学位論文要旨



No 215519
著者(漢字) 竹下,朱美
著者(英字)
著者(カナ) タケシタ,アケミ
標題(和) 看護者手洗いにおける電解水利用の効果に関する研究
標題(洋)
報告番号 215519
報告番号 乙15519
学位授与日 2002.12.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第15519号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 数間,恵子
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 齋藤,英昭
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 助教授 川久保,清
内容要旨 要旨を表示する

 人口の高齢化および高度治療に伴う免疫力の低下などによる易感染患者が増加しており、病院内での感染制御対策は重要な課題となっている。医療従事者特に看護者の手洗いは院内感染を防止する上で重要な作業であり、看護ケア前後の手洗いは最も効果的な防衛手段である。

「電解水」は水道水に食塩等の電解助剤を添加して電気分解をした際に、陽極側に生成される塩素ガスや次亜塩素酸などを含有するイオン水である。各種の病原性細菌や真菌に対して強い殺微生物効果を示すこと、さらに生体に対して安全性が高いことから、頻回な手洗いによる手荒れが問題となっている医療従事者に対し、比較的安全性の高い手指洗浄水として期待が持たれている。現在医療分野で使用されている電解水はpHと遊離残留塩素濃度により分類されており、大別してpH2.3〜3、5〜50ppmの遊離残留塩素を含む強酸性電解水とpH5〜7、10〜150ppmの遊離残留塩素を含む弱酸性電解水とに区別されている。しかしながら、手指洗浄効果に及ぼす遊離残留塩素濃度およびpHの影響、また手洗い時間の寄与についての詳細な検討はほとんどされておらず不明なままである。さらに臨床看護現場において、ケア後の手洗い洗浄水に使用した際の洗浄効果についての検討はほとんど行われていない。すなわち、電解水は臨床看護現場の手洗い洗浄水として期待はされているものの、その有用性についてのエビデンスが明確にされていない。

 そこで本研究においては、電解水を看護者手洗いに使用した際の有用性について検討するために、電解水の性質の違いによる消毒効果および皮膚への影響について明らかにし、さらに臨床看護場面において、看護ケアの種類および手指汚染度と電解水の洗浄効果との関係について明らかにすることを目的とした。本研究は第1章から第6章より構成されている。第1章から第3章においては、電解水の性質を特徴づける遊離残留塩素濃度およびpHの消毒効果および皮膚に与える影響についての基礎的な検討を行った。第4章から第6章は看護ケア後の手指汚染の実態を明らかにし、看護ケアの種類および手指汚染度と電解水の洗浄効果との関係について明らかにした。得られた結果について以下に記す。

第1章:電解水の殺菌効果に及ぼす遊離残留塩素濃度およびpHの影響

 電解水の殺菌効果を維持するために必要な遊離残留塩素濃度および電解水の性質を特徴づけるもうひとつの因子であるpHの殺菌効果に対する寄与についてin vitroにおいて検討した。本研究において即効的な殺菌効果が得られた電解水の水質は、pH2.3で1.0ppm以上、pH2.5〜2.7の範囲では2.0ppm以上、pH3.0〜5.0の範囲では3.0ppm以上、PH6.0〜7.0の範囲では5.0ppm以上であり、電解水の殺菌効果が主に遊離残留塩素濃度に依存し、pHは相乗的に作用することが明らかとなった。(Table 1-1)

第2章:電解水の皮膚消毒効果

 in vitroにおいて強い殺菌効果を示した強酸性および弱酸性の電解水を用いて、実際に皮膚に作用させた場合の皮膚消毒効果について検討した。皮膚消毒の対象はアトピー性皮膚炎患者の皮表に特異的に存在する黄色ブドウ球菌とし、皮膚消毒剤として一般的に使用されている10%ポビドンヨード液との比較を含め検証をした。その結果、強酸性および弱酸性の電解水はアトピー性皮膚炎患者の皮表に存在する黄色ブドウ球菌に対して皮膚消毒効果認められ、さらに10%ポビドンヨード液作用後の皮膚消毒効果との差は認められないことが明らかとなった。

