No | 129493 | |
著者(漢字) | 國谷,紀良 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | クニヤ,トシカズ | |
標題(和) | 非均質性を備える様々な感染症モデルの数理的解析 | |
標題(洋) | Mathematical Analysis for Epidemic Models with Heterogeneity | |
報告番号 | 129493 | |
報告番号 | 甲29493 | |
学位授与日 | 2013.03.25 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(数理科学) | |
学位記番号 | 博数理第408号 | |
研究科 | 数理科学研究科 | |
専攻 | 数理科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 1927年の Kermack および McKendrick の業績に端を発する、非線形連立偏微分方程式の初期値境界値問題としての感染症流行動態モデルの研究は、その時代毎に社会問題として解決の要請される様々な感染症 ―インフルエンザ、鳥インフルエンザ、麻疹、淋病、リーシュマニア症、SARS、HIVなど― に特化されることによって、多様かつ深遠な数学理論の発展を伴ってきた。研究を通して得られる数学的結果を、実社会における感染症の流行の制御の為に応用する立場からすれば、より現実に即した構造を備えるモデルを構築する試みが本質的に重要となることは、論を俟たないであろう。本研究では、通常は感染の発達段階に応じて人口集団が区分される感染症モデルに対して、性別や年齢、所在地、季節の別などの非均質性(heterogeneity)を付与することにより、より現実に即した構造を備えるように改良された各種感染症モデルの研究を、特にその数学的性質の解析に焦点を当てながら行う。 対象とする感染症が将来的にどの程度の規模で蔓延するか、あるいは駆逐されるかという点に関して、流行の初期段階で予測することを可能にする指標の存在は、応用上の観点からも非常に重要となる。基本再生産数R0と呼ばれるそのような疫学的指標は、感染症の全く蔓延していない地域に一感染個体が侵入した際に、その個体の将来にわたる影響によって新たに生産される新規感染個体数の期待値として定義される(Diekmann et al. 1990)。その定義に従うと直感的に、R0 <1 であれば感染症は将来的に駆逐される一方、R0 >1 であればその流行規模が拡大することが予想される。このような基本再生産数R0 が、微分方程式系として記述される各種感染症の数理モデルに対しても数学的な意味で同様の閾値としての性質を保つかどうか、すなわち、R0 <1 であれば微分方程式系の自明平衡解である感染症流行の無い平衡解(disease-free equilibrium)が(大域的に)安定となるか、また R0 >1 であれば感染症が蔓延し続ける状況に対応するエンデミックな平衡解(endemic equilibrium)と呼ばれる非自明平衡解が存在し、(大域的に)安定となるか、という問題は、対象とするモデルに応じてその都度取り組む必要がある。本研究で取り扱う、非均質的な感染症モデルに対して、基本再生産数R0 は次世代作用素(行列)と呼ばれるある線形作用素のスペクトル半径(最大固有値)として定義される。その1との大小と、解の漸近挙動との関係について調べることが、本研究の一貫した主題となっている。 本論文の第一部(第一節と第二節)では、集団の各個体がその非均質性に応じて均質的(homogeneous)な小集団に細分される、多集団感染症モデル(multi-group epidemic model)と呼ばれる感染症モデルについて考察する。 第一節では、ワクチン接種が感染症の流行制御に及ぼす効果を調べる上で有用となる多集団SVIR感染症モデルと呼ばれる感染症モデルを構築する。そのモデルに対する基本再生産数R0 は、上述のように、次世代行列と呼ばれるある非負分解不能行列のスペクトル半径として得られる。本研究では、R0 がそのモデルの各平衡解の大域的な漸近安定性を左右する意味において完璧な閾値であること、すなわち、R0 が1以下であれば感染症流行の無い状況に対応する自明平衡解が大域的に漸近安定となる一方で、R0 が1より大であれば、感染症が流行し続ける状況に対応するエンデミックな非自明平衡解が大域的に漸近安定となる、ということを示す。この結果から、感染症の流行制御のための閾値としてのR0の重要性が改めて確認され、特にワクチンの接種率を上げることでR0 の値を1より下げる試みが、感染症の制御のために重要となることが分かる。主定理の証明には、古典的なリャプノフ汎関数の手法、近年開発されたグラフ理論的手法(Guo et al. 2006)に加え、本研究独自の max を利用した手法が用いられる。 