学位論文要旨



No 216520
著者(漢字) 島崎,聡立
著者(英字)
著者(カナ) シマザキ,トシハル
標題(和) グループII代謝調節型グルタミン酸受容体遮断による抗鬱効果の行動薬理学的研究
標題(洋)
報告番号 216520
報告番号 乙16520
学位授与日 2006.04.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16520号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 川原,茂敬
 東京大学 助教授 楠原,洋之
 東京大学 助教授 武田,弘資
内容要旨 要旨を表示する

始めに

 鬱病は主要な精神疾患の一つであり、欧米での罹患率は10%以上、日本でも6%と言われており、患者数は年々増加している。

 現在、抗鬱薬は選択的セロトニン再取り込み阻害剤を始めとした1960年代に提唱された病態仮説である「モノアミン仮説」に基づくものだけであり、臨床治療において(1)有効率が70%程度であり既存の抗鬱薬が奏効しない難治性の患者が存在する事、(2)消化器系及び性機能障害等の副作用、(3)3〜6週間の服用が薬効発現まで必要であること等の問題が生じている。これらの問題点の多くは、「モノアミン仮説」に基づく薬剤では必ず付帯すると考えられているため、その仮説とは異なる機序による抗鬱薬の開発が求められている。

 近年、グルタミン酸神経活性化の鬱病治療への有用性が示唆されている。前臨床試験においてAMPA受容体potentiatorの抗鬱様作用、自己受容体であるmGluR2及びmGluR7のノックアウトマウスでの抗鬱様行動、グループII mGluR antagonistのLY341495における抗無快感症様作用等が報告されている。更に、臨床試験において、難治性鬱病患者の腹側帯状束のグルタミン酸濃度が低下しており、通電療法によって治癒した患者の同部位でのグルタミン酸濃度が健常人レベルへ上昇する事が報告された。同様に鬱病治療の一つである断眠療法により脳橋におけるグルタミン酸濃度が上昇することが報告された。これらの報告は、特定の脳部位におけるグルタミン酸濃度の低下が鬱病発症に関与しており、その低下を改善する事により抗鬱作用がもたらされる可能性を示唆している。

 グルタミン酸受容体はイオンチャネル型(iGluR)と代謝調節型(mGluR)の2つに分類され、後者は8つのサブタイプ(mGluR1〜8)を持つ。mGluRは共役する情報伝達系及び薬理学的特性により3つのグループ(グループI〜III)に分類される。その中で、グループII mGluRはGi共役型のGPCRで、主に神経終末に発現する自己受容体である。ラットの脳内において辺縁系に多く分布し、そのagonist及びpotentiatorが不安障害や統合失調症の治療に有効である可能性が示されている。このように精神疾患におけるグループII mGluRの役割に関して研究が進んでいるが、鬱病における関与については十分な検討がなされていない。

 本研究では鬱病におけるグループII mGluRの関与を明らかにするため、グループII mGluR antagonistであるMGS0039を用い、動物モデルでの検討を行った。

1. MGS0039のin vitroにおけるプロファイル

 MGS0039のin vitroプロファイルを検討した。

 ラットのリコンビナント受容体発現細胞膜を用いた結合実験において、MGS0039はグループII mGluRに高い親和性(Table 1)を有した。

 グループII mGluRにグルタミン酸が結合する事により、Forskolin刺激性cAMP蓄積抑制作用が起こる。ラットリコンビナント受容体発現細胞膜を用いた実験において、MGS0039はグルタミン酸の作用に拮抗した(Table 1)。このことから、MGS0039がグループII mGluRにantagonistとして作用することが示された。また、MGS0039単独負荷ではcAMPが変動しなかったことから、グループII mGluRにagonistとして作用しない事が示された(Table 1)。

 グルタミン酸誘発細胞内カルシウム濃度測定法により、MGS0039のグループII mGluRに対する阻害様式を検討した。グルタミン酸の用量作用曲線が、MGS0039により最大反応値を変化させずに右方にシフトしたことから、MGS0039がグループII mGluRに対し競合的なantagonistであることが明らかとなった。そのpA2値をTable 1に示す。

 MGS0039はmGluR及びiGluRを含む他のグルタミン酸結合部位、モノアミン受容体及びトランスポーターに対して10μMにおいても作用を示さなかった。

 以上の結果から、MGS0039はグループII mGluRに対し選択的且つ競合的なantagonistであることが明らかとなった。

2. 動物モデル試験におけるグループII mGluR antagonistの作用

 グループII mGluRの鬱病及び不安障害における役割を検討するため、MGS0039を用いて、鬱病及び不安障害の動物モデル試験を実施した。

 鬱病のモデル試験であるラット強制水泳試験において、MGS0039は腹腔内投与で1mg/kgから有意且つ用量依存的な抗鬱様作用を示した(Fig.1(a))。また同試験の行動解析においてclimbingには影響を与えずswimmingを上昇させた(Fig.1(b))ことから、MGS0039の強制水泳試験における抗鬱様作用にセロトニン神経系活性化が関与する事が示唆された。また、別の鬱病のモデル試験であるマウス尾懸垂試験においてもMGS0039の腹腔内投与で1mg/kgから有意な抗鬱様作用を示した(Fig.1(c))。

 不安障害モデル試験の一つであるガラス玉覆い隠し行動試験において、MGS0039は腹腔内投与で3mg/kgから有意な抗不安様作用を示した(Fig.1(d))。

 以上の結果から、グループII mGluR antagonistが抗鬱及び抗不安様作用を有することが明らかとなった。

3. グループII mGluR antagonistの抗鬱様作用の作用機序の解明

 作用機序を解明するために既知の知見や実験結果から以下の二点に着目した。

(1)グループII mGluR antagonistは強制水泳試験においてswimming行動が上昇し、ガラス玉覆い隠し行動試験において薬理作用を示した。これら行動試験で認められた薬理作用的特徴からグループII mGluR antagonistの抗鬱様作用にセロトニン神経系活性化が関与するのではないかと考えた。

(2)グループII mGluRは主に神経終末に自己受容体として発現することから、その受容体の遮断はグルタミン酸放出量の増加を起こす。近年、シナプス後部のグルタミン酸受容体であるAMPA受容体potentiatorに抗鬱様効果があることが報告されている。更に、別のグループII mGluR antagonistであるLY341495が抗無快感症様作用を有し、これがAMPA受容体刺激を介する事が示唆されている。これらの知見からグループII mGluR antagonistの抗鬱様作用がAMPA受容体刺激を介しているのではないかと考えた。

 グループII mGluR antagonistによるセロトニン神経活動の変動を、電気生