学位論文要旨



No 129136
著者(漢字) 神谷,和秀
著者(英字)
著者(カナ) カミヤ,カズヒデ
標題(和) ユビキタス元素を用いた多電子酸素還元触媒に関する研究
標題(洋) Study on multiple electron transfer catalysts composed of ubiquitous elements for oxygen reduction reaction
報告番号 129136
報告番号 甲29136
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第8027号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 教授 瀬川,浩司
 東京大学 教授 立間,徹
 東京大学 教授 佃,達哉
 東京大学 准教授 山口,和也
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

酸素は無害で無尽蔵な電子アクセプターであり、実用上、例えば燃料電池のカソード反応として、エネルギー・環境問題の観点から重要である。この酸素還元を効率的に進行させる上での重要な概念が多電子反応である。

O2 + H+ + 1e-→ HO2 -0.046 V v.s. SHE (pH=0) (1)

O2 + 2 H+ + 2e-→ H2O2 +0.695 V v.s. SHE (pH=0) (2)

O2 + 4 H+ + 4e-→ 2H2O +1.229 V v.s. SHE (pH=0) (3)

式(1)-(3)には種々の酸素還元反応の標準酸化還元電位を示す。ここから分かるように、1電子酸素還元反応と比較して2電子反応では0.7 V、4電子反応では1.2 V以上も酸化還元電位が正に位置する。これは、多電子反応においては酸素還元のための必要エネルギーが小さいことを意味している。しかし、既存の多電子酸素還元触媒である白金は貴金属であることから、豊富に存在する元素(ユビキタス元素)のみを用いた多電子酸素還元触媒の開発が切望される。一方、生体は、鉄や銅といったユビキタス元素のみで、この多電子酸素還元反応を実現しており、ここに我々人類が学ぶべき点は非常に多い。

このような背景を基に、本研究ではユビキタス元素のみから成る多電子酸素還元触媒の合成と、それを用いた新規反応系の構築を試みた。具体的には、生物の酵素に着想を得た(i) 複核の銅イオンを活性中心にもつ多電子酸素還元触媒を半導体上に担持した光電極・光触媒材料の開発、(ii) 鉄-窒素配位構造をグラフェン面内に導入した燃料電池電極触媒材料の創成、および生物の機能を規範とした、(iii) 多電子酸素還元によって得られたエネルギーで駆動するリミットサイクル振動を用いた動的自己組織化反応系を構築した。

2. 銅イオンクラスターを多電子酸素還元触媒として用いた光電極・光触媒系の構築1,2,4,5)

多電子酸素還元反応を光照射によって駆動させることができれば、長波長の光を有効利用できる新規光反応系の構築が可能となる。本研究では、4核の銅イオンクラスターを活性中心に持つ多電子酸素還元酵素(マルチ銅酵素)を酸化鉄半導体上に担持し、これにより長波長の光で駆動する多電子酸素還元系の構築を試みた。また、この研究の発展形として、マルチ銅酵素を模倣した全無機材料での銅ナノクラスター担持・可視光応答型光触媒の開発を試みた。

[実験] 酸化鉄薄膜を作用極に用い、マルチ銅酵素の一種であるビリルビンオキシダーゼ(BOD) を注入し光電気化学測定を行った。全無機の銅ナノクラスターは酸化スズ基板(FTO)を担体に用い、塩化銅(II)水溶液中で含浸担持することで合成した。

[結果および考察] Figure 1に酸化鉄電極でのカソード光電流の外部量子収率(IPCE)を示す。酸化鉄のみの場合と比較して、マルチ銅酵素を担持した場合には、IPCEが10倍以上も増加した。これは以下のように説明される。酸化鉄の伝導帯の下端は1電子酸素還元電位より正であるため酸化鉄のみでは酸素還元反応は進行しない。しかし、Figure 2に示すようにマルチ銅酵素の担持により4電子型の酸素還元が進行することで電子が消費され、正孔が高効率に電極に輸送された。つまり、このマルチ銅酵素による4電子反応によって、酸素還元に必要とされるエネルギーが低減し、長波長の光によって駆動される多電子酸素還元系が構築された。

次に、上記研究での知見を基に、マルチ銅酵素の活性中心を模した全無機材料である銅ナノクラスターを合成した。その酸素還元活性をFigure 3に示す。銅ナノクラスターと酸素が共に存在する場合においてのみ大きな還元電流が確認された。この酸素還元の開始電位は0.1 Vであり、1電子酸素還元電位(-0.3 V)より正であることから、この銅ナノクラスターは多電子反応を触媒していると示唆された。本研究では、この全無機での多電子酸素還元触媒である銅ナノクラスターを酸化チタンに担持することで、高い活性を示す可視光応答型光触媒として機能することも合わせて見出した。