第二節では、Inaba (1990) で研究された年齢構造化SIR感染症モデルの一般化としての、多集団年齢構造化SIR感染症モデルに研究の焦点を当てる。いくつかのパラメータに対する仮定の下で、Tudor (1985) に見られる離散化手法が適用されることにより、モデルは、数学的な意味で第一節の多集団SVIR感染症モデルの一般化と見なされる連立常微分方程式へと書き下される。その解析には第一節での手法を再び適用することが可能となり、結果として、基本再生産数R0がそのモデルに対しても各平衡解の大域的な漸近安定性を左右する意味での完璧な閾値であることが示される。特に、R0 >1の場合の、エンデミックな非自明平衡解の大域的な漸近安定性については、従来の偏微分方程式系としての年齢構造化SIR感染症モデルに対しては未解決な問題であった。本研究での結果は、書き下された常微分方程式系に対するものではあるが、R0 の閾値としての重要性を改めて確認せしめるものである。特に、数値計算によって感染症の流行動態を予測する際には、偏微分方程式系のモデルであっても離散化を施されることとなるため、本研究での結果は特にそのような数値実験的な予測の場面における R0 の重要性を示すものと見なされる。第二節の後半では、数値実験を通じて、離散のステップ幅を小さくするにつれて、元の偏微分方程式系のモデルに対する基本再生産数R0 の値が、離散化された常微分方程式系のモデルに対する基本再生産数R0 の値に近付く例が示される。 本論文の第二部(第三節と第四節)では、時間に関して非均質的な感染症モデルに研究の焦点を当てる。そのようなモデルにおいて、感染の伝達係数や出生率などの各パラメータに時間周期性を仮定することにより、インフルエンザや媒介生物感染症などに特徴的な、季節の変動に依存した流行動態を想定することが可能となる。 第三節では、感染の潜伏期間を考慮に入れた、非自律的なSEIRS感染症モデルと呼ばれる感染症モデルを構築する。同様のモデルに対して Zhang and Teng (2008) では、感染人口密度に関する解が0に収束する(extinction)ための十分条件、および初期条件に独立な正定数によって下から評価される(permanence)ための十分条件が、いくつか得られていた。本研究では、それらとは異なる十分条件を新たに得ている。特に、各パラメータが定数である場合には、本研究で得られる十分条件は自律系における基本再生産数R0 に対応しており、その点において Zhang and Teng (2008) で得られたいくつかの結果よりもより数学的に本質的な閾値結果であることが示される。また、数値実験を通じて、Zhang and Teng (2008) での結果を改善するいくつかの例が示される。この節の内容は、中田行彦博士(セゲド大学、ハンガリー)との共同研究によるものである。 第四節では、時間周期的な年齢構造化SIS感染症モデルを構築し、その解析を行う。周期系の感染症モデルに対する基本再生産数R0 の数学的定義は、Bacaer and Guernaoui (2006) において与えられたが、その1との大小と各解の挙動との関係については、依然として明らかにされていない点も多いことが知られている。本研究では、はじめに系を正規化し、R0 に対応する閾値として、ある線形作用素のスペクトル半径を導出し、その値が1より小さい場合には感染症流行の無い状況に対応する自明平衡解が大域的に漸近安定となる一方で、1より大きい場合には、感染症が季節的に蔓延し続ける状況に対応するエンデミックな非自明周期解が唯一つ存在することを証明する。また、本研究ではさらにその閾値と基本再生産数R0 との関係にも焦点を当てる。結果として、人口成長のマルサス径数が0と等しい場合にはそれらの値は一致するが、0と異なる場合にはそれらの値も異なるものとなり得るということが示される。このことは、ホスト人口が定常状態に無く成長あるいは減衰する場合には、たとえR0 が1より小さくても相対的には感染症が蔓延し続ける状況など、注意が必要ないくつかの状況が起こり得ることを意味する。本研究では、実際に数値実験を通じて、そのような例をいくつか挙げる。この節の内容は、稲葉寿准教授(東京大学)との共同研究によるものである。 | |
