学位論文要旨



No 216034
著者(漢字) 寺沢,宏明
著者(英字)
著者(カナ) テラサワ,ヒロアキ
標題(和) SH3ドメインによるリガンド認識機構の構造生物学的解明
標題(洋)
報告番号 216034
報告番号 乙16034
学位授与日 2004.06.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16034号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 長野,哲雄
内容要旨 要旨を表示する

 SH3 は、PLC-γやv-Crk のc-DNA クローニングの結果、Src ファミリーキナーゼと相同性のある領域として発見された。SH3 は、SH2 とともに多くの細胞内シグナル伝達に重要なタンパク質に存在することがわかり、細胞内シグナル伝達のカギを握るドメインとして大きな注目を集めるに至った。後に、細胞膜と相互作用するタンパク質や、細胞骨格の形成に関与するタンパク質などにも次々と見出された。

 SH3 は約60 残基のアミノ酸からなり、異なるSH3 間の相同性は約30%と低いものの、コンセンサスの芳香族アミノ酸はよく保存されている。発見当初、SH3 の機能は不明であった。しかし、SH3 をプローブに用いた結合タンパク質の検索と結合部位の同定から、SH3 はPro に富む配列に結合するという概念が定着するに至った。さらに、ペプチドライブラリーなどを用いた検討により、各々のSH3 が異なる配列を特異的に認識することが示された。

 SH3 結合タンパク質で見つかった配列とライブラリーで得られた配列を比較すると、いくつかの規則性が存在することがわかる。

(i) -PXXP-のモチーフが存在する。

(ii) RXφPXφP とφPXφPXR の2つのコンセンサスが存在する。

(iii)コンセンサスのφの位置には、疎水性分岐鎖アミノ酸が選択される傾向がある。

 本研究は、NMR を用いて

1.SH3-プロリンリッチペプチド(以下PRP と記す)複合体の立体構造を決定する、

2.両者の相互作用機構を構造生物学的に明らかにする、

3.上記の3つの規則性が生ずるメカニズムを解明する、

を目的とした。

1. Grb2 N 末端側SH3-Sos 由来PRP 複合体の構造

 Ash/Grb2 はSH3-SH2-SH3 の構造をもつアダプタータンパク質であり、SH2 を介して上皮成長因子受容体、またはShc などのリン酸化チロシンを含む配列と結合する。リガンドの結合により、受容体細胞内領域のチロシンがリン酸化されると、Ash/Grb2-Sos 複合体は細胞膜近傍に局在化し、Sos はGDP 型のRas をGTP 型に変換し、活性化する。このように、Ash/Grb2-Sos 間の相互作用は生理的意義が明確である。また、Ash/Grb2 のN末端側SH3 (Grb2-N)とSos 由来ペプチドVPPPVPPRRR (1Sos)との解離定数は約5 μMと、他の系と比較して親和性が高い。これらより、Grb2-N-1Sos の結合特異性は高いと考えられる。よって、私はGrb2-N-1Sos 複合体を立体構造解析の対象とした。

 Grb2-N は、大腸菌を用いて発現し、陰イオン交換クロマトグラフィー、さらに逆相クロマトグラフィーにより精製して取得した。1Sos は、固相合成品を逆相クロマトグラフィーにより精製した。Grb2-N:1Sos = 1:1 のモル比で混合して試料を調製した。多核多次元NMRと連鎖帰属法を適用して、ほぼ全ての1H, 13C, 15N核とNOEの帰属を完了した。以上により、主鎖のRMSD が0.48±0.04 Å の高分解能立体構造決定に成功した。

 得られた複合体におけるSH3 側の構造は、他のSH3 単独の構造に比較して基質結合に伴う大きな構造変化はみられなかった。1Sos はPro2'-Pro7'まで左巻きポリプロリンII 型ヘリックス構造(3回らせん軸をもち、i 番目とi+3 番目の残基が同じ方向を向く。以下PP-II)をとっていた。Grb2-N と1Sos の相互作用は3つに大別される。第一に、疎水相互作用については、1Sos のPro2', Pro3'がGrb2-N のTyr7 とTyr52 の側鎖の間(S1, S2 と定義する)にパッキングしている。またVal5', Pro6'がPhe9, Trp36, Pro49, Tyr52 の側鎖によって形成される疎水性ポケット(S3, S4)に収まる。さらに、Arg8'の側鎖がTrp36 の側鎖に沿ってPhe47 との間(S5)に位置している。Tyr52 とTrp36 の芳香環は平行な位置関係にあり、その間隔は約9 Åであるが、これはPP-II のi 番目とi+3 番目の側鎖間距離とほぼ一致しており、特にPro3'とPro6'の側鎖とスタックする形になっている。またPhe47 を除いて芳香族残基は多くのSH3 において保存されており、この様な相互作用が普遍的であることを示唆している。第二に、静電相互作用が、Arg8'側鎖とループ部分に位置するAsp15, Glu16, Asp33 のいずれか,もしくは複数との間に存在すると思われる。Glu16 は保存性が高く、特に有力と思われる。第三に、水素結合について、Pro3'のカルボニル酸素原子とTyr52 の水酸基酸素原子との距離は2.8 Åであり、またPro4'のカルボニル酸素原子とAsn51 の側鎖窒素原子との距離は3.4 Åである。これらの間には水素結合が存在すると思われる。

