学位論文要旨



No 129470
著者(漢字) 服部,一輝
著者(英字)
著者(カナ) ハットリ,カズキ
標題(和) 褐色脂肪細胞の成熟におけるASK1の新規機能解析
標題(洋)
報告番号 129470
報告番号 甲29470
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1511号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 准教授 有田,誠
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

通常我々の体は,細胞および個体レベルでの代謝恒常性が保たれた状態にあるが,ひとたびこのバランスが崩されると様々な問題が生じる.その一つの例が「肥満」である.肥満は,個体のエネルギー摂取と消費のバランスが崩れた病態であると捉えることができ,2型糖尿病やアテローム性動脈硬化を始めとする様々な疾患に寄与していることが示唆されている.さらには,脳梗塞や心筋梗塞などを介して,時には人を死にさえ導く重篤な疾患である.我が国においても全人口の2割から3割もの人々が「肥満者」であると言われている現状でありながら,肥満が引き起こされる詳細な分子メカニズムに関しては不明な部分が多く,特定の分子をターゲットとした抗肥満薬開発も遅れていると言わざるを得ない.

抗肥満薬の一つの標的である脂肪組織は2種類に大別されるといわれ,白色脂肪組織が「エネルギー貯蔵」を主な目的とする器官であるのに対し,褐色脂肪組織はむしろ「エネルギー消費」を担う器官であると考えられている.褐色脂肪細胞は,クリステが発達したミトコンドリアを豊富に持ち,Ucp1という脱共役タンパクを介した熱産生を盛んに行なっている.近年,活性のある褐色脂肪組織が成人において存在することが証明され,その活性と体脂肪率が逆相関することが報告された.これらの事実より,褐色脂肪組織における体熱産生系の働きを促すことによって,エネルギー消費を亢進させ,抗肥満効果を期待する治療戦略に注目が集まっている.

これまでの報告から,脂肪分化や脂質代謝などといった代謝系経路においてp38やJNKなどのストレス応答性キナーゼの関与が示唆されているが,これらの分子の活性制御のために上流でどのようなシグナル伝達が行われているかに関しては未知な点が多い.p38およびJNKは,3段階により構成されるストレス応答性Mitogen-Activated Protein Kinase(MAPK)経路の最下流に位置する分子であり,その上流にはMAPK Kinase Kinase(MAPKKK)およびMAPK Kinase(MAPKK)の存在が知られている.

MAPKKKの一つであるASK1は,ヒトの脂肪組織において発現が確認されており,「代謝」という観点においてはインスリン抵抗性などとの関わりが示唆されているものの,それらの分子基盤を含め,代謝系経路における詳細な機能に関しては全く解析がなされていない.そこで,脂肪組織を含む「代謝」に深く関わる組織におけるASK1の役割に注目することとした.また,当研究室におけるこれまでの知見から,ASKファミリーを構成するASK1,ASK2,ASK3は互いに相互作用し合い,協同的に機能を発揮する場面が存在することが示唆されている.このような背景に基づき,「代謝」に関わるシグナル伝達経路におけるASKファミリー分子の機能解明を本研究の目標とした.

【方法,結果】

1.ASK1欠損マウスの褐色脂肪組織において体熱産生に関わる遺伝子の発現量が低下している.

まず我々は,ASKファミリー分子の遺伝子発現に対する寄与を検討すべく,それぞれの欠損マウスの褐色脂肪組織,白色脂肪組織,肝臓を用いてDNAマイクロアレイ解析を行った.それらの結果の中で,ASK1欠損マウスの褐色脂肪組織において,PgclaやDio2などといった複数の体熱産生系遺伝子の発現量が低下していることに注目した.

2.ASK1欠損マウスの褐色脂肪組織においてUcp1の発現量が低下している.

