学位論文要旨



No 128578
著者(漢字) 上保,敏
著者(英字)
著者(カナ) ジョウホ,サトシ
標題(和) 漢文訓読の観点から見た中期朝鮮語諺解資料に関する研究
標題(洋)
報告番号 128578
報告番号 甲28578
学位授与日 2012.07.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1162号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生越,直樹
 東京大学 教授 野村,剛史
 東京大学 准教授 福井,玲
 富山大学 名誉教授 藤本,幸夫
 ソウル大学 教授 李,賢熙
内容要旨 要旨を表示する

本研究は,漢文訓読の観点から中期朝鮮語の諺解資料について考察したものである。漢文訓読は漢文を自言語で読む言語活動であるが,日本ばかりでなく東アジアの漢字文化圏において広く行われてきた言語活動である。本研究では,15世紀の訓民正音創制後に刊行された諺解資料における諺解文を,漢文訓読の結果による書き下し文と見なし,漢文訓読資料の一種として取り扱うことにより,当時の朝鮮における漢文訓読の在り方を解明しようとした。すなわち,漢文訓読研究において主要な論点になり得る訓法についていくつか取り上げ,その在り方について論じることにより,当時の朝鮮における漢文訓読の訓法を解明するとともに,本研究で大前提としていることがらである諺解資料における諺解文が漢文訓読の結果としての書き下し文に相当する,という点が,充分に妥当な観点であることを裏付けていくのも,本研究のまた1つの大きな目的とした。

第1章では,本研究の背景や期待される意義,議論の構成など,本研究の概要について簡単に述べた。

第2章では,議論の前提として,朝鮮における漢文読解の歴史を簡略に振り返った。朝鮮における漢文の読法としては,古来より音読と訓読がともに行われてきており, それらが漢文学習の必須条件であった点を史料類の記録により確認した。実際に現存する資料においても,音読によるものが音読口訣資料,訓読によるものが釈読口訣資料として残っており,その双方の特徴が見られる資料もまた残されていることを見た。また漢文訓読は李朝時代に入っても為されてきたことを見た。さらには,これら2つの読法は,音読をした後に訓読をするといった順序で一貫していることを確認した。

その前提の上で,15世紀朝鮮語の主要な資料である諺解資料に現れるハングル口訣文と諺解文に対する本研究の基本的な立場について述べた。ハングル口訣文と諺解文は,古来より行われてきた漢文読解のこれら2つの読法,すなわち,漢文の音読と訓読の慣習がそれぞれ投射されたものであり,従って諺解文が漢文訓読の結果としての書き下し文に該当するものと見なし得ることを述べた。

また,調査対象の資料や考察方法,先行研究上の位置付け,本論で用いるいくつかの用語等についても解説をした。

第3章では,漢文訓読における不読字について簡単に触れた後,日本の漢文訓読において不読字とされることのあるいくつかの漢字について,調査対象の諺解資料における様相を以下のような観点から調査をした。

(1) 全く読まれない不読字

(2) 該当の漢字は不読であるが,その前後の部分において当該漢字にあたる助辞を補読しているもの

(3) 該当の漢字に傍訓が付されているもの

まず,(1)の「全く読まれない不読字」というものも,「乎」,「耳」,「而」,「於」,「于」などの一部の例において見られはしたが,常に固定的に全く読まれない不読字というものは見出しにくく,一時的な訓法に過ぎないものであった。

一方,(2)と(3)については,諺解文を扱う際には,この両者の区別は基本的にできないため,本研究では,日本で不読字とされているようないくつかの漢字について,諺解資料において,固定的な読法が存在するかどうか,という点に注目し,それにより当該漢字の辞訓を設定できるかどうか,という点から,当時の漢文訓読の在り方を詳らかにしようとした。

その結果,固定的な訓法が見出しにくく,辞訓も設定し難いような例としては,「矣」,「焉」,「乎」,「而」などがある一方,一定の範囲内で訓法の固定化が垣間見れたものとして,「哉」,「也」などがあった。さらに,かなりの固定化が見られたものは「耳」,「耶」,「於」,「于」などであった。

こうしたことは,一般に不読字とされ得るような漢字においても,全く読まれない厳密な意味での不読字というものは見出しにくく,それぞれの漢字に対応する諸形態が諺解文の中で見出せるものが多いことを示している。従って,固定化という点においては,漢字ごとに差が見られはするものの,それぞれの漢字に対する辞の訓が認められ得る場合も多く,そうした認識が諺解文を通じて見出せることを見た。

