学位論文要旨



No 129380
著者(漢字) 絹巻,暁子
著者(英字)
著者(カナ) キヌマキ,アキコ
標題(和) 川崎病患児における細菌叢の経時的変動解析
標題(洋)
報告番号 129380
報告番号 甲29380
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4113号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩中,督
 東京大学 特任准教授 江頭,正人
 東京大学 講師 犬塚,亮
 東京大学 准教授 本田,賢也
 東京大学 講師 下澤,達雄
内容要旨 要旨を表示する

【序文】

川崎病は小児の急性発熱性疾患のひとつで、1967年に川崎富作博士によって初めて記述されて以来、全身性血管炎として疾患の概念が確立された。川崎病は冠動脈に拡張や瘤などの後遺症を残すことがあり、この後遺症を防ぐ目的で免疫グロブリン大量静注療法・アスピリン内服による治療を行うが、依然として治療抵抗性の一群があり5%前後に冠動脈後遺症を残すと報告されている。日本における年間患者発生率は5歳未満の小児10万人あたり239.6人と世界中で最も高く、患児の88.4%が生後6~11ヵ月の乳児に集中し、発生数に季節変動があることから、川崎病の発症には何らかの感染症が関連していると考えられているが、病因は未だ不明である。川崎病患児の血中よりグラム陰性菌細胞壁構成成分であるLipopolysaccharide(LPS)が有意に検出される、川崎病患児において抗酸菌由来のheat-shock protein(HSP)65に対する血清抗体価が上昇する、川崎病患児のT細胞レセプター(TCR)レパートリーがスーパー抗原特異的なレパートリーと類似しているなどの報告があり、既知病原体による感染症に川崎病が合併あるいは続発したという報告も散見される。さらに、川崎病血管炎の動物モデルの作製にはLactobacillusやCandida albicansの細胞壁成分やBacillus Calmette-Guerin(BCG)の接種が用いられ、これらにより川崎病に類似した血管炎や冠動脈病変が惹起される。こうした事象も川崎病の発症に感染症が関連している可能性を示唆している。

腸内フローラはヒト個体の有する巨大な生態系のひとつであるが、小児の腸内フローラは生後母乳や粉乳の哺乳、離乳、食餌、感染症や抗菌薬投与などの突発的事象などによる影響を受けながら形成される過程にある。川崎病患児の腸内フローラに関しては、川崎病急性期にLactobacillusが消失している、HSP60を産生するグラム陰性菌やTCRのVβ2遺伝子を強く発現させるグラム陽性菌が分離されたなどの報告があるが、いずれも培養法によるものである。腸内フローラを形成する微生物は便1 g中に1011個存在するとされるが、実際に培養可能なのは全体の20~30%程度である。全ての原核生物に普遍的に存在する16S-ribosomal DNA遺伝子を指標にすれば、培養の可否に関わらずフローラを形成する細菌の組成を把握することができる。一方、メタゲノム解析では培養という過程を経ずに、フローラ中の核酸を全て抽出して網羅的に調べることで、細菌だけでなくウイルスなど内在するあらゆる微生物群の組成を把握できる。メタゲノム解析は病原体不明の感染症において病原体を特定する上で有用であるほか、川崎病においてもリンパ節の生検組織のメタゲノム解析によりStreptococcus属を始めとする種々の細菌配列が演出され、病因不明疾患についても果たし得る役割が示されている。

本研究では、川崎病患児個々の腸内フローラが川崎病発症から回復に至る時系列でどのように変動しているのか、メタゲノム解析と16S-rDNAを指標とした解析を用いて検討した。

【方法】

川崎病患児8名よりそれぞれ急性期・回復期・遠隔期に便を、対照群6名より便を採取した。採取した試料から核酸を抽出し、抽出した核酸から直接作製したDNAライブラリ(メタゲノム解析用)と、抽出した核酸を用いて細菌16S-ribosomal DNAのV3領域を増幅してから作製したDNAライブラリ(16S-rDNAを指標とした解析用)をそれぞれ次世代シークエンサーIllumina Genome Analyzer IIxにより解読した。得られた配列からヒト配列に相同性のあるものは除外した。メタゲノム解析は残りの配列をnt-databaseに対して相同性検索を行い、16S-rDNAを指標とした解析は残りの配列をRibosomal Database Project Release 10をデータベースとして相同性検索を行った。得られた結果について、主成分分析・LEfSe(Linear discriminant analysis(LDA)effect size)法を用いて解析した。

【結果】

川崎病遠隔期や健常対照群の腸内はBifidobacteirum属を主体とする比較的類似した環境にあったが、川崎病急性期の腸内にはBifidobacterium属が少なく患児毎にそれぞれ異なる特徴的な様相を呈していた。また、川崎病急性期の腸内においてBifidobacterium属が減少する代わりに優勢となる生物属は患児により異なっており(Akkermansia、Parabacteroides、Mastadenovirus、Enterococcus、Bacteroides、Streptococcus、Escherichia)、全ての川崎病患児において急性期に共通して有意に検出される生物属はなかった。

