学位論文要旨



No 129200
著者(漢字) 眞鍋,諒太朗
著者(英字)
著者(カナ) マナベ,リョウタロウ
標題(和) ウナギの産卵回遊行動に関する生理生態学的研究
標題(洋)
報告番号 129200
報告番号 甲29200
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3905号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 木村,伸吾
 東京大学 准教授 山川,卓
 北海道大学 教授 上田,宏
内容要旨 要旨を表示する

回遊とは繁殖と成長の場を結ぶ移動であり,魚類の生態を考える上で最重要の生活史イベントのひとつといえる.ニホンウナギの産卵場は西マリアナ海嶺の南端部にあることが明らかとなったが,成育場の東アジアからこの産卵場に至る産卵親魚の回遊行動については未だ謎に包まれている.本研究ではまず,スタミナトンネルを用いてニホンウナギの産卵回遊開始時の遊泳能力を実験的に測定した. また, 行動実験から回遊と産卵集団形成における嗅覚の役割を検討した.さらに,電波発信機付ロガー(ポップアップタグ)を用いて,ニホンウナギの実際の回遊行動と経路の解明を試みた.最後に, これらの結果と熱帯ウナギについて得られた追跡結果を比較検討した.以上を総合し,ウナギの産卵回遊行動を包括的に理解することを目的とした.

1. 遊泳能力

ニホンウナギにおける産卵回遊開始前後の遊泳能力を明らかにするため,Blazka型スタミナトンネルを用いて,ウナギの安静時と遊泳時の酸素消費量(それぞれMO2rest,MO2: mg/kg/h)を異なる銀化段階,水温,塩分において測定した.これより輸送コスト(COT: mg/kg/km)と最適遊泳速度(Uopt: BL/s)を求め,臨界遊泳速度(Ucrit: BL/s)を記録した.利根川水系で採集した銀化インデックスY1とY2の黄ウナギ(それぞれ,5個体,全長53.4-58.9 cmと12個体,62.7-81.0 cm)およびS1の銀ウナギ(8個体,73.2-93.0 cm)を水温18 ℃と25 ℃の淡水および18 ℃の海水中で遊泳させたところ,すべてのグループで遊泳速度が上がるとMO2が上昇する傾向がみられた.黄ウナギのMO2rest,Ucrit,Uoptを18 ℃と25 ℃で比較して水温の影響をみたところ,Y2のUcrit以外いずれのグループでも有意差は認められなかった.COTは,Y1,Y2とも18 ℃より25 ℃で安静時に有意に高かったが,遊泳時には差が認められなかった.このことから,成長期の黄ウナギは,少なくとも18 ℃と25 ℃の水温差では,遊泳効率は水温による影響を受けないものと考えられた.一方,塩分の影響を見るため,水温18 ℃の海水と淡水中で行ったY2の遊泳実験では,遊泳時のCOT,Ucrit,Uoptには差はなかったが,MO2restと安静時のCOTは海水中で有意に高かった.これは海水中で浸透圧調節などの生理的適応に必要なエネルギーが上昇するためと推察された.次に,S1とY2の18 ℃海水中で遊泳能力を比較したが,いずれの指標においても有意差は認められなかった.以上より,銀ウナギへの変態は形態と生理など様々な変化が生じることが知られているが,少なくともS1までの変態過程においては,運動生理学的な変化とそれに伴う遊泳効率の上昇は起きないことが明らかになった.

2. 産卵回遊行動における嗅覚の役割

産卵回遊における経路決定と繁殖個体群の形成に嗅覚が果たす役割を明らかにするため,回遊中に経験すると想定される環境水に対するウナギの反応を行動実験により調べた.まず,日本沿岸域から産卵場に向かうニホンウナギが黒潮に遭遇することを想定し,2011年12月に浜名湖の定置網で採集された銀ウナギ計19個体(S1と S2,全長63.0–78.2 cm)を用いて,沿岸水(静岡県三保で採水)と黒潮水(2009年12月に遠州灘の水深5 mで採水)に対する反応を比較した.沿岸水で満たしたY字水槽下流部に銀ウナギを収容し,上流部の左右からそれぞれ沿岸水と黒潮水を注水し,左右水路における滞在時間と左右流入口に接触した回数を比較したところ,どちらの海水に対しても有意な選好性は認められなかった.

