学位論文要旨



No 215311
著者(漢字) 荒木,敬介
著者(英字)
著者(カナ) アラキ,ケイスケ
標題(和) Off-Axial光学系の近軸・収差論的解析
標題(洋)
報告番号 215311
報告番号 乙15311
学位授与日 2002.03.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15311号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 助教授 三尾,典克
 東京大学 助教授 志村,努
 東京大学 助教授 酒井,啓司
 東京大学 教授 渋谷,眞人
内容要旨 要旨を表示する

 最近HMDのような表示系では従来の共軸光学系の範疇には属さない光学系が登場してきているが、こうした光学系には従来からの共軸光学系に対する近軸・収差論的解析の体系は適用できない。本論文の研究は、そうした光学系にも使えるより一般的な近軸・収差論的解析体系を構築することを目的として始められた。そして本論文では、新しく提案するいくつかの概念と手法を導入することでその体系化の基本的部分が完成したことを報告するものである。以下に、本論文の要旨をいくつかの重要事項別に順を追ってまとめる。

 ◎ Off-Axial光学系の概念とその表現方法

 新しく概念を導入したOff-Axial光学系は、一般に折れ曲がった基準軸に沿って屈折面、反射面等の偏向面を配置して形成された光学系と定義するが、近軸量を決めるのに必要なデータは、R(面の曲率半径)、D(面間隔)、N(硝材データ)の他に基準軸の曲がり方を規定する角度要素Aから成ることを示すことができる。従って、Off-Axial光学系は共軸回転対称光学系の拡張概念であると考えることができる。また、光学系を構成する面は、基準軸との交点を原点とするローカル座標で表わされるy、zの2次以上のすべての次数を含む自由曲面(非対称非球面)としてx(y,z)=C20y2+2C11yz+C02z2++D30y3+3D21y2z+3D12yz2+D03z3+…のように与える。こうすることにより、非対称な自由度を面形状に付与できると同時に、基準軸を固定したまま共軸系と同様のやりかたで光学系の設計が可能となった。

 ◎ 4元ベクトルを使ったテンソル解析の導入

 Off-Axial光学系は近軸・収差解析においても対称性がないことを前提にしつつも見通し良い解析を進めるため、本論文では〓のように定義される光線基本ベクトル(ただしs、tは物体距離、入射瞳面までの距離、(Y,Z)は物点座標、(Ry,Rz)は入射瞳上の光線座標を表わす)と、各評価のアジムスξでの物体収差、瞳収差に直接関係し像面と瞳面の通過点を4元ベクトルとして一括して扱う光線通過点4元ベクトル〓を導入した。(ただしbは正規化された画角、rは正規化された入射瞳径、ζは物点の評価アジムスに対する相対アジムス、ηは瞳上通過点の評価アジムスに対する相対アジムスを表わす。)

 そしてその偏向後の2種類の4元ベクトルを偏向前の4元ベクトルを使って展開した。ベクトルのベクトルによる展開であるから、テンソル解析が有効であるが、その結果は以下のような展開形として示される。