3. 燃料電池カソード電極触媒としての鉄-窒素共ドープグラフェンの開発8,9)

燃料電池の普及拡大のためには、酸素還元電極触媒として現在使用されている白金を代替する材料の開発が急務である。本研究では、窒素配位した鉄を活性中心として有するシトクロムオキシダーゼや鉄ポルフィリンが4電子酸素還元活性を示すことに着目し、この鉄-窒素配位構造を安定性の高い無機材料に導入することを試みた。しかし、既存の鉄と窒素を含有する熱分解法で作製された酸素還元触媒は、出発有機材料の炭素化のために30分を越える長時間の熱処理を必要とし、それによって熱平衡状態に近づいていくと配位結合が切断されてしまうといった問題を潜在的に抱えていた [1]。そこで本研究では、出発原料として炭素構造が既存であるグラフェンを利用するとともに、極短時間の熱処理のみでドーピング(熱非平衡ドーピング)を行うことで、十分な炭素構造と鉄-窒素配位構造の高濃度でのドープといった2つの構造的特徴を両立しようと考えた。つまり分子触媒のもつ高い活性および炭素材料の特徴である高い安定性を合わせ持った酸素還元触媒になることが期待できる。

[実験] 酸化グラフェンと鉄-ペンタエチレンヘキサミン錯体を混合し、アルゴン雰囲気下で45秒間熱処理を行うことで試料を作製した。

[結果と考察]熱非平衡ドーピングで作製した試料では配位構造が維持されていることを広域X線微細構造から確認した。この試料の酸素還元活性をFigure 4に示す。鉄-窒素を配位させて共ドープしたグラフェンにおいてのみ、850mV vs RHEと高い電位からの酸素還元電流が確認された。この酸素還元過電圧は白金と比較しても、その差は100mVを切るものであった [2]。また報告されている貴金属を用いないグラフェンベース酸素還元触媒のなかで最も小さな値であった。

長時間熱処理を加えた試料と比較して熱非平衡ドーピングで作製した試料は高い反応電子数を示した。長時間の熱処理を行った試料においては、透過電子顕微鏡像より金属の凝集が確認され、鉄-窒素配位結合が切断されていることが明らかとなった(Figure 5)。窒素配位した鉄は窒素からの強い電子供与によって電子密度が向上することで吸着酸素の反結合性軌道へ大きなπ逆供与を起こすことが知られている [3]。つまり、熱非平衡ドーピングにおいては酸素-酸素結合を活性化し多電子酸素還元活性中心として働くFe-N配位結合の切断を抑制し、高密度かつ高分散でグラフェン面内にドープすることに成功し、それによって高い反応電子数を示したと示唆された。

4. 多電子酸素還元反応から獲得したエネルギーで駆動する動的自己組織化反応系の構築6,7)

多くの生物は呼吸鎖で酸素を多電子的に還元することで高効率にエネルギー生産を行い、そのエネルギーを用いて、自己修復や自己増殖といった動的自己組織化反応(すなわちエントロピーが減少する系)を実現している。本研究では、自己修復系のミニマムモデルとして、多電子酸素還元によって得られた大きな自由エネルギーΔGにより、動的自己組織化反応の一種であるリミットサイクル振動系を駆動させようと試みた。リミットサイクル振動は正と負のフィードバック機構によって安定化されているため、外部からの摂動を受けても、流入するエネルギーを用いてエントロピーを下げながら元の状態に戻ることができるため自己修復材料に用いることができると考えられる。本研究では、シリコン基板上での開回路電位振動反応をリミットサイクルのモデル系として採用した [4]。この振動現象は、シリコンの酸化と対になる還元反応との電位差から得られるエネルギーΔGによって進行する。ここでは、リミットサイクルが誘起されるのに必要な十分大きなΔGを酸素還元反応の多電子化により得ることを試みた。

[実験] 金属銅ナノ粒子を多電子酸素還元触媒としてp-Si(100)上に無電解めっきによって担持し、酸素を飽和させたフッ酸溶液中に浸漬させ電気化学測定を行った。

[結果と考察] 酸素が飽和したフッ酸溶液中では銅ナノ粒子担持シリコンの開回路電位が-0.1 ~ -0.2 Vの間を10秒程度の周期で振動することを見出した(Figure 6)。この振動反応は電気化学解析より、銅ナノ粒子上での多電子酸素還元とシリコンの酸化反応の電位差に起因するΔGによって駆動していることが明らかとなった。また開回路電位というマクロな指標の振動現象が誘起されたということは空間的および時間的な秩序化が進行したことを意味していることから、エントロピーが局所的に減少しているといえる。本系は多電子酸素還元反応によって得られたエネルギーを用いて、動的自己組織化反応つまり自己修復系の本質となるエントロピーの減少反応を駆動させるといった設計指針を示した点で意義深いものである。