第4章では,日本の漢文訓読において語の呼応を見せつつ訓じられることのある漢字,またその呼応関係がより強固でその双方をも当該漢字の訓と認識するような再読字と呼ばれる漢字について,調査対象の諺解資料における様相を調べ,15世紀の朝鮮におけるこれらの漢字の訓法について,以下のような観点から調査をした。

(1) これらの漢字の訓法において,副詞語と助辞が一定の呼応関係を見せるような訓法が認められるかどうか。

(2) 呼応関係が認められる場合,その関係の固定度は強固であるか。

(3) 呼応関係を見せる助辞のみでもって訓じられるような訓法もあるか。

(4) 当該漢字に対する訓としての認識はどうであったか。

(1)に関しては,「與」,「宜」などの一部を除いて,多くの漢字が日本の漢文訓読に見られるような副詞語と助辞の呼応関係を見せるような訓法を見せた。(2)に関しては,その判断が難しいが,常に定まったパターンの呼応関係を見せる場合には強固なもの,逆に様々なパターンの訓法が見られるような場合には強固ではないものと見なすと,「應」,「即」,「尚」,「設」,「當」,「須」などは,いくつかの異なるパターンの訓法が見られるため,他の漢字に比べて固定度がさほど強固でなかったものと考え得ることを述べた。

一方,この章でとりわけ注目したのは(3)の点であるが,副詞語と助辞が呼応関係を見せつつ訓じられるような漢字において,呼応関係を見せている助辞のみでもって訓じられるような別の訓法もまた見られるかどうかである。この点については,「亦」,「及」,「即」,「當」,「應」などにおいて,そうした例が認められた。逆にこれら以外の漢字,すなわち「尚」,「況」,「設」,「豈」,「須」,「將」などにおいては,そういった現象は見出しにくく,たとえ助辞の呼応が欠けることはあっても,これらの副詞語自体が欠けるような訓法は見られなかった。

こうしたことは(4)に直結するが,それぞれの漢字の訓に対する当時の認識が現れているものと考えることができる。すなわち,「亦」,「及」,「即」,「當」,「應」などにあっては,助辞のみで訓じられた例も存在し,またその助辞は呼応関係を見せて訓じられる場合の一方の助辞と同一である,ということであるため,その双方とも訓とするような認識が見られるものと考えることができる反面,副詞語が欠け助辞のみで訓じられることがないような「尚」,「況」,「設」,「豈」,「須」,「將」などにあっては,それぞれの副詞語のほうこそをその詞訓として強く認識し,これに呼応する助辞は付随的なものと見なし,辞訓としては発達していなかったものと見なし得ることを見た。

また,(4)に関連して,日本語の漢文訓読において再読字とされる漢字のうち,「當」,「應」など,副詞語と助辞が呼応関係を見せつつ訓じられるような漢字については,再読字として存在していた可能性も今後の課題となり得る点を,指摘のみしておいた。

さらに,こうした議論を通じて,意味が類似しているいくつかの漢字においても,訓法が少しずつ異なっている場合があり得る,ということがまた明らかになった。このことから,15世紀の朝鮮の漢文訓読において,それぞれ個々の漢字に対して,固定的な訓法が存在していたであろう,ということが言え,また固定的な詞訓や辞訓が認識されていたであろうことを述べた。

第5章では,漢語史において,口語性を反映しているともされる2字漢語について,特に副詞語について注目し,15世紀の朝鮮における訓読の様相を調査対象の諺解資料をもとに考察した。

まずは,こうした2字漢語を1字ずつ逐字的に2語でもって訓じているか,それとも1語化したものとして訓じているか,という点で二分すると,大部分の例は1字ずつ逐字的に訓じており,その点,2字漢語を1語化したものと見なすような意識はたいへん希薄であったことを見た。

その一方,少数ながら,2字漢語を1語化したものと見なし得るような例も,いくつか見られたが,基本的には,同義結合または類義結合の場合,あるいは,その語が当時の朝鮮語の語彙として定着していた場合にそのまま字音読みされる,というものであった。

