学位論文要旨



No 216398
著者(漢字) 小森,喜久夫
著者(英字)
著者(カナ) コモリ,キクオ
標題(和) バイオキャタリストの活性制御と化学センシングへの応用
標題(洋)
報告番号 216398
報告番号 乙16398
学位授与日 2005.12.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16398号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 立間,徹
 東京大学 教授 藤岡,洋
 東京大学 助教授 小倉,賢
 東京大学 講師 野口,祐二
 東京大学 教授 渡辺,正
内容要旨 要旨を表示する

酵素やそのモデル化合物などのバイオキャタリスト(生体触媒)は、生体関連物質の合成や分解、センシングなどに用いられる。近年、バイオキャタリストの触媒活性を、温度や光、pH、電位、磁場、溶液の組成などによって制御する研究が行われている。こうした活性制御が実現されれば、外部刺激による反応速度の制御や、情報変換、ドラッグデリバリーなどへの応用が可能である。また、バイオセンシングシステムに組み込めば、検出感度や測定ダイナミックレンジの制御が可能となり、測定対象に対する選択性の制御も期待できる。さらには、環境や状況に応じて適切な判断をし、処置をするような自律制御デバイスの開発も期待できる。

これまでにも、バイオキャタリストの活性制御に関する報告はあるものの、それらの多くは、基質となる物質の拡散を制御することにより見かけの活性を制御するものであるため、一部の応用には支障が生じ得る。また、活性制御のデバイスへの応用研究はほとんどなされていないのが実情である。

本研究では主に、バイオキャタリストやそれによって修飾した電極の活性制御を目的とした。熱感応性相転移ポリマーや光異性化分子を用いて、基質の拡散ではなく、活性そのものを可逆に制御することを試みた。制御には活性阻害作用などを利用した。また、バイオキャタリストの基質や阻害物質に対するセンシングの感度やダイナミックレンジ、選択性の制御への応用も試みた。その他、バイオキャタリストの活性を変化させる物質の定量や、磁気による制御などの検討も行った。

(1)マルチレイヤー酵素モデル修飾電極の電気化学特性とその応用1

ここでは、H2O2還元酵素であるペルオキシダーゼのモデル化合物として、活性中心の構造が類似しているヘムペプチド(HP)を用いた。HPは、活性中心が絶縁性のポリペプチドにあまり覆われていないため、電極からの直接電子移動に基づくH2O2センシングが可能である(図1a)。また、この活性を阻害するシアンや、ヒスタミンなどのイミダゾール誘導体のセンシングも可能である。モノレイヤーHP電極の感度は酵素電極と比べて1-2桁低いものの、電極表面上のHP量を増やすことで、その問題を解決できると考えられる。また、それによりH2O2還元反応が反応律速から拡散律速に変化すれば、阻害物質による活性低下が電流変化に直ちには反映されにくくなるため、阻害物測定のダイナミックレンジが高濃度側へシフトすると期待される。

まず電極表面上にHPを多層累積することで、HP分子間の自己電子交換反応によってリレー的に電子を伝える"自己メディエーション"が可能になることが初めて示された(図1b)。酵素電極とは異なり、酸化還元ポリマーなどのメディエーターを用いなくても、電極と、多層累積した酵素モデルとの間で電気化学コミュニケーションが可能であることが分かった。このことに基づいて、電極上に累積するHPの量を制御することにより、H2O2に対する電気化学的還元活性を制御することが可能になった。また、HP修飾電極をH2O2バイオセンサとして用いる場合、その感度を制御することができた(図1c)。さらに、HPの阻害物質であるシアン、イミダゾール、ヒスタミンをセンシングする際のダイナミックレンジも制御できることが示された。