マウスの褐色脂肪組織においては,Ucp1という分子がミトコンドリア内膜の内外に形成されるプロトン勾配を失わせてしまうことにより,熱産生をもたらすことが知られている.また,本研究のDNAマイクロアレイ解析において発現量が低下していたDio2などの因子がUcp1の発現を誘導することが知られていた.そこで,ASK1欠損マウスの褐色脂肪組織におけるUcp1の発現量を定量したところ,mRNAおよびタンパクレベルにおいて発現量が低下していることが明らかとなった(Fig.1).

3.ASK1欠損マウス由来の初代培養褐色脂肪細胞において分化依存的なUcp1の発現誘導が抑制される.

個体レベルで確認されたUcp1発現レベルの低下が単離細胞系においても再現できるか,初代培養細胞を用いて検討を行った.新生児の褐色脂肪組織より未分化細胞を採取し,in vitro分化誘導系にて褐色脂肪細胞へ分化させた後,Ucp1の発現量をウエスタンブロット法により検出した.その結果,ASK1欠損マウス由来の初代培養褐色脂肪細胞においてUcp1の発現量が低下していることを確認した.

4.ASK-38経路はアドレナリン性刺激によって活性化し,Ucp1の発現を誘導する.

過去の報告より,褐色脂肪細胞において,βアドレナリン性刺激によってPKA経路が活性化され,Ucp1の発現が誘導されることが明らかとなっている.そこで,脂肪細胞などに特異的に発現が認められるβ3アドレナリン受容体の特異的アゴニストであるCL316,243を分化誘導途中の未成熟な初代培養褐色脂肪細胞に処置したところ,ASK1-p38経路の顕著な活性化とUcp1の発現誘導が確認された.さらには,CL316,243処置依存的なp38の活性化(Fig.2A)およびUcp1の発現誘導(Fig.2B)は,ASK1欠損マウス由来の細胞において抑制されることが明らかとなった.また,PKA阻害剤であるH89の処置によってCL316,243依存的なASK-p38経路の活性化が抑制されることも確認された.これらの結果より,分化過程の褐色脂肪細胞において,PKA-ASK1-p38経路が活性化された結果,Ucp1の発現誘導を導くことが示唆された.

5.PKAの触媒サブユニットはASK1と結合しASK1の活性化を導く.

PKAとASK1の関係性をより詳細に解析すべく,HEK293A細胞にPKAの触媒サブユニット(PKACAおよびPKACB)とASK1を共発現するとASK1の活性化に必須なリン酸化部位のリン酸化レベルを上昇させた(Fig.3A).この効果はキナーゼ不活性化型PKAとの共発現によっては見られなかった.また,過剰発現したPKA触媒サブユニットと内在性ASK1との結合も確認された(Fig.3B).

6.ASK1欠損マウスは低温刺激に対して脆弱である.

最後に,体熱産生に対するASK1の関与を個体レベルで検討すべく,ASK1欠損マウスを用いた検討を行った.その結果,飢餓条件下において低温刺激(4℃)を負荷すると,野生型マウスがある程度体温を保持するのに対して,ASK1欠損マウスは顕著に体温を低下させることが明らかとなった(Fig.4).なお,ASK1欠損マウスの糖質および脂質の体内蓄積量に関しては,通常飼育条件下,および飢餓条件下いずれにおいても野生型との差異は確認されなかった.そのため,エネルギー貯蔵能の差異がASK1欠損マウスにおける低温刺激脆弱性の原因ではないと考えられる.

7.ASK1欠損マウスの白色脂肪組織においてもUcp1の発現誘導が抑制されている.

最近,高脂肪食負荷などの刺激によって白色脂肪組織内にUcp1+な「褐色脂肪様細胞」が誘導されるという現象が注目を浴びている.その「褐色脂肪様細胞」は褐色脂肪細胞と同様にエネルギーを消費する機能を持っていると考えられている.野生型マウスにおいては高脂肪食負荷依存的にUcp1の発現量増加が観察されるが,ASK1欠損マウスにおいては顕著に抑制されていた(Fig.5A).さらに,高脂肪食負荷後の白色脂肪組織重量比の値はASK1欠損マウスにおいて有意に上昇していた(Fig.5B).これらの結果は,高脂肪食負荷依存的な「褐色脂肪様細胞」の誘導がASK1欠損マウスにおいて抑制されているが故に,「褐色脂肪様細胞」依存的なエネルギー消費が抑制され,脂肪組織重量が高くなってしまったものと考えられる.