第3章:電解水の皮膚への影響

 pHの異なる強酸性および弱酸性の電解水を皮膚に作用した際の皮膚への影響について、電解水作用後の皮膚からの落屑物量を指標とし、また皮膚角層機能との関係を含め検討した。その結果、皮膚からの落屑物量は電解水のpHおよび遊離残留塩素濃度の両方に依存し、pHが強酸性でかつ遊離残留塩素を含有する場合に落屑物量が多いことが明らかとなった(Fig.3-2)。また赤外分光スペクトル分析により、落屑物には角層構成成分であるケラチンおよび脂肪酸やエステルなどの皮表脂質の構成成分が含まれていることが明らかとなった。続いて落屑物量と角層機能指標との関係を調べたところ、強酸性電解水作用後に落屑物量が多い群の皮膚は、細胞形態が悪く、かつ経皮水分蒸散量が高いような比較的角層バリア機能が低いという特徴が認められた。これらの結果から、低pHで次亜塩素酸を含有する強酸性電解水は乳酸やグリコール酸などのアルファヒドロキシ酸の作用に類似した角層細胞の結合を弱めるような働きがあるのではないかと推測された。

第4章:電解水の手指洗浄効果に及ぼす遊離残留塩素濃度およびpHの影響

 電解水での洗浄が日常的な看護ケア時の手指細菌汚染に対して適用可能かどうかを実験室において検討した。すなわち看護現場における手指細菌汚染を想定し、黄色ブドウ球菌を指標菌として人工的に105cfu/hand程度の手指汚染をつくり、電解水の手指洗浄効果に及ぼす遊離残留塩素濃度及びpHの寄与および洗浄時間の影響について、液体薬用石鹸(トリクロカルバン、トリクロ酸含有)と水道水での洗浄との比較を含め検討した。その結果、電解水の手指洗浄効果は主に遊離残留塩素濃度に依存し、pHは相乗的に作用することが明らかとなり、さらに一定濃度以上の遊離残留塩素を含む電解水は、10秒間という比較的短時間の手洗い時間において、液体薬用石鹸での洗浄と同等またはそれ以上の洗浄効果が認められることが明らかとなった。以上の結果から、電解水は、103〜104cfu/hand程度の看護ケア時の一過性の付着細菌に対する手指洗浄水として適用可能であることが示唆された。(Fig.4-1)

5章:各種看護ケアにおける手指細菌汚染の実態

 電解水を臨床看護現場で使用する前に、看護ケア時における手指細菌汚染状況の実態把握を行った。病棟において看護者が日常的に行うおむつ交換、体位変換、清拭、陰部洗浄、口腔ケア、気管内吸引などの看護ケアを実施した後の手指からの細菌を回収し、看護ケアの種類、排便の有無、手袋の有無、実施日の違いなどにより層別を行った。その結果、看護ケア後の手指検出細菌数は看護ケアの種類により差が認められた。清拭、口腔ケア、おむつ交換、陰部洗浄、体位変換、気管内吸引の順に多い傾向が認められ、患者の皮膚に直接触れるケア、患者の衣服等に触れるケア、患者に直接触れないケアの順で手指からの検出細菌数が多いことが明らかとなった。また清拭、おむつ交換、陰部洗浄後の手指検出細菌数は、その日の患者の排便の有無により差がみられ、同一ケアにおいて排便があった日はない日よりも手指検出細菌数が多いことが明らかとなった(Fig.5-2)。さらに陰部洗浄、清拭およびおむつ交換後の手指検出細菌数の間には相関がみられるが、体位変換、気管内吸引との間には相関はみられないことから、おむつ内側の皮膚に直接触れる陰部洗浄、清拭およびおむつ交換後の手指検出細菌数には関連があり、さらにおむつ内の汚染度の影響を受けること、しかしながら体位変換、気管内吸引後はおむつ内の汚染度の影響を受けないことが明らかとなった。