 I'i=GijIj+Hij1j2Ij1Ij2+Mij1j2j3Ij1Ij2Ij3+…

 p'i=Tijpj+Uij1j2pj1pj2+Vij1j2j3pj1pj2pj3+…

 この結果は、収差展開を見通しよく表現しており、以下の収差解析の基本式となるものである。

 ◎ テンソル解析を使った近軸・収差論的解析とその重要な解析結果

 テンソル解析の結果、上記2種類の4元ベクトルの展開係数の間には以下の関係があることが判明した。

 Tij=J'-1imGmnJnj(1次の係数)、Uij1j2=J'-1imHmn1n2Jn1j1Jn2j2(2次の係数)、

 Vij1j2j3=J'-1imMmn1n2n3Jn1j1Jn2j2Jn3j3(3次の係数)…

 この関係式は、一次の収差係数Tij-δij、2次の収差係数Uij1j2、3次の収差係数Vij1j2j3等各収差係数は評価のアジムスに依存しない固有量Gij(拡張されたガウス行列)、Hij1j2、Mij1j2j3等を物体側近軸追跡値マトリックス〓と、物体側と同様の定義の像側近軸追跡マトリックスJ'を使って変換することにより任意のアジムスでの収差を変換で求めることができることを示すものである。但し、近軸追跡値マトリックスJ、J'は、共軸回転対称系と全く同等な近軸追跡式J'=QJ但し、〓で関係付けられている。ここで、QijはGij(拡張されたガウス行列)から回転対称系空間に射影して求められる等方的ガウス行列で、与えられた物体面に対して、収差を評価する近軸像面を決定する働きをする。そして、このQijの考え方を用いれば、アジムスにより結像点が異なる現象も1次収差として明確に定義できるようになる。また、各面での換算座標の尺度単位も、このQijを使い、共軸回転対称光学系と全く同様の物体近軸光線と瞳近軸光線の"近軸追跡"をすることによりこの結果の中にすべて盛り込むことができるようになる。こうして出来上がった体系は、共軸回転対称系をその特殊例として内包する拡張された近軸理論の体系となっている。

 また、複数面の構成面の場合、前の面まで持っていた収差が現在の面で発生する収差量に対して影響を与えるクロスターム効果も、テンソル解析を使えば以下のように簡単に表わせるようになる。(ただし左肩の添字0、1、tはそれぞれ面に入射する前までのトータル量、入射した面で発生する量、面射出後のトータル量を表わす。)

 tTij=1Tim0Tmj(1次の係数)、tUij1j2=1Tim0Umj1j2+1Uil1l20Tl1j10Tl2j2(2次の係数)、

 tVij1j2j3=1Tim0Vmj1j2j3+1Vik1k2k30Tk1j10Tk2j20Tk3j3+cVij1j2j3(3次の係数)…

 ここで上記の式で3次の項のクロスターム項cVij1j2j3は具体的にはcVij1j2j3=〓1Uil1l2(0Ul1j1j20Tl2j3+0Ul1j2j300Tl2j1+0Ul1j3j10Tl2j2)のように表わされる項である。

 このように、4元ベクトルとテンソル解析の導入はOff-Axial光学系の解析と数値計算を非常に見通しよくするものである。

 ◎ 折れ曲がった基準軸に沿った近軸展開と拡張されたガウス行列の具体形

 本論文では、Off-Axial光学系の近軸解析に必要な各変換に対する拡張されたガウス行列の具体形を、実際の一般光線についてその4元ベクトル各成分への依存性を基準軸のまわりに数式的に冪級数展開する手法(この新しく導入された手法を「折れ曲がった基準軸に沿った近軸展開手法」と呼ぶ)を用いて求めた。結果は、屈折や反射に使える偏向に対しては、〓のように、共軸回転対称系の拡張形となっている。(ただしここで、N*はN*≡〓を、θ、θ'は基準軸の面に対しての入射角、射出角を表わす。)

 また、基準軸に沿っての間隔dに対する転送の拡張されたガウス行列も共軸回転対称系と同等の形として〓のように導出できた。(ただしe'はe'=〓であり、共軸回転対称系の収差論の時と同じく換算面間隔を表わす。)また、Off-Axial光学系に固有な折れ曲がった基準軸が同一平面内に存在しないことによって生じる"ひねり"に対しても拡張されたガウス行列を具体的に求めることができ、結果はGr=〓のようになった。(ただしψは、ひねり角を表わす。)このように、Off-Axial光学系の近軸量を表わすのに必要な量は上記のように3種類の4×4のマトリックスを使い、共軸回転対称系の拡張された形として具体的にも計算できるものである。

