学位論文要旨



No 129474
著者(漢字) 南澤,玄樹
著者(英字)
著者(カナ) ミナミサワ,ゲンキ
標題(和) マウス一次視覚皮質における方向選択性の可塑的変化
標題(洋)
報告番号 129474
報告番号 甲29474
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1515号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 准教授 池谷,裕二
 東京大学 准教授 富田,泰輔
 東京大学 講師 千原,崇裕
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

網膜で受け取られた視覚刺激の情報は、視床を介して一次視覚 (V1) 皮質へと伝達される。V1皮質のニューロンは、視覚刺激の時空間的な特徴に対して選択的に応答する。その中でも方向選択性は、最もよく知られているV1ニューロンの応答特性である。視野内にさまざまな方向に運動する格子模様 (格子刺激) を提示すると、V1ニューロンは特定の格子刺激に対する高い発火応答性を示す (図1) 。過去の広範な研究から、こうしたV1ニューロンの応答選択性は、発達過程において定着し、その後の視覚経験によっては容易に変化しえないものと考えられてきた。実際、可塑的変化を誘導する従来の研究は、開眼直後の未成熟な動物を用いたものがほとんどである。また成体動物を用いた研究であっても、数週間にわたる視覚操作を必要とした。臨床現場からも、視覚機能の回復を目指す治療において、成人の場合に大きな困難が伴うことが報告されている。

一方でスライス標本を用いたex vivo実験は、発達を終えた動物においても、短期間の処置による可塑性誘導が可能であることを示唆している。その基本的なルールは以下のとおりである。任意のニューロンAからニューロンBへのシナプス結合を考える。Aの発火活動にともない、Bにおいてi) 高強度の活動が生じるとシナプス結合強度は増大し;ii) 低強度の活動により減少する。すなわち双方向性に可塑性が誘導できる。なお、いずれの過程にも、後に触れるNMDA受容体の活性化が関与する。本研究ではこの知見を生体動物に敷衍し、Bを<記録する任意のニューロン>、Aを<特定の格子刺激に選択性を示すニューロン (集団) >と置き換え、以下のように実験系を設計した。その目指すところは、視覚系の発達した動物における、しかも短期間の処置による可塑性誘導である。

【方法・結果】

まず1) 個々のニューロンの、次に2) ニューロン集団の可塑性誘導に取り組んだ。27-35日齢のマウス (視覚系の発達期の終了は生後4週前後とされる) を用い、覚醒下ですべての実験を行った。

1) 単一ニューロンの可塑性誘導

ホールセル・パッチクランプ記録法により、V1ニューロンの膜電位応答を得た。同手法により、記録細胞に電気生理学的な操作を安定して加えることができる。特定の格子刺激に対する応答性を変化させるため、次のようなペアリング法を用いた。i) モニター上に8方向の格子刺激をランダム配列で提示する;ii) 特定の格子刺激 (ペア刺激) 時に、脱分極性ないし過分極性の電流を注入する (図2左)。脱分極状態は高強度の神経活動を、過分極状態は低強度の活動を模したものである。以上を30回、約10分にわたり繰り返した。ペアリングの効果を検討するため、前後の記録セッションにおいて格子刺激の提示のみを行い、方向選択性を検討した。

結果として、脱分極電流とペアリングした格子刺激に対し、応答性の増強が見られた。一方で過分極電流とのペアリングでは、応答性の減弱が見られた (図2右)。以上から、成体動物においても視覚応答性を双方向に修飾できることが明らかとなった。次に可塑性誘導の分子的基盤に迫るべく、NMDA受容体の関与を調べた。NMDA受容体阻害薬であるMK-801を含有する電極内液を用いたところ、ペアリングの効果が消失した。したがって、電流注入とのペアリングは、NMDA受容体を介したシナプス結合強度の変化をもたらすと考えられる。