第6章:看護ケアの種類および手指汚染度の違いによる電解水の手指洗浄効果

 看護ケアの種類および手指汚染度と電解水の洗浄効果との関係について明らかにするために、看護者が日常的な看護ケアを実施した時の手指検出細菌に対する洗浄効果について、一般に病棟の手洗いに用いられている7.5%ポビドンヨード液、薬用石鹸および薬用成分無添加の石鹸での洗浄との比較を含め定量的な検討をした。その結果、比較的手指細菌汚染度が高い看護ケア(排便の認められた目における皮膚に直接触れる看護ケア)に対しては、弱酸性電解水での洗浄はケア後の手指細菌を除去しきれない場合が認められた(Table 6-7)が、排便の認められない日における皮膚に直接触れる看護ケア、さらに患者の衣服等に触れるケアである体位変換、患者に直接触れることの少ない気管内吸引後の手洗いにおいては、手洗い後の手指からの検出細菌数は、ケア前と同等またはそれ以下まで減少しており、7.5%ポビドンヨード液との差は認められなかった。(Table 6-8)。以上の結果から、電解水は103〜104cfu/hand程度の比較的細菌汚染の少ない日常の看護ケア後の手洗いにおいて、患者の皮膚に直接触れるケア、患者の衣服等に触れるケア、患者に直接触れないケア後のいずれにも適用可能であることが明らかとなった。まとめ

 本研究により、電解水の殺菌効果および手指洗浄効果は遊離残留塩素濃度に依存しpHは相乗的に働くこと、さらに電解水のpHの違いによる皮膚落屑効果の違いが明らかとなり、この落屑効果は強酸性において顕著であり、弱酸性においては水道水と同租度であることが明らかとなった。また臨床看護場面において、103〜104cfu/hand程度の比較的細菌汚染の少ない日常の看護ケア後の手洗いにおいて、患者の皮膚に直接触れるケア、患者の衣服等に触れるケア、患者に直接触れないケアのいずれにも適用可能であることが明らかとなった。

Table1-1 Survival ratio by distinction of electrolyzed water

AからDの矢印は染色された部位を、矢頭は最遠位の体節を示す

Fig.3-2. Weight of desquamation after the exposure to S-AEW or AEW or TW.

:Statistically significant at 0.1% by Scheffe's multiple comparison test.N.S.:Not significant.〓:Mean ± S.D.

Fig.4-1. Survival ratio with various electrolyzed waters and with other hand washing methods.

(n)〜(c):Washing with electrolyzed water (a)pH2.9,(b)pH6.0, (c)pH7.7 (d):Washing with tap water. (e):Washing with medicated liquid soap and tap water.〓:Washing time was 10 seconds.〓:Washing time was 30 seconds.*,**:Significantly different from the survival ratios after hand washing with medicated liquid soap and tap water at p<0.05 and p<0.01, respectively.

Fig.5-2. Hand bacterial counts after nursing procedures categorized into days with defecation and those without defecation.

The hand bacterial counts after nursing procedures were categorized into days with defecation(a)(the 3rd, 4th, and 6th days), and those without defecation(b)(the 1st, 2nd, and 5th day)*:Statistically significant at 5% by Mann-Whitney testN.S.:Not significant by Mann-Whitney test.△:Gloves were worn.

