学位論文要旨



No 128803
著者(漢字) 富樫,耕介
著者(英字)
著者(カナ) トガシ,コウスケ
標題(和) チェチェン紛争再発の複合的なメカニズムの解析(1997-99) : 紛争構造のダイナミズムと平和定着
標題(洋)
報告番号 128803
報告番号 甲28803
学位授与日 2012.12.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1180号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中井,和夫
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 石田,淳
 東京大学 教授 塩川,伸明
 群馬大学 准教授 野田,岳人
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、チェチェン共和国がロシアからの分離独立を掲げることで94年に発生したチェチェン紛争に注目した。この紛争は1996年に和平に至り、この事を国際社会もロシアも歓迎し、同時代的には同地の今後に一定の期待や明るい展望が持たれたが、1999年には紛争が再発してしまう。本稿は、1997-99年のチェチェンに着目し、「和平がなぜ定着せず、紛争の回避が困難となる状況が形成されたのか」を明らかにする事を目的とした。

まず第1章1節で本稿の分析枠組みと仮説――チェチェン紛争を「二重の対立構造」を有する紛争と捉え、紛争を回避する事が困難な状況が1997-99年のチェチェンに形成されたのはその「二重の対立構造」の中心に位置づけられるチェチェン・マスハドフ政権が「複合的なディレンマ」と「状況悪化のスパイラル」に陥ったためである――を提示した。さらに、このような状況に至る媒介変数としてチェチェン紛争が有している特徴が重要な役割を果たしたとして2節から5節で、比較と理論の中でチェチェン紛争の特徴を明らかにした。まず2節では、紛争がいかなる条件で発生するのか、その要因についてまとめ、第一次チェチェン紛争はどのような特徴をもっていたのか、そしてそれが紛争後にどのような課題を生んだと考えられるかを明らかにした。3節では、一度紛争を経験した地域が抱える課題を紛争移行の観点から明らかにし、第一次紛争後のチェチェンの課題と紛争再発のリスクについて明らかにした。4節では、平和の定着には第三者の関与が重要な意味を持つにも関わらず、紛争後に国家性の問題を抱える場合にはその関与が困難になる事、また1997-99年のチェチェンがこうした状況にあった事を明らかにした。5節ではソ連邦・ロシア連邦という文脈においてチェチェンが持つ特徴を明らかにし、比較と理論の中でチェチェン紛争を捉える作業を終えた。

第2章では、第一次チェチェン紛争がどのように発生・進展していき、紛争後にどのような課題が形成されたのかをまとめ、1997-99年のチェチェンを理解する上で欠かせない前提的知識を形成した。1節では、ペレストロイカ期のチェチェンの民族運動がなぜロシア連邦で唯一の分離主義紛争へと発展していったのか、紛争の起源と経緯を概略した。またその際に第1章2節で提示した紛争要因の果たした役割を検討した。2節では、紛争の進展とチェチェンの政治諸勢力間の関係の変化について、紛争発生までは分裂を繰り返していた政治勢力がロシアの介入によって、むしろ団結していった事実を明らかにし、第1章3節で明らかにした紛争移行の観点から第一次紛争の終結はどのように捉える事ができるのか検討した。3節では、紛争に事実上勝利し、選挙によって新政権を選出したチェチェンがいかなる課題を抱えていたのか、平和構築の議論を意識しつつ整理した。またその際に本稿が以後1997-99年のチェチェンを分析する際に用いる時期区分について提示し、チェチェンの政治展開についても押えた。

