学位論文要旨



No 129124
著者(漢字) 相川,達男
著者(英字)
著者(カナ) アイカワ,タツオ
標題(和) 細胞親和性ポリマーマイクロゲルを用いた細胞活動制御
標題(洋) Cytocompatible polymeric microgel for regulation of cellular activity
報告番号 129124
報告番号 甲29124
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8015号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石原,一彦
 東京大学 教授 吉田,亮
 東京大学 准教授 坂田,利弥
 東京大学 特任准教授 金野,智浩
 東京大学 准教授 伊藤,大知
内容要旨 要旨を表示する

本論文ではマテリアル工学の観点から細胞の活動を制御する材料の創製について記述した。Fig. 1に本研究の範囲と示す。以下にその概要を記した。

第1章: 研究の意義と方針

人類は古くから生物資源を利用して自らの生活の向上はかってきた。現在では、病気や怪我で失った機能を補填するために、健康な細胞を移植するなど生きた細胞を改質・利用するにまで至った。このような細胞を活用する次世代医療に対し、有益な細胞ソースを提供することは、今後の社会の発展につながる。しかしながら、細胞ソースの利用にはまだ解決すべき問題が残されている(Fig. 2)。近年、様々な細胞に分化することが可能なES細胞、iPS細胞などの有益な細胞ソースの作製が達成された。一般にこれらの細胞ソースの作製方法は、上皮細胞などに溶存因子の添加、フィーダー細胞との共培養、およびウイルスベクターを用いた遺伝子導入、あるいはこれらを組み合わせた方法で細胞の初期化を行い多能性を獲得させる。その後、任意の細胞種に分化誘導を行い使用する。しかし、現在までこれらのプロセスを用いて分化誘導を行っても臨床応用に十分な分化効率を達成することができていない。未分化細胞は移植後、腫瘍を形成するため、未分化細胞の残存は幹細胞利用の大きな障害となっている。また別の背景では、薬物スクリーニングなどの非臨床試験に使用されている細胞ソースにおける問題がある(Fig. 2)。このような細胞ソースは互いに異なる性質をもつ個々の細胞で構成されていることが知られている。外部刺激に対し同じ応答を示す細胞で構成される細胞ソースを提供することが、より正確な薬物スクリーニング、毒性試験、および疾患モデルの作製に必要である。

本研究では、マテリアル工学の観点からこれらの問題に対しアプローチした。細胞機能の変化は下記の細胞周囲環境の要素により惹起されるシグナル伝達により、タンパク質の発現が調節されることによって引き起こされる。すなわち、膜表面受容体に結合する溶存因子の種類とその時空間分布、細胞外マトリクスに固定化されたタンパク質、隣接細胞との膜表面タンパク質、および細胞外マトリクスの物性(弾性率、分子拡散係数)が細胞機能変化の引き金である。したがって、これらの要素を制御できる生体親和性材料の設計が必要となる。以下にその設計指針を記す。

まず細胞の内包に適した人工マトリクスは、i)細胞毒性がない、ii)細胞の内包を穏やかな条件で行える、iii)物性の制御が可能であることが重要である。これらの観点から、2種のプレポリマーの混合により温和な条件下でゲル化するハイドロゲルシステムを採用した。プレポリマーのひとつとして、2-methacryloyloxyethyl phosphorylcholine (MPC)を主成分とするコポリマーpoly[MPC-co-n-butyl methacrylate(BMA)- co-4-vinyl phenyl boronic acid(VPBA) [PMBV] を合成した (Fig. 3a)。MPCポリマーは側鎖に細胞膜表面と同様の官能基を有しており、高い細胞親和性を持つことが示されている。またPMBVはフェニルボロン酸を有しているため、ジオール基との特異的かつ可逆的な共有結合を形成する。ポリビニルアルコール(PVA)と混合すると、温和(中性pH、常温)な条件下でハイドロゲル(PMBV/PVA)が得られるため(Fig. 3b)、損傷を与えずに細胞をゲルに内包することが可能である。粘弾性や拡散係数といった細胞機能に影響を及ぼす物性は、プレポリマーの濃度や混合比を変えることで調節できる。