審査要旨 | 國谷紀良氏の学位申請論文「非均質性を備える様々な感染症モデルの数理解析」は2部4章からなり、第一部では多種ホスト個体群における感染症流行モデルを扱い、第二部では時間的な変動環境における感染症流行モデルを考察している。 第一部第1章は多種ホストにおけるSVIR型感染症モデルを考察している。ここでSVIRモデルはホスト個体群が感受性、ワクチン接種、感染性、免疫の4状態に分割されているモデルであり、ワクチン接種による免疫誘導は完全ではなく、低下した感受性を維持すると仮定されている。このようなモデルは、ワクチンによる免疫誘導が不完全であるが、実際に感染が起きた場合には、そこからの回復は生涯免疫を誘導するような感染症のモデルと考えられる。このモデルに対して、國谷氏は流行の基本再生産数R0を計算して、それが1以下であれば、感染のない定常状態が大域安定であり、R0が1をこえると、ただ一つのエンデミックな定常解が分岐して、それが大域安定になることを示した。この大域安定性の証明は技術的に難しいが、國谷氏は適切なリアプノフ関数を構成して、グラフ理論的な考察によってその軌道に沿った微分の符号を決定することに成功している。この結果は不完全ワクチンによるホスト個体群の部分免疫化がおこなわれた状態においても、基本再生産数R0がシステムの挙動を大域的にも完全に決定していることを示した。 第一部第2章ではホスト個体群の年齢構造を考慮したSIR型感染症の閾値現象を検討している。年齢構造化SIR感染症モデルは20年以上前から研究されてきたが、現実的に妥当な条件のもとでエンデミック定常解の一意性と大域安定性が示されうるかどうかが、長年にわたり未解決な問題であった。國谷氏はこの問題に対して、偏微分方程式で表される基本モデルを離散化して常微分方程式系へ還元するという手法で検討をおこなった。その結果、得られた常微分方程式モデルに関しては、流行の基本再生産数R0が1以下であれば、感染のない定常状態が大域安定であり、R0が1をこえると、ただ一つのエンデミックな定常解が分岐して、それが大域安定になるという閾値原理が、リアプノフ関数の手法によって証明された。また数値計算によって、離散化常微分方程式系の基本再生産数が、年齢分割を細かくすれば、偏微分方程式系から直接得られる基本再生産数をよく近似することを確認した。この結果は直ちに偏微分方程式系におけるエンデミック定常解の大域安定性を意味するものではないが、数値計算上は非常に似た挙動を示すことから、実用的なモデルにおいては、大域安定性が成り立つのではないかという示唆を与えている。 第二部第3章では、パラメータが時間依存であるようなSEIR型感染症流行モデルにおける感染症流行の絶滅条件と持続的な流行(パーマネンス)条件を検討している。ここでSEIRモデルはホスト個体群が感受性、潜伏期、感染性、免疫の4状態に分割されているモデルであり、各状態における死亡率格差はないものと想定されている。このようなモデルは感染性が季節変動するような感染症の長期的流行を記述するものと考えられる。もしもパラメータが全て同一の時間周期をもつ周期関数であるならば、すでに國谷氏が共同研究者の中田行彦氏と明らかにしたように、流行の基本再生産数R0が定義されて、R0が1以下であるならば、流行は自然に根絶されるが、R0が1を超えれば、エンデミックな周期解が少なくとも一つ存在して、しかも感染個体群密度の時間的な下極限は初期条件に依存しない正数によって下から評価されるという意味で、一様パーシステンスであることがしめされる。本論文では、國谷氏は周期性よりも一般的な時間変動性のもとで、感染症が絶滅するための十分条件、また一様パーシステンスとなるための条件を与えた。この条件はこれまで得られていた条件を改善するとともに、定常環境においては通常の閾値条件に一致する。國谷氏の研究は、周期性をこえる時間変動性のもとでの閾値条件の研究の方向性に対して、重要な示唆を与えるものであると考えられる。 第二部第4章は年齢構造をもつホスト個体群におけるSIS感染症モデルを周期的環境のもとで考察している。SIS感染症は感染からの回復が免疫性を誘導せず、ただちに感受性となるような感染症のモデルである。周期的環境における流行の基本再生産数R0の定義は2006年にBacaer and Guernaouiによって与えられ、それが侵入の閾値条件になることは知られているが、定常環境の場合にように、エンデミックな解の存在と安定性に条件になるかどうかは、年齢構造化モデルにおいてはまだまったく知られていなかった。國谷氏は、このエンデミックな周期解の存在問題を時間周期的なベクトル値関数の空間における不動点問題に変形することによって、ある正積分作用素のスペクトル半径が閾値として作用して、それが1を超える場合には、現実的な条件のもとでエンデミックな周期解が一意的に存在することを示した。この閾値パラメータは、ホストが人口学的定常状態にある場合は、周期系の基本再生産数R0に一致するが、ホスト人口のマルサスパラメータが正であれば、R0よりも小さく、逆にマルサスパラメータが負であれば、R0よりも大きい。この結果は、時間周期的な年齢構造化感染症モデルにおいてエンデミック閾値条件を初めて示し、かつ基本再生産数による侵入条件との関係明らかにしたものとして高く評価できる。 以上の点から論文提出者 國谷 紀良 は、博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。 | |
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