また、一部の川崎病患児の便からはウイルス配列(ヒトアデノウイルス・WUポリオーマウイルス)が検出された。

【考察】

川崎病患児のフローラについて経時的に追跡した報告や、培養法によらずゲノムをターゲットとして解析した報告は過去になく、こうした視点からの解析は本研究が初めてである。従来の培養法では、一定量のサンプルから目的菌が何個単離されるかを調べるのが限界である。培養できる菌種が限られる点、他の細菌とフローラを形成して相互作用している状態から単離するのに完全な条件設定は非常に困難である点などから、フローラを忠実に反映しているとは言い難い。一方で、メタゲノムなどゲノムをターゲットした方法では、採取したサンプルを構成するフローラの組成を俯瞰的に捉えることが可能である。

川崎病急性期の腸内ではBifidobacterium属が減少し、患児毎に特異的なフローラを形成していた。Bifidobacterium属は健康状態の指標のひとつであり、新生児壊死性腸炎・炎症性腸疾患・大腸癌・生活習慣病などの腸内においてはBifidobacterium属が減少し健常なバランスが破綻したdysbiosisの状態に陥っており、プロバイオティクスやプレバイオティクスにより腸内フローラの改善を図ると疾患の予防や改善につながるとされる。また、Bifidobacterium属には腸管粘膜のバリア機能としての役割もあるとされ、腸内のBifidobacterium属の量と血中のLPS値には負の相関があると報告されている。川崎病患児の血中からLPSが有意に検出され、LPSの病態への関与を示唆する報告があるが、本研究の結果もこれらに矛盾しない。

本研究では、川崎病急性期における腸内フローラの状態を感染により腸管炎症を起こしている状態と比較する目的で、対照群には感染性胃腸炎の児を中心に選択した。他の発熱性疾患、炎症性腸疾患などを比較対照とすることで、今回得られた知見が川崎病に特異的な事象であるか、炎症状態においては一般的な事象であるかを検討する必要がある。また、川崎病急性期には短期間であれ抗菌薬の投与を受けることが多く、今回解析した患児も全て抗菌薬投与を受けている。抗菌薬未投与の川崎病患児でも同様の現象が起きているか、抗菌薬投与の有無による比較が必要である。こうした課題も含め、今後この知見を拡張するためにサンプル数を増やして検討する必要があるが、今回用いたメタゲノム解析のような方法ではなく、Bifidobacterium属に対するtarget PCRを用いたリアルタイムPCRなどの簡便かつ安価な方法で、サンプルのdysbiosisの程度や経時的な回復プロセスを十分に評価できると考える。また、川崎病急性期にプロバイオティクスを導入し腸内環境改善を図ることで予後に対してどのように寄与するか、といった臨床研究への展開も期待される。

Bifidobacterium属が減少する代わりに優勢となる生物属は患児により異なり、全ての患児で共通する特徴はなかった。中には、Streptococcus属が腸内細菌の7割を占める非常に特異な組成を呈する児がおり、スーパー抗原活性を有する細菌の川崎病への関与を示唆する過去の報告を支持し得る興味深い結果を得た。

一部川崎病患児の急性期の便サンプルからは、ヒトアデノウイルスやWUポリオーマウイルスが検出された。川崎病患児の便からアデノウイルスを検出したという報告は会議録1件のみであり、WUポリオーマウイルスは2007年以降に知られるようになった新規のウイルスで上気道から検出されることが多いが疾患との関連は未だ不明である。

過去には、既知の病原体による感染症に川崎病が合併あるいは続発したという報告が多い一方で、このように川崎病患児から偶発的に病原微生物を検出してもその後の比較対照試験において川崎病との因果関係が否定されるということが繰り返されている。本研究においても川崎病患児から検出される病原体は様々であり、どのような病原体であっても川崎病の病態に関連し得る可能性は否定できない。

また、今回の解析において予想外にウイルス配列も検出されたが、実態が不透明な川崎病のような疾患の全体像を俯瞰するという目的が果たされたと同時に、こうした疾患の研究においてメタゲノム解析の果たし得る可能性や有用性が示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は川崎病における腸内フローラの関与について明らかにするため、メタゲノム解析と16S-rDNAを指標とした解析を用いて、川崎病患児の腸内フローラの経時的な追跡を試みたもので、以下の結果を得ている。

1.メタゲノム解析において、川崎病遠隔期や健常対照群の腸内はBifidobacteirum属を主体とする比較的類似した環境にあったが、川崎病急性期の腸内ではBifidobacterium属が有意に減少していた。

2.川崎病急性期の腸内においてBifidobacterium属が減少する代わりに優勢となる生物属は患児により異なっており(Akkermansia、Parabacteroides、Mastadenovirus、Enterococcus、Bacteroides、Streptococcus、Escherichia)、全ての川崎病患児において急性期に共通して有意に検出される生物属はなかった。また、一部の川崎病患児の便からはウイルス配列(ヒトアデノウイルス・WUポリオーマウイルス)が検出された。

3.16S-rDNAを指標とした解析において、川崎病急性期の腸内にはStreptococcus属・Granulicatella属・Gemella属といった一般的には口腔咽頭に常在する菌群に分類される配列が有意に検出されることが判明した。

以上、本論文は川崎病患児の腸内フローラについてゲノムをターゲットとした解析を行い、川崎病急性期において腸内フローラがdysbiosisの状態にあることを示した。抗菌薬投与の影響についての検討や他疾患との比較、またプロバイオティクス導入が予後を改善させるかについての臨床研究など、今後の解析に展開し得る知見であり、学位の授与に値するものと考えられる。

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