細胞-マトリクス間相互作用はマトリクスに固定化されたタンパク質を介して引き起こされるが、MPCポリマーはタンパク質の吸着を抑制する性質がため、ゲルで吸着タンパク質により惹起されるシグナル伝達などの細胞への刺激がない。すなわち、細胞内包マトリクスとしてMPCポリマーを用いることで細胞-マトリクス間相互作用の影響を除くことができる。細胞間の直接結合による相互作用を調節するには小さな領域内で細胞密度を制御すればよい。そのために、PMBV/PVAゲルを細胞と同程度のサイズに微細化し、細胞を内包する。本研究では細胞数個オーダーでPMBV/PVAゲルへ内包できるマイクロ流路システムの構築を行った。均一な直径を持つマイクロゲルを作製することは、溶存因子の受容という観点から均一な環境を内包化細胞に提供する。

第2章: 細胞環境を制御するための細胞親和性マイクロゲルの作製と物性評価

細胞を内包するためのマイクロ流路デバイスの設計を行った。流路の作製はPDMSを用いたソフトリソグラフィーを用いた。マイクロ流路の構造は2種のプレポリマーを混合し、その直後に剪断する必要がある。Flow-focusing型の流路構造を採用した(Fig. 4)。また、安定的にマイクロゲルを作製するには、流路表面へのプレポリマーの付着を抑制する必要があった。この問題は、フッ化アルキル基をもつシランカップリング剤で流路にフッ化アルキルを導入し表面エネルギー低下させることで解決できた。得られるマイクロゲルの直径はおよそ10-100 μmの範囲で精密に制御することが可能であり、粒径分布が非常に狭く均一なマイクロゲルが得られた(変動係数 <5%)。導入する細胞密度を調整することで、およそ32%のマイクロゲルに1個から数個程度の細胞が内包できることがわかった (Fig. 5)。また、細胞の活動に影響を及ぼす物性として、粘弾性とゲル中のタンパク質の定数の測定を行った。弾性率は、~20-400 Paであり、脳や脂肪など比較的軟らかい組織と同程度の弾性率であった (Table 1)。この弾性率はゲル中にあるフェニルボロン酸基がすべて架橋されたとして見積もった値より低く、未架橋のフェニルボロン酸が存在していることが示された。ゲルの弾性率に寄与しているのは、フェニルボロン酸とPVA中のジオールとの結合よりも、PVAの水素結合やポリマー鎖の絡み合いであると考えられる。マイクロゲル内部におけるタンパク質の拡散定数は、10-7 cm2/sオーダーの範囲で調整でき、これは天然の細胞外マトリクス中における拡散定数と同程度の値である (Fig. 6)。プレポリマーの内部分布状態が不均一なマイクロゲルは、混合前後で拡散係数の差が小さいことから、架橋が効率的に形成されていないことが明らかになった。

