No | 128942 | |
著者(漢字) | 杉山,太香典 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | スギヤマ,タカノリ | |
標題(和) | 量子推定における有限標本解析 | |
標題(洋) | Finite sample analysis in quantum estimation | |
報告番号 | 128942 | |
報告番号 | 甲28942 | |
学位授与日 | 2013.03.25 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5919号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 物理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本論文では、ベル型相関の検定と量子トモグラフィという2つの量子推定問題を取り上げ、測定データ数が有限の場合に推定誤差の振る舞いを解析する。 量子推定とは、量子状態や量子状態が持つ相関の量などを測定結果から推定する手法の総称であり、量子力学の理解に向けた実験や量子情報処理プロトコルの検証実験において、重要な役割を果たしている。例えば量子状態推定の場合、同一の未知の量子状態が複数与えられ、その系に測定を行い、得られた測定結果から未知の状態を推定する。統計学では、推定のために行う測定の決め方を実験計画法、測定で得られたデータ(標本)から推定値を計算するデータ処理の方法を推定量とよぶ。量子測定では測定値は確率的に得られる。この確率的な揺らぎに起因する推定誤差を統計誤差とよぶ。統計誤差の大きさは実験計画法と推定量の選び方に依存するため、特定の実験計画法と推定量の組み合わせに対してその統計誤差の大きさを出来るだけ正確に評価することと、少ないデータ数に対してより推定精度の高い組み合わせを見つけることが、量子推定理論の主目的である。多くの量子状態推定実験では推定そのものが目的ではなく、特定の量子状態を十分高精度で準備できたことを示すために行われる。準備した状態を量子情報処理プロトコルに用いる場合、プロトコルの性能は既定の量子状態をどれだけ高精度に準備できたかに依存するため、量子状態推定の精度も高精度であることが求められる。特に実際の実験ではデータ数が有限であるため、データ数が有限の場合に統計誤差の振る舞いを精度良く解析する手法が必要となる。 データ数が有限の場合における統計誤差の解析は、ほぼ無限にデータがある場合の解析に比べてはるかに困難である。データ数が有限の場合の統計誤差の解析手法や結果を有限標本論というのに対し、このようなほぼ無限の標本に対する解析手法とその結果を大標本論、または統計的推定における漸近論とよぶ。量子推定理論の結果の多くはこの漸近論に属するもので、有限標本の場合を扱った定量的な解析はほとんどなされていない。そのため、量子情報の分野ではこれまで多くの量子推定実験が行われてきたが、その推定誤差の評価は精密には行われていなかった。過去の実験では統計誤差よりも実験系がもつ系統誤差(ノイズ等に起因する誤差)の方がはるかに大きかったため、統計誤差の精密な評価よりも系統誤差をいかにして小さくするかに注意が払われた。しかし近年の実験技術の大幅な向上により、統計誤差の影響を無視できないような量子情報処理実験が行われるようになってきており、量子推定における有限標本理論の確立が早急の課題となっている。そこで本論文では、既存の量子推定理論を、2つの代表的な量子推定問題であるベル型相関の検定と量子トモグラフィに適用できるよう拡張する。 本論文では、推定誤差の定量的な評価に、期待損失と誤差確率とよばれる2つの評価方法を用いる。どちらの評価方法でも、損失関数と呼ばれる推定値と真値の間の距離的な関数を用いる。損失関数の値は推定値ごとに異なるため、期待損失ではそれらの統計的期待値を用いて推定誤差の大きさを評価する。平均二乗誤差や分散は期待損失の例であり、期待損失はエラーバーの概念をより一般の損失関数に拡張したものといえる。期待損失は損失関数の期待値であるので、その値は損失関数の平均的な大きさを記述する。そのため、期待損失は推定誤差のおおまかな振る舞いを評価したい場合に用いられる。一方誤差確率は、推定値が真値から大きく外れるようなデータが得られる確率として定義される。具体的には、推定誤差の評価に閾値を導入し、損失関数の値がその閾値よりも大きい場合に推定を失敗したと考える。そのような失敗がおきる確率を誤差確率とよぶ。