第3章では、山積する紛争後の課題の中でマスハドフ政権がどのように平和の定着を試みたのか、四つの観点――対露・国内・地域・「外交」――から明らかにした。その際に(1)いかなる方針や政策目的を掲げ、(2)どのような政策に取り組み、(3)これがどんな問題に直面し、政権がいかなる対応をとったのかを考察した。1節では、マスハドフという指導者の経歴や人物像、彼への評価について触れた上で、マスハドフに着目する事がなぜ重要なのか、「二重の対立構造」の観点から明らかにした。2節では、「二重の対立構造」のうちロシアと抱えていた「領域をめぐる対立」について、(1)マスハドフ政権は対露方針として主権国家間の合意形成、経済・防衛空間の共有、外交権の保持という三つの柱を立てていた事、(2)交渉は双方共に精力的に取組み経済合意を締結、また法的・政治的地位についても素案が提示される状況に至った事、(3)だが経済合意は履行されず、法的・政治的地位の交渉も行き詰まり、次第に交渉は治安・安全保障問題にシフトしていった事を明らかにした。3節では、紛争後のチェチェンにおいてマスハドフがいかなる政策をとったのか、(1)内閣の構成とその変遷から三つの方針(非独立派諸勢力の登用、実務的内閣の模索、独立派野戦司令官への配慮)があった事、(2)先行研究の指摘する「イスラーム化」は当初は問題になっておらず、本稿の時期区分の第二段階までは対露交渉、親露派と独立派の閣内均衡、目標とする国家像、経済社会問題が主要な政治的争点であり、政権がこれに取組んだ事、(3)第三段階以後、「イスラーム化」が政治争点になり政権は大きな課題を抱える事になるが、「イスラーム化」それ自体は多様な側面を抱えており、実はダゲスタン情勢の影響を受けて表面化した事を明らかにした。4節では、「二重の対立構造」で苦しむマスハドフ政権がこの状況を脱却する為に周辺地域、特に直接国境を接するグルジアと石油パイプラインの始点であるアゼルバイジャンにどのように働きかけたのかについて、(1)コーカサス地域の域内協力と経済統合を目的に掲げた事、(2)グルジアとは関係改善の為の積極外交に、アゼルバイジャンとは石油パイプライン再開の為の交渉に取組んだ事、(3)前者との関係改善は進んだもののマスハドフ政権は実利を得られなかったのに対し、後者とは直接交渉はできずロシアと交渉する事になったものの石油パイプライン再開という実利を得た事を明らかにした。5節では、このような地域政策での成果を土台に欧米諸国に「未(非)承認国家」たるチェチェンがどのように「外交」的に働きかけたのかについて、(1)独立承認よりも、むしろ経済的支援を目的とした事、(2)ブレーンであるヌハーエフを中心に欧米の政財界との協力を密にし、マスハドフも積極的に外遊を展開した事、(3)しかし結局「二重の対立構造」に起因する問題によって失敗してしまった事を明らかにした。

第4章では、こうしたマスハドフ政権の取組みにも関わらず、なぜ紛争は再発してしまったのかを四つの視座――紛争研究、対露交渉、国内環境、地域環境――から考察し、紛争再発に至った政治過程を多角的に考察した。1節では、これまで明らかにして来たマスハドフ政権の平和定着の試みとその挫折を、紛争研究――特に紛争終結までの形態と紛争終結後の形態をめぐる紛争再発要因――の視座から再検討した。以下、第2節と第3節は「二重の対立構造」の観点からの考察であるが、まず2節の「対露交渉の視座から」では、「領域をめぐる紛争」における和平の困難さや、分離主義紛争という非対称な紛争における交渉の難しさを整理した上で、ロシアとチェチェンの交渉では法的・政治的地位をめぐっては交渉主体のみならず、ロシア・チェチェン双方の内部でも交渉認識をめぐるズレが著しく合意形成が困難であった事、また経済合意の未履行の背景にはこうした認識のズレに加え、双方内部での政治対立や権力闘争、ロシアでは金融・財政危機の影響、チェチェンでは急進的イスラームの問題やダゲスタン問題とのリンケージ、さらにロシア人高官の拉致事件などがあった事を明らかにした。3節では、チェチェン内部、即ち「政府をめぐる対立」に目を向け、政治指導者が果たした役割や責任について検討した。その際に先行研究では一括して捉えられがちな反政府系指導者の再分類に試み、これを通してマスハドフ政権の反対派への処遇が異なっていた事を明らかにした。また本来、主義・主張の異なる反政府系指導者が結集して行く過程、さらにその過程でマスハドフ政権も反対派も元々あまり現実的だと見なしていなかった政治的立場を採用したという皮肉な現実、さらにこうした現象は世論と政治指導者の認識の間にズレがあったために生じた事を明らかにし、先行研究で指摘されている理解を批判的に再検討した。4節では、紛争直後は紛争再発要因として認識されていなかったにもかかわらず、紛争再発には大きな影響をもたらした要因としてダゲスタン情勢を取り上げ考察する。ここでは、なぜマスハドフ政権がもともと問題視していなかったダゲスタンの問題がチェチェン紛争の再発に重要な意味を持ったのかを「ダゲスタンのワッハーブ主義者の動向がチェチェンを巻き込む形で否定的影響を及ぼし、次第に双方の問題が連結・共振して行った」という事から明らかにした。5節では、今まで個別に取り上げて来たマスハドフ政権の平和定着の失敗要因をまとめ、それぞれの政策が「どの段階まではまだ明るい展望を残していたのか、あるいはどの段階でかなり厳しい状態へと追い込まれたのか」について、本稿で提示した問題(政策)領域・時期区分を横断する形で鳥瞰的に考察した。その上で、1997-99年のチェチェンにおいて紛争がどのように移行していった(第二次紛争はどのようにして発生した)のかを、第一次紛争終結に至る過程の考察と対比しつつ、第1章3節で示した紛争移行の形態から捉え直した。最後にマスハドフの責任や政策的余地について再考し、平和定着の失敗の多角的考察のまとめとした。

