学位論文要旨



No 128572
著者(漢字) 王,勁
著者(英字)
著者(カナ) ワン,ジン
標題(和) 低湿地域に於ける都市水系と造園 : 中国江南低湿地域を中心に
標題(洋)
報告番号 128572
報告番号 甲28572
学位授与日 2012.07.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7800号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 教授 藤井,恵介
 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 教授 中井,祐
 東京大学 准教授 加藤,耕一
内容要旨 要旨を表示する

「水」というのは造園の大切な部分である。「水法」と「山法」が中国の古代の造園家に、造園のもっとも重要な要素だと思われる。だが、「仮山可為,仮水不可為(山を築くことがやさしいが、水を作ることがむずかしい。)」。建築と築山のほうは人力で作れるが、水が足りないことろでは、「理水」ができない。その故、「畳山」と比べて言えば、庭園の「理水」は自然の恵まれに頼るようになるし、各地の地形によって、「自成天然之趣(地形によって自らの趣を持つ)」。それも庭園の「理水」は既成の理論に従い、研究を進むことができない原因になるだろう。

太湖流域低湿地域(俗称の「江南」)は古くから「沢国」の名を持っているのは、ほかの河川支流も広がっており、五、六パーセントぐらい占めるからである。その上、大運河に南北貫通され、また東は三江――胥江、娄江、呉淞江を経由し、曲がって海に入る。その中、呉地の先祖は絶えずに農業開発で人工水利施設を開発した。また、江南地区の私邸庭園の発展史もそいう背景に関わることは、研究に対して分けようとしても分けられない関係である。

そしては、本論文は「庭園理水」を核心とし、中国の宋乃至清の時代に渡り、研究の対象と地域は、大体中国の俗称の「江南地区」或は「太湖流域」という範囲で、それと同時に日本の琵琶湖及びベトナムのフエのフゥオンジャンなどの地区を比較研究する。都市の水系を切り込み上に、庭園理水はどんな程度に都市の水系が必要なのか、理水手法にどんな影響を与えるかをさらに究明してみたく、古典庭園で理水に関する研究の氷山の一角を解いてみよう。

本論は研究分野と学科背景からほぼ都市及び水系の歴史研究、また造園手法及び庭園の歴史研究という二つの分野に扱うので、研究方法は文献、統計、分析、実地検証という伝統なものを除き、古地図と航空写真を基に、前時代の情況を推測した上で、復元図を製作するという具体的な研究手段を求めるだけでなく、更に全体の研究の構想の上での突破を重視した。即ち、都市と庭園のこのような交差する課題に直面し、マクロとミクロの両方に配慮を加え、 「点、線、面」という研究方式をとる一方で、常態研究を基礎にし、動態の歴史の変遷を重視して研究しつづけた。

本論文の構成もこのように、1章から7章で構成さらている。

第一章は序文であり、本研究の背景と目的、関連する既往研究、研究方法などを述べた。

第二章では、まず、マクロの「面」から常態の環境において、「相地」との中国古代造園立地選定について専門用語を提出し、江南都市の水系と庭園分布の問題を分析した。そして、立地環境より、無錫と常熟など「山林地」系都市と太倉、蘇州など単なる「水系」都市を分けて、水系と庭園分布の傾向を分析した、その結果、太倉など都市の造園分布は全ては都市水路によって決められるが、常熟、無錫では園林は山地に寄りかかって建てられた以外、水路のほとりに建てられたのも多いという造園立地選定法則及び古人の「相地」傾向問題を明らかにする。その一方、「山林地」代表としての日本と「水系」代表としてのフェとも比較した。

第三章では比較的にミクロの角度から、モデルである「蘇州城の水系と庭園の変遷」を手がかりとして、動態研究に移した。本研究課題にとって、蘇州は非常に大切な実例である。社会環境の変化及び各種の社会的行為は都市水系及び造園活動に影響をもたらしたとともに、その素晴らしいところを十分に体験させていた。蘇州都市水系と園林との共生関係及び歴史の互いの変化において、低湿地環境都市水系と造園活動に隠れて存在する問題をいっそう明らかに示した。

