度依存的な活性化が認められた。変異体LTRを用いたレポーターアッセイの結果、センス鎖方向の転写活性に寄与しているNF-kB結合領域が、アンチセンス鎖方向の転写活性にも関与していることが示された。これらの結果より、HIV-1 LTRにアンチセンス鎖方向のプロモーター活性があり、NF-kBの活性がASP-Lの転写活性に重要なことが分かった。

5.複数の感染細胞を用いたASP-Lの発現評価

ASP-Lの発現動態を調べるために、複数のHIV-1感染細胞におけるASP-Lの発現をantisense-specific RT-PCRを用いて調べた結果、新規感染Molt-4細胞、HIV-1慢性感染細胞であるACH2細胞、OM10.1細胞、さらにはHIV-1感染PBMCでASP-Lが転写されていることが分かった。ASP-Lとそれに相補的なRNAをstrand-specific qRT-PCR法を用いて定量したところ、ASP-Lは相補鎖RNAの1/100~1/2500の発現量であることが分かった。

6.ASP-Lの細胞内局在

asRNAの機能の理解する上で、asRNAの細胞内局在が重要である。複数の感染細胞を核画分及び細胞質画分に分け、それぞれRNAを抽出し、strand-specific qRT-PCR法によりASP-Lの存在比を計測した。この結果、HIV-1新規感染細胞や慢性感染細胞でASP-Lの大部分が核に分布していることが明らかとなった。

7.ASP-LのHIV-1複製に対する効果の検討

ASP-Lの機能解析として、ASP-LのHIV-1増殖に対する効果を調べた。ASP-Lを一過性に過剰発現させたMAGIC-5A細胞に対しHIV-1を感染させると、ウイルスRNA量及びプロウイルス量が減少していた。さらに培養上清中のウイルス粒子産生量をRT-assayにて測定したところ、ウイルス粒子産生に対してASP-Lは抑制的に機能することが分かった。さらにASP-Lを恒常的に発現するMolt-4細胞を樹立し、同様にHIV-1に対する効果を検討した結果、ASP-L過剰発現細胞では1カ月以上にわたってウイルス粒子産生が阻止され、ウイルスRNA量及びプロウイルス量も減少していることが確認された。

内在性ASP-LのHIV-1複製に対する影響を調べるため、ASP-Lに対するshRNAを2種作製し、Molt-4細胞に恒常発現させた。これらにHIV-1を感染させたところ、コントロールに比べウイルスRNAレベルおよびウイルス粒子産生量が亢進した。これらの結果、ASP-LはHIV-1複製を抑制する機能があることが示唆された。

[考察]

博士課程の研究において私はHIV-1感染MAGIC-5A細胞からHIV-1由来asRNAであるASP-Lを同定することに成功した。ASP-Lは3' LTRのU3領域からenv遺伝子領域のアンチセンス鎖に渡るスプライスサイトを持たない2.6kb のasRNAであり、HIV-1急性感染細胞や慢性感染細胞でも発現していることが分かった。機能解析の結果、ASP-Lは核に局在し、HIV-1の複製を抑制することが示唆された。

ASP-Lは以前報告されたASP mRNAと配列構造が類似していることから、ASP mRNAの新規バリアントとして考えられる。これまでにASP mRNAの配列構造に関して、 MichaelらおよびLandryらによって報告されているが、両者とも感染細胞における発現評価は曖昧なものである。 本研究におけるRACE法に結果、両者が報告したASP mRNAの発現がアンチセンス強制発現系で認められたが、感染細胞で認めることができなかったため、これらの配列がアーチファクトであるか、感染細胞で低発現しているasRNAであると考えられた。一方、ASP-LはHIV-1 NL4-3株およびIIIB株感染細胞からRACE法を用いて同定され、感染細胞から優位に発現しているHIV-1由来asRNAであると考えられた。

レポーターアッセイの実験では、3' LTRにアンチセンス鎖方向のプロモーター活性があることが示された。またこのプロモーター活性はTatによる影響を受けないことが示されたが、これはTatの作用点であるTAR配列がHIV-1 asRNAにはないことによると考えられた。一方、 LTR上にあるNF-kB結合配列がセンス鎖方向・アンチセンス鎖方向の転写活性に重要であることが明らかとなり、LTRのプロモーター活性は両方向で一部共有されていることが推測できた。

