学位論文要旨



No 215929
著者(漢字) 永田,裕之
著者(英字)
著者(カナ) ナガタ,ヒロユキ
標題(和) 放線菌 Streptomyces sp.の生産する新規免疫抑制剤 lymphostin に関する研究
標題(洋)
報告番号 215929
報告番号 乙15929
学位授与日 2004.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15929号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 渡部,終五
 理化学研究所 主任研究員 吉田,稔
 東京大学 助教授 松永,茂樹
内容要旨 要旨を表示する

Srcファミリーに属する非受容体型チロシンキナーゼLckは、リンパ球、特にT細胞に特異的に発現しており、CD4、CD8およびIL-2レセプターβ鎖などのT細胞上の分子に細胞内で会合し、T細胞内のシグナル伝達に重要な機能を果たしている。Lckを欠失したヒトJurkat T細胞は、抗T細胞レセプター抗体に応答せず、一方Lckノックアウトマウスは皮膚移植片拒絶反応などのT細胞を介した反応を示さない。

T細胞レセプター刺激により、LckはT細胞レセプターζ鎖やZAP70をチロシンリン酸化して活性化させ、さらに、カルシニューリンなどの下流のシグナル伝達分子を介して、IL-2の産生を惹起する。免疫抑制剤のFK506およびcyclosporin A (CsA) は、イムノフィリンと結合してカルシニューリンを阻害することによりIL-2の産生を抑制する。しかし、カルシニューリン阻害により腎毒性などの副作用が発現すると考えられている。したがってLckの阻害剤は、これらの薬剤とは作用機序の異なる新しいタイプの免疫抑制剤になると期待される。

このような状況のもとで本研究では、毒性の弱い免疫抑制剤の開発を目的に、微生物代謝産物を対象としたLck阻害剤の検索を行ったところ、lymphostinと命名した新規アルカロイドを放線菌から単離・構造決定するとともに、その作用機序を明らかにすることができた。その概要は以下の通りである。

スクリーニング

先ず、Lckの酵素活性を阻害する化合物をスクリーニングするために、Lckの酵素アッセイ系を構築した。すなわち、仔牛胸腺の抽出液をDEAEセルロース、ヘパリンアガロースおよびブチルアガロースを用いたクロマトグラフィーにより順次精製してLck標品を得た。基質にはペプチド(Tyr-Ala-Glu)7と[γ-32P] ATPを用い、反応後トリクロロ酢酸を添加し、沈殿した(Tyr-Ala-Glu)7をろ取して放射活性を測定することにより、(Tyr-Ala-Glu)7への32Pの取り込みを指標にLckの酵素活性を測定するスクリーニング系を開発した。なお、プロテインキナーゼC酵素アッセイ系を比較対照にして阻害活性の選択性の評価を行い、キナーゼを非選択的に阻害する物質を排除した。

本スクリーニング系を用いて9722検体の微生物培養液を対象にLckの酵素活性を阻害する物質をスクリーニングしたところ、群馬県嬬恋村の土壌より分離された放線菌Streptomyces sp. KY11783が強力なLck選択的阻害物質を生産することを見出した。

Lymphostinの発酵生産、単離および構造決定

次に、Streptomyces sp. KY11783が生産する阻害物質の分離・同定を試みた。培養には、炭素源としてsoluble starch、窒素源にsoybean meal、corn steep liquorおよびdry yeastを、無機塩としてKH2PO4、ZnSO4・7H2O、CoCl2・6H2O、NiSO4およびMg3(PO4)2・8H2O、さらに吸着樹脂Diaion HP-20を添加した培地を用いた。活性物質は培養1日目から生産されはじめ、2日目でピークに達し、その後ほぼ一定に推移した。なお、本活性物質の生産にはDiaion HP-20の添加が極めて効果的であった。これは活性物質がDiaion HP-20に吸着されることにより、培養液中での失活が回避されたためと考えられる。

得られた培養液25 LからDiaion HP-20をろ取し、酢酸エチルで抽出した。抽出液をシリカゲルクロマトグラフィーおよびODS-HPLCに順次付し、活性成分を100.2 mg単離した。