2) ニューロン集団の可塑性誘導

つづいて、ペアリング時の電流注入を外部からの視覚刺激に置き換え、V1ニューロン集団の応答性を一斉に修飾することを試みた。私は修士課程において、短時間 (1-20 ms) かつ高強度の光刺激 (フラッシュ) によって、V1ニューロンに一過性の脱分極応答と、それに引き続く持続性 (1.5-4 s) の脱分極応答 (持続性応答) が惹起されることを確認している (図3) 。この特性を利用し、上述の電流注入の場合と同様にペアリングを行った。ただし今回は、電流注入の代わりに、特定の格子刺激に先行してフラッシュを提示した。局所場電位 (local field potential, LFP) 記録によって細胞集団の活動を捉え、ウェーブレット変換によって各周波数における視覚応答強度を得た。すると、ペア刺激に対してベータからガンマ帯域における振動強度の増強が見られた (図4左) 。ガンマ帯域における増強は、ペア刺激 (p<0.01, paired t-test) だけでなく、隣接する方向への刺激に対する応答も有意に増強していた (p<0.05) 。この効果はMK-801の腹腔内投与によって阻害された。したがって電流注入と同様、NMDA受容体を介したシナプス修飾が可塑的変化に関与すると考えられる (図4右)。

3) マウスの行動変化

さらに行動実験により、フラッシュと格子刺激のペアリングは、神経活動だけでなく視覚機能にも影響を与えうることが示された。図5Aの行動実験系 (optomotor system) により、格子刺激に対するマウスの追尾行動 (tracking) を検出した。trackingはV1皮質の活動に依存した反射である (図5B) 。ペアリングから20 min後にはペアリングした方向へのtracking率が低下し、1.5 hr後にはペアリング前のレベルに戻った (図5C) 。したがって、ペアリングによってマウスの視覚的な検出能力が短期的に低下したと言える。この効果はV1皮質へのNMDA受容体阻害薬であるAP5の局所処置により消失した (図5D) 。

【考察】

近年の研究から、V1ニューロンの樹状突起においては、多様な刺激に特定的に応答するシナプスが点在しており、それらの入力が統合される際に発火出力の選択性が生まれることが知られている。これは、特定の視覚入力を担うシナプスの結合強度を修飾させることで、発火出力の選択性を変化させうることを示唆している。本研究では、従来より知られてきたシナプス可塑性ルールに従ってシナプスの結合強度の可塑的変化を試み、生体動物においても1) 個々のニューロンに、また2) ニューロン集団に可塑的な変化を誘導できることが明らかとなった。さらに、この神経活動の変化は、視覚機能の変化を伴っていた。これらの発見はいずれも、ex vivo研究と食い違うin vivoの可塑性研究の方向に修正を迫るものである。これまでにも、視覚的な検出タスク成績を向上させるトレーニングについての報告が多数なされている。それらは、能動的トレーニングと受動的トレーニングに大別される。前者は、任意の視覚対象の検出を反復するというものであり、後者は受動的に視覚刺激に暴露され続ける、というものである。能動的トレーニングは効率が高く、数時間のトレーニングで視覚応答に変化が生じうることが示されている。受動的トレーニングに関する報告は少ないが、1時間程度の暴露を数週間から数カ月にわたり反復することではじめて、タスク成績の変化を生じる。これに対し、本研究で用いたペアリングは受動的トレーニングでありながら、わずか10分間の暴露によって神経活動およびタスク成績の変化が誘導できた。効果の持続性は短期的なものであったが、暴露の繰り返しにより、先行研究よりもはるかに効率的に長期可塑性を誘導できる可能性がある。本研究は、フラッシュがもつ可塑性誘導のツールとしての可能性を示した点でも意義深い。フラッシュは非侵襲的な刺激であり、視覚障害や記憶関連の障害の治療などといった、臨床応用においても有益であると考えられる。

図1.マウス一次視覚皮質の方向選択性 (左上) 格子刺激の提示と膜電位記録(左下) 一次視覚(V1) 皮質の座標(右) 代表的なV1ニューロンの膜電位応答と発火の選択性

図2.電流注入とのペアリングによる発火選択性の変化 (左) 特定の格子刺激(ペア刺激) 提示時に、脱分極性ないし過分極性の電流を注入する(右) ペアリングによる発火応答の変化(恣意的な尺度)

