学位論文要旨



No 129432
著者(漢字) 市川,裕樹
著者(英字)
著者(カナ) イチカワ,ユウキ
標題(和) 酵素活性を認識して選択的細胞死を導く機能性光増感剤の開発
標題(洋)
報告番号 129432
報告番号 甲29432
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1473号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 教授 金井,求
 東京大学 教授 内山,真伸
 東京大学 教授 船津,高志
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

光増感剤とは、光照射に伴い一重項酸素(1O2)などの活性酸素を生成し、周囲の環境に酸化ストレスを与える色素化合物のことである。光増感剤自体の細胞毒性は小さく、光照射の場所・タイミングを制御することによって自由に酸化ストレスの制御が可能であるという優れた特性を有しているため、がん細胞に取り込ませてレーザー照射によって治療を行う光線力学療法(PDT)や、細胞死を誘導してその機能を解析するcell ablationに応用されている。

しかしながら現状では、基礎生物学研究やがん療法として汎用されていないのが現状である。その大きな要因として、照射する光を標的部位のみに限局することが難しいために引き起こされる標的部位以外への非特異的な酸化ストレスが挙げられる。例えばPDTにおいては、病変部位以外に分布した光増感剤に対して太陽光等の治療目的以外の光が当たることにより、正常な組織で炎症が起きてしまう副作用が存在する。そこで私は本研究において、酵素反応によって活性化されることで初めて1O2生成能を獲得する機能性光増感剤を開発することにより、上記の問題点の克服を目指すこととした。即ち、標的の酵素を発現する細胞のみで選択的に活性化され、それ以外では光毒性を示さないactivatable光増感剤の論理的な設計法を確立し、その有用性を示すことを本研究の目的とした。

【本論】

(1) 1O2生成能の制御する光増感剤の分子設計

FluoresceinやRhodamineに代表されるxanthene系色素化合物は蛍光色素として広く認知されているが、xanthene環のO原子をSe原子に置換したSe-xanthene色素は重原子効果により蛍光性を失い、高い効率で1O2を生成する光増感剤として機能することが知られている(Figure 1a)。そこでこのSe-xanthene系光増感剤の1O2生成能の制御を目指し、既存のxanthene系色素の論理的な蛍光特性制御法を適用することで、目的とするactivatable光増感剤の分子設計が可能かどうかの検討を行った。

一般に光増感剤は、光子の吸収によって基底状態(S0)から励起状態(S1)に移行した後、項間交差の過程を経て励起三重項状態(T1)へと移行し、酸素分子にエネルギーを渡すことにより1O2を生成する。ここで私は、標的酵素との反応の前後で1O2生成能を効果的に変化させる原理として、増感剤の分子内spiro環化平衡を制御することにより、吸収スペクトルを大きく変化させることが有効であると考えた。即ち、酵素反応前は閉環構造をとりxantheneの共役鎖が分断されて可視光吸収を持たないためにS1への励起は起こらないが、酵素反応によって分子構造が変化することで開環構造が優先するようになり、可視光の吸収とそれに伴う1O2生成能が回復することを原理とする機能性増感剤の開発を目指した。本原理に基づき、cell ablationやPDTに応用できるactivatable光増感剤を開発することで、酵素反応前の不活性状態では光によるS1への励起自体が起こらないため1O2の生成は極めて小さく抑えられ、標的酵素を発現しない細胞や組織での非特異的な光毒性を抑えることができるものと期待した(Figure 1b)。

(2) 標的細胞特異的なcell ablation

神経系や発生の過程等、様々な細胞種が混在する複雑な系中において、標的の細胞のみを任意のタイミングで細胞死に導くcell ablationの技術は、その細胞の機能を解析する有用なツールとなる。光照射によって標的の細胞のみで毒性を発揮するactivatableな光増感剤は、cell ablation技術の理想的な条件を満たすものであり、本研究で私はレポーター酵素として汎用されるβ-galactosidaseを標的酵素として機能するactivatableな光増感剤として、上述したspiro環化平衡の制御に基づくSeRhodol galを開発した(Figure 2a)。SeRhodol galは分子設計通り、中性pH環境において閉環構造が優先され、可視光領域においてほぼ無吸収であるが、β-galactosidaseと反応して加水分解が起こるとSeRhodolへと変換され、本生成物は開環構造体として安定に存在し、xanthene環の共役鎖が繋がることにより可視光吸収を回復した(Figure 2b)。さらに、1O2由来の近赤外発光を測定することにより、光照射に伴う1O2生成能も回復することが明らかとなった(Figure 2c)。