 ◎ 回転非対称な結像についての考察

 以上は回転非対称な光学配置で基準軸のまわりに回転対称的(等方的)結像について主に述べたものであったが、現実の光学系を使った結像のなかには、直交する2方向で結像倍率が異なるアナモルフィック結像や物体面や像面が傾いた結像という、基準軸のまわりに回転対称的でない結像が存在する。本論文ではそうした回転非対称結像に対しても解析を加えた。そのうち、アナモルフィック結像は、1次のディストーションのみを許し他の収差は高次収差も含めて補正された結像であるだけで、本報告で述べてき解析体系がそのまま使えることを示した。また、物体面や像面が傾いた結像についても、傾いた2組の共役面に対する光線基本4元ベクトルを物体空間側と像側空間側でそれぞれ定義し、それらの光線基本4元ベクトルが、傾いていない光線基本4元ベクトルと変換可能であることを示し、本報告で述べてき解析体系が有効に使えることを示した。このように、本論文のOff-Axial光学系の近軸・収差論的解析の体系はこうした回転非対称な結像についても有効である。

 ◎ 実際のOff-Axial光学系の設計への適用

 本論文では更に、こうして構築したOff-Axial光学系の近軸・収差論の体系を使い実際のOff-Axial光学系を設計した事例についても報告したが、その設計法の概略は以下の通りである。まず、光学系を光路の干渉などを考慮しつつ、折れ曲がった基準軸に沿って配置する。この基準軸の配置は以下の設計プロセスを通して基本的に固定されたものである。次に、ガウス行列の手法を用いてアジムス毎に近軸トレースを行ない、全系の近軸量・像面位置がアジムス依存性を持たないように各面の曲率を決めてやる。こうして決められた4×4の拡張されたガウス行列Gijは、A、B、C、Dのサブマトリックスがスカラー的になるため、1次の収差が除去されたものとなる。そして最後に、このようにして骨組みが決められた光学系に対して、3次以降の奇数次の非球面係数を導入することにより主として2次、4次…といった偶数次収差を補正し、4次以降の偶数次の非球面係数を導入することにより主として3次、5次…といった共軸回転対称系でも存在する奇数次収差を補正することを行なう。このようにして設計された光学系は、従来の共軸光学系とは全く違う光学配置であるにもかかわらず、回転非対称な収差も含め良好に収差補正のなされた光学系であり、HMD(Head Mounted Display)等の用途に有効と考えられている。

 Off-Axial光学系はまだ解析がはじまったばかりで、実際の光学設計としてもたくさんの可能性を孕んだ発展途上の光学系である。その解析も本論文でその端緒についたばかりである。今後は、ここで構築したOff-Axial光学系の近軸・収差論的解析の手法を発展させてOff-Axial光学系の設計理論としてまとめたる予定である。

審査要旨 要旨を表示する

 近年の光学素子の作成加工技術の進歩により,屈折面や反射面に非球面形状が日常的に使われるようになってきた。その一つの効果として、自由曲面を用いる回転対称性を破る光学系が出現し、ヘッドマウントプロジェクターなどへ応用されはじめている。ところがこれまでは、直交する2方向で形状が異なる共軸アナモルフィック光学系や、偏芯光学系に対する扱いがあるのみで、このように全く回転対称性がなく、光軸が折れ曲がった光学系に対する結像理論は確立されていない。本論文の著者は、このような光学系をOff-Axial光学系と名付け、共軸系の光軸に対応する基準軸を導入し、光線を記述する合理的な表現法を求めた。新しい概念に基づいて、Off-Axial光学系の近軸理論,収差論を共軸光学系の理論の一つの拡張として体系化し、実際の光学設計に役立てた。

 本論文は9章から構成される。

 第1章は序であり、本論文の位置付けと構成が述べられている。

 第2章は「Off-Axial光学系の概念とその表現方法」と題し、Off-Axial光学系の基本的な考え方が論じられる。はじめに、共軸光学系の光軸に当たる基準軸を導入する。この決定には任意性が残されるが、例えば,物体面と絞りの中央を通過する光線を基準軸と決める。物体面や像面,瞳面は基準軸に垂直にとる。一方、反射屈折面は基準軸に対し垂直ではないから、反射や屈折によって基準軸は折れ曲がる。従って,基準軸に沿って局所座標を導入すると、面前後における局所座標の変換に、基準軸の偏向角と、基準軸に直交する座標軸の回転の角度(ひねり角)が必要になる。これは共軸光学系にはないパラメーターである。これに、面形状,面間隔、屈折率のデータを加え、Off-Axial光学系のレンズデータを構成する。面形状は、基準軸が面と交わる点を原点にとり、面法線を一つの座標軸とする座標系を導入し、べき級数展開で表す。この級数展開には1次の項は含めないという制限を付ける。こう制限すると展開パラメーターを変えても面法線は変化せず,従って、基準軸は不変に保たれる。こうして、設計段階において面形状を変える度に基準軸を変える煩わしさから逃れることができる。ただし、面間隔や屈折率を変えると基準軸が動いてしまうのは避けられない。

