学位論文要旨



No 216059
著者(漢字)
著者(英字) Lay,Myint
著者(カナ) レイ,ミント
標題(和) ヒト免疫不全ウィルスI型の薬剤耐性に関する研究
標題(洋) Study of Human Immunodeficiency Virus Type I Drug Resistance
報告番号 216059
報告番号 乙16059
学位授与日 2004.07.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16059号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 河岡,義裕
 東京大学 助教授 俣野,哲朗
 東京大学 助教授 小池,和彦
内容要旨 要旨を表示する

後天性免疫不全症候群(acquired immunodeficiency syndrome: AIDS)は1981年に初めて報告され、それから20年後の今日、世界中に4000万人にも上るHIV/AIDS感染者がいると推測されている。HIV感染症の薬剤治療は1986年のZidovudine(AZT)の実用化で幕を開けた。1995年にはプロテアーゼ阻害剤(PI)が登場し、強力な併用化学療法Highly active antiretroviral therapy(HAART)が行われるようになった。この治療法は優れた効果を示し、感染者体内からのHIV-1の完全な駆逐こそ達成できなかったが、体内におけるHIV-1の増殖のほぼ完全な抑制とCD4陽性細胞数の回復を実現した。HAART導入後、欧米や日本においてはAIDSによる死亡者数の顕著な減少が報告されている。しかし、HAARTの恩恵を得るのは容易では無く、無視できない数の感染者が治療の失敗に直面している。その原因の中でも薬剤耐性ウイルスの出現はその後の治療薬剤の選択を制限するために深刻な問題である。このような薬剤耐性による治療困難症例の問題は先進諸国においてはHIV-1感染症治療の大きな問題となっている。一方、世界のHIV-1感染者総数の90%が集中するアフリカや東南アジアなどの発展途上国においては、抗HIV-1薬剤が高価であったことから、感染者たちの多くは自然経過でAIDS発症と死を迎えてきた。しかし最近2-3年の間にgeneric medicineの登場とともに発展途上国においても抗HIV薬剤の導入が可能になった。皮肉なことに治療薬剤の導入は薬剤耐性ウイルスの問題を発展途上国にも持ち込むことになった。先進諸国では薬剤耐性検査は塩基配列解析が主流となっているが、この方法はオートシークエンサーなどの高価な機器が必要であることから発展途上国にそのまま持ち込むことは容易でない。

 第一章では私が発展途上国への導入を目指して開発に取り組んだ新たな検査手法MS-PCRについて述べた。この手技はタイ国への導入を念頭に置いており、従って同地での流行株であるCRF01_AE(サブタイプE)を標的に、最もよく使われてきたAZTに対する耐性変異検出系の構築を行った。AZT耐性を呈する6種類の変異の中で頻度が高く変異の周辺の塩基配列が比較的保存されているコドン41番目のメチオニンからロイシンへの置換(M41L)とコドン70番目のリジンからアルギニンへの置換(K70R)を判定する二つの検査法、41MS-PCRと70MS-PCRを構築した。MS-PCRの基本的な戦略はPCRプライマーによる野生型(W型)と変異型(M型)の選別である。つまりプライマー間の結合エネルギーの差を利用して増幅をコントロールする方法である。今までにも診断的PCRは行われてきたが、識別すべき標的変異のエネルギー差だけでは不十分なことが多く、信頼性は満足できるものではなかった。特にHIV-1のように遺伝子の多様性に富む標的の場合はプライマー配列内に目的とする以外の変異が存在することがあり、PCRによる判別は精度が低く困難であった。私は診断的PCRによるW型とM型の識別精度を上げるために、二つの改良を加えた。まずW型用とM型用の二つのプライマーの違いを明確にし特異性を高めるために、各々のプライマーの3'端領域に人為的な変異を導入した。PCRのサイクルは、最初の数サイクルをやや緩いアニ−リング条件で、その後アニ−リング温度を高くして行うことにより選択性と感受性を改善することに成功した(下図)。

2番目の改良点はW型とM型のPCRを個別に行い判定するのではなく、両方のプライマーを同時に反応系に添加して競合をさせたことである。ゲル上での増幅産物のサイズによる判定が可能であるように41MS-PCRではW型産物は214bps、M型産物では195bpsの増幅産物が得られるようにW型プライマーを5'端を19bps長く設計した。70MS-PCRではW型産物は301bps、M型産物では284bpsの産物が得られるように同様に設計した。41MS-PCR,70MS-PCR各々の検出限界を標的RNA鎖を希釈して判定したところ、41W型は平均3.25コピー、41M型の場合では8.3コピー、70W型では平均6.05コピー、70M型では2.7コピーであった。M型とW型が混合して存在した場合41MS-PCR、70MS-PCRともW型はM型の10%まで、M型もW型の10%程度存在すれば検出することが可能であった。すなわちウイルス集簇全体の10%程度しか存在しない非主流集簇でもMS-PCRを用いることで検出可能であった。一般的に塩基配列解析の場合では25%から50%を占めていないと非主流集簇を同定することは困難とされており、今回私が開発したMS-PCRは非主流集簇の検出に優れているといえよう。41MS-PCRと70MS-PCRの検査の精度を評価するために51症例のCRF01_AE感染症例を選び、MS-PCRによる判定結果と塩基配列解析による結果との比較を行った。その結果、41MS-PCRでは51例中47例で判定結果の一致(92%)を認めた。一方70MS-PCRでは51例全例で判定結果の一致を認め(100%)、41MS-PCRで一致しなかった4症例は何れもMS-PCRでM型とW型の混合と判定されたものであり、両検査方法の検出感度を考慮すると必ずしも誤判定ではないと考えられた。

