学位論文要旨



No 129202
著者(漢字) 今榮,康文
著者(英字)
著者(カナ) イマエ,ヤスフミ
標題(和) カイメン由来のがん関連酵素阻害物質に関する研究
標題(洋) Studies on inhibitors of tumor-associated enzymes from marine sponges
報告番号 129202
報告番号 甲29202
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3907号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 教授 潮,秀樹
 東京大学 教授 浅川,修一
 東京大学 准教授 作田,庄平
 東京大学 准教授 岡田,茂
内容要旨 要旨を表示する

がんは先進国における主要な死亡原因のひとつであり、有効な抗がん剤の開発が常に求められている。現在臨床で用いられている抗がん剤の半数以上は、動植物や微生物の産生する二次代謝産物(天然物)またはその誘導体であり、近年では、海洋生物由来の天然物またはその誘導体が抗がん剤として認可されるケースが出てきた。それら天然物由来の抗がん剤の多くは、がん細胞に対する細胞毒性を指標に見いだされた。細胞毒性物質の多くは選択性に乏しく、正常細胞にも作用して副作用を引き起こすため、近年の抗がん剤開発の動向は、分子標的治療薬の開発にシフトしてきている。分子標的治療薬はがん細胞に特有の分子をターゲットとするため、正常細胞への影響が少なく、細胞毒性に基づく従来の薬剤と比べて副作用が少ないと考えられている。そこで、ユニークな化学構造を持つ二次代謝産物を豊富に含むことで知られるカイメンを用いて、新しい分子標的治療薬のリード化合物の探索を行なった。分子標的には、がん浸潤と転移に寄与するカテプシンBと、がん細胞において過剰発現していることが知られているヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)を選択した。本研究の結果、新規カテプシンB阻害物質として2つの化合物を、新規HDAC阻害物質として4つの化合物を単離し、その構造を決定した。また、カテプシンB阻害物質探索の過程で新規リポペプチドを単離し、構造決定を行なうとともに、2つの異なる絶対配置が提唱されていたその類縁化合物の構造の精査を行なった。

1.大島新曽根産カイメンJaspis sp.からのjasisoquinoline AとBの単離と構造決定

大島新曽根にて採集されたカイメンJaspis sp.の粗抽出物が、カテプシンB阻害活性スクリーニングにおいて強い活性を示した。その活性を指標として精製を行なったところ、新規イソキノリン化合物jasisoquinoline A (1)とB (2)および、既知化合物のschulzeine A (3)とB (4)を活性化合物として単離した。

NMRデータを解析した結果、化合物1はイソキノリン、5-(2-アミノエチル)レゾルシノール、硫酸エステル基とメチル基で置換されたアルキル鎖で構成されていることがわかった。アルキル鎖上の置換基の位置はイソキノリン部位から遠く、NMRデータでは特定できなかったため、1の化学分解により生成した6の分子量を求めることで決定した。

メチル基で置換された不斉炭素の絶対配置は、1の分解で得られた7の(R)-MTPAエステル誘導体8のメチンプロトンシグナルの分裂様式から決定した。1Hおよび13C NMRのケミカルシフト値の比較から、1と3のアルキル鎖上の不斉炭素の相対配置が同一であることが示唆されたため、8の絶対配置と合わせて1のアルキル鎖上の不斉炭素の絶対配置を決定できた。イソキノリン骨格中の四級炭素の絶対配置はCDスペクトルの解析により推定した。

化合物2のNMRスペクトルは、二級メチルのシグナルが見られないことを除いて1のものと一致していた。したがって、2は1のデスメチル体であると決定した。

化合物1と2のカテプシンB阻害活性(IC50)はともに10 μg/mLであった。また、化合物3と4はそれぞれ5.0 μg/mLと12 μg/mLのIC50値を示した。化合物5(化合物1の加水分解物)がカテプシンB阻害活性を示さなかったことから、硫酸エステル基が活性発現に必須であることが示唆された。