図3.フラッシュに対するV1ニューロンの膜電位応答

図4.フラッシュとのペアリングによるLFP応答の変化 (左) パワースペクトログラムの比(ペアリング後/ペアリング前) から得られた各周波数成分のLFP応答強度の変化(右) 各格子刺激に対するLFP応答のガンマ強度(30-60 Hz) の変化

図5.A) オプトモーター・システムの模式図。プラットフォームの周囲に格子模様を描いたモニター4台を配置し、マウスをプラットフォーム上に自由行動させる。モニター上の格子模様をさまざまなインターバルで左右いずれかに動かした際の、マウスの追尾行動(tracking) の有無を検出する。B) V1への局所的なTTX処置前、処置直後、一日後のtracking率(n=4 mice) 。C) フラッシュとのペアリング前および20 min, 1.5 hr, 3 hr後のpaired方向へのtracking率(n=16 mice) 。D) V1への局所的なAP5処置を施した群および無処置群(control) におけるtracking率の変化(n=12 mice for AP5) 。(*p<0.05, paired t-test, vs before)

審査要旨 要旨を表示する

網膜で受け取られた視覚刺激の情報は、視床を介して一次視覚 (V1) 皮質へと伝達される。V1皮質のニューロンは、視覚刺激の時空間的な特徴に対して選択的に応答する。その中でも方向選択性は、最もよく知られているV1ニューロンの応答特性である。視野内にさまざまな方向に運動する格子模様 (格子刺激) を提示すると、V1ニューロンは特定の格子刺激に対する高い発火応答性を示す。過去の広範な研究から、こうしたV1ニューロンの応答選択性は、発達過程において定着し、その後の視覚経験によっては容易に変化しえないものと考えられてきた。実際、可塑的変化を誘導する従来の研究は、開眼直後の未成熟な動物を用いたものがほとんどである。また成体動物を用いた研究であっても、数週間にわたる視覚操作を必要とした。臨床現場からも、視覚機能の回復を目指す治療において、成人の場合に大きな困難が伴うことが報告されている。

一方でスライス標本を用いたex vivo実験は、発達を終えた動物においても、短期間の処置による可塑性誘導が可能であることを示唆している。その基本的なルールは以下のとおりである。任意のニューロンAからニューロンBへのシナプス結合を考える。Aの発火活動にともない、Bにおいてi) 高強度の活動が生じるとシナプス結合強度は増大し;ii) 低強度の活動により減少する。すなわち双方向性に可塑性が誘導できる。なお、いずれの過程にも、後に触れるNMDA受容体の活性化が関与する。本研究ではこの知見を生体動物に敷衍し、Bを<記録する任意のニューロン>、Aを<特定の格子刺激に選択性を示すニューロン (集団) >と置き換え、以下のように実験系を設計した。その目指すところは、視覚系の発達した動物における、しかも短期間の処置による可塑性誘導である。

まず1) 個々のニューロンの、次に2) ニューロン集団の可塑性誘導に取り組んだ。27-35日齢のマウス (視覚系の発達期の終了は生後4週前後とされる) を用い、覚醒下ですべての実験を行った。

1) 単一ニューロンの可塑性誘導

ホールセル・パッチクランプ記録法により、V1ニューロンの膜電位応答を得た。同手法により、記録細胞に電気生理学的な操作を安定して加えることができる。特定の格子刺激に対する応答性を変化させるため、次のようなペアリング法を用いた。i) モニター上に8方向の格子刺激をランダム配列で提示する;ii) 特定の格子刺激 (ペア刺激) 時に、脱分極性ないし過分極性の電流を注入する。脱分極状態は高強度の神経活動を、過分極状態は低強度の活動を模したものである。以上を30回、約10分にわたり繰り返した。ペアリングの効果を検討するため、前後の記録セッションにおいて格子刺激の提示のみを行い、方向選択性を検討した。

