学位論文要旨



No 129544
著者(漢字) 佐藤,一樹
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,カズキ
標題(和) グリコシルボラノホスホジエステルを鍵中間体とするグリコシルホスフェート誘導体の合成
標題(洋)
報告番号 129544
報告番号 甲29544
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第889号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 和田,猛
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 教授 山本,一夫
 東京大学 教授 津本,浩平
 東京大学 准教授 鈴木,穣
内容要旨 要旨を表示する

<緒言> グリコシルホスフェート(Figure 1,1)は感染性細菌の莢膜の構成要素であり、抗原として認識される部分である。また、グリコシルホスフェートは生体内において糖供与体として働く。そのため、化学合成されたオリゴグリコシルホスフェート、及びリン原子修飾グリコシルホスフェート誘導体は、これら細菌に対するワクチンとしての利用や、酵素の阻害剤、または生体プロセス解明のためのプローブとしての応用が期待される。

これまでグリコシルホスフェート誘導体の化学合成はH-ホスホネート法と呼ばれる手法により合成されてきた。しかしこの手法では、反応中間体が不安定であること、この中間体から誘導されるホスホジエステル結合が縮合剤と反応する副反応が進行するため、長鎖のオリゴマーを効率的に合成できないという欠点がある。

こうした背景を踏まえ、当研究室ではグリコシルボラノホスフェートを鍵中間体とする合成法に注目している。グリコシルボラノホスフェートはホスフェートの非架橋酸素原子の一つをボラノ基に置換した化合物である。当研究室では、Scheme 1に示すような縮合反応により、グリコシルボラノホスフェート3を合成し、これが化学的に安定であること、そのジエステル誘導体である4がH-ホスホネート体を経由してグリコシルホスフェートやそのリン原子誘導体へと効率よく変換されることを見出している。そのため、化学的に安定なボラノホスホトリエステル結合を形成しながら糖鎖を延長し、目的の長さに達した後に変換反応を行うことで、オリゴグリコシルホスフェートやそのリン原子修飾体を効率よく合成可能になると期待される。しかし、縮合反応による3の合成は、アノマー位の立体選択性が低いという欠点がある。そこで、本研究ではグリコシルボラノホスフェートの立体選択的な合成法の開発を目指すこととした。

<計画> 当研究室ではα選択的なグリコシルボラノホスフェートの合成法を開発したが、適用可能な糖骨格が限られるという欠点がある。一方、β選択的な合成法として、α体のグリコシルブロマイドに対して求核置換反応を行った例が報告されている。しかし、当研究室で追試を行った結果、グリコシルブロマイドは反応性が低く、反応完結までに長時間を要することが明らかとなった。そこで、優れた反応性を有するグリコシルアイオダイドを用いて、効率的で多くの糖骨格に適用可能な立体選択的合成法の開発を目指すこととした。

<実験結果> まず、グリコシルアイオダイドの糖水酸基の保護基が反応性や、立体選択性に与える影響を調査した。グリコシルアイオダイドをアセトニトリル中、ボラノホスホジエステルカリウム塩8と反応させたところ、芳香族環を有するアシル型の保護基を用いると良好な収率と高いβ選択性で反応が進行することが明らかとなった。続いて、反応条件の最適化を試みた結果、カリウム塩の求核性を向上させることで知られる18-クラウン-6を添加することにより、反応時間が大幅に短縮されることが分かった。そこで、本反応をグルコース以外の骨格についても適用したところ、用いたすべての基質において良好な収率、立体選択性でグリコシルボラノホスフェートが得られた (Table 1)。このとき、すべて1,2-トランス選択的に反応が進行したことから、本反応がグリコシルアイオダイドに対するSN2反応ではなく、2位のアシル基の隣接関与を経て進行していることが示唆された。

立体選択的に合成されたグリコシルボラノホスフェートを用いて、グリコシルホスホジエステル結合により連結した2糖の合成を試みた。2つの糖を連結させる縮合反応、及びボラノホスホジエステルのH-ホスホネートを経由した変換反応の条件を確立し、アノマー位の立体化学純度をほとんど損なうことなく2糖12を立体選択的に合成することに成功した (Scheme 2)。