(2)酵素モデル電極の活性の温度制御とその応用2, 3

(1)では、電極表面上のHP量を変化させることで、H2O2センシングの感度や阻害物質センシングのダイナミックレンジを制御した。ここではこうした制御を可逆に行うため、熱感応性相転移ポリマーであるPoly(N-イソプロピルアクリルアミド)(Poly(NIPA))を用いた。このポリマーを電極表面に導入し、さらにポリマーをHPで修飾した(図2挿入図)2。この膜の相転移温度は30-40℃であり、低温側では膨潤、高温側では収縮した。この電極のH2O2に対する応答は、収縮状態の方が膨潤状態よりも4倍ほど大きかった(図2)。この応答の違いは、Poly(NIPA)の相転移作用によって、HPの活性部位近傍の構造や環境が変化し、HPの活性が変化することや、電極表面上でのHPの濃度変化により電極との電子授受特性が変化することによると考えられる。また、このように可逆に制御できる特性を利用して、HPのH2O2に対する応答の感度だけでなく、ダイナミックレンジも制御することができた。さらに、イミダゾールなどの阻害物質に対するダイナミックレンジの制御も可能であった。すなわち、可逆な活性制御が可能な触媒としてだけでなく、一つの電極で広い濃度範囲をカバーできるセンサとしても利用できることが示された。

また、HPの活性を阻害するイミダゾール基をPoly(NIPA)に導入し、HP修飾電極のH2O2還元活性を制御した3。このポリマーは、相転移温度より低温側では溶解状態であるためHP修飾電極の活性を阻害し、高温側では沈澱状態であるため活性を阻害しなかった(図3)。ポリマーからイミダゾール基に至る側鎖が長い方が、溶解状態における阻害率が高かった。また、側鎖の長いポリマー(Poly(NIPA-Car)、Car(カルノシン)がイミダゾール基を持つ)の、溶解状態のHPに対する錯形成定数を分光学的に調べたところ、Carモノマーの場合よりも大きかった。つまり、阻害物質とNIPAを共重合させることで、HPに対する阻害率を大きくすることが可能であり、それを温度により制御できる、ということがわかった。

(3)酵素モデル電極の阻害物質に対する選択性制御4

電極に固定化したHPをPoly(NIPA)で化学修飾することで(図4挿入図)、阻害剤に対する選択性の制御を試みた。HP修飾電極はH2O2に対し還元電流応答を示し、その電流はイミダゾール誘導体などの阻害剤により抑制される。この阻害によるイミダゾール誘導体の定量が原理的には可能だが、各誘導体を区別することはできない。HPをPoly(NIPA)で修飾すると、イミダゾールによる活性阻害率は、ポリマーの相転移温度よりも低温側では大きくなり、高温側では小さくなった(図4)。この変化は、ポリマーの相転移作用による立体障害に基づくものと考えられる。一方、イミダゾールよりも分子サイズの大きいヒスタミンによる活性阻害率は、ポリマーの相転移によってあまり変化しなかった。このことから、ポリマーの相転移によってHP修飾電極の選択性をある程度制御できることがわかった。これにより、イミダゾール誘導体を区別しながら定量分析を行うための、新たな方向性を示すことができた。

(4)分光法および比色法を用いた酵素阻害剤のセンシング5

酵素チロシナーゼとL-チロシンによる着色反応を利用した、シアンやシアン配糖体(アミグダリンやリナマリン)の簡便な検出法を開発した。溶存酸素存在下では、チロシナーゼはL-チロシンの酸化を触媒し、中間体として赤褐色のドーパクロムを生成して、最終的に黒褐色のメラニンを生成する。この着色反応は、チロシナーゼの活性部位にシアンが配位することによって阻害されるため、シアンの検出に利用できることがわかった。チロシナーゼと -グルコシダーゼ(シアン配糖体からシアンを遊離させる酵素)、L-チロシン、ポリ(エチレンオキシド)を含む膜を被覆したテストプレート(図5)を用いれば、シアンやシアン配糖体を目視で半定量的に検出することができた。シアン配糖体を含むキャッサバを主食とする熱帯地方の末端利用者などにとっても、安価で安全、簡便なシアン配糖体検出法となるであろう。

(5)酵素活性の光制御6

チロシナーゼの活性を、活性阻害剤である4-アゾベンゼン安息香酸(ACA)や4,4'-アゾベンゼン二安息香酸(ADCA)のシス-トランス光異性化反応を利用して制御した(図6)。ACAやADCAを含むpH7.4リン酸緩衝液中で、L-チロシンの酸化反応により生じるメラニンの生成速度の違いからチロシナーゼの活性を評価した。ACA存在下では、チロシナーゼの活性はシス体よりもトランス体のとき大きかった。一方、ADCA存在下ではACAとは逆に、トランス体よりもシス体のとき大きくなった。この系は、フェノール類の酸化除去の速度制御などに利用できる可能性がある。