次に,産卵集団形成時に嗅覚の果たす役割を明らかにするため,底に隠れ家用パイプを設置した水槽(134×50×38 cm)にメス化ウナギ(8個体,全長72.3–80.2 cm)を収容し,パイプの前に設置した刺激ノズルから外洋水と,他個体を飼育した海水を流して反応を調べた.様々な成熟段階における反応の違いを見るため,サケ脳下垂体抽出液(SPE)を7回投与して催熟し,それぞれ投与前,1,4,7回目に実験した.ニホンウナギの産卵は西マリアナ海嶺上,北緯15 °付近で概ね東西方向に形成される塩分フロントの直南で起こることがわかっているので,実験に用いる外洋水として,この塩分フロントの北側と南側の海水,および実際にウナギ卵が採集された産卵地点の海水を使用した.他個体の飼育海水としては,養殖オスウナギ,メス化ウナギ,人工催熟したオス,人工催熟したメスの計4群それぞれを飼育した水を使用した.これに飼育原水の地下海水も加え,刺激海水に対する反応として観察される「頭上げ行動」の出現回数を記録した.その結果,外洋水の間では有意差は見られなかったが,成熟したメスの飼育水に対する反応は,SPE投与前,1回目,4回目において,他の飼育水および外洋水に比べ有意に高かった.以上より,ニホンウナギは産卵回遊の最終段階では塩分フロント南北の海水の匂いを識別しないが,産卵集団形成時には成熟したメス個体の匂いを利用している可能性が示された.

3. ニホンウナギの産卵回遊行動

沿岸域から産卵場へ至るウナギの産卵回遊経路と遊泳行動を明らかにするため,2007−2011年度に,ポップアップタグを装着した銀ウナギ計45個体(S1とS2,全長70.0−105.0 cm)を東シナ海・甑島沖(2007年度),種子島沖(2008年度),利根川河口沖・遠州灘(2009年度),利根川河口沖(2010年度),九十九里浜・愛知県恋路ヶ浜(2011年度)で放流した.ポップアップタグは,放流後7–150日の間に浮上するよう,切離し日をそれぞれ設定した.その結果,放流した45個体のうち32個体(71%)のタグデータを衛星経由で回収することに成功した.浮上したポップアップタグ32基のうち,30基(94%)は放流場所から東へ5−1120 km離れた地点で浮上したことから,放流個体は概ね西から東へ移動していることがわかり,産卵回遊の初期には黒潮を利用して回遊するものと考えられた.タグデータが時系列で入手できた2009年度以降に放流した24個体中10個体において明瞭な昼夜の日周鉛直移動が認められた.遊泳深度と経験水温データについてスペクトル解析を行った結果,深度,水温ともおよそ12時間と24時間の2つの周期性が認められた.すなわちニホンウナギは,昼間は水温4–10 ℃(平均6.7±2.5 ℃),水深400–1000 m(平均611.5±135.1 m)の層に滞在し,夜間になると浮上して,水温8–22 ℃(平均15.1±3.5 ℃),水深0–500 m(平均263.3±99.2 m)の層を回遊すると考えられた.これは,昼間は浅層に存在する視覚捕食者を回避し,捕食者の活動が停止する夜になると,水温がより高い浅層に浮上して生殖腺の成熟を進める適応的な行動と考えられた.

