学位論文要旨



No 215983
著者(漢字) 野方,靖行
著者(英字) Nogata,Yasuyuki
著者(カナ) ノガタ,ヤスユキ
標題(和) タテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害物質に関する研究
標題(洋) Studies on Antifouling Substances against Cypris Larvae of the Barnacle Balanus amphitrite
報告番号 215983
報告番号 乙15983
学位授与日 2004.04.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15983号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 客員教授 廣田,洋
 東京大学 助教授 松永,茂樹
内容要旨 要旨を表示する

 フジツボ類、イガイ類をはじめとする海洋付着生物は、発電所の取放水路、船底、養殖施設などに付着して多大の被害を与えている。これらの生物の防除には、従来有機スズ化合物や亜酸化銅などの重金属を含む防汚塗料が主に使われてきた。有機スズ系防汚塗料は、優れた防汚効果を有することから広く用いられてきたが、多くの海産生物に対して毒性を示すことが判明したため、我が国では1992年に製造および使用が禁止となり、世界的にも使用を禁止する方向で協議が進められている。同様に、亜酸化銅系塗料も海洋環境に与える影響が懸念されている。一方、有機スズ化合物の代替品として登場したIrgarol1051などのバイオサイドについても、同様な問題が生じている。この様な状況から、いわゆる環境に優しい防汚剤の開発が緊急の課題となっている。

 そこで本研究では、環境への負荷の少ない防汚剤を開発することを目的とし、海洋無脊椎動物抽出液についてフジツボ幼生の付着阻害試験を行って浮かび上がった有望な活性をもつ海綿から付着阻害物質の探索を試みるとともに、既に有効な活性が認められている海綿由来の3-isocyanotheonellineをリード化合物として59種類の類縁体を合成して付着阻害活性を評価した。そして、有望な活性が認められた化合物の中から、比較的安価に合成できる2つの化合物について試験塗料を作成し、海域浸漬試験により効果を判定した。その概要は以下の通りである。

1.海綿からの新規付着阻害物質の探索

 先ず、海綿、ホヤ、コケムシなど合計118種類の無脊椎動物のメタノール抽出物を対象に、タテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害活性を調べた。その結果、86種類が100μg/mlの濃度でキプリス幼生の付着を80%以上阻害した。そのうち、13種類は死亡率15%以下の有望な活性を示した。特に、熱海で採集した海綿Acanthella cavernosaは、本研究の目的に合致する活性(付着阻害率100%、死亡率0%)を示したので、活性成分の単離と同定を試みた。

 凍結海綿(150g)をエタノールで抽出後、付着阻害活性を指標に溶媒分画、およびシリカゲルフラッシュクロマトグラフィーに付した後、ODS-HPLCを2回繰り返し、付着阻害活性を示す3.9mgの新規化合物1と0.7mgの既知化合物T-cadinol(2)を単離した。

 新規化合物1の分子式を、1HNMR、13CNMRおよびFABMSデータからC16H27NOと決定した。また、1HNMRと13CNMRスペクトルから、ホルムアミド基の存在が示唆された。さらに、各種2次元NMRスペクトルの詳細な解析により、セスキテルペン4-cadineneの10位にホルムアミド基が結合した平面構造をもつものと推定された。そこで、1をp-TsCl/pyで処理したところ、10-イソシアノ体が得られた。この化合物の1HNMRと13CNMRスペクトルおよび旋光度は、既知の10-isocyano-4-cadineneのそれと完全に一致した。すなわち、化合物1を10-formamido-4-cadineneと決定した。10-formamido-4-cadinene(1)は、タテジマフジツボキプリス幼生に対してEC500.50μg/mlの付着阻害活性を示したが、10.0μg/mlの濃度では全ての幼生が死亡した。一方、T-cadinol(2)のEC50値は0.53μg/mlであり、30.0μg/mlでも幼生に毒性が見られなかったことから、有望な防汚剤候補と考えられた。

2.イソシアノおよび類縁化合物の合成および付着阻害活性

 海綿由来の3-isocyanotheonelline(3)は、タテジマフジツボキプリス幼生に対してEC500.13μg/mlの付着阻害活性を示すが、毒性が弱い(LD50>100μg/ml)ので、有望な防汚剤候補と考えられる。そこで、本化合物をモデル化合物として、各種類縁体を合成して付着阻害活性を評価した。先ず、3-isocyanotheonellineを含む4つの異性体を合成するとともに、側鎖部分を還元したものや他の官能基で置き換えた化合物を合成した。次に、シクロヘキサン環をより扱い易いフェニル基へ変換し、さらに側鎖部分を変更したもの、あるいはイソシアノ基を他の官能基に変換した化合物を合成した。さらに、より簡単な構造の防汚剤開発を目指して、直鎖イソシアノ化合物を合成した。このようにして、合計59種類の化合物を合成し、それらのキプリス幼生に対する付着阻害活性と毒性を評価した。