本活性成分は、赤橙色粉末で、218(15,200)、256(19,300)、284(16,000)、344(11,900)、412(6,000)、467 nm (8,200)にUV吸収を示した。IR吸収からα,β-不飽和ケトン(1671 cm-1)とアミド(1659 cm-1)の存在が示唆された。また、FABMSにおいてm/z 311に疑似イオンピークを与え、高分解能FABMSなどにより分子式をC16H14O3N4と決定した。1Hおよび13C NMRスペクトルから、メチル基[δH 2.35 (3H,s), δc 24.5]、メトキシ基[δH 3.94 (3H, s), δc 58.5]、5つのsp2メチン[δH 8.62 (1H,s), 8.39 (1H, s), 8.14 (1H, s), 7.87 (1H, d),7.64 (1H, d) ; δc117.6, 145.8, 110.8, 163.9, 101.9]、2つのカルボニル炭素(δc188.7, 169.7)、および7つの4級sp2炭素(δc150.3, 147.7, 139.5, 136.6, 133.5, 124.9, 124.4)の存在が示された。また、アミノプロトン[δH 8.21(2H, s)]およびアミドプロトン[δH 10.14(1H, s)]と考えられる交換性のプロトンが観察された。HMBCなどの2次元NMRから、β-メトキシエノンおよびアセトアミドの存在が示された。また、 C-2メチン(δH 8.39, δc 145.8)は1JCH結合定数 (190 Hz) などから窒素原子に隣接すると考えられた。これ以上の解析は窒素原子や4級炭素が多いため困難であったため、重水素交換実験での13C シグナルのシフトおよびHMBCの相関から、交換性プロトンを含む部分構造を構築した。残りの構造は、NOE差スペクトルで観察されたH-2とH-3のNOEの相関およびHMBCの相関から構築した。以上の結果から、本活性成分の構造を下図のようなピロロ[4,3,2-de]キノリン骨格を有する新規アルカロイドと決定し、lymphostinと命名した。

Lymphostinの生物活性

Lymphostinは仔牛胸腺から部分精製したLckの人工基質ペプチド(Tyr-Ala-Glu)7に対するリン酸化をIC50 0.05 μMで阻害した。本阻害活性はLckとlymphostinの前反応時間に依存して強くなった。また、反応液中のATP濃度を変えても阻害活性に変化はなかったが、基質ペプチドの濃度を下げると阻害活性は強くなった。したがって、lymphostinはLckの基質との結合部位またはその近傍に不可逆的または解離の遅い結合をしてキナーゼ活性を阻害すると推察された。また、ヒトT細胞株Jurkatから抗Lck抗体を用いて免疫沈降で得たLckの自己リン酸化もIC50 0.33 μMで阻害した。

次に、lymphostinの細胞レベルでのLck阻害活性を評価するため、CD3刺激によって惹起されるJurkat T細胞内タンパク質のチロシンリン酸化にlymphostinが与える影響を調べた。その結果、lymphostinは濃度依存的に細胞内タンパク質のチロシンリン酸化を抑制したが、その活性は23 kDaのタンパク質のチロシンリン酸化で測定したとき、IC50 0.2 μMであった。

Lymphostinの細胞レベルでの免疫抑制活性を評価するため、混合リンパ球反応に与える影響を調べたところ、lymphostinは混合リンパ球反応を濃度依存的に抑制し、そのIC50値は0.009 μMであった。一方、同じ条件で測定したCsAのIC50値は0.05 μMであった。さらに、in vivoでの免疫抑制活性を評価するため、lymphostinのマウス遅延型過敏症実験モデルへの影響を調べた。その結果、lymphostinはマウスの足浮腫を1 mg/kg(ip)で65%抑制した。なお、CsAは30 mg/kg(ip)で91%抑制した。

Lymphostinの混合リンパ球反応の阻害活性は、細胞レベルのLck阻害活性より強かったので、lymphostinにはLck阻害活性以外の作用があることが示唆された。そこで、他のキナーゼに対する阻害活性を調べたところ、プロテインキナーゼAおよびCに対しては、それぞれIC50 4.8 および1.3 μMの阻害活性を示したが、Jurkat T細胞由来のホスファチジルイノシトール3-キナーゼ(PI3-キナーゼ)に対する阻害活性は、IC50 0.001 μMときわめて強力であった。これは既存のPI3-キナーゼ阻害剤であるwortmanninのIC50値0.003 μMを上回る阻害活性であった。また、lymphostinのPI3-キナーゼに対する阻害様式は、不可逆的あるいは解離の遅い結合であった。したがって、PI3-キナーゼもT細胞のシグナル伝達に関与していることが示唆されているので、lymphostinの免疫抑制活性にはPI3-キナーゼ阻害活性も寄与していると考えられる。

以上のように本研究では、リンパ球特異的に発現しているLckの阻害剤について微生物代謝産物を対象に検索したところ、lymphostinと命名した新規アルカロイドを単離・構造決定することができた。さらに、その阻害作用の解析の結果、LckばかりでなくPI3-キナーゼに対しても強力な阻害活性を有することを明らかにし、lymphostinが新しいタイプの免疫抑制剤として有望であることを示すと同時に、LckおよびPI3-キナーゼの機能を調べる試薬としても利用できることを示唆したもので、学術ならびに産業に貢献するところは大きいものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

非受容体型チロシンキナーゼLckは、リンパ球、特にT細胞に特異的に発現しており、CD4、CD8およびIL-2レセプターβ鎖などのT細胞上の分子に細胞内で会合し、T細胞内のシグナル伝達に重要な機能を果たしている。Lckを欠失したヒトJurkat T細胞は、抗T細胞レセプター抗体に応答せず、一方Lckノックアウトマウスは皮膚移植片拒絶反応などのT細胞を介した反応を示さない。したがって、Lckの阻害剤は、シクロスポリンなどの薬剤とは作用機序の異なる新しいタイプの免疫抑制剤になると期待される。