結果として、脱分極電流とペアリングした格子刺激に対し、応答性の増強が見られた。一方で過分極電流とのペアリングでは、応答性の減弱が見られた。以上から、成体動物においても視覚応答性を双方向に修飾できることが明らかとなった。次に可塑性誘導の分子的基盤に迫るべく、NMDA受容体の関与を調べた。NMDA受容体阻害薬であるMK-801を含有する電極内液を用いたところ、ペアリングの効果が消失した。したがって、電流注入とのペアリングは、NMDA受容体を介したシナプス結合強度の変化をもたらすと考えられる。

2) ニューロン集団の可塑性誘導

つづいて、ペアリング時の電流注入を外部からの視覚刺激に置き換え、V1ニューロン集団の応答性を一斉に修飾することを試みた。私は修士課程において、短時間 (1-20 ms) かつ高強度の光刺激 (フラッシュ) によって、V1ニューロンに一過性の脱分極応答と、それに引き続く持続性 (1.5-4 s) の脱分極応答 (持続性応答) が惹起されることを確認している。この特性を利用し、上述の電流注入の場合と同様にペアリングを行った。ただし今回は、電流注入の代わりに、特定の格子刺激に先行してフラッシュを提示した。局所場電位 (local field potential, LFP) 記録によって細胞集団の活動を捉え、ウェーブレット変換によって各周波数における視覚応答強度を得た。すると、ペア刺激に対してベータからガンマ帯域における振動強度の増強が見られた。この効果はMK-801の腹腔内投与によって阻害された。したがって電流注入と同様、NMDA受容体を介したシナプス修飾が可塑的変化に関与すると考えられる。

3) マウスの行動変化

さらにフラッシュと格子刺激のペアリングは、神経活動だけでなく視覚機能にも影響を与えうることが示された。行動実験系 (optomotor system) により、格子刺激に対するマウスの追尾行動 (tracking) を検出した。trackingはV1皮質の活動に依存した反射である。ペアリングから20 min後にはペアリングした方向へのtracking率が低下し、1.5 hr後にはペアリング前のレベルに戻った。したがって、ペアリングによってマウスの視覚的な検出能力が短期的に低下したと言える。この効果はV1皮質へのNMDA受容体阻害薬であるAP5の局所処置により消失した。

近年の研究から、V1ニューロンの樹状突起においては、多様な刺激に特定的に応答するシナプスが点在しており、それらの入力が統合される際に発火出力の選択性が生まれることが知られている。これは、特定の視覚入力を担うシナプスの結合強度を修飾させることで、発火出力の選択性を変化させうることを示唆している。本研究では、従来より知られてきたシナプス可塑性ルールに従ってシナプスの結合強度の可塑的変化を試み、生体動物においても1) 個々のニューロンに、また2) ニューロン集団に可塑的な変化を誘導できることが明らかとなった。さらに、この神経活動の変化は、視覚機能の変化を伴っていた。これらの発見はいずれも、ex vivo研究と食い違うin vivoの可塑性研究の方向に修正を迫るものである。これまでにも、視覚的な検出タスク成績を向上させるトレーニングに

ついての報告が多数なされている。それらは、能動的トレーニングと受動的トレーニングに大別される。前者は、任意の視覚対象の検出を反復するというものであり、後者は受動的に視覚刺激に暴露され続ける、というものである。能動的トレーニングは効率が高く、数時間のトレーニングで視覚応答に変化が生じうることが示されている。受動的トレーニングに関する報告は少ないが、1時間程度の暴露を数週間から数カ月にわたり反復することではじめて、タスク成績の変化を生じる。これに対し、本研究で用いたペアリングは受動的トレーニングでありながら、わずか10分間の暴露によって神経活動およびタスク成績の変化が誘導できた。効果の持続性は短期的なものであったが、暴露の繰り返しにより、先行研究よりもはるかに効率的に長期可塑性を誘導できる可能性がある。本研究は、フラッシュがもつ可塑性誘導のツールとしての可能性を示した点でも意義深い。フラッシュは非侵襲的な刺激であり、視覚障害や記憶関連の障害の治療などといった、臨床応用においても有益であると考えられる。

このように本研究は神経科学の発展に貢献しており、博士(薬学)の学位授与に値すると判断した。

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