以上MS-PCRは検査精度の面で塩基配列解析と比較して遜色は無く、また手技が簡便で多検体処理に向いていることから、発展途上国における、薬剤耐性HIV-1のサーヴェイランスに有用と考えられた。

 第二章では薬剤耐性HIV-1の病態を理解するうえで重要な因子であるHIV-1の増殖能力(fitness)についてPI耐性変異との関連から取り上げた。薬剤耐性ウイルスは一般に野生型に比べてfitnessが劣るため、耐性変異を獲得したウイルスは治療の中断など薬剤の選択圧力が消失すると時間とともに見かけ消失してしまうことが知られている。したがって、何らかの理由により長期間治療が中断していた症例の治療を再開する際には注意が必要であり、このような症例の薬剤耐性の有無を判定するときには第1章で取り上げたMS-PCRが有効であると思われる。さて、PI耐性変異を獲得した症例ではしばしばproteaseの基質であるGagの切断領域に特有の変異が認められる(切断部変異:cleavage site mutations: CSM)。CSMはPI耐性変異を獲得したウイルスのfitnessを改善させることが知られており、耐性ウイルスの生存に必須な2次的変異と位置づけられている。PIの投与を長期間受けていた症例ではGag領域の配列を解析するとCSM以外にも多数の変異誘導が認められる。このCSM以外の変異(非切断部位変異:non-cleavage site mutations: non-CSM)の意義についてはこれまで明確にされていなかった。私はnon-CSMの意義を明らかにするために、PI耐性変異を獲得した症例を2例(Case-1, Case-2)について解析をおこなった。2症例のPI耐性変異とGag領域の変異は表1に示した通りである。

 各症例についてそのgag-protease領域をPCRで増幅しHXB2に挿入してリコンビナントウイルスを作成した。挿入する患者由来遺伝子サイズとパターンを変えてそれぞれの症例について全部で以下4タイプのウイルスを作成した。(1)GPタイプ:患者由来gagとproteaseを組み込んだもの。Gag領域にはCSMとnon-CSMの両方が含まれている。(2)Pタイプ:患者由来のproteaseのみを組み込んだもの。Gag領域はHXB2のものであり、CSMもnon CSMのどちらも無い。(3)GP-Cタイプ:GPタイプからCSMのみを野生型に戻したもの。(4)P+Cタイプ:Pタイプに親ウイルスと同じCSMを入れたもの。この4タイプのリコンビナントウイルスについてその増殖能力を比較解析しCSMとnon-CSMの働きについて検討を行った。個別の培養系において各ウイルスと野生株HXB2の逆転写酵素活性がピークに達する感染後の日数を観察し増殖能力の高いほうから並べるとCase-1のclone-1ではHXB2=GP>P+C>P=GP-C、clone-2ではGP=P+C>P>GP-Cの順番となった。どちらのcloneにおいても順位は一致しており、GPタイプとP+Cタイプは同等もしくはGPの方がfitnessが良く、Pタイプがそれに続き、最下位がGP-C、であった。この結果から最もfitnessが回復されるにはCSMの存在が必須であり、症例によってはnon-CSMの存在がさらに必要となることが明らかになった。Case-2ではHXB2=GP>GP-C>P+C>>Pの順位を呈した。このクローンでもCSMとnon-CSM両方の変異をもつクローンが最もよく増殖し、この意味においてnon-CSMにはfitnessを戻す重要な働きがあることが明らかになった。さらに興味深いことにCase-1では患者由来GagからCSMのみを取り除いたGP-Cクローンは最もfitnessが悪く、non-CSMの働きはCSMの存在が前提となることが示唆された。一方Case-2ではGP-Cは2番目によく増殖しておりnon-CSMだけでもfitness回復作用があることが示された。今回の解析からはプロテアーゼにはCase-1 clone-1とCase-2のようにGagの変異が伴わないと増殖できないものと(Gag-dependent protease)、Case-1 clone-2のようにGagの変異がなくても増殖できるもの(Gag- independent protease)と二つのタイプがあることが明らかになった。私の結果は薬剤耐性HIV-1の耐性レベルの評価、耐性の選択と進化、そして病態を理解するうえでGagが重要であることを明らかにした。そして、これらの結果は患者由来ウイルス遺伝子断片を用いてリコンビナントウイルスを作成する際はGag領域を含めて作成することが重要であることを示唆している。