 合成した3つの異性体は、3-isocyanotheonellineとほぼ同等の阻害活性を示した、また、側鎖部分をカルボニル基を含む構造に変えた化合物は、非常に強い付着忌避活性を示し、かつ測定した範囲では顕著な毒性を示さなかった。特に、trans-4-isocyano-4-methylcyclohexyl acetate(4)は、合成した化合物の中で最も強い活性(EC500.0094μg/ml)を示した。

 同様に、3-isocyanotheonellineのシクロヘキサン環をフェニル基へ変換した4-[(E,E)-1,5-dimethl-hexa-1,3-dienyl]isocyano benzene(5)も強い活性を示した。また、5の側鎖部分をベンジルオキシル基へと変換した4-benzyloxyphenyl isocyanide(6)も強い付着阻害活性を示したが、硫酸銅とほぼ同等の毒性(LD503.0μg/ml)を示した。一方、6のイソシアノ基をシアノ基、アミド基あるいはカルボキシル基などに変換した化合物は、ほとんど活性を示さず、イソシアノ基が付着阻害活性の発現に重要な役割を果していることが示唆された。また、イソシアノ基をアセトアミド基へ変換したN-(4-hexylphenyl)acetamide(7)は、多少活性が落ちるものの、毒性が低く、かつ比較的簡単に合成ができるため、防汚剤として有望と考えられた。

 直鎖イソシアノ化合物は、全て顕著な付着阻害活性(EC500.046-1.90μg/ml)示し、かつ毒性も硫酸銅よりかなり弱かった。特に、1,1-dimethyl-10-undecyl isocyanide(8)と1,1-dimethyl-10-phenyltioldecyl isocyanide(9)は強い活性を示したが、硫酸銅のLD50値の約10倍である30μg/mlでも毒性が認められなかった。

3.試作塗料のフィールド試験

 合成した化合物の中から、強い付着阻害活性と弱い毒性をもち、かつ比較的安価に合成できる化合物のN-(4-hexylphenyl)acetamide(7)と1,1-dimethyl-10-undecyl isocyanide(8)をそれぞれ300g合成し、試作塗料を作成して実海域浸漬試験を行った。

 試作塗料は、15%の化合物7あるいは8をカルボン酸系アクリルポリマーが主成分の樹脂に混合して作成した。塩化ビニル板(25×25cm)を3等分し、市販の亜酸化銅塗料を中央に6×25cmの面積で塗布し、さらに2種類の試作塗料を両側にそれぞれ7.5×25cmの面積で塗布した。これを宮城県志津川町の漁港の廃船から水深0.5mの位置に2003年8月30日〜11月27日の約3ヶ月間垂下し、約1ヵ月毎に観察した。一方、東京湾では2003年10月16日〜12月9日の約2ヶ月間、お台場の岸壁の最干潮時水深約1mの位置に試験板を設置して同様に観察を行った。

 その結果、宮城県に設置した付着板では、塗装していない裏面に群体ホヤ、コケムシ、ヒドロ虫などの大型付着生物が一面に付着しているのが観察されたが、試験塗料面はヒドロ虫の走根と付着珪藻の付着が見られたものの、3ヵ月後でも有効な防汚性能がみられた。また、東京湾に設置した板には、単体ホヤとフジツボの付着が見られたが、塗装面へのホヤの付着は見られず、フジツボの付着数も無塗装面と比較して有意に少なかった。以上のことから、いずれの海域においても、亜酸化銅塗料と比較するとやや防汚性能が劣るものの、試作塗料は顕著な防汚効果を有するものと判断された。

 以上本研究では、環境に優しい防汚剤の開発を目的に、海洋天然物質の検索および化学合成により候補化合物の探索を行った結果、付着阻害が強く、かつ毒性が弱い数種のイソシアノ化合物を創造することができた。さらに、フィールド試験においてもこれらの化合物が有効なことが証明され、イソシアノ基を含む化合物の有効性を示すことができた。これらの知見は環境負荷の少ない防汚塗料の開発に大きな貢献をするものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 フジツボ類、イガイ類をはじめとする海洋付着生物は、発電所の取放水路、船底、養殖施設などに付着して多大の被害を与える。これらの生物の防除には、従来有機スズ化合物が主に使われてきたが、海産生物に対して毒性を示すことが判明したため、我が国では1992年に製造および使用が禁止となり、世界的にも使用を禁止する方向で協議が進められている。同様に、亜酸化銅系塗料やバイオサイドについても、同様な問題が生じている。この様な状況から、環境に優しい防汚剤の開発が急務となっている。そこで本研究では、環境への負荷の少ない防汚剤の開発を目的に、海洋無脊椎動物抽出液についてフジツボ幼生の付着阻害試験を行い、浮かび上がった有望な活性をもつ海綿から付着阻害物質の探索を試みるとともに、既に有効な活性が認められている海綿由来の3-isocyanotheonellineをリード化合物として63種類の類縁体を合成して付着阻害活性を評価した。そして、有望な活性が認められた化合物の中から、比較的安価に合成できる2つの化合物について試験塗料を作成し、海域浸漬試験により効果を判定した。その概要は以下の通りである。