 第3章は「4元ベクトルを使ったテンソル解析の導入」と題し、Off-Axial光学系における光線の表現法の考察に充てられる。ここで著者は異なる光線表現法を導入し、それらの間の関係を論じる。第1の表現法は、2つの独立な面(物体空間では物体面と入射瞳面、像空間では像面と射出瞳面)を光線が通過する点の座標値を並記する方法で、これを著者は光線通過点4元ベクトルと呼ぶ。第2は、像面および射出瞳面における収差(理想像点からのずれ)で表す方法で、これを収差4元ベクトルと呼ぶ。著者はさらに第3の表現として、基準軸に対する角度および原点(基準軸と反射屈折面の交点)における高さで光線を表す光線基本4元ベクトルを導入する。これらのベクトルは互いに線形変換で結ばれる。

 光線追跡とは物体側の入射光線が与えられたときに像側の射出光線を求めるアルゴリズムであるから、光学系の特性は入射光線4元ベクトルと射出光線4元ベクトルの関数関係で表すことができる。この関数をべき級数に展開するのが収差論である。著者は,第3章の後半で、テンソル算法を援用し、収差論の形式的な理論を展開する。

 第4章「折れ曲がった基準軸に沿った近軸展開」では、光線追跡の基本要素である、反射または屈折による光線の変換について論じられる。すなわち、光線の反射,屈折の法則を、光線基本4元ベクトルの変換関係として表現する。この変換を入射光線基本ベクトルの成分で展開したときの、1次近似が近軸光線追跡を与える。

 第5章「光学要素による光線基本4元ベクトルの変換の具体形」では、これまでの結果を整理し、反射屈折、転送、ひねり(基準軸に直交する座標軸の回転)の3つの光学要素について光線基本4元ベクトルの近軸変換行列の具体的な形が提示される。光学系全体の特性は、要素変換行列の積で与えられる。

 第6章「Off-Axial光学系の近軸理論についての解析」では、共軸回転対称光学系における共役関係や焦点距離などの考え方を、Off-Axial光学系に拡張し、近軸理論の体系化が試みられる。回転対称光学系では物体が与えられれば像は一意的に決まるが、非対称な光学系では,アナモルフィックな光学系を考えれば分かる通り、光線を基準軸の回りに回転すると像の位置が変化するため、一意的に決めることができない。共役関係がアジムス(基準軸の回りの角度)に依存してくるのである。そこで著者は、ある特定のアジムスを選びそこで共役関係を論ずる方法と、アジムスについて適当な平均化をする第2の方法について論じている。これらの方法により、Off-Axial光学系の振る舞いを、従来の回転対称光学系で近似的に捉えることが可能となる。また,この近似は収差係数の計算にも必要になる。

 第7章「実際のOff-Axial光学系の設計への適用」では、光学設計の実例を挙げ、本理論の有用性を実証している。

 第8章「回転非対称な結像についての考察」では、アナモルフィック光学系、および物体面や像面が基準軸に対し傾いた光学系に本理論を適応する場合に留意すべき点を論じている。特に物体面や像面の傾きは、収差として扱えることを指摘している。

 第9章は本論文のまとめである。

 以上を要すると、本論文は、回転対称性を有しない光学系に対する近軸理論および収差論を初めて体系化したものであり、光学設計の自由度を飛躍的に拡大することに成功した画期的な成果である。本論文の成果はすでに光学設計の現場で活用され、製品開発に寄与すると同時に、Off-Axial光学系を合理的に扱う新しい概念の導入は、幾何光学の学問的な発展に貢献するところも少なくない。よって本論文は物理工学に対し寄与するところ大であり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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