(6)磁気による制御7

磁気によるセンシングの制御も試みた。ここでは、Ru(bpy)32+誘導体を修飾した抗体を表面に物理吸着させた磁気微粒子を用いた。この微粒子は、電極の裏に磁石を固定すれば電極表面上に容易に集められ、トリプロピルアミン(TPA)存在下で電位を印加すると発光する。その発光強度は電極表面上における微粒子の存在状態に影響され、微粒子が凝集することなく個々離ればなれに存在するとき、大きくなることが明らかになった。こうした制御法は、酵素などを用いたバイオセンシングにも応用できると考えられる。

以上のように、本研究では主に次のことが達成できた。(1)バイオキャタリストの量を変えて基質の反応の律速段階を変えることによって、阻害物質センシングにおけるダイナミックレンジを変化させることができた。(2)阻害基を持つ熱感応性相転移ポリマーや光異性化分子を利用することで、温度変化や光照射によるバイオキャタリストの活性制御を実現できた。(3)熱感応性相転移ポリマーを用いて、基質や阻害物質をセンシングするときの感度やダイナミックレンジ、および選択性を制御することができた。これらを通して、活性を制御できるバイオキャタリストや広い濃度範囲をカバーできるバイオセンサ、種々の物質を測定できるバイオセンサを開発するための方法を提案した。今後、活性の違いや変化をさらに大きくできれば、より実用性が高まると期待される。また、温度変化や光照射だけでなく、物質の性質や濃度に応じた活性制御が可能になれば、自律制御可能な触媒やバイオセンサの実現も期待できる。

図1 (a)モノレイヤーHP電極。(b)マルチレイヤーHP電極。(c)それらのH2O2に対する還元電流応答。印加電位+150mVvs.Ag|AgCl、pH7.4。

図2 10μMH2O2を含むpH7.4リン酸緩衝液中でのPoly(NIPA)電極、HP電極、Poly(NIPA)-HP電極の触媒還元電流の温度依存性:印加電位+150mVvs.Ag|AgCl

図3 10μMH2O2を含むpH7.4リン酸緩衝液中でのHP電極のPoly(NIPA-Car)(Carのモノマー濃度=3μM)による活性阻害率の温度依存性:印加電位+150mVvs.Ag|AgCl

図4 10μMH2O2を含むpH7.4リン酸緩衝液中でのHP電極とPoly(NIPA)修飾HP電極の1mMイミダゾールに対する活性阻害率の温度依存性:印加電位+150mVvs.Ag|AgCl

図5 0-10mMシアン配糖体水溶液を滴下して15分後のテストプレートの写真

図6 ACAを利用したチロシナーゼの光による触媒活性の制御のイメージ

K. Komori, K. Takada, and T. Tatsuma, J. Electroanal. Chem., in press.K. Komori, K. Takada, and T. Tatsuma, submitted.K. Komori, H. Matsui, and T. Tatsuma, Bioelectrochemistry, 2005, 65, 129-134.K. Komori, K. Takada, and T. Tatsuma, Anal. Sci., 2005, 21, 351-353.T. Tatsuma, K. Komori, H.-H. Yeoh, and N. Oyama, Anal. Chim. Acta, 2000, 408, 233-240.K. Komori, K. Yatagai, and T. Tatsuma, J. Biotechnol., 2004, 108, 11-16.N. Oyama, K. Komori, and O. Hatozaki, Stud. Surf. Sci. Catal., 2001, 132, 427-430.
審査要旨 要旨を表示する

近年、酵素やそのモデル化合物などのバイオキャタリストの触媒活性を、温度や光、pH、電位、磁場、溶液組成などにより制御する研究が行われている。こうした活性制御が実現されれば、外部刺激による反応速度の制御や、情報変換、ドラッグデリバリーなどへの応用が可能になる。また、バイオセンサの検出感度や測定ダイナミックレンジの制御への応用も期待できる。これまでにも、こうした活性制御に関する報告はあるが、それらの多くは、基質となる物質の拡散を制御することにより見かけの活性を制御するものであるため、一部の応用には支障が生じ得る。また、デバイスへの応用研究はほとんどなされていないのが実情である。