しかし、この手法では、グリコシルボラノホスホジエステル体を酸性条件下H-ホスホネートジエステル体へと誘導し、その後の変換反応を塩基性条件下で行う (Scheme 3)。そのため、不安定な中間体であるH-ホスホネートジエステル体の状態で抽出操作による粗精製を行う必要があり、反応ステップ数が多く操作が煩雑になるという欠点があった。

そこで本研究では、穏和な塩基性条件下、グリコシルボラノホスフェートをワンポットでグリコシルホスフェート誘導体へと変換する手法の開発を目指した。

<計画> 一般に、リン-ホウ素結合はリン原子上の電子密度が低いほど、またリン原子の周辺に嵩高い置換基が存在するほど不安定化することが知られている。そこで、ボラノホスホジエステル体に電子求引性基や嵩高い置換基を導入することでボラノホスホトリエステル体へと誘導し、求核種による脱ボラノ化を経てホスファイトトリエステル型の中間体を生成させる。その後リン原子上に修飾を行うことによってホスホジエステル体やそのリン原子修飾体を得る、という戦略を立てた(Scheme 4) 。

<実験結果> ボラノホスホジエステル体11をピリジン溶媒中、求電子剤、硫化剤と反応させることによりホスホロチオエートの合成を試みた。種々の求電子剤を検討した結果、ピバロイルクロライドを用いると脱ボラノ化反応が効率的に進行することが分かった。収率の向上を目指し硫化剤の検討を行った結果、環状構造を有する3-フェニル1,2-ジチアゾリン5-オンを用いると、ほぼ定量的に反応が進行し、高収率で目的物を単離できることが明らかとなった。

本反応の機構を解明するために、(31)P NMRによる反応追跡を行った。ボラノホスホジエステル体の重ピリジン溶液にピバロイルクロライドを加えたところ、(31)P NMR上で131.8, 131.1 ppmに2本のシグナルが観測された。このケミカルシフトから、これはアシルホスファイト13の2つのジアステレオマーに由来するシグナルであると考えられる (Scheme 5)。

この中間体13を経由した変換反応を試みたところ、ホスホロチオエート以外にも、ホスホジエステル、ホスホロアミデート、ホスホトリエステルの合成に成功した (Scheme 6)。

<総括> 本研究では、グリコシルホスフェート誘導体の効率的な合成法の開発を目指し、グリコシルボラノホスフェートを合成前駆体とする合成法の検討を行った。まず、アノマー位の立体化学を制御した合成法の開発を目指し、グリコシルアイオダイドを原料とし、隣接基関与を利用することにより1,2-トランス選択的にグリコシルボラノホスフェートを合成することに成功した。また、得られたグリコシルボラノホスフェートを用いて糖鎖間にリン酸ジエステル結合を有する2糖を立体選択的に合成した。さらに、グリコシルボラノホスホジエステル体からホスホジエステル体やそのリン原子修飾誘導体への新たな変換反応の開発を目指した結果、穏和な塩基性条件下、アシルホスファイト中間体を経由したワンポット変換反応を見出した。なお、アシルホスファイトはジアルキルH-ホスホネートジエステルからは生成しないことが知られており1、ボラノホスフェートから生成することは非常に興味深い結果であるといえる。

これらの手法の開発により、グリコシルボラノホスホジエステル体を合成前駆体とするグリコシルホスフェート誘導体の効率的な合成が可能になると期待される。

1) Garegg, P. J.; Regberg, T.; Stawinski, J.; Stromberg, R. Nucleosides Nucleotides 1987, 6, 655-662.

Figure 1.

Scheme 1.

Table 1.

a α:β ratios of isolated 9 were given in parentheses.

Scheme 2.

Scheme 3.

Scheme 4.

Scheme 5.