β-galactosidaseを用いる大きな利点は、その遺伝子であるlacZ遺伝子が汎用されており、遺伝学的な手法と組み合わせて応用できる点である。例えば、ショウジョウバエにおいては特定の神経や体の部位においてのみ発現するプロモーターが多数知られており、lacZ遺伝子の発現部位を任意の部位に限局させることができる。そこでEngrailed領域でlacZを発現するショウジョウバエ幼虫のwing discにSeRhodol galをロードし、視野全体に光照射を行った所、Engrailed領域に限局された細胞死を導くことに成功した(Figure 2d)。以上のように、SeRhodol galの開発とその適用により、細胞種が混在する中でlacZ発現細胞選択的なcell ablationが達成された。

(3) がん細胞特異的なPDT

光増感剤の代表的な応用例としてPDTが挙げられる。PDTは光増感剤をがん組織に十分集積させた後、光照射を行なってがんを治療する治療法である。既に一部臨床でも用いられているが、前述のとおりがん部位以外における副作用が問題となっているため、activatableな光増感剤によってこの問題点の克服を目指した。

そのための標的としてグルタチオンの代謝酵素であり、卵巣がんや肺がんで過剰発現していることが知られるγ-グルタミルトランスペプチダーゼ(GGT)に着目した。これまでに当研究室では、GGT活性を検出する新規蛍光プローブを開発し、これをがんモデルマウス体内に投与することで、がん部位のみでプローブが活性化されて蛍光性となり、高感度かつ特異的な蛍光がんイメージングの達成に成功している。この知見を光増感剤へと応用し、GGT活性が高いがん部位のみでPDT能が回復し、正常部位では光毒性を示さないactivatable光増感剤として、GGTの基質となるSeRGluを開発した(Figure 3a)。Spiro環の開環・閉環による制御原理はSeRGluにおいても同様に機能し、GGT酵素反応によって可視光吸収と1O2生成能が回復することが明らかとなった(Figure 3b、3c)。SeRGluをGGT活性が高いSHIN3細胞、およびGGT活性を殆ど示さないSKOV3細胞に対してロードして光照射を行った所、SHIN3細胞のみで濃度依存的な細胞死が見られた(Figure 3d)。また、GGT阻害剤の添加によって顕著に抑制されることから、GGT活性が高い細胞を選択的に細胞死に導くことが示された。以上のようにSeRGluの開発により、GGT活性の高いがん細胞特異的なPDTが初めて達成された。

【結論】

私はxanthene系光増感剤のspiro環化平衡の制御により、1O2生成能を精密に制御する分子設計法を確立した。さらに本設計法に基づき、標的酵素を適切に選択したactivatable光増感剤を複数開発し、細胞種選択的なcell ablationおよびPDTが可能であることを示すことに成功した。本研究で確立された分子設計法は汎用性の高いものであり、今後さらに多くのactivatable光増感剤を開発することで、医学・生命科学研究に大いに貢献するものと期待している。

Figure 1. (a) Structures and properties of Rhodamine and SeRhodamine. (b) Design strategy of enzyme activatable photosensitizer based on large bathochromatic shift of the dye upon enzymatic reaction.

Figure 2. (a) Structure of SeRhodol gal and its enzymatic reaction. (b) Absorption spectra of SeRhodol gal and SeRhodol. (c) Emission of 1O2 upon irradiation at 532 nm. (d) Live/dead staining of cell ablation experiment with drosophila wing disc expressing lacZ in engrailed region (upper side). 10 μM of SeRhodol gal was loaded and followed with irradiation with 561 nm light. Scale bar represents 200 μm.