本研究では主に、バイオキャタリストやそれによって修飾した電極の活性制御を目的とした。阻害基を導入した熱感応性相転移ポリマーや光異性化分子を用いて、基質の拡散ではなく、活性そのものを阻害作用に基づいて可逆に制御することなどを試み、バイオセンサの特性制御への応用も試みた。本論文では、こうした内容を全8章にまとめた。

第1章では、バイオキャタリストやその活性制御、バイオセンサなど、研究の中心となる概念と、研究目的について述べた。

第2章では、H2O2 還元酵素ペルオキシダーゼのモデル化合物であるヘムペプチド(HP)を電極上に固定化し、HP 修飾電極を作製した。HP どうしが電子を受け渡すことによって電極から離れたHP 分子も電極と電子授受ができるという自己メディエーション効果を、初めて明らかにした。また、H2O2 センサとして働くHP 修飾電極のHP 固定化量を制御することにより、H2O2 還元反応の律速段階を反応律速と拡散律速との間で制御できることを示した。それに伴い、H2O2 センシングの感度を制御できることを明らかにした。また、シアン化物などの阻害物に対するセンシングも可能であり、そのダイナミックレンジを同様に制御できることを示した。

第3章では、2章の系に熱感応性相転移ポリマー(ポリ(N-イソプロピルアクリアミド))を組み合わせてPoly(NIPA)-HP 修飾電極を作製し、温度変化によるポリマー膜の膨潤収縮作用を利用して、H2O2 センシングや阻害物センシングにおける感度とダイナミックレンジを可逆に制御できることを示した。バイオセンサのこのような可逆な特性制御の例はこれまでなかった。また、HP の活性を阻害するイミダゾール基をPoly(NIPA)に導入し、HP 修飾電極のH2O2 還元活性を、阻害作用に基づいて制御する系も開発した。

第4章では、電極上のHP をPoly(NIPA)で化学修飾した。ポリマーの温度変化に伴う相転移作用による立体障害の変化を利用して、分子サイズの異なる阻害物質に対する選択性を可逆に、ある程度制御できることを示した。バイオセンサの選択性を可逆に制御しようとする試みは新しく、今後の開発の指針になる知見が得られた。

第5章では、酵素チロシナーゼによるL-チロシンからメラニンへの触媒酸化による着色反応が、シアン化物により阻害されることを利用し、キャッサバや青ウメなどの食物が含むシアン配糖体を視覚的に検出する方法を開発した。熱帯地方に多いシアン中毒の予防に貢献し得る分析法である。

第6章では、チロシナーゼの活性を、阻害剤でありかつ光異性化作用を持つ4-アゾベンゼン安息香酸や4,4'-アゾベンゼン二安息香酸を用いて、紫外光および可視光により可逆に制御する系を開発した。

第7章では、磁気によるセンシングの制御の可能性について検討した。Ru(bpy)32+ 誘導体で修飾した抗体を表面に物理吸着させた磁気微粒子は、電極の裏に磁石を固定すれば電極表面上に容易に集められ、トリプロピルアミン存在下で電位を印加すると発光する。こうした制御法は、バイオセンシングにも応用できることを示した。

第8章では、全体の総括と今後の展望について述べた。

以上、本論文では、バイオキャタリストの制御の方法、とくに従来とは異なり、基質の拡散ではなく活性自体の可逆な制御を行う方法論をいくつか確立し、それをバイオセンサの特性制御に応用できることを示している。こうして得られた知見は、活性を制御できる触媒システム、広い濃度範囲をカバーできるバイオセンサ、種々の物質を測定できるバイオセンサなどの開発に役立つものと期待される。さらには、環境に応じて特性を自律制御できるバイオセンサや、新しいドラッグデリバリーシステムの開発などにも貢献するものと期待され、電気分析化学、生体関連材料化学などの進展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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