Scheme 6.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、グリコシルボラノホスフェートの立体選択的な合成とこれを用いたグリコシルホスフェート誘導体の立体特異的な合成、及びグリコシルボラノホスホジエステル体の新規変換反応について述べたものであり、序論及び三章からなる本論より構成されている。

序論では、生体内に存在するグリコシルホスフェート構造とその免疫学的、生化学的な重要性について概観し、グリコシルホスフェート構造を有する生体分子やそのリン原子修飾体の化学合成が、医薬品開発や生体プロセス解明につながるなど、当該分野の研究の発展に貢献できることを明確にしている。さらに、先行研究で行われてきたグリコシルホスフェート誘導体の合成法とその問題点について概観した上で、本研究で新たに考案したグリコシルボラノホスホジエステル体を鍵中間体とする合成法が、従来法の問題点を解決可能な手法であることを明確にしている。この新たな合成法を用いて立体特異的にグリコシルボラノホスフェートを合成することの重要性を説明し、本研究の目的、意義、位置づけを述べている。

第一章では、グリコシルアイオダイドを出発原料とするグリコシルボラノホスフェートの立体選択的な合成について検討した結果を述べている。まず、グルコース誘導体を用いて、糖水酸基の保護基の検討を行った結果、芳香族環を有するアシル型の保護基を用いると、良好な収率、及び高いβ選択性で反応が進行することを明らかにした。また、グルコース誘導体を用いた検討で最適化された反応条件を用いて、その他の4種類の糖誘導体にも本反応を適用し、用いたすべての糖骨格について高い立体選択性で目的物を得ることに成功している。さらに、本反応で発現した高い立体選択性は、すべての糖誘導体で1,2-トランス選択的に進行していることから、2位のアシル基の隣接基関与によるものであることを述べている。

第二章では、第一章で立体選択的に合成されたグリコシルボラノホスフェートを用いて、糖鎖間にグリコシルホスホジエステル結合を有する2糖の立体特異的な合成について検討した結果を述べている。まず、β-グルコシルホスホジエステル結合で連結した2糖の合成を検討している。グルコシルボラノホスホジエステル体と6位に遊離の水酸基を有するグルコース誘導体との縮合反応では、当初反応が定量的に進行しなかったが、より求電子性の強い縮合剤を用いることで、この問題を解決できることを明らかにしている。最後にボラノホスホジエステル体からの変換反応を行い、目的とする2糖をアノマー位の立体化学純度をほとんど損なうことなく得ている。次に、リーシュマニア原虫の糖衣リポホスホグリカンに見られる繰り返し単位であり、免疫学的に重要な構造である、α-マンノシルホスホジエステル結合を有する2糖の合成を試みている。β-グルコース誘導体合成と同様の手法を用いて反応を行ったところ、目的とする2糖をここでも立体特異的に得ている。

第三章では、グリコシルボラノホスホジエステル体の新規変換反応について述べている。第二章までに確立したグリコシルボラノホスホジエステル体を鍵中間体とするグリコシルホスフェート誘導体の合成法は、最終段階である変換反応に改善の余地があり、穏和な塩基性条件下、ワンポットで変換可能な新手法を開発する必要性と、その戦略について詳細に述べている。一般に、リン-ホウ素結合はリン原子上の電子密度が低いほど、またリン原子の周りに嵩高い置換基が存在するほど不安定化することが知られていることから、グリコシルボラノホスホジエステル体と硫化剤のピリジン溶液に、電子求引性基や嵩高い置換基を有する求電子剤を加えることでホスホロチオエートの合成を試みたところ、ピバロイルクロライドを用いることで効率的に脱ボラノ化反応が進行し、リン原子上に修飾を施すことができることを見出している。(31)P NMRによる反応追跡の結果、本反応の鍵中間体はアシルホスファイトであることを示唆している。このアシルホスファイトから出発して、グリコシルホスホジエステル体やそのリン原子修飾体への変換を試み、各種誘導体を効率的に合成することに成功している。さらに、各誘導体への変換反応の詳細な機構を(31)P NMRによる反応追跡により解析し、リン化合物が有する特徴的な反応性を明らかにしている。

以上のように、グリコシルアイオダイドを用いて、グリコシルボラノホスフェートを効率的、かつ高い立体選択性で合成する手法を開発し、これを用いて糖鎖間にグリコシルボラノホスホジエステル結合を有する2糖を立体特異的に合成可能な手法を確立した。また、得られたグリコシルボラノホスホジエステル体を穏和な条件下で効率的にグリコシルホスフェートやそのリン原子修飾誘導体に変換可能な合成法を確立した。

これらの成果は、有機合成化学、糖質化学、医学、薬学などの諸分野の発展に大きく寄与することが期待される。

よって本論文は、博士(生命科学)の学位請求論文として合格と認められる。

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