2011年11月28日に九十九里浜から放流した個体は最長69日間の追跡期間を記録し,直線移動距離は1120 kmであった.この個体の行動について詳しく解析した結果,放流直後の沿岸域では200 m未満の浅い深度を遊泳していたが,3日後から48日後までは,昼間は328–827 m,夜間は75–643 mの層の間で明瞭な日周鉛直移動を示すことがわかった.また夜間浮上時の水深には月周性が見られ,2度の満月時(12月10日と1月9日)には,それぞれ比較的深い水深(195 mと262 m)までしか浮上しなかったが,新月時(12月24日)には最浅の75 mまで浮上したことが明らかになった.これは親ウナギが産卵回遊中,夜間月あかりの影響を受けて浮上深度を調節していることを示している.一方,日周鉛直移動の水深幅は,394–665 m(平均506±53 m)とほぼ一定であった.

4. 熱帯ウナギの産卵回遊行動

熱帯ウナギの産卵回遊行動を明らかにするため,インドネシア・スラウェシ島のポソ湖で採集された銀ウナギAnguilla celebesensis 4個体(全長88.7–93.7 cm)とA. marmorata 1個体(106.5 cm)に,それぞれポップアップタグを装着してポソ川河口沖合から放流した.ポップアップタグは,放流後14−150日で浮上するように設定した.放流したすべてのタグデータを衛星経由で回収することに成功した.すべてのポップアップタグはトミニ湾内で浮上し,追跡期間は14−104日間であった.そのうち,A.celebesensis 2個体で明瞭な日周鉛直移動がみられた.遊泳深度と経験水温データについてスペクトル解析を行った結果,深度,水温ともおよそ12時間と24時間の2つの周期性が認められた.すなわち, A.celebesensisにおいてもニホンウナギ同様,昼間水温8–12 ℃(平均9.6±2.2 ℃),水深300–600 m(平均443.5±83.9 m)の層に滞在し,夜間になると浮上して,水温14–30 ℃(平均20.9±3.6 ℃),水深0–200 m(平均136.3±47.6 m)の層を回遊すると考えられた.これらはニホンウナギと同様の行動で,ウナギ属魚類に共通した特性であると考えられた.

以上本研究では,遊泳能力測定,嗅覚行動解析,ポップアップタグ放流など多方面からウナギの産卵回遊行動を検討し,これまでほとんど不明であったウナギの産卵回遊行動に関して多くの新知見を集積した.本研究で得られた産卵回遊中の生物学的知見と環境データは,基礎生物学の発展に貢献するだけでなく,ウナギの人工種苗生産技術の開発研究に大きく貢献するものと期待される.

審査要旨 要旨を表示する

ニホンウナギの産卵場は西マリアナ海嶺の南端部にあることが明らかとなったが,成育場の東アジアからこの産卵場に至る産卵親魚の回遊行動については未だ謎に包まれている.そこで本研究では,産卵回遊開始時の遊泳能力を実験的に測定し,行動生理実験から回遊と産卵集団形成における嗅覚の役割を検討することを目的とした.また,電波発信機付ロガー(ポップアップタグ)を用いて,ニホンウナギと熱帯ウナギの回遊経路と遊泳行動の解明を試み,以上を総合して,ウナギの産卵回遊行動を包括的に理解することを目指した.