Table 6-7. Hand bacterial counts before and after nursing procedures and after hand washing using each washing method

Table 6-8. Hand bacterial counts before and after changing positions and after hand washing using each washing method

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は各種の病原性細菌に対して強い殺菌効果を示し、生体に対して安全性が高いことが報告されている「電解水」を、看護ケア後の手洗いに適用した場合の効果について明らかにすることを試みたものである。すなわち、電解水の性質を特徴づける遊離残留塩素濃度およびpHの消毒効果および皮膚に与える影響を明らかにし、さらに臨床看護場面において、看護ケアの種類および手指汚染度と電解水の洗浄効果との関係について明らかにすることを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.電解水の性質を特徴づける遊離残留塩素濃度およびpHの殺菌効果に対する寄与について、in vitroにおいて調べたところ、即効的な殺菌効果が得られた電解水の水質は、pH2.3で1.0ppm以上、pH2.5〜2.7の範囲では2.0ppm以上、pH3.0〜5.0の範囲では3.0ppm以上、pH6.0〜7.0の範囲では5.0ppm以上であり、電解水の殺菌効果が主に遊離残留塩素濃度に依存し、pHは相乗的に作用することが示された。

2.強酸性および弱酸性の電解水の皮膚消毒効果について、アトピー性皮膚炎患者の皮表に存在する黄色ブドウ球菌を対象として調べたところ、皮膚消毒剤である10%ポビドンヨード液作用後の皮膚消毒効果との差は認められなかった。

3.強酸性および弱酸性の電解水の皮膚への影響について、電解水作用後の皮膚からの落屑物量を指標として調べたところ、皮膚からの落屑物量は電解水のpHおよび遊離残留塩素濃度の両方に依存し、pHが強酸性でかつ遊離残留塩素を含有する場合に落屑物量が多いことが示された。また落屑物には角層構成成分であるケラチンおよび脂肪酸やエステルなどの表皮脂質の構成成分が含まれていることが示された。さらに落屑物量と角層機能指標との関係を調べたところ、強酸性電解水作用後に落屑物量が多い群の皮膚は細胞形態が悪く、かつ経皮水分蒸散量が高いような比較的角層バリア機能が低いという特徴が示された。

4.実験室にて人工的に105cfu/hand程度の手指汚染をつくり、電解水の手指洗浄効果に及ぼす遊離残留塩素濃度及びpHの寄与および洗浄時間の影響について調べたところ、電解水の手指洗浄効果は主に遊離残留塩素濃度に依存し、pHは相乗的に作用することが示された。さらに一定濃度以上の遊離残留塩素を含む電解水は、10秒間の手洗い時間で、薬用石鹸での洗浄と同等またはそれ以上の洗浄効果が示され、電解水は、103〜104cfu/hand程度の一過性の付着細菌に対する手指洗浄水として適用可能であることが示された。

5.電解水を臨床看護場面において使用する前に、看護者が日常的な看護ケアを実施したときの手指細菌汚染の実態調査を行ったところ、看護ケア後の手指検出細菌数は看護ケアの種類により差が認められ、患者の皮膚に直接触れるケア、患者の衣服等に触れるケア、患者に直接触れないケアの順で手指からの検出細菌数が多いことが示された。さらに看護ケアの種類および手指汚染度と電解水の洗浄効果との関係について明らかにするために、薬用石鹸と同程度の洗浄効果があり、かつ皮膚への影響が少ないと考えられた弱酸性の電解水を使用し、7.5%ポビドンヨード液、薬用石鹸および薬用成分無添加の石鹸での洗浄との比較を含め、その洗浄効果を調べたところ、弱酸性の電解水での洗浄は、手指検出細菌数が比較的多い場合には、7.5%ポビドンヨード液での洗浄に比べ若干効果は劣るものの、日常の看護ケア後の103〜4cfu/hand程度の比較的細菌汚染の少ない手指に対しては、患者の皮膚に直接触れるケア、患者の衣服等に触れるケア、患者に直接触れないケア後のいずれにも適用可能であり、短時間で効果的な洗浄が可能であることが示された。以上、本論文は医療現場において使用され始めている電解水において、その性質を特徴づける遊離残留塩素濃度およびpHの消毒効果および皮膚に与える影響について明らかにした。さらに臨床看護場面において、看護ケアの種類および手指汚染度と電解水の洗浄効果との関係について明らかにした。本研究は、今後臨床看護場面における手洗いに電解水を使用する上での基礎データとして重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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