2.大島新曽根産カイメンStelletta sp.からのciliatamide D (9)の単離と構造決定およびciliatamide A (10)の構造の精査

大島新曽根産カイメンStelletta sp.の粗抽出物が強いカテプシンB阻害活性を示したため、活性化合物の単離を試みた。精製の最中に、活性成分とは別に、新規リポペプチドciliatamide D (9) を単離した。NMRスペクトルの解析から、9は環化したリジン、メチオニンスルホキシドおよび、9-デセン酸で構成されたリポペプチドであり、スルホキシドのR/S異性と三級アミドのE/Z異性に由来する四つの異性体の混合物であることがわかった。また、9の加水分解物をMarfey分析に付し、9に含まれるアミノ酸はともにL型であることがわかった。

化合物9は、過去にカイメンAaptos ciliataから単離された抗リーシュマニア化合物ciliatamide A (10)とよく似た平面構造を有していた。10は当初、2つのL-アミノ酸によって構成される構造が提唱されていた。しかし後に、合成物との比旋光度の比較により鏡像異性体であるent-10が真の構造であると訂正された。9はL-アミノ酸で構成されている一方、ent-10はD-アミノ酸で構成されることから、ciliatamide Aの真の絶対配置に興味が持たれた。LC-MSを用いて、今回のStelletta sp.の粗抽出物に10が含まれることが判明したため、その単離を行なった。新たに単離された化合物のNMR、MSデータおよび比旋光度は、過去に報告された10のものとよく一致した。さらに、今回の化合物の加水分解物のMarfey分析から、10の構成アミノ酸がいずれもL型であることを示し、論争に終止符を打った。

3.屋久新曽根産未同定種カイメンからの新規HDAC阻害物質の単離と構造決定

屋久新曽根産未同定種カイメンの粗抽出物が顕著なHDAC阻害活性を示したため、活性化合物の単離を行なった。その結果、compound A (11)を含む4つの活性化合物を単離した。

NMRスペクトルの解析から、11は3つのアセトキシ基、硫酸エステル、および水酸基で置換された長鎖脂肪酸とO-メチルプロリンから構成されることがわかった。脂肪酸上の置換基の位置は、加水分解物のFAB-MSMSデータの解析により決定し、プロリンがL型であることはMarfey法により決定した。また、ケミカルシフト値をデータベースと比較することにより、トリアセテートの相対配置がanti-antiであることが判明した。現在、類縁化合物を含めて、全不斉炭素の絶対配置の決定を試みている。

化合物11は、HDACに対し、IC50値8.0 μg/mLの阻害活性を示した。

Jasisoquinoline A(1,R=Me)

Jasisoquinoline B(2,R=H)

Schulzeine A(3,R=Me)

Schulzeine A(4,R=H)

Ciliatamide D(9)

Ciliatamide A(10)

Compound A(11)

審査要旨 要旨を表示する

がんは先進国における主要な死亡原因のひとつであり、有効な抗がん剤の開発が常に求められている。現在臨床で用いられている抗がん剤の半数以上は、動植物や微生物の産生する二次代謝産物(天然物)またはその誘導体であり、近年では、海洋生物由来の天然物またはその誘導体が抗がん剤として認可されるケースが出てきた。それら天然物由来の抗がん剤の多くは、がん細胞に対する細胞毒性を指標に見いだされた。細胞毒性物質の多くは選択性に乏しく、正常細胞にも作用して副作用を引き起こすため、近年の抗がん剤開発の動向は、分子標的治療薬の開発にシフトしてきている。分子標的治療薬はがん細胞に特有の分子をターゲットとするため、正常細胞への影響が少なく、細胞毒性に基づく従来の薬剤と比べて副作用が少ないと考えられている。そこで、ユニークな化学構造を持つ二次代謝産物を豊富に含むことで知られるカイメンを用いて、新しい分子標的治療薬のリード化合物の探索を行なった。分子標的には、がん浸潤と転移に寄与するカテプシンBと、がん細胞において過剰発現していることが知られているヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)を選択した。本研究の結果、新規カテプシンB阻害物質として2つの化合物を、新規HDAC阻害物質として4つの化合物を単離し、その構造を決定した。また、カテプシンB阻害物質探索の過程で新規リポペプチドを単離し、構造決定を行なうとともに、2つの異なる絶対配置が提唱されていたその類縁化合物の構造の精査を行なった。