第3章: マイクロゲル中での細胞の活動

マイクロゲルの組成を変え細胞周囲の環境を変化させると細胞周期が同調することを明らかにした。細胞が遺伝子導入や薬剤などの外部刺激を受容するのは、細胞が休止期(G1期)にいるときであると考えられている。したがって、細胞周期を制御することは細胞の感受性を調節することにつながるため、分化誘導の効率改善につながると期待される。次に、ここで見られた細胞周期の変調はマイクロゲルの物性変化(e.g. 物質拡散、粘弾性)により誘起されるという仮定のもと、物性と細胞周期と関係について詳細に調べた。まず細胞に影響を与える物性以外のパラメーターである、1) 細胞間相互作用、2) 溶存因子の種類と濃度、3) 細胞-マトリクス間相互作用を固定した。これにはマイクロゲルに内包された1個細胞に注目し、かつ馴し培地中に細胞内包マイクロゲルを分散することで、細胞間相互作用と溶存因子の種類と濃度を一定にした。マイクロゲルは上述のようにタンパク質の吸着を抑制する素材であるため、細胞-マトリクス間相互作用は除かれる。このような条件では、マイクロゲルの粘弾性が細胞周期に影響を与えることが示された。マイクロゲル中の分子拡散は粘弾性の増加と共に減少するため、分子拡散変化の影響を考慮する必要がある。しかし、用いたマイクロゲルの分子拡散定数の範囲をカバーするポリマー溶液(PMBV: 1.0-5.0 wt%, またはPVA:1.0-5.0 wt%)溶液中では細胞周期はコントロールと同様の進展挙動を示した。一方、マイクロゲル中では細胞周期の進展が遅れ、特に弾性率の高いマイクロゲル中では通常の培養系と比較して顕著な差が見られた (Fig. 7)。したがって、細胞-マトリクス間相互作用がない条件において、弾性率の変化は細胞周期に影響を及ぼす主な要因であるといえる。

第4章: 結論

以上のように本研究では、細胞機能に影響を及ぼす細胞周囲環境を多岐にわたり緻密に制御できる細胞親和性マイクロゲルを創製した。このマトリクスを用いて細胞間相互作用、細胞-マトリクス相互作用を固定パラメーターとし、細胞周囲の物性を変化させると、粘弾性が細胞周期に変調を与えていることが示された。細胞周期の制御は、効率的な分化誘導につながるため、細胞を利用する次世代医療への貢献が期待できる。また、ここで示された知見に基づいてバイオマテリアルを設計・作製することは、細胞機能の効率的制御の実現につながる。

Fig. 1. Overview of this thesis.

Fig. 2. Requirements in medical applications of pluripotent stem cell sources and established somatic cell sources.

Fig. 3. The chemical structure of PMBV (a), and the gelation mechanism between PMBV and PVA (b).

Fig. 4. Preparation of the PMBV/PVA microgels using the microfluidic channel (a), dimension of microfluidic channels with wider and narrow orifice (b).

Fig. 5. Representative microscopic images of HeLa cells encapsulated in the microgel. Microfluidic device with narrow junction was used. Qc/Qd= 6.0, Scale bar = 50 μm.

Table 1. Elastic moduli and crosslink density of the PMBV/PVA hydrogel

Fig. 6. Plots of diffusion coefficients of proteins in the microgels and pre-polymer solutions as a function of molecular weight of proteins.

Fig. 7. The temporal changes of G1-phase distribution. Asterisk (*) indicates statistically significant difference (p < 0.05, n = 3) between pair of distribution values in the medium and in the PMBV/PVA microgel composed of 5.0 wt% PMBV/5.0 wt% PVA.

審査要旨 要旨を表示する

生体組織の再生や高精度な薬物の評価など、次世代の医療技術には用途に則して充分に機能制御された細胞の提供が必要となる。現在まで細胞機能制御するには生理活性物質の添加など分子生物学的方法が主流であった。しかし、細胞機能制御の効率は極めて低く、次世代の医療技術の発展に歯止めをかけている。これに対し、本研究はマテリアル工学の視点からの細胞機能制御に関わるものである。すなわち、細胞機能の変化には細胞周囲に存在するマトリクスの物性が関わるという観点のもと、この物性を調節できる新規細胞親和性バイオマテリアルを創製し、細胞機能制御効率の改善につなげることを目的としている。具体的には、ポリマー溶液の混合によりゲル化する生体親和型ポリマー系を利用し、これらの混合・液滴化を可能にするマイクロ流路システムの構築を行なった。これにより、細胞を内包したマイクロゲルを創製するとともに、細胞周囲環境のパラメータを厳密に規定している。さらにこのマイクロゲルを用いて細胞周囲の物性を調節することで、細胞周期を変調できることを示している。