終章では、本稿の結論を提示した。それは、チェチェン紛争を「二重の対立構造」を抱える紛争と捉え、1997-99年の紛争移行過程において平和定着の課題が山積し、「未(非)承認国家」となっていたチェチェンのマスハドフ政権に着目すると、紛争を回避する事が困難な状況が1998年8月から99年2月頃(第四段階第二期・第三期)までに「複合的なディレンマ」と「状況悪化のスパイラル」というメカニズムによって形成された事が分かるというものである。この結論が持つチェチェン研究への含意、紛争研究への含意などを示し、本稿の終わりとした。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、第一次チェチェン紛争(1994-1996)と第二次チェチェン紛争(1999-)の間に位置する1997-1999年の紛争移行期に注目し、なぜ紛争が再発したのかを総合的、複合的に明らかにしたものである。チェチェン紛争はソ連解体とロシア連邦への移行過程でロシア連邦内で唯一大規模な武力行使を伴った紛争であるが、その紛争再発のメカニズムについては十分には研究されてこなかった。

本論文の構成と各章の内容は以下の通りである。序章では、先行研究の批判的紹介や資料の説明等がなされている。第一章「比較と理論の中のチェチェン紛争」では、本論文の分析枠組みである、「二重の対立構造」(「領域をめぐる対立」と「政府をめぐる対立」)、「複合的なディレンマ」、「状況悪化のスパイラル」の説明が述べられている。さらに、紛争の理論的な検討が、紛争の発生、紛争再発のメカニズム、未(非)承認国家の問題等についてコンパクトにまとめてある。第二章「第一次チェチェン紛争とその後の課題」では、ソ連末期のペレストロイカ期にチェチェンの民族運動がなぜ分離主義運動へと発展していったのか、さらに第一次紛争がチェチェンの国内勢力を団結させたことを明らかにした。事実上チェチェン側の勝利に終わった後成立したマスハドフ政権が抱えることになった課題を経済、社会、政治の分野にわけて分析を加えた。第三章「マスハドフ政権の平和定着の試みと挫折」では、政権の平和定着の試みを、対露政策、国内政策、地域政策、「外交」政策という4つの観点から分析している。対露政策では、ロシアと抱えていた「領域をめぐる対立」について、マスハドフ政権がどのような原則でロシアと交渉に臨んだか、交渉は特に経済分野では順調に進展し、経済合意が締結されたが、法的・政治的地位の交渉は行き詰まり、経済合意も履行されなかったことを明らかにした。国内政策では、マスハドフの政策を、内閣の構成とその変遷から説明し、独立派野戦司令官への配慮があったことを示した。さらに「政治的イスラーム化」が争点化するのは1998年初めごろからであることを付け加えている。地域政策では、ロシアとの対立状況を側面から打破しようとして展開した、近隣コーカサス諸国に対する働きかけについて叙述している。隣国のグルジアとは関係改善を目指して積極的に外交を繰り広げた。アゼルバイジャンとは石油パイプライン再開のため交渉した。部分的ながらこうした交渉が成功し、実利を得た分野もあることを明らかにした。「外交」政策では、マスハドフ政権が欧米諸国に働きかけた「外交」がどのようなものであったかを明らかにしている。政権は、独立承認よりも経済的支援を目的としたこと、イギリスなどを中心にチェチェン支援の枠組みが出来上がりつつあったこと、それが「政府をめぐる対立」に由来する問題(拉致されていたイギリス人等の殺害)で失敗したことが示されている。未(非)承認国家であるチェチェンが、極めて積極的に「外交」活動をしていたことはあまり知られていなかった。