すなわち,2字漢語といえども,15世紀朝鮮の諺解資料においては,1字1字を逐字的に訓じるのが大原則であり,これを1語でもって訓じるのは,漢語の語彙として1語化したものと捉えるか2語のままと捉えるか,ということよりは,むしろ読まれた諺解文が朝鮮語の文として自然な文章になるかどうかという問題を重視し,同一の語あるいは類似した意味の語が重複して並んでしまうことを避けようとした結果であると考え得る点を述べた。

このことから,15世紀の朝鮮における2字漢語の訓読は,個々の漢字に対する訓の固定化が進んでいたため,その慣習に基づいて1字1字を逐字的に訓じるのが大原則であり,漢語史に起こっていたとされる口語表現での2字漢語化という現象には,基本的に関心外であった点を指摘した。

第6章では,本論の結果を要約するとともに,残された課題等について述べた。

以上の結果を通じて,15世紀の朝鮮における漢文訓読にあっては,個々の漢字に対する訓がかなり固定化をしており,固定的な訓法が発達していたものと見ることができ,また,本研究において大前提としていたことがら,すなわち,諺解資料における諺解文が漢文訓読の結果としての書き下し文に相当する,という点が充分に妥当な観点であることが,実際の資料の分析を通じても名実ともに裏付けられた。

審査要旨 要旨を表示する

上保敏氏の博士論文「漢文訓読の観点から見た中期朝鮮語諺解資料に関する研究」の審査結果について報告する。

本論文は,漢文訓読の観点から中期朝鮮語の諺解資料について考察を行い,諺解文が漢文訓読の結果としての書き下し文に相当するものであることを明らかにすることによって,当時の朝鮮における漢文訓読の在り方を解明しようとしたものである。漢文を自言語で読む言語活動である漢文訓読は,日本ばかりでなく東アジアの漢字文化圏において広く行われてきた言語活動であり,朝鮮でも古くから行われてきたと見られている。本論文では,15世紀の訓民正音創制後に刊行された諺解資料における諺解文を分析対象とし,漢文訓読研究において主要な論点になりうる訓法をいくつか取り上げ,その在り方について論じることにより,当時の朝鮮における漢文訓読の訓法を確定し,それによって諺解文が漢文訓読の書き下し文に相当することを示そうとしている。

本論文は6章からなっており,第1章では,この研究の背景や期待される意義,議論の構成など,研究の概要について簡単に述べている。

第2章では,議論の前提として,朝鮮における漢文読解の歴史を簡略に述べている。まず,朝鮮における漢文の読法としては,古来より音読と訓読が共に行われてきており,それらが漢文学習の必須条件であった点を史料類の記録により確認している。さらに,資料として音読による音読口訣資料,訓読による釈読口訣資料,そしてその双方の特徴が見られる資料があること,漢文訓読が朝鮮朝時代に入ってもなされてきたこと,これら2つの読法は,音読をした後に訓読をする順序で一貫していることなどを確認している。それらの前提をもとに,15世紀の諺解資料に現れるハングル口訣文と諺解文は,漢文読解の音読と訓読の慣習がそれぞれ投射されたものであり,したがって諺解文が漢文訓読の結果としての書き下し文に該当するものと見なしうることを指摘している。

第3章では,日本の漢文訓読において不読字とされるいくつかの漢字について,諺解資料における現れ方が(1)全く読まれない不読字,(2)該当の漢字は不読であるが,その前後の部分において当該漢字にあたる助辞を補読しているもの,(3)該当の漢字に辞訓が付されているもの,のいずれにあたるかを調査している。なお,(2)と(3)については,諺解文ではこの両者を区別することができないため,日本で不読字とされているようないくつかの漢字について,諺解資料で固定的な読法が存在するかどうか,それにより当該漢字の辞訓を設定できるかどうか,という観点から分析を行った。

その結果,(1)「全く読まれない不読字」については,一部にそういう例が見られたものの,常に全く読まれない不読字というものは見出しにくかった。(2)(3)については,固定的な訓法が見出しにくく,辞訓も設定し難いような例として「矣」,「焉」,「乎」,「而」などがあり,一方,一定の範囲内で訓法の固定化が垣間見られたものとして「哉」,「也」などがあり,さらに,かなりの固定化が見られるものとして「耳」,「耶」,「於」,「于」などがあった。これらの結果から,一般に不読字とされるような漢字においても,全く読まれない厳密な意味での不読字というものは見出しにくく,それぞれの漢字に対応する諸形態が諺解文の中に見出せるものが多いことがわかった。このことによって,固定化の度合いは漢字によって異なるものの,それぞれの漢字に対する辞の訓が認められ得ること,そうした認識が諺解文を通じて見出せることを明らかにしている。