本学位請求論文は4章から構成されている。

第1章は、研究の意義と細胞周囲に存在するマトリクスの物性や、細胞機能変化に関わる生物学的な相互作用を調節するためのマテリアル設計概念について述べられている。細胞機能の変化は細胞周囲の環境、すなわち溶存因子の受容、細胞-マトリクス間相互作用、細胞-細胞間相互作用およびマトリクスの物性変化に応答して引き起こされる。特に重要な物性としては、溶質拡散性と粘弾性が挙げられる。溶質拡散性は細胞周囲の溶存因子の時空間分布に関わるため、細胞が溶存因子を受容する頻度を決め、粘弾性は細胞の遊走や分裂の挙動に影響を及ぼす。物性変化により細胞機能変化が誘起できることを明確に示すには、他のパラメータを固定し、細胞周囲の物性が可変のマテリアルを創製することが求められる。細胞-マトリクス間に働く相互作用を一定にするために、細胞親和性をもち、かつ生理的に不活性な2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)ポリマーにフェニルボロン酸ユニットを導入したポリマー(PMBV)と、PMBVと可逆的な共有結合を生じるポリビニルアルコール(PVA)で構成されるハイドロゲルを細胞内包マトリクスとして提案している。このゲル化反応は細胞培養環境下で起こるため、細胞に刺激を与えずにゲルへの細胞の内包が可能となる。細胞-細胞間相互作用を調節するためには、ゲルのサイズを細胞と同程度とし、マイクロゲルの中で細胞数を数個とする調節が必要となる。これを実現するためにマイクロ流路デバイスの活用を提案している。

第2章では、細胞親和性マイクロゲルへの細胞を内包化するマイクロ流路デバイスの構築と細胞機能変化に関わる物性(粘弾性・溶質拡散性)評価について述べている。流路構造、プレポリマー組成・濃度、流量の最適化を行うことで、ポリマーの混合と液滴化を達成し、直径100 μm以下でサイズ分布の狭いPMBV/PVAマイクロゲルを作製している。弾性率とゲル内の溶質拡散係数は、ゲル作製に用いるPVA濃度を変化させ、架橋密度を調節することで制御できることが示されている。

第3章では、マイクロゲルに内包された細胞の挙動について細胞周期を中心に述べられている。細胞周期の進行/同調は、マイクロゲルの架橋密度を変えることで調節できることを明らかにしている。細胞の刺激に対する感受性は細胞周期と密接な関連がある。そのため細胞周期の制御を可能にするマイクロゲルは、細胞機能制御の効率改善につながるとしている。さらに典型的な接着系細胞において、細胞周期の変調を誘起する要因を究明している。プレポリマー溶液中での細胞周期は、典型的な培養条件下の細胞と同様の進行挙動を示している。この結果から、ゲルを構成する官能基は細胞周期に影響を与えないことを示している。一方、高架橋密度のマイクロゲル中では細胞周期の遅延が起こることから、細胞周囲の物性が細胞周期の進行に影響すると結論づけている。また高架橋密度のマイクロゲルと同程度の拡散係数を有するPVA溶液中では細胞周期の変調が見られないことから、細胞周期は細胞周囲のマイクロゲルの粘弾性に主として影響されていると考察している。

第4章は総括である。細胞周囲の物性、およびその他の細胞機能に関連する生物学的相互作用を規定できる細胞親和性ポリマーマイクロゲルの創製を独自のマイクロ流路システムを構築することで達成している。細胞周期、すなわち細胞の活動は、細胞周囲のマトリクスの弾性率を変化させることで調節可能であることが示されている。

これら研究の成果は、細胞の活動を制御する手段として細胞周囲に存在するマトリクスの物性が重要となることを示している。これは細胞の刺激に対する感受性の調節につながるため、細胞機能制御の効率改善に貢献する。本研究は、機能制御された細胞ソースの活用が必須となる次世代の医療技術において、バイオマテリアルの重要な役割とマテリアル工学的アプローチの有効性を示している。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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