5. 総括および今後の展望

本研究では、生体系の持つ高活性な多電子移動触媒である酵素の構造とその機能に着想を得て、ユビキタス元素のみから成る多電子酸素還元触媒の合成、光エネルギーの有効利用、および動的自己組織化反応系の構築を実現した。本研究で創出したユビキタス元素から成る多電子酸素還元触媒は多方面へ応用が期待される。例えば多電子酸素還元触媒と有用酸化反応の触媒を組み合わせることで、酸素を電子受容体として用いるクリーンで経済的な空気酸化反応の高活性化および適用可能な基質の増加につながる。また本研究では、多電子反応を用いることで長波長の光を有効利用できることを示したが、これは新規なエネルギー獲得手法として広く注目を集めている人工光合成にも重要な指針である。すなわち、二酸化炭素の還元固定化や水の酸化反応においても、多電子化により必要エネルギーが大きく低減される。このように、ユビキタス元素のみを用いた多電子移動触媒の創成は、高効率なエネルギー変換を持続可能な系として実現する上でも本質的であり、今後この方向性の研究の重要性は益々高まると予想される。

6. 発表状況

(1) H. Irie, S. Miura, K. Kamiya, K. Hashimoto, Chem. Phys. Lett., 2008, 457, 202. (2) H. Irie, K. Kamiya, T. Shibanuma, S. Miura, D. A. Tryk, T. Yokoyama, K. Hashimoto, J. Phys. Chem. C, 2009, 113, 10761. (3) H. Irie, T. Shibanuma, K. Kamiya, S. Miura, T. Yokoyama, K. Hashimoto, Applied Catalysis B: Environmental, 2010, 96, 142. (4) R. Nakamura, K. Kamiya, K. Hashimoto, Chem. Phys. Lett., 2010, 498, 307. (5) K. Kamiya, S. Miura, K. Hashimoto, H. Irie, Electrochemistry, 2011, 79, 793. (6) K. Kamiya, E. Tsuji, A. Imanishi, K. Hashimoto, S. Nakanishi, Electrochem. Comm., 2011, 13, 1447. (7) K. Kamiya, K. Hashimoto, S. Nakanishi, Chem. Phys. Lett., 2012, 530, 77. (8) K. Kamiya, K. Hashimoto, S. Nakanishi, Chem. Comm., 2012, 48, 10213. (9) K. Kamiya, H. Kiuchi, Y. Harada, M. Oshima, K. Hashimoto, S. Nakanishi in preparation. (10) K. Kamiya, S. Matsuda, K. Hashimoto, S. Nakanishi in preparation.

[1] 例えば、V. Nallathambi et al., J. Power Sources, 2008, 183, 34.[2] H. Kiuchi et al., Electrochimica. Acta,. 2012, 82, 291.[3] G. Sandestede et al., J. Catal., 1973, 28, 8.[4] Y. H. Ogata et al., J. Electrochem. Soc., 2005, 152, C537.

Figure 1. IPCEs for Fe2O3 electrodes in an oxygen-saturated phosphate buffer (pH 7) with (■) and without (□) 8 μM of BOD. Broken line; Absorption spectrum of Fe2O3 electrode.

Figure 2. Schematic illustration of photo-induced 4-electron oxygen reduction reaction at Fe2O3 with BOD.

Figure 3. j vs. U curves for Cu(II)-grafted FTO electrodes in 0.1 M Na2SO4 solution saturated with O2 (curve 1) and Ar (curve 2). Curve 3 represents j vs. U curve for bare FTO electrode in a O2-purged solution. (pH 7)

Figure 4. j vs. U curves for Fe/N-graphene (curve 1), Fe-graphene (curve 2), and N-graphene (curve 3) in 0.5 M H2SO4 saturated with O2. (pH 0.33)

Figure 5. The active reaction centers of Fe/N-graphene with short- (left) and long- (right) duration heat treatment.

Figure 6. Spontaneous oscillation of the open circuit potential for Cu-deposited p-Si obtained in 40 mM HF saturated with O2.