誤差確率の値は推定値が真値から閾値を超えて外れる確率を与えるため、推定誤差を厳密に評価したい場合に用いられる。例えば誤差確率は、量子暗号プロトコルにおいて安全な秘密鍵の生成率を評価するのに用いられている。期待損失も誤差確率も、その値は推定対象の真値に依存する。仮に期待損失や誤差確率の関数形を求めることができたとしても、それらは真値の関数であり、実際の実験ではその真値が分からないため、実験結果の評価に直接用いることは出来ない。そこで本論文では、どのような真値に対しても期待損失または誤差確率の上限となる関数を導出し、その値を用いて推定誤差を評価する。これは、誤差を大きめに評価しておき、「少なくともこの値よりは誤差は小さい」という安全側に立った評価方法である。誤差を大きめに見積もり過ぎると実験結果を過小評価することになるので、出来るだけ小さい上限関数を導出することが望ましい。また、そのような上限関数が小さい値をとるような実験計画法と推定量の組み合わせを見つけることも重要である。 第1章では、上記に説明した量子推定の概要と、推定誤差を精密に評価することの重要性を説明する。第2章では、量子情報分野で用いられている量子力学の公理系、本論文で扱う2つの量子推定問題、既存の量子推定理論の問題点、の3 点を説明する。特に、量子系に測定を行った場合の測定値の確率分布を与える公式は、第4、5、6 章で繰り返し用いられるので重要である。 第3 章では、量子推定における推定誤差の振る舞いを解析するために必要な確率論と統計的パラメタ推定理論の基礎的な概念、表記法、既知の結果を説明する。特に、本論文で解析の対象となる期待損失と誤差確率の定義と、それらの漸近的な振る舞いに関する既知の結果が説明される。最も重要な既知の結果は以下の3 点である: 1.損失関数が2 次関数で近似可能な場合、期待損失は測定回数に反比例して減少する。 2.誤差確率は測定回数の増加に対して指数関数的に減少する。 3.測定回数が非常に多い場合、最尤推定量とよばれる推定量が期待損失の減少係数と誤差確率の減少率の最良値を達成する。 また、線形推定量と呼ばれる推定量に対し、測定回数が有限の場合の期待損失と誤差確率の既知の結果についても説明する。これらの結果は第4 章と第5 章で頻繁に用いられる。 第4 章ではベル型相関の検定における推定誤差の振る舞いを解析する。量子力学では、2粒子間に古典力学では説明できない相関があることが知られている。そのような相関のひとつにエンタングルメントと呼ばれる相関があり、ベル型相関の検定は、そのような非古典的な相関があるかどうかを調べる手法である。特に本論文ではCHSH 不等式とよばれる不等式を用いた検定を扱う。CHSH 不等式を用いた検定では、個々の粒子に測定を行い、その測定値と結合確率分布から計算される相関関数を計算する。その値が2よりも大きい場合、2粒子間に非古典的な相関があることが証明される。特に粒子が量子的な粒子である場合、エンタングルメントがあることが保証される。測定回数が有限の場合には相関関数の値に推定誤差が含まれるため、エンタングルメントの存在を証明するためには推定誤差の精密な評価が必要となる。本論文ではCHSH 不等式を用いた検定における期待損失と誤差確率の上限関数を導出した。これらの結果の一部は既知の結果と部分的に同じ結果を与える。第4 章で用いられた手法はCHSH 不等式を用いた検定だけでなく、確率分布に関して線形な相関を利用する他の手法(例えばWitness を利用した検定や文脈依存性におけるKCBS 不等式を利用した検定等)にも適用可能である。 第5 章では量子トモグラフィにおける推定誤差の振る舞いを解析する。量子トモグラフィとは、量子状態や状態変化を、独立な実験計画法(実験前から行う測定を決めておく実験計画法)を用いて推定する手法の総称であり、量子情報処理実験で状態や状態操作の実装証明に用いられる代表的な推定手法である。まず、拡張線形推定量に対する期待損失と誤差確率の上限関数を、第3 章で説明した確率不等式を用いて導出する。次に、得られた拡張線形推定量に対する上限関数を用いて拡張ノルム最小化推定量と最尤推定量の期待損失と誤差確率の上限関数を導出する。特に最尤推定量は実験で最もよく使われる推定量であるため、上限だけではなく、期待損失の振る舞い自体の正確な評価を試みる。最尤推定量では非線形なデータ処理が行われ、その推定誤差の振る舞いを厳密に解析することは困難であるため、ガウス分布近似と線形境界近似とよばれる2つの近似を用い、1量子ビット系の量子状態トモグラフィにおける推定誤差の近似式を理論的に導出する。