【まとめ】

未成熟な褐色脂肪細胞内において,PKA-ASKI-p38シグナルが活性化されることによって,熱産生を担うUcp1の発現を誘導し,成熟した褐色脂肪細胞の形成が導かれることが本研究により明らかとなった.これまでの報告において,Ucp1の発現誘導に対してPKAおよびp38が関与していることは示唆されていたが,そのPKA経路とMAPK経路とのシグナル伝達経路のつながりを明らかにしたのは,本研究が初めてである.また,この経路依存的にUcp1発現陽性(Ucp1+)な成熟褐色脂肪細胞が作られることが,低温刺激に対抗して体温を維持することに寄与していることが示唆された(Fig.6).

冒頭に述べたように,活性のある褐色脂肪細胞の増加が抗肥満効果をもたらすという説に則ると,未成熟な褐色脂肪細胞内のASK1を活性化させることによってUcp1の発現を伴う褐色脂肪細胞の成熟化を促し,抗肥満効果がもたらされることが期待される.また,白色脂肪組織におけるUcp1+な細胞の誘導に対してもASK1が寄与していることを本研究において明らかとした(Fig.6).これらの結果から,褐色脂肪組織のみならず白色脂肪組織内のUcp1+な細胞の成熟に対しても類似したASK1経路が寄与している可能性があり,双方の脂肪組織においてASK1を活性化させることで相乗的な抗肥満効果をもたらす可能性があると考えている.これらの事実からも,ASK1が新たな抗肥満薬創出のための重要なターゲットになることを期待している.

Fig.1 野生型およびASK1欠損マウスの褐色脂肪組織におけるUcpl mRNA発現量(A)およびタンパク発現量(B)

Fig.2 CL316,243(β3作動薬)処置依存的なASK-p38経路の活性化(A)およびUcp1の発現誘導(B)

Fig.3 PKAによるAsK1の活性化(A)およびPKAとASK1の結合(B)

Fig.4 低温刺激依存的な体温変化

Fig.5 高脂肪食負荷依存的な白色脂肪組織内におけるUcp1発現誘導(A)および高脂肪食負荷後の白色脂肪組織重量比(B)

Fig.6 モデル図

審査要旨 要旨を表示する

通常我々の体は, 細胞および個体レベルでの代謝恒常性が保たれた状態にあるが, ひとたびこのバランスが崩されると様々な問題が生じる. その一つの例が「肥満」である. 肥満は,個体のエネルギー摂取と消費のバランスが崩れた病態であると捉えることができ, 2 型糖尿病やアテローム性動脈硬化を始めとする様々な疾患に寄与していることが示唆されている.さらには, 脳梗塞や心筋梗塞などを介して, 時には人を死にさえ導く重篤な疾患である. 我が国においても全人口の2 割から3 割もの人々が「肥満者」であると言われている現状でありながら, 肥満が引き起こされる詳細な分子メカニズムに関しては不明な部分が多く, 特定の分子をターゲットとした抗肥満薬開発も遅れていると言わざるを得ない.

抗肥満薬の一つの標的である脂肪組織は2 種類に大別されるといわれ, 白色脂肪組織が「エネルギー貯蔵」を主な目的とする器官であるのに対し, 褐色脂肪組織はむしろ「エネルギー消費」を担う器官であると考えられている. 褐色脂肪細胞は, クリステが発達したミトコンドリアを豊富に持ち, Ucp1 という脱共役タンパクを介した熱産生を盛んに行なっている. 近年,活性のある褐色脂肪組織が成人において存在することが証明され, その活性と体脂肪率が逆相関することが報告された. これらの事実より, 褐色脂肪組織における体熱産生系の働きを促すことによって, エネルギー消費を亢進させ, 抗肥満効果を期待する治療戦略に注目が集まっている.