1.海綿からの新規付着阻害物質の探索

 先ず、海綿、ホヤ、コケムシなど合計118種類の無脊椎動物の抽出物を対象に、タテジマフジツボキプリス幼生に対する付着阻害活性を調べた。その結果、86種類が100μg/mlの濃度でキプリス幼生の付着を80%以上阻害した。そのうち、13種類は死亡率15%以下の有望な活性を示した。特に、熱海で採集した海綿Acanthella cavernosaは、本研究の目的に合致する活性を示したので、活性成分の単離と同定を試みたところ、新規セスキテルペン10-formamido-4-cadinene (1) と既知のT-cadinol (2)が得られた。1は、キプリス幼生に対してEC50 0.50μg/mlの付着阻害活性を示したが、10.0μg/mlの濃度では全ての幼生が死亡した。一方、2のEC50値は0.53μg/mlであり、30.0μg/mlでも幼生に毒性が見られなかったことから、有望な防汚剤候補と考えられた。

2.イソシアノおよび類縁化合物の合成および付着阻害活性

 3-isocyanotheonelline (3)は、タテジマフジツボキプリス幼生に対して強い付着阻害活性を示すが、毒性が弱いので、有望な防汚剤候補と考えられた。そこで、本化合物をモデル化合物として、各種類縁体を合成して付着阻害活性を評価した。先ず、3を含む4つの異性体を合成するとともに、側鎖部分を還元したものや他の官能基で置き換えた化合物を合成した。次に、シクロヘキサン環をより扱い易いフェニル基へ変換し、さらに側鎖部分を変更したもの、あるいはイソシアノ基を他の官能基に変換した化合物を合成した。さらに、より簡単な構造の防汚剤開発を目指して、直鎖イソシアノ化合物を合成した。このようにして、合計63種類の化合物を合成し、それらのキプリス幼生に対する付着阻害活性と毒性を評価した。

 合成した3つの異性体は、3-isocyanotheonellineとほぼ同等の阻害活性を示した、また、側鎖部分をカルボニル基を含む構造に変えた化合物は、非常に強い付着忌避活性を示し、かつ測定した範囲では顕著な毒性を示さなかった。特に、trans-4-isocyano-4-methylcyclohexyl acetate (4) は、合成した化合物の中で最も強い活性(EC50 0.0094μg/ml)を示した。

 同様に、3-isocyanotheonellineのシクロヘキサン環をフェニル基へ変換した4-[(E,E)-1,5-dimethl-hexa-1,3-dienyl] isocyanobenzene (5) も強い活性を示した。一方、イソシアノ基をシアノ基、アミド基あるいはカルボキシル基などに変換した化合物は、ほとんど活性を示さず、イソシアノ基が付着阻害活性の発現に重要な役割を果していることが示唆された。また、イソシアノ基をアセトアミド基へ変換したN-(4-hexylphenyl) acetamide (6)は、多少活性が落ちるものの、毒性が低く、かつ比較的簡単に合成ができるため、防汚剤として有望と考えられた。

 直鎖イソシアノ化合物は、全て顕著な付着阻害活性(EC50 0.046-1.90μg/ml)示し、かつ毒性も硫酸銅よりかなり弱かった。特に、1,1-dimethyl-10-undecyl isocyanide (7)と1,1-dimethyl-10-phenyltioldecyl isocyanide は強い活性を示したが、硫酸銅のLD50値の約10倍である30μg/mlでも毒性が認められなかった。

3.試作塗料のフィールド試験

 合成した化合物の中から、強い付着阻害活性と弱い毒性をもち、かつ比較的安価に合成できる化合物6および7を大量に合成し、試作塗料を作成して宮城県志津川町と東京湾で浸漬試験を行った。その結果、いずれの海域においても、亜酸化銅塗料と比較するとやや防汚性能が劣るものの、試作塗料は顕著な防汚効果を有するものと判断された。

 以上本研究では、環境に優しい防汚剤の開発を目的に、海洋天然物質の検索および化学合成により候補化合物の探索を行った結果、付着阻害が強く、かつ毒性が弱い数種のイソシアノ化合物を創造するとともに、これらの化合物が実海域でも有効なことを証明したもので、学術上、応用上貢献するところが大きい。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50248