2. SH3 によるPRP の双方向認識機構

 PI3K のSH3 とRKLPPRPSK との複合体(PI3K-RLP1)の立体構造が、NMR により決定された。さらに、Abl のSH3 とAPTMPPPLPP(Abl-3BP1)、Fyn のSH3 とPPAYPPPPVP(Fyn-3BP2)の複合体が、X 線結晶構造解析により決定された。これらに対してGrb2-N-1Sos を比較したところ、興味深いことに、Grb2-N-1Sos は、PRP の結合方向が逆であった。PI3K-RLP1 の方向をプラス、Grb2-N-1Sos の方向をマイナスとすると、Abl-3BP1、Fyn-3BP2 はプラス、Crk-N-C3G はマイナスというように、各々の方向に複数の複合体が存在する。

 比較的短いペプチドに結合するタンパク質は、抗体、MHC、ペプチダーゼなどが知られているが、双方向に認識する例は知られていなかった。PP-II の擬C2 対称性により、疎水相互作用がプラス方向でもマイナス方向でも同じ様なモードで結合が存在する。すなわち1Sos のPro2', Pro3', Val5', Pro6', Arg8'とRLP1 のPro7', Arg6', Pro4', Leu3', Arg1'がそれぞれ同じ位置を占める。また、カルボニル酸素原子の位置も、方向によらずほぼ一定であることから、水素結合も双方向で可能である。静電相互作用はArg1'とArg8'で共通と思われる。よって結合方向を決定するのはPP-II におけるArg の位置と考えられる。-PXXP-のモチーフのN 末側にArg があればプラス方向に限定され、C 末端側にあればマイナス方向である。規則性の一つである、PRP に2つのコンセンサスが存在する理由が明らかにされた。

3. SH3-PRP の結合特異性

 SH3-PRP の結合様式はほぼ明らかになったため、引き続き結合特異性が生じるメカニズムについて考察を行った。3BP1 や3BP2 は、配列比較だけではどちらの方向に結合するか判断できないが、実際に構造決定が行われてみると、プラス方向であった。3BP1、3BP2 ともArg のかわりに2残基目のPro がS5 に収まり、3、4残基目がやや溶媒方向に突き出てから折れ曲がり、6-10残基目は他の複合体に同じである。2残基目のProはS5 のループ部分のThr などと疎水結合している。また、c-Crk のN 末端側SH3 とPPPALPPKKR(Crk-N-C3G)の複合体はS5 においてArg でなく8番目のLys が選択されている。Crk-N-C3G の結合定数は1.9 μM であるが、Lys をArg に変えると17.2 μM に低下する。これらの例から、S5 における結合を、特異性を生じる要因の一つと考えた。

 結合方向に関して、プラス方向ではS1, S3 にコンセンサスのPro が、S2, S4 に非Pro 残基が選択されている。ところが、マイナス方向では逆にS2, S4 にコンセンサスのPro が選択されている。この選択性の理由については、疎水性パッキングの有効性が示唆される。非Pro 残基が結合面において望ましいχ1 角(χ1=-60o または180o)を取った場合、側鎖は結合面に近接する場合と遠ざかる場合の2つがあり、Pro が選択される位置が3残基毎に生ずる。このことは、PRP に見られる3つの規則性のうちの2つ、-PXXP-のモチーフが存在することと、コンセンサスのφの位置に疎水性分岐鎖アミノ酸が選択される傾向があることをよく説明している。ここで、PRP の非Pro 残基とSH3 の疎水性ポケットのパッキングが特異性に効いていることが推測される。

 以上の考察から、プラス方向においてはS2, S4, S5、マイナス方向においてはS1, S3, S5における結合によって特異性が生じていると考えられる。このことは、双方向の結合が存在することによってはじめてS1-S5 の全てが特異的認識に寄与し得ることを示している。すなわち、双方向認識機構の存在は、SH3 とPRP の特異的認識に有利と考えた。

 SH3 は酵母やバクテリアにも存在し、進化的にその起源は古いものと考えられる。単純な生物から高等生物に進化し、シグナル伝達等が多様化するに伴ってSH3 と基質ペプチドは双方向認識機構を獲得していったのかもしれない。