Figure 3. (a) Structure of SeRGlu and its enzymatic reaction. (b) Absorption spectra of SeRGlu and SeR. (c) Intensity of 1O2 luminescent upon irradiation at 532 nm. (d) PDT assay in live cells. SeRGlu was loaded to cultured cell lines and irradiated with light (510 – 560 nm, 50 mW/cm2, 60 sec) after 4 h incubation. The viability was measured by CCK-8 assay 1 day after PDT treatment.

審査要旨 要旨を表示する

市川裕樹は「酵素活性を認識して選択的細胞死を導く機能性光増感剤の開発」と題し、以下の研究を行った。

光増感剤とは、光照射に伴い一重項酸素(1O2)などの活性酸素を生成し、周囲の環境に酸化ストレスを与える色素化合物のことである。光増感剤自体の細胞毒性は小さく、光照射の場所・タイミングを制御することによって自由に酸化ストレスの制御が可能であるという優れた特性を有しているため、がん細胞に取り込ませてレーザー照射によって治療を行う光線力学療法(PDT)や、細胞死を誘導してその機能を解析するcellablationに応用されている。しかしながら現状では、基礎生物学研究やがん治療の現場において必ずしも汎用されていない。その大きな要因として、照射する光を標的部位のみに限局することが難しいために引き起こされる標的部位以外への非特異的な酸化ストレスが挙げられる。例えばPDTにおいては、病変部位以外に分布した光増感剤に対して太陽光等の治療目的以外の光が当たることにより正常な組織で炎症が起きてしまう副作用が存在する。市川はこの問題点を克服すべく、酵素反応によって活性化されることで初めて1O2生成能を獲得する光増感剤の開発を行った。具体的には、以下の項目で述べるように、標的の酵素を発現する細胞のみで選択的に活性化され、それ以外では光毒性を示さないactivatable光増感剤の論理的な設計法を新たに確立すると共に、生物を使った実験でその有用性を示すことに成功した。

1.1O2生成能の制御する光増感剤の分子設計

Fluoresceinやrhodamineに代表されるxanthene系色素化合物は蛍光色素として広く認知されているが、xanthene環のO原子をSe原子に置換したSe-xanthene色素は重原子効果により蛍光性を失い、高い効率で1O2を生成する光増感剤として機能することが近年の研究の結果明らかとなっている。そこで市川は、このSe-xanthene系光増感剤の1O2生成能の制御を目指し、既存のxanthene系色素に対する論理的な蛍光特性制御法を適用することで目的とするactivatable光増感剤の分子設計が可能かどうかの検討を行った。一般に光増感剤は、光子の吸収によって基底状態(So)から励起一重項状態(S1)に移行した後、項間交差の過程を経て励起三重項状態(T1)へと移行し、酸素分子にエネルギーを渡すことにより1O2を生成する。市川は、標的酵素との反応の前後で光増感剤の1O2生成能を効果的に変化させるためには、増感剤の分子内spiro環化平衡を制御することによりその吸収スペクトルを大きく変化させることが有効であると考えた。即ち、酵素反応前は閉環構造をとりxantheneの共役鎖が分断されて可視光吸収を持たないためにS1への励起は起こらないが、酵素反応によって分子構造が変化することで開環構造が優先するようになり、可視光の吸収とそれに伴う1O2生成能が回復することを原理とする機能性増感剤の開発を着想した。まずはこの作業仮説に基づき、Se-xanthene系光増感剤の9位炭素に導入した芳香環のオルト位に、求核性を持つhydroxymethyl基を有する化合物を設計・合成してその光学特性を検討した。この位置にhydroxymethyl基を有するxanthene系蛍光色素は、pHに応じて開環・閉環平衡が変化することが知られている。検討の結果、Se-xanthene系光増感剤においても同様に、塩基性条件下では閉環構造が優先して可視光吸収および1O2生成能を持たない一方で、酸性~中性では開環構造が優先するため可視光吸収および1O2生成能を有することが明らかとなった。更に、これも蛍光色素の場合と同様に、xanthene環6位のamino基もしくはhydroxy基の修飾によって中性付近における優先構造が変化することも明らかとなった。以上の研究により上述の分子設計が機能することが分かったため、続いて具体的な標的酵素に対するactivatable光増感剤の開発と生物応用を行った。