第四章では、また"面"に戻り、各地方の歴史庭園の統計資料と実地調査のもとで、文献に記載された庭園例をもっと深く掘りこみ、分析、分類し、常態下の江南の私邸庭園の理水の七大ジャンルを総括し、典型的な例を述べた。

第五章では"点"から出発して、幾つかの庭園の各具体的な理水手法の変遷に対して動態研究を行い、それを持って庭園の理水手法の発展と変化の情況を分析した。特に、変わった環境における造園手法はどのように都市水系を利用し、それに応じ、調整するのかを分析しておく。外部の水系環境が変わったとき、庭園内部の理水手法の変化を中心に考察していく。

第六章では第五章の研究を基礎にして一歩進み、"線"、"面"の結び付けという方法で庭園の理水手法を分析し、それぞれの手法の裏に存在する時代性、地域性と造園イデアを総括した。

第七章は結論であり、本研究のまとめと考察そして今後の課題について述べた。

Abstract

Water is an essential and vital element in classical gardens. However, most contents of ancient documents on gardens in china are focus on "stone management ", " building management" but few on "water management ". For this reason, in nowadays Chinese garden research, the research on "water management " is much fewer than other fields, especially the water from city water system into gardens is seldom referred.

The area of "Jiangnan" is located at the lower reaches of the Yangtze River and on the shores of Lake Taihu in China. Due to its location near to the water source, it been well known for its unique irrigation system deployment for agricultural activity since the ancient time. During the Tang and Song dynasties, The economy wealthiest had inadvertently enabled the deployment of numerous citis and private gardens with unique characteristics. There is also much research on the citis of the Jiangnan area, which is more about the city wall ,road and moat, but seldom refer to the relationship between the vicissitudes of waterways and the classical gardens. So, this research angle is innovative and necessary.

Based on the rich historical and cultural background of the area of "Jiangnan", I believe that it offers a good case study for the research of city waterway and garden water management. Particularly in analyzing how modernization has impacted the evolution of city waterway and garden water management design and deployment.

My research focus on studying the design of city waterways and classic gardens adopted during the Tang and Song dynasties. Earlier or later era's designs will also be studied if it is deemed necessary. The co-existence of city waterways with garden and their historical evolution will be explored in the research. Furthermore, I would also like to find out how the low and damp landscape of Jiangnan has influenced the design of city waterways and classic garden water management system.

The research will be carried out in two phases.

In the first phase of the research, a macro research will be carried out to study the distribution problem of city waterways and garden under normal environment. Detailed literature survey will be carried out to the answer this research question. This includes but not limited to studying the research papers published by previous researchers in this field, analyzing the ancient maps and worthwhile ancient paintings. It is expected that we will be able to draw a holistic picture of the evolution of Jiangnan city waterways and the classic gardens design. This step is crucial for understanding the impact of mutual influence between city waterways and garden development in Jiangnan.

On-site survey will be carried out during the second phase of the research. The main objective is to find out how the current development of city water management has impacted the urban garden water management. The various garden water management systems deployed during Tang and Song dynasties will also be compared with the current urban garden water management systems. From this analysis, I hope to construct a model that analyze how modernization process transform the garden water management system. By using this model, we will be able to predict the future urban garden water management patterns.

In conclusion, by using the literature survey and on-site survey methodologies, we will be able to grasp a deep understanding of the relationship among urban planning, garden design and water management. We can also understand how the evolution of social environment and natural environment has contributed to the changes of urban gardening system.

Key Words: Classical Garden, Water Management, City Waterways

審査要旨 要旨を表示する

本論文は中国の江南地域を主たる対象として、低湿地域における水のコントロールの歴史的変化を「庭園理水」という観点から明らかにした研究である。従来、庭園史的観点からの理水については一定の研究が蓄積されているが、江南一帯を低湿地域としてとらえ、マクロな水環境を地形的に押さえつつ、現地調査と膨大な文献資料にもとづいて庭園全体の理水を類型的に明らかにしたのは、当該分野の研究上進展において大きな貢献をなしたと評価できる。