審査要旨 要旨を表示する

本論文において、学位請求者(神谷和秀)は自然界に豊富に存在する元素(ユビキタス元素)のみから成る多電子酸素還元触媒の合成と、それを用いた新規反応系の構築を目的とする研究を行った。本論文は以下の6章から構成されている。

第1章では、研究の背景、目的、及び概要が論じられており、その中で多電子移動反応に関して、自然界における役割やエネルギーの有効利用に対して重要な概念であることに言及されている。また酸素還元反応がエネルギーや環境問題の解決に向けた重要な反応の一つであることについても述べており、本論文の研究の意義づけが明確にされている。

第2章では、単離された4電子酸素還元酵素であるマルチ銅酵素を酸化鉄半導体上に担持することで、可視光照射下で酸化鉄のバンド間励起された電子が酵素に移動し、多電子酸素還元反応が進行することが見出された。一方、酸化鉄の伝導帯の下端は1電子酸素還元電位より正であるため、マルチ銅酵素なしでは酸素還元反応は進行しない。つまり、マルチ銅酵素による多電子反応によって酸素還元に必要となるエネルギーを低減させることで、より長波長の光によって光誘起酸素還元反応を駆動させることに成功している。

第3章では、マルチ銅酵素の活性中心を模した全無機材料である銅ナノクラスターが多電子酸素還元能を有することが示された。また、この銅ナノクラスターを酸化チタン上に担持することで可視光光触媒活性を示すことが見出された。この時の光触媒活性は量子効率で8%となり、既存の代表的な可視光応答型光触媒である窒素ドープ酸化チタンの2倍以上の高いものであった。この銅ナノクラスター担持酸化チタン光触媒の反応メカニズムに関しては、放射光および紫外可視吸収スペクトルのその場解析によって価電子帯と銅ナノクラスター間の直接的電荷移動(界面電荷移動)と、それに続く多電子酸素還元反応が共に進行していることが明らかにされた。

第4章では、鉄ポルフィリンや鉄フタロシアニンが窒素配位した鉄を活性中心として4電子酸素還元活性を示すこと着目し、鉄-窒素配位構造を安定性の高い無機材料に導入することで燃料電池のカソード触媒が開発されている。具体的には、出発原料として炭素構造が既存であるグラフェンを利用するとともに、極短時間の熱処理のみでドーピングを行うことで、熱によって前駆体の鉄-窒素配位結合が切断されるのが抑制されている。この方法によって合成された触媒は十分な炭素構造と鉄-窒素配位構造の高濃度でのドープといった2つの構造的特徴を両立していることが明らかにされた。つまり分子触媒のもつ高い多電子性と炭素材料のもつ高い安定性や伝導率を合わせ持った触媒となっており、実際に850 mV vs RHEから4電子酸素還元反応を安定的に進行させることが示された。この触媒の酸素還元過電圧は報告されている貴金属を用いないグラフェンベース酸素還元触媒のなかで最も小さな値であった。

第5章では多くの生物が呼吸鎖で酸素を4電子的に還元することで得た生体エネルギーを用いて高効率に自己修復や自己増殖反応を駆動していることから着想を得て、多電子酸素還元反応由来のエネルギーにより駆動する動的自己組織化反応系が構築された。具体的には多電子酸素還元触媒として銅ナノ粒子が担持されたp型シリコンを、酸素の飽和したフッ酸溶液中に浸漬すると開回路電位が自発的に振動することが見出された。これはシリコンの酸化反応と酸素の多電子還元反応の電位差に起因するエネルギーによって、シリコンの酸化溶解に伴う正のフィードバック機構を駆動し、動的自己組織化反応であるリミットサイクル振動が誘起されたことを意味している。本系は生物と同様に流入してくるエネルギーを用いてエントロピーを系外に排出する非平衡開放系であるため、エントロピーを系内に蓄積しないといった観点から持続可能な自己修復材料のミニマムモデルとなると考えられる。つまり、正のフィードバック機構を有する分子設計と多電子移動反応を組み合わせることで、多電子移動反応由来のエネルギーを用いて自己修復反応を駆動させるといった設計指針が示された。また、正のフィードバック機構を有する分子反応系の一例となるチオシアン酸銅の電析反応に伴う電気化学振動反応についても報告されている。

第6章では本研究の総括、及び、今後の展望が論じられている。

このように、本論分においてはユビキタス元素のみを用いた多電子移動触媒の創成が、高効率なエネルギー変換を持続可能な系として実現する上で本質的であることを示しており、これはエネルギーや環境問題の解決への重要な指針の一つになると期待される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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