第四章「平和定着の失敗の多角的検討」では、第三章で語られた、マスハドフ政権による平和定着の様々な試みが失敗し、紛争が再発した理由を、紛争研究、対露交渉、国内環境、地域環境(ダゲスタン問題)の4つの視座から多角的に検討している。対露交渉では、「領域をめぐる対立」においてそもそも合意が困難であったこと、ロシア・チェチェン双方の内部でも交渉認識をめぐるズレが大きく合意形成が困難であったこと、経済合意不履行の背景にも双方内部での政治対立や金融危機などの経済問題があったことを明らかにした。国内環境では、チェチェン内部の「政府をめぐる対立」に注目し、政治的リーダーの役割と責任を検討している。その際、反政府系指導者を独自に再分類し、マスハドフ政権の反対派への処遇を個別に検討しなおしている。ダゲスタン問題では、ダゲスタンのワッハーブ主義者の動向がチェチェンを巻き込む形で否定的影響を及ぼし、次第に双方の問題が連結・共振していったことを明らかにした。この指摘は、これまでの通説的理解である、チェチェンがダゲスタンに単に「進軍」したとする見方への反論であり、「ダゲスタン問題」が第二次チェチェン紛争の引き金になったとすると、重要である。この章の最後にマスハドフ自身の責任や政策的余地について論じている。終章では、本論文の結論が簡潔に述べられている。それは、チェチェン紛争を「二重の対立構造」を持った紛争と捉え、1997-99年の紛争移行期間に平和定着の試みがなされたが、98年8月から99年2月頃までに「複合的なディレンマ」と「状況悪化の負のスパイラル」というメカニズムによって紛争の再発を回避することが困難な状況がつくられた、というものである。

以上が本論文の構成と内容であるが、この研究の優れている点を以下列挙する。まず、チェチェン紛争に関する新しい本格的な学問的業績である点が高く評価される。1997年~1999年の極めて複雑な政治過程を独自の分析枠組みと徹底した実証研究によって意欲的に明らかにした功績は大きい。チェチェン紛争がソ連解体後のロシアで起こった最大の紛争であることを考えると、ロシア政治研究の分野での貢献も大きい。先行研究を批判的に検討し、随所で通説を覆し、新知見を示しているなど、本論文はオリジナリティに富んでいる。紛争の理論的な部分と事例研究の分析がうまく有機的に関連づけられている点も評価される。膨大な資料等を丹念に読んで整理・分析しているところも、しっかりした資料の読み方とともに高い評価を得た。大部ではあるが、読みやすくバランスのとれた叙述になっていることも指摘したい。

一方、審査委員から本論文に対する若干の不満、注文が出された。ダゲスタンとチェチェンの関係を書いたことは評価できるが、このことがやや強調されすぎている。マスハドフがなぜ特定の野戦司令官(バサーエフ)を取り込むことに固執したのか説明されていない。ロシア側の内部事情がもう少し書かれた方がよかった。紛争構造と政治指導者の認識との関係についてもう少し突っ込んで書いてほしかった。誤字が少しだが、散見される。 しかし、こうした指摘は、多くが、今後の研究の課題として期待されたものか、語句の微修正の必要性についてであり、全体として本論文の意義を低めるものではない。審査委員会は全員一致で、本論文が高い水準に達しており、学界に大きな貢献をなす論文であると判断した。

したがって、本審査委員会は、本論文の執筆者、富樫耕介氏に対して博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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