第2章の「遊泳能力」では,ニホンウナギにおける産卵回遊開始前後の遊泳能力を明らかにするため,Blazka型スタミナトンネルを用いて,黄ウナギ(N=17 )と銀ウナギ(N=8)の安静時と遊泳時の酸素消費量,輸送コスト,最適遊泳速度,臨界遊泳速度を異なる銀化段階,水温,塩分において求めた.その結果,成長期の黄ウナギは,少なくとも18 ℃と25 ℃の水温差では,遊泳効率は水温による影響を受けないものと考えられた.一方,黄ウナギを水温18 ℃の海水と淡水中で実験した場合,安静時の酸素消費量は海水中で有意に高かった.これは海水中で浸透圧調節などの生理的適応に必要なエネルギーが上昇するためと推察された.さらに 黄ウナギと銀ウナギを18 ℃海水中で遊泳能力を比較した結果,それぞれのパラメータにおいて差はなく,少なくとも銀化前期までの段階においては,運動生理学的な変化とそれに伴う遊泳効率の上昇は起きないことが明らかになった.第3章の「産卵回遊における嗅覚の役割」では,回遊中に経験すると想定される環境水に対するウナギの反応を調べるため,まず, 2011年12月に浜名湖の定置網で採集された銀ウナギ(N=19)を用いて,Y字水槽内で沿岸水と黒潮水に対する反応を比較した.その結果,どちらの海水に対しても有意な選好性は認められなかった.また,自作した行動実験用水槽を用いて,産卵場周辺海水と他個体の飼育水に対する様々な成熟段階のメス化養殖ウナギ(N=9)の反応をみたところ,本実験では産卵回遊の最終段階で塩分フロント南北の海水の匂いの違いを検出できなかったが,産卵集団形成時には成熟したメス個体の匂いを利用している可能性が示された.第4章の「ニホンウナギの産卵回遊行動」では,沿岸域から産卵場へ至るウナギの産卵回遊経路と経験する環境を明らかにするため,2008−2011年に,ポップアップタグを装着した銀ウナギ(N=45)を東シナ海・甑島沖(2008年1月),種子島沖(2008年11月),利根川河口沖・遠州灘(2009年12月),利根川河口沖(2010年12月),九十九里浜・愛知県恋路ヶ浜(2011年11,12月)で計5回放流した.その結果,放流した45個体のうち32個体(71%)のタグデータを衛星経由で回収することに成功した.浮上位置が得られたポップアップタグ29基のうち,26基(90%)は放流場所から東へ2−1409 km離れた地点で浮上したことから,放流個体は概ね西から東へ移動していることがわかり,産卵回遊の初期には黒潮を利用して回遊するものと考えられた.タグデータが時系列で入手できた2009年以降に放流した24個体中10個体において明瞭な昼夜の日周鉛直移動が認められた.すなわちニホンウナギは,昼間は水温4–10 ℃(平均6.7±2.5 ℃),水深400–1000 m(平均611.5±135.1 m)の層に滞在し,夜間になると浮上して,水温8–22 ℃(平均15.1±3.5 ℃),水深0–500 m(平均263.3±99.2 m)の層を回遊すると考えられた.これは,昼間は浅層に存在する視覚捕食者を回避し,捕食者の活動が停止する夜になると,水温がより高い浅層に浮上して生殖腺の成熟を進める適応的な行動と考えられた. 第5章の「熱帯ウナギの産卵回遊行動」では熱帯ウナギの産卵回遊行動を明らかにするため,インドネシア・スラウェシ島のポソ湖で採集されたAnguilla celebesensis 銀ウナギ(N=4)とA. marmorata銀ウナギ(N=1)に,それぞれポップアップタグを装着してポソ川河口沖合から放流した.すべてのポップアップタグはトミニ湾内で浮上した.そのうち,A.celebesensis 2個体で明瞭な日周鉛直移動がみられた.すなわち, A.celebesensisにおいてもニホンウナギ同様,昼間水温8–12 ℃(平均9.6±2.2 ℃),水深300–600 m(平均443.5±83.9 m)の深い層に滞在し,夜間になると浮上して,水温14–30 ℃(平均20.9±3.6 ℃),水深0–200 m(平均136.3±47.6 m)の浅い層を回遊すると考えられた.これはウナギ属魚類に共通した特性であると考えられた.

以上本研究は,遊泳能力測定,嗅覚行動解析,ポップアップタグ放流など多方面からウナギの産卵回遊行動を検討し,これまでほとんど不明であったウナギの産卵回遊に関して多くの新知見を集積したものである.さらに,本研究で得られた産卵回遊中の生物学的知見と環境データはウナギの人工種苗生産技術の開発研究に大きく貢献するものと期待される.よって本研究は, 学術上応用上価値が高いと判断されたので,審査委員一同は本論文が博士 (農学) の学位論文にふさわしいものと認めた.

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