論文は全体で7章からなる。序文と結語に割かれた第1章と第7章が論文の本体部分をなす第2章から6章までを挟むかたちで全体が構成されている。

第1章「序文」では、先行研究をふまえた本論の立場を明示する。とりわけ既往研究で曖昧なまま扱われてきた中国「江南」という地域概念は、時代とともに変化してきたことを跡づけ、著者は明清時代の蘇州、松江、常州、鎮江、江寧、杭州、湖州八府とのちの蘇州から分かれた太倉直隷州を文化的・自然地理的観点から「江南」と位置づけることの意義を強調する。すなわち豊富な地下水を湛え、地表面には多様な水系が縫う江南は総じて低湿地域としての特性を共有し、その微細な水の挙動を熟知し巧みに利用したものとして、庭園理水という営為があったとする。江南の地質環境と庭園の立地の関係はきわめて明快であり、ほとんどの有名な庭園都市は著者が提起する江南低湿地域のなかに分布することが説得力あるかたちで示される。このマクロな地形・地質環境と庭園都市との有意な分布関係の指摘は本論文の貢献のひとつである。またこの章では本論で縦横無尽に引用される中国古典文献および絵図の総括が行われており、膨大な資料が博捜されていることが理解できる。

第2章「都市立地と造園活動」は、第1章で提示された地形環境と庭園都市の立地の具体的なケーススタディが展開される部分で、本論の重要な導入部となる。江南は諸山が集まる太湖北岸に立地する無錫と常熟などの山林系都市と、太倉、蘇州などの水系都市に大きく分類することができ、前者は山際の水に隣接した地が選ばれるのに対し、後者は人工的な水系が大きな役割を果たしたことが明らかにされる。

第3章「蘇州の水系変遷と造園」では、宋から元・明を経て清時代にいたるまでの蘇州の都市史と水系の変化、庭園の発達と衰退の歴史的動態が全体として跡づけられる。この章は著者の修士論文の成果をベースにその後に得られた知見などが加えられ充実した内容となっている。

第4章「江南私邸庭園の理水手法」では、マクロの地域から都市スケールを経て庭園スケールへと分析の対象がブレークダウンする。著者は各地方に点在する膨大な数の庭園をすべて対象とし、現地調査を行うとともに、現存しない文献上の庭園の事例も可能なかぎり収集して、きわめて独創的な分析を行っている。すなわち庭園の理水について、水源による大分類(地下水・地表水)を行ったうえで、庭園の位置する環境を加味して、A類(自然水系を利用した庭園)、B類(都市の人工水系を利用した庭園)、C類(地下水を利用した庭園)の3類型をまず提示し、その細分類としてA1~A3、B1~B3、C1の7類型が示される。この庭園理水の類型化は従来かならずしも明示的に設定されたことはなく、漠然とした事例紹介にすぎなかったが、著者の一貫した研究視角によって、ここではじめて論理的明晰性を備えて位置づけられることになった。しかもこの類型が古典文献に登場する理水に関する叙述ともよく一致し、事例研究の過去の蓄積を再整理するという点において、現時点でもっとも妥当な枠組みということができる。

第5章「環境の変化に応じた理水手法の応変」は、上記2~4章の分析結果を具体的事例に即して確認する部分である。滄浪亭、留園、網師園、拙政園、隅園の5庭園の個別事例の歴史的水系環境の変化と庭園側の対応が詳細に述べられている。

第6章「理水手法の時代性と地域性」は理水の共時的、通時的変化をあらためて位置づけ直した章であり、日本における寝殿造庭園の事例やベトナム・フエの事例が参照される。全体として明のA類、B類の園林から清のC類へと推移したことが結論づけられ、この特徴はアジアの他地域とも通じる性格であったことが述べられる。

最終章第7章「結論」では、研究全体を総括し、都市と庭園という二つに分化した研究領域をつないだことに本研究の最大の意義があると結論づけている。

本研究は中国江南地域を対象に蓄積されてきた庭園研究の分厚い成果をもとに、それを都市史の観点から再検討し、大きな地域空間のなかでの水のコントロールと都市・建築・庭園の関係を一貫した視点から明らかにしたという点できわめて重要な研究的達成であると評価できる。資料の収集・分析、論理の展開と叙述、いずれも手堅くまとめられており、当該分野の水準を一段と押し広げる内容となっている。

以上を要するに、本論は庭園史と都市史を連携することに成功した優れた業績であり、当該分野の研究史上大きな貢献を果たしたと評価することができる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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