まず、大島新曽根にて採集されたカイメンJaspis sp.の粗抽出物が、カテプシンB阻害活性スクリーニングにおいて強い活性を示した。その活性を指標として精製を行なったところ、新規イソキノリン化合物jasisoquinoline A (1)とB (2)および、既知化合物のschulzeine A (3)とB (4)を活性化合物として単離した。NMRデータを解析した結果、化合物1はイソキノリン、5-(2-アミノエチル)レゾルシノール、硫酸エステル基とメチル基で置換されたアルキル鎖で構成されていることがわかった。アルキル鎖上の置換基の位置はイソキノリン部位から遠く、NMRデータでは特定できなかったため、化合物1の化学分解により生成した6の分子量を求めることで決定した。メチル基で置換された不斉炭素の絶対配置は、化合物1の分解で得られた化合物7の(R)-MTPAエステル誘導体8のメチンプロトンシグナルの分裂様式から決定した。1Hおよび13C NMRのケミカルシフト値の比較から、化合物1と3のアルキル鎖上の不斉炭素の相対配置が同一であることが示唆されたため、化合物8の絶対配置と合わせて化合物1のアルキル鎖上の不斉炭素の絶対配置を決定できた。イソキノリン骨格中の四級炭素の絶対配置はCDスペクトルの解析により推定した。化合物2のNMRスペクトルは、二級メチルのシグナルが見られないことを除いて化合物1のものと一致していた。したがって、化合物2は化合物1のデスメチル体であると決定した。化合物1と化合物2のカテプシンB阻害活性(IC50)はともに10 μg/mLであった。また、化合物3と化合物4はそれぞれ5.0 μg/mLと12 μg/mLのIC50値を示した。化合物5 (化合物1の加水分解物)がカテプシンB阻害活性を示さなかったことから、硫酸エステル基が活性発現に必須であることが示唆された。

ついで、大島新曽根産カイメンStelletta sp.の粗抽出物が強いカテプシンB阻害活性を示したため、活性化合物の単離を試みた。精製の最中に、活性成分とは別に、新規リポペプチドciliatamide D (9) を単離した。NMRスペクトルの解析から、化合物9は環化したリジン、メチオニンスルホキシドおよび、9-デセン酸で構成されたリポペプチドであり、スルホキシドのR/S異性と三級アミドのE/Z異性に由来する四つの異性体の混合物であることがわかった。また、化合物9の加水分解物をMarfey分析に付し、化合物9に含まれるアミノ酸はともにL型であることがわかった。化合物9は、過去にカイメンAaptos ciliataから単離された抗リーシュマニア化合物ciliatamide A (10)とよく似た平面構造を有していた。化合物10は当初、2つのL-アミノ酸によって構成される構造が提唱されていた。しかし後に、合成物との比旋光度の比較により鏡像異性体であるent-10が真の構造であると訂正された。化合物9はL-アミノ酸で構成されている一方、ent-10はD-アミノ酸で構成されることから、ciliatamide Aの真の絶対配置に興味が持たれた。LC-MSを用いて、今回のStelletta sp.の粗抽出物に化合物10が含まれることが判明したため、その単離を行なった。新たに単離された化合物のNMR、MSデータおよび比旋光度は、過去に報告された化合物10のものとよく一致した。さらに、今回の化合物の加水分解物のMarfey分析から、化合物10の構成アミノ酸がいずれもL型であることを示し、論争に終止符を打った。

さらに、屋久新曽根産未同定種カイメンの粗抽出物が顕著なHDAC阻害活性を示したため、活性化合物の単離を行なった。その結果、compound A (11)を含む4つの活性化合物を単離した。NMRスペクトルの解析から、化合物11は3つのアセトキシ基、硫酸エステル、および水酸基で置換された長鎖脂肪酸とO-メチルプロリンから構成されることがわかった。脂肪酸上の置換基の位置は、加水分解物のFAB-MSMSデータの解析により決定し、プロリンがL型であることはMarfey法により決定した。また、ケミカルシフト値をデータベースと比較することにより、トリアセテートの相対配置がanti-antiであることが判明した。現在、類縁化合物を含めて、全不斉炭素の絶対配置の決定を試みている。化合物11は、HDACに対し、IC(50)値8.0 μg/mLの阻害活性を示した。

以上、本研究は海洋生物の化合物資源としての有用性を実証する内容で、水産学ならびに天然物有機化学に資する所の多い研究である。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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