ステップ1

はじめはプライマーと鋳型の間には人為的に入れた変異の部分で不一致がある。しかしPCRを行うことにより鋳型となるDNAにW型プライマーと一致する人為的変異の導入が行われる

ステップ2

以後のサイクルではDNA鋳型はW型プライマー配列と完全に一致する。

一方M型のプライマーとの不一致は六きくなりミスアニーリングの確立が低くなる

ステップ1

はじめはプライマーと鋳型の間には人為的に入れた変異の部分で不一致がある。しかしPCRを行うことにより鋳型となるDNAにM型ブライマーと一致する人為的変異の導入が行われる

ステップ2

以後のサイクルではDNA鋳型はM型プライマー配列と完全に一致する。

一方W型のプライマーとの不一致は大きくなりミスアニーリングの確立が低くなる

表1.プロテアーゼ阻害剤耐性変異を獲得した2症例のGagおよびプロテアーゼ領域に認められた変異のまとめ

審査要旨 要旨を表示する

 本研究ではヒト免疫不全ウイルス1型(HIV-1)の治療薬剤耐性について、その疫学的状況と病態を明らかにするために、二つの課題に取り組んだ。第一に簡便、迅速そして安価に薬剤耐性HVI-1を検出するためのPCRを応用した診断検査の開発を行った。第二に薬剤耐性変異の獲得がHIV-1の増殖・複製に及ぼす影響をプロテアーゼとGag前駆体の相互干渉の解析より明らかにした。各々下記の結果を得ている。

1. ヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤AZTの耐性変異として知られているHIV-1逆転写酵素コドン41番目のメチオニンからロイシンへの置換(M41L)、70番目のリジンからアルギニンへの置換(K70R)を検出する診断的PCR(mutagenically separated PCR: MS-PCR)を構築した。発展途上国、特に東南アジアでの使用を念頭に、プライマーの設計にはCRF01_AEの遺伝子配列を用いた。

2. MS-PCRでは耐性変異検出の感受性と特異性を高めるために、通常の診断的PCRに二つの改良を加えた。一つは野生型、変異型各々の検出プライマー配列に人為的な変異をいれたことであり(mutagenic separation)、もう一つは野生型、変異型の検出プライマーを競合させて反応させたことである(competition)。この二つの改良により診断精度の改善に成功した。

3. 51例のCRF_01AE症例についてMS-PCR とサンガー法による塩基配列解析の両方で解析を行い、両者で得られた結果を比較した。その結果41MS-PCR、70MS-PCRともにサンガー法の結果と一致しており、MS-PCRが実用的な手法であることを証明した。

4. HIV−1プロテアーゼとその基質であるGag前駆体タンパクpr55Gagの相互干渉についてプロテアーゼ阻害剤耐性変異を獲得した2症例について薬剤耐性遺伝子解析を行った。その結果、Gagの切断部位(cleavage site: CSM)だけではなく、切断部以外の領域(non-cleavage site: non-CSM)にも治療の影響を受けて多数の変異が集積していることが示された。

5. プロテアーゼ阻害剤耐性を獲得した2症例のウイルスについてGagとプロテアーゼを様々に組み合わせ、各々についてリコンビナントウイルスを4パターン作成した(患者由来のGagとプロテアーゼを持つGPクローン、GPクローンからCSM変異を野生型に戻したGP-cクローン、患者由来のプロテアーゼのみを持つPクローン、そしてPクローンに患者で認められたCSMをいれたP+cクローン)。この4パターンのウイルスの増殖能力について解析を行った結果、いずれの症例についてもGPクローンが最も良く増殖をした。このことからGagのCSMの変異だけではなくnon-CSMの変異もウイルスの増殖にとって重要な働きがあることが示された。

6. プロテアーゼ阻害剤耐性を獲得した2症例それぞれのPクローンの増殖能を比較すると、一方は増殖したが、もう一方は増殖しなかった。いずれの症例においてもGPクローンとP+cクローンは増殖したことから、プロテアーゼ阻害剤耐性を獲得したウイルスの増殖能は、獲得した耐性パターンにより、Gagの変異に依存するものと、依存しないものがあることが示された。

以上、本論文は、簡便・安価・迅速な薬剤耐性検出法を開発し、発展途上国の支援への道を開いた、またGag非切断部領域がプロテアーゼ阻害剤耐性を獲得したウイルスの増殖能力にとって重要な働きをしていることを明らかにした。いずれの成果も薬剤耐性HIV-1をよりよく理解し、克服するために重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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