ASP-Lの細胞内局在を調べた結果、ASP-Lは核内RNAであることが示された。ASP-Lには189a.a.のASP ORFが予測されるが、本研究の結果から、ASP-Lがタンパク質に翻訳される効率はきわめて低いと考えられる。今日までの報告ではASPタンパク質に対する抗体がHIV-1感染者の血清に存在すること、感染細胞を抗ASP抗体で染色すると細胞膜上に局在していることが報告されているが、ASPタンパク質としての機能は分かっていない。ASP-Lが実際に感染細胞でタンパク質に翻訳されているのか、そしてどのような機能を担っているのかは今後慎重に検討しなくてはならない。

ASP-Lの過剰発現およびノックダウン実験にてHIV-1複製に対する影響を調べた結果、ASP-Lは機能性RNAとしてHIV-1複製を自己抑制する因子であることが示唆された。近年、HIV-1 asRNA由来のsmall RNAが同定されており、それらがHIV-1複製に抑制的に働くことが報告されている。報告されたsmall RNAの配列がASP-Lと重複することから、ASP-Lがsmall RNAにプロセシングされ、ウイルスRNAの発現を干渉しているのかもしれない。ASP-Lの機能詳細を追求することによりHIV-1の複雑な生活環のさらなる理解に貢献できると期待される。

図1. HIV-1由来新規asRNA, ASP-Lの構造と報告済みのASP mRNA.

審査要旨 要旨を表示する

後天性免疫不全症候群 (AIDS)の原因ウイルスであるHuman immunodeficiency virus type 1 (HIV-1)はRNAをゲノムに持つレトロウイルスであり、自身の逆転写酵素を用いてゲノムRNAをDNAに逆転写し、宿主のゲノム内に組み込む(プロウイルス)。このプロウイルスから宿主の転写・翻訳機構を利用して子孫ウイルスが産生される。ヘルペスウイルス等では、センス鎖、アンチセンス鎖ともに遺伝子がコードされている事が知られている。一方、HIV-1はセンス鎖にコードされる9つの遺伝子についての研究が進んでいるがHIV-1の複雑な生活環に対し十分な理解が得られていない。9.7kbというコンパクトなゲノムサイズを持つことから、DNAウイルスと同様に、未知の遺伝子を保持している可能性がある。また、哺乳類細胞の転写産物の約70%がアンチセンス鎖からの転写産物である事が示されており、natural antisense RNAの相補鎖発現制御における重要性が究明されつつある。HIV-1は宿主の転写・翻訳機構を利用して増殖することから、宿主遺伝子と同様にプロウイルスからsense RNAのみならず機能を持ったantisense RNA (asRNA)が転写されている可能性がある。しかし、HIV-1プロウイルスから転写されるアンチセンスRNA (asRNA)の存在及びその機能的意義に関しては、十分検討されていない。本研究においては、HIV-1由来asRNAを探索し、感染細胞でのHIV-1由来asRNAの同定と機能解析の解析を行った。

本研究の成果として、HIV-1プロウイルスから転写される新規のasRNAを同定し、その機能の一部を明らかにした。このasRNAは3'LTR U3領域(nucleotide position (nt) 9451)からnt 6783まで転写されたアンチセンスRNAであった。そこで、これをASP-L (ASP mRNA-Long variant)と名付けた。ASP-Lは新規感染Molt-4細胞、HIV-1慢性感染細胞であるACH2細胞、OM10.1細胞、さらにはHIV-1感染PBMCでASP-Lが転写されており、その発現量はセンス鎖RNAの1/100から1/2500程度であった。

asRNA転写のための3'LTRの逆方向のプロモーター活性も確認し、センス鎖発現のプロモーターである5'LTR U3とは異なった活性を示す事を明らかにした。ASP-Lは核内に局在し、HIV-1複製を長期的に抑制する機能があることが示唆された。これらの結果からASP-LはHIV-1潜伏化機構に関わっている可能性も示唆された。

本研究における研究成果は、HIV-1由来の新たな機能性RNAを同定する事で、ウイルスの潜伏化機構に非常な重要な新たな視点を与え、将来の根治療法開発の基盤情報となる可能性を持つものであると考えられる。したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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