これまでの報告から, 脂肪分化や脂質代謝などといった代謝系経路においてp38やJNKなどのストレス応答性キナーゼの関与が示唆されているが, これらの分子の活性制御のために上流でどのようなシグナル伝達が行われているかに関しては未知な点が多い. p38 およびJNK は, 3 段階により構成されるストレス応答性Mitogen-Activated Protein Kinase(MAPK) 経路の最下流に位置する分子であり, その上流にはMAPK Kinase Kinase(MAPKKK) およびMAPK Kinase (MAPKK) の存在が知られている.

MAPKKK の一つであるASK1 は, ヒトの脂肪組織において発現が確認されており, 「代謝」という観点においてはインスリン抵抗性などとの関わりが示唆されているものの, それらの分子基盤を含め, 代謝系経路における詳細な機能に関しては全く解析がなされていない.そこで申請者は, 脂肪組織を含む「代謝」に深く関わる組織におけるASK1 の役割に注目することとした. また, 所属研究室におけるこれまでの知見から, ASK ファミリーを構成するASK1, ASK2, ASK3 は互いに相互作用し合い, 協同的に機能を発揮する場面が存在することが示唆されている. このような背景に基づき, 「代謝」に関わるシグナル伝達経路におけるASK ファミリー分子の機能解明が本研究の目標として設定された.

以下に, 本研究において新たに得られた主な知見を記す.

1. ASK1 欠損マウスの褐色脂肪組織においてPgc1a やDio2 などといった複数の体熱産生系遺伝子の発現量が低下していること.

2. 体熱産生において最も重要な機能を果たしていると考えられるUcp1 のmRNA, タンパクレベルでの発現量がASK1 欠損マウスの褐色脂肪組織で低下していること.

3. ASK1 欠損マウス由来の初代培養褐色脂肪細胞においてもUcp1 の発現低下が見受けられること.

4. 未成熟褐色脂肪細胞においてASK1-p38 経路がβアドレナリン刺激によって活性化され,Ucp1 の発現誘導を導くこと.

5. PKA がASK1 の活性化を導くこと.

6. ASK1 欠損マウスが飢餓条件下において低温刺激脆弱性を示すこと.

7. 白色脂肪組織における褐色脂肪様細胞の出現にASK1 が寄与していること.

未成熟な褐色脂肪細胞内において, PKA-ASK1-p38シグナルが活性化されることによって,熱産生を担うUcp1 の発現を誘導し, 成熟した褐色脂肪細胞の形成が導かれることが本研究により明らかとなった. これまでの報告において, Ucp1 の発現誘導に対してPKAおよびp38が関与していることは示唆されていたが, そのPKA 経路とMAPK 経路とのシグナル伝達経路のつながりを明らかにしたのは, 本研究が初めてである. また, この経路依存的にUcp1 発現陽性 (Ucp1+) な成熟褐色脂肪細胞が作られることが, 低温刺激に対抗して体温を維持することに寄与していることが示唆された.

冒頭に述べたように, 活性のある褐色脂肪細胞の増加が抗肥満効果をもたらすという説に則ると, 未成熟な褐色脂肪細胞内のASK1 を活性化させることによってUcp1 の発現を伴う褐色脂肪細胞の成熟化を促し, 抗肥満効果がもたらされることが期待される. また, 白色脂肪組織におけるUcp1+な細胞の誘導に対してもASK1 が寄与していることを本研究において明らかとなった. これらの結果から, 褐色脂肪組織のみならず白色脂肪組織内のUcp1+な細胞の成熟に対しても類似したASK1 経路が寄与している可能性があり, 双方の脂肪組織においてASK1 を活性化させることで相乗的な抗肥満効果をもたらす可能性があると考えられる.

以上より, 本研究は博士 (薬学) の学位を与えるに値するものであると判断した.

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