また、この近似式を用いた評価が漸近論を用いた評価よりも高精度であることを数値計算により示す。 第6 章では適応的実験計画法を用いて推定精度の改善を行う。実験の途中でそれまでに得られた測定値を基に次に行う測定を更新する実験計画法を適応的実験計画法とよぶ。本論文では、1量子ビット系の量子状態推定に対して、平均分散最適基準(A-最適基準)と呼ばれる適応的実験計画法を適用し、射影測定を用いた場合に平均分散最適基準の解析解を導出する。この解析解を用いることにより、測定更新にかかる計算コストを大幅に削減することに成功した。また、平均分散最適基準を用いた場合と独立な実験計画法を用いた場合(量子トモグラフィ)の期待損失を数値計算により比較し、平均分散最適基準の方が精度の高い推定結果を与えることを示す。この解析により、平均分散最適基準に基づいた適応的実験計画法を用いることで量子トモグラフィよりも推定誤差を小さくできることが示される。また、既に提案されている他の適応的実験計画法よりも計算コストが低くかつ推定誤差が小さいことも示される。 | |
審査要旨 | 本論文は7 章からなり、第1 章は序論、第2 章は量子論と量子推定に関する概説、第3 章は数理統計学に関する概説、第4 章はベル型の相関の検定に関する考察、第5 章は量子トモグラフィーに関する考察、第6 章は適応的実験計画法による推定精度の改善に関する考察、第7 章はまとめと結論、をそれぞれ記している。 本論文は、ベル型相関の検定、および、未知の量子状態を測定により推定するいわゆる量子トモグラフィーに関する、申請者の研究をまとめたものである。従来は、サンプル数が無限大になるにつれて漸近する振る舞いをみる、いわゆる漸近評価が主に行われていた。しかし、漸近的に最良である推定法が、現実の有限のサンプル数においては、必ずしも最良では無い。そこで申請者は、サンプル数が有限のときの推定誤差を正確に評価し、その誤差を小さくする手法を提案している。その主要な結果は、以下のようなものである。 まず、ベル型相関の検定について、Clauser-Horne-Shimony-Holt(CHSH)不等式を用いた検定における期待損失と誤差確率の上限関数を導出した。ここで用いられた手法はCHSH不等式を用いた検定だけでなく、Witness を利用した検定や文脈依存性におけるKlyachko-Can-Binicoglu-Shumovsky 不等式を利用した検定等の、確率分布に関して線形な相関を利用する他の手法にも適用可能である。 次に、量子トモグラフィーにおける推定誤差について、線形推定量に対する期待損失と誤差確率の上限関数を導出した。さらに、ノルム最小化推定量や最尤推定量と呼ばれる推定量がよく用いられるため、これらの期待損失と誤差確率の上限関数も導出した。特に、最尤推定量は実験で最もよく使われる推定量であるため、上限だけではなく、期待損失の振る舞い自体の評価を行った。このとき、最尤推定量では非線形なデータ処理が行われ、その推定誤差の振る舞いを厳密に解析することは困難であるため、ガウス分布近似と線形境界近似とよばれる2つの近似を用い、1量子ビット系の量子状態トモグラフィにおける推定誤差の近似式を理論的に導出した。また、この近似式を用いた評価が漸近論を用いた評価よりも高精度であることを数値計算により示した。 最後に、適応的実験計画法による推定精度の改善について、1量子ビット系の量子状態推定に対して、平均分散最適基準と呼ばれる適応的実験計画法を適用し、射影測定を用いた場合に平均分散最適基準の解析解を導出した。この解析解を用いることにより、測定更新にかかる計算コストを大幅に削減することに成功した。また、平均分散最適基準を用いた場合と独立な実験計画法を用いた場合の期待損失を数値計算により比較し、平均分散最適基準の方が精度の高い推定結果を与えることを示した。この解析により、平均分散最適基準に基づいた適応的実験計画法を用いることで量子トモグラフィよりも推定誤差を小さくできることが示された。また、従来の適応的実験計画法よりも計算コストが低くかつ推定誤差が小さいことも示した。 これらの成果により、ベル型相関の検定と量子トモグラフィという2つの量子推定問題についての理解が深まった。よって本論文は、博士論文として十分な内容を持つものと審査委員全員が認めた。 なお、本論文は、村尾美緒氏、Peter S. Turner 氏との共同研究であるが、論文提出者が主体になって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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