このような状況のもとで本研究では、毒性の弱い免疫抑制剤の開発を目的に、微生物代謝産物を対象としたLck阻害剤の検索を行ったところ、lymphostinと命名した新規アルカロイドを放線菌から単離・構造決定するとともに、その作用機序を明らかにすることができた。その概要は以下の通りである。

スクリーニング

先ず、Lckの酵素活性を阻害する化合物をスクリーニングするために、Lckの酵素アッセイ系を構築した。すなわち、仔牛胸腺から精製したLck標品を基質のペプチド(Tyr-Ala-Glu)7および[γ-32P] ATPとインキュベーションした。反応後トリクロロ酢酸を添加し、沈殿した(Tyr-Ala-Glu)7をろ取して放射活性を測定することにより、(Tyr-Ala-Glu)7への32Pの取り込みを指標にLckの酵素活性を測定するアッセイ系を開発した。なお、プロテインキナーゼC酵素アッセイ系を比較対照にして阻害活性の選択性の評価を行い、キナーゼを非選択的に阻害する物質を排除した。本アッセイ系を用いて9722検体の微生物培養液を対象にLckの酵素活性を阻害する物質をスクリーニングしたところ、群馬県嬬恋村の土壌より分離された放線菌Streptomyces sp. KY11783が強力なLck選択的阻害物質を生産することを見出した。

Lymphostinの単離および構造決定

次に、Streptomyces sp. KY11783が生産する阻害物質の分離・同定を試みた。培養には、炭素源としてsoluble starch、窒素源にsoybean meal、corn steep liquorおよびdry yeastを、無機塩としてKH2PO4、ZnSO4・7H2O、CoCl2・6H2O、NiSO4およびMg3(PO4)2・8H2O、さらにDiaion HP-20を添加した培地を用いた。得られた培養液25 LからDiaion HP-20をろ取し、酢酸エチルで抽出した。抽出液をシリカゲルクロマトグラフィーおよびODS-HPLCに順次付し、活性成分を100.2 mg単離した。本活性成分は、C16H14O3N4の分子式を持つ赤橙色粉末で、 各種2次元NMRから、下図のようなピロロ[4,3,2-de]キノリン骨格を有する新規アルカロイドと決定し、lymphostinと命名した。

Lymphostinの生物活性

Lymphostinは仔牛胸腺から部分精製したLckの人工基質ペプチド(Tyr-Ala-Glu)7に対するリン酸化をIC50 0.05 μMで阻害した。本阻害活性はLckとlymphostinの前反応時間に依存して強くなった。また、反応液中のATP濃度を変えても阻害活性に変化はなかったが、基質ペプチドペプチドの濃度を下げると阻害活性は強くなった。したがって、lymphostinはLckの基質との結合部位またはその近傍に不可逆的または解離の遅い結合をしてキナーゼ活性を阻害すると推察された。次に、CD3刺激によって惹起されるJurkat T細胞内タンパク質のチロシンリン酸化にlymphostinが与える影響を調べたところ、lymphostinは濃度依存的に細胞内タンパク質のチロシンリン酸化を抑制したが、その活性は23 kDaのタンパク質のチロシンリン酸化で測定したとき、IC50 0.2 μMであった。

Lymphostinの混合リンパ球反応に与える影響を調べたところ、lymphostinは混合リンパ球反応を濃度依存的に抑制し、そのIC50値は0.009 μMであった。一方、同じ条件で測定したCsAのIC50値は0.05 μMであった。さらに、lymphostinのマウス遅延型過敏症実験モデルへの影響を調べた結果、lymphostinはマウスの足浮腫を1 mg/kg(ip)で65%抑制した。Lymphostinの混合リンパ球反応の阻害活性は、細胞レベルのLck阻害活性より強かったので、lymphostinにはLck阻害活性以外の作用があることが示唆された。そこで、他のキナーゼに対する阻害活性を調べたところ、プロテインキナーゼ AおよびCに対しては、それぞれIC50 4.8 および1.3 μMの阻害活性を示したが、Jurkat T細胞由来のホスファチジルイノシトール3-キナーゼ(PI3-キナーゼ)に対する阻害活性は、IC50 0.001 μMときわめて強力であった。これは既存のPI3-キナーゼ阻害剤であるwortmanninのIC50値0.003 μMを上回る阻害活性であった。また、lymphostinのPI3-キナーゼに対する阻害様式は、不可逆的あるいは解離の遅い結合であった。したがって、PI3-キナーゼもT細胞のシグナル伝達に関与していることが示唆されているので、lymphostinの免疫抑制活性にはPI3-キナーゼ阻害活性も寄与していると考えられた。

以上本研究では、新しい作用機序を有する免疫抑制剤の開発を目的に、リンパ球特異的に発現しているLckの阻害剤について微生物代謝産物を対象に検索してlymphostinと命名した新規アルカロイドを単離・構造決定するとともに、本物質がLckばかりでなくPI3-キナーゼを強力に阻害して免疫抑制作用を示すことを示唆したもので、学術ならびに産業に貢献するところは大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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