第4章では,日本の漢文訓読において語の呼応を見せつつ訓じられる漢字,またその呼応関係がより強固でその関係する要素と共に当該漢字の訓と認識するような再読字と呼ばれる漢字について,調査分析を行っている。ここでの分析は対象の諺解資料での現れ方が,(1)副詞語と助辞が一定の呼応関係を見せるような訓法が認められるかどうか,(2)呼応関係が認められる場合,その関係の固定度は強固であるか,(3)呼応関係を見せる助辞のみでもって訓じられるような訓法もあるか,(4)当該漢字に対する訓としての認識はどうであったか,という観点から行っている。

(1)に関しては,多くの漢字において日本の漢文訓読と同様,副詞語と助辞の呼応関係を見せるような訓法が見られること,(2)に関しては,個々の漢字に対していくつかの異なるパターンの訓法が見られるため,他の漢字に比べて固定度がさほど強固でなかったと考えうることを指摘している。また,(3)(4)の点については,一部の漢字にそうした例が認められ,助辞を訓とするような認識が見られるものの,逆にこれら以外の漢字においては,そういった現象は見出しにくく,たとえ助辞の呼応が欠けることはあっても,これらの副詞語自体が欠けるような訓法は見られなかった。つまり,副詞語の方をその詞訓として強く認識し,これに呼応する助辞は付随的なものと見なして辞訓としては発達していなかったと考えられるとしている。

第5章では,漢語史において,口語性を反映しているともされる2字漢語を取り上げ,特に副詞語について注目しつつ,15世紀における訓読の様相を考察している。まず,2字漢語を1字ずつ逐字的に2語でもって訓じているか,それとも1語化したものとして訓じているか,という点から見ると,大部分の例は1字ずつ逐字的に訓じており,その点,2字漢語を1語化したものと見なすような意識はたいへん希薄であったことを明らかにしている。少数ながら,2字漢語を1語化したものと見なす例もあったが,それらは同義結合または類義結合の場合,あるいは,その語が当時の朝鮮語の語彙として定着しそのまま字音読みされる場合であった。つまり, 1語でもって訓じるのは,朝鮮語の文として自然な文章になるかどうかを重視し,同一の語あるいは類似した意味の語が重複することを避けようとした結果であると論じている。

以上から,15世紀の朝鮮においてすでに個々の漢字に対する訓の固定化が進んでおり,2字漢語の訓読はその慣習に基づいて1字1字を逐字的に訓じるのが大原則で,漢語史に起こっていたとされる口語表現での2字漢語化という現象は,基本的に関心外であったと結論づけた。

最後に第6章では,本論文の結論として,15世紀の朝鮮における漢文訓読にあっては,個々の漢字に対する訓がかなり固定化をしており,固定的な訓法が発達していたものと見ることができ,その結果から,本論文において大前提としていたことがらである諺解資料における諺解文が漢文訓読の結果としての書き下し文に相当する,という観点の妥当性が実際の資料の分析を通じて名実共に裏付けられたとした。

本論文のもっとも大きな特徴は,諺解文が漢文訓読の結果としての書き下し文に相当するものであると主張することによって,当時の朝鮮における漢文訓読の在り方を解明しようとした点である。さらにその分析において日本での漢文訓読研究の成果をもとにして,従来にない観点から朝鮮の漢文訓読の在り方を探っている。考察によって,15世紀において個々の漢字の訓がかなり固定化されていたこと,そして諺解文が漢文訓読の結果としての書き下し文に相当する可能性が高いことを示した。このことは,朝鮮の漢文訓読研究だけでなく,日本の漢文訓読研究にも影響を与えるものであり,同時に中期朝鮮語の研究にも様々な示唆を与えることになろう。

審査においては,漢字の訓が固定化されていることから何が言いたいのかが明確ではない,扱っているのは漢文訓読の一部であり,これでもって諺解文を書き下し文と見ることが妥当だと言えるのかは疑問がある,訓は次第に固定化していくものだという見方の妥当性について検証が足りない,分析に際して細かい点で解釈の誤りが散見される,など問題点が指摘されたが,それらが本論文の価値を損ねるほどのものではないことが確認された。

したがって、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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