2.標的細胞特異的なcell ablation

神経系や発生の過程等、様々な細胞種が混在する複雑な系中において、標的の細胞のみを任意のタイミングで細胞死に導くcell ablationの技術は、その細胞の機能を解析する有用なツールとなる。光照射によって標的の細胞のみで毒性を発揮するactivatableな光増感剤はcell ablation技術の理想的な条件を満たすものと考え、市川はレポーター酵素として汎用されるβ-galactosidaseを標的酵素として機能するactivatableな光増感剤として、上述したspiro環化平衡の制御に基づくSeRhodol galを開発した。SeRhodol galは分子設計通り、中性pH環境において閉環構造が優先され可視光領域においてほぼ無吸収であったが、β-galactosidaseと反応して加水分解が起こることでSeRhodolへと変換された。生成物SeRhodo1は中性pH環境においては開環構造体として安定に存在し、xanthene環の共役鎖が繋がることにより可視光吸収を回復した。さらに、102由来の近赤外発光を測定することにより、光照射に伴う102生成能も酵素反応によって回復することが明らかとなった。β-galactosidaseを用いる大きな利点は、その遺伝子であるlacZ遺伝子が汎用されており、遺伝学的な手法と組み合わせて応用できる点である。例えば、ショウジョウバエにおいては特定の神経や体の部位においてのみ発現するプロモーターが多数知られており、lacZ遺伝子の発現部位を任意の部位に限局させることができる。そこでengrailed領域と呼ばれる羽の一部分のみでlacZを発現するショウジョウバエ幼虫のwing discにSeRhodol galをロードし、視野全体に光照射を行った所、engrailed領域に限局された細胞死を導くことに成功した。即ち、SeRhodol galの開発とその適用により、細胞種が混在する中でlacZ発現細胞選択的なcell ablationを達成した。

3.がん細胞特異的なPDT

光増感剤の代表的な応用例としてPDTが挙げられる。PDTは光増感剤をがん組織に十分集積させた後、光照射を行なってがんを治療する治療法である。既に一部臨床でも用いられているが、前述のとおりがん部位以外における副作用が問題となっているため、市川はactivatableな光増感剤によってこの間題点の克服を目指した。具体的な標的酵素としては、グルタチオンの代謝酵素であり、卵巣がんや肺がんで過剰発現していることが知られるγ-グルタミルトランスペプチダーゼ(GGT)に着目した。最近の先行研究の結果、GGT活性を検出する新規蛍光プローブを開発しこれをがんモデルマウス体内に投与することで、がん部位のみでプローブが活性化されて蛍光性となり、高感度かつ特異的な蛍光がんイメージングが達成できることが示されている。本研究において市川はこの知見を光増感剤へと応用し、GGT活性が高いがん部位のみでPDT能が回復し、正常部位では光毒性を示さないactivatable光増感剤として、GGTの基質となるSeRGluを開発した。Spiro環の開環・閉環による制御原理はSeRGIuにおいても2.と同様に機能し、GGT酵素反応によってSeRhodamineが生成することで可視光吸収と102生成能が回復することが明らかとなった。続いてSeRGIuをGGT活性が高いSHIN3細胞、およびGGT活性を殆ど示さないSKOV3細胞に対してロードして光照射を行ったところ、SHIN3細胞のみで濃度依存的な細胞死が見られた。また、GGT阻害剤の添加によって細胞死が顕著に抑制されることから、GGT活性が高い細胞を選択的に細胞死に導くことが示された。以上のようにSeRGIuの開発により、GGT活性の高いがん細胞特異的なPDTを初めて達成した。

つまり市川は、xallthene系光増感剤のspiro環化平衡の制御により102生成能を精密に制御する分子設計法を確立した。さらに本設計法に基づき、標的酵素を適切に選択したactivatable光増感剤を複数開発し、細胞種選択的なcell ablationおよびPDTが可能であることを示すことに成功した。

以上の業績は疾患の機能解明や治療に関する薬学研究の進歩に大きく貢献するものであり、博士(薬学)の授与にふさわしいものと判断した。

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