 本研究により得られた知見は、SH3-PRP という生体において普遍的に存在する相互作用について、立体構造に基づいた理解を可能にするものである。得られた構造的基盤は、生体に存在する多数のSH3 をターゲットとする創薬への道標になると同時に、複雑なシグナル伝達経路を解明するためのツールを開発する足掛かりになるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 SH3ドメインによるリガンド認識機構の構造生物学的解明と題する本論文は、NMR法を用いて生体に最も普遍的に見られるドメインの1つであるSH3ドメインのプロリンリッチペプチド認識メカニズムを明らかにした研究成果を述べたものである。全体は序論と3章に分かれた本論から構成されている。本論第1章はGrb2 N末端側SH3-Sos由来プロリンリッチペプチド複合体の構造、第2章は、SH3によるプロリンリッチペプチドの双方向認識機構、第3章はSH3-プロリンリッチペプチドの結合特異性、と題されている。

 第1章において、Grb2 N末端側SH3 (Grb2-N)およびSos由来プロリンリッチペプチド(1Sos)の試料調製、多核多次元NMRと連鎖帰属法によるほぼ全ての1H, 13C, 15N核とNOEの帰属、主鎖のRMSDが0.48±0.04 Åの高分解能立体構造決定について述べている。

 得られた複合体におけるSH3側の構造は、他のSH3単独の構造に比較して基質結合に伴う大きな構造変化はみられないこと、1SosはPro2'-Pro7'まで左巻きポリプロリンII型ヘリックス構造をとっていることを明らかにしている。さらに、Grb2-Nと1Sosの相互作用を3つに分類している。第一に、疎水相互作用について、1SosのPro2', Pro3'がGrb2-NのTyr7とTyr52の側鎖の間にパッキングしていること、またVal5', Pro6'がPhe9, Trp36, Pro49, Tyr52の側鎖によって形成される疎水性ポケットに収まること、さらに、Arg8'の側鎖がTrp36の側鎖に沿ってPhe47との間に位置していることを示している。ここに挙げられた芳香族残基は多くのSH3において保存されており、この様な相互作用が普遍的であることを示唆している。第二に、静電相互作用が、Arg8'側鎖とループ部分に位置するAsp15, Glu16, Asp33のいずれか,もしくは複数との間に存在することを示している。第三に、水素結合について、Pro3'のカルボニル酸素原子とTyr52の水酸基酸素原子との距離は2.8 Åであり、またPro4'のカルボニル酸素原子とAsn51の側鎖窒素原子との距離は3.4 Åであることから、これらの間には水素結合が存在することを示している。

 第2章においては、PI3KのSH3とRKLPPRPSKとの複合体(PI3K-RLP1)の立体構造や、AblのSH3とAPTMPPPLPP(Abl-3BP1)、FynのSH3とPPAYPPPPVP(Fyn-3BP2)の複合体に対してGrb2-N-1Sosの比較を行い、Grb2-N-1Sosは、プロリンリッチペプチドの結合方向が逆であることを明らかにしている。左巻きポリプロリンII型ヘリックス構造の擬C2対称性により、疎水相互作用が両方向で同じモードで存在すること、また、カルボニル酸素原子の位置も、方向によらずほぼ一定であることから、水素結合も双方向で可能であることを示している。静電相互作用はArg1'とArg8'で共通であることから、結合方向を決定するのはプロリンリッチペプチドにおけるアルギニンの位置であることを明らかにしている。

 第3章においては、SH3-プロリンリッチペプチドの結合特異性が生じるメカニズムについて考察を行っている。アルギニンの相互作用部位に特異性が生じる要因が存在することをまず明らかにしている。さらに、結合方向によってコンセンサスのプロリンの相互作用部位が逆であることから、この選択性の理由については、疎水性パッキングの有効性を示唆している。非プロリン残基が結合面において望ましいχ1角(χ1=-60oまたは180o)を取った場合、側鎖は結合面に近接する場合と遠ざかる場合の2つがあり、プロリンが選択される位置が3残基毎に生ずることから、プロリンリッチペプチドに見られる規則性のうち、-PXXP-のモチーフが存在することと、コンセンサスとして疎水性分岐鎖アミノ酸が選択される傾向があることを説明している。ここで、プロリンリッチペプチドの非プロリン残基とSH3の疎水性ポケットのパッキングが特異性に効いていることを示している。以上の考察から、双方向の結合が存在することによってはじめてSH3上の全ての結合面が特異的認識に寄与し得ることを明らかにしている。

 以上、本研究の成果は、構造生物学およびSH3を対象とする創薬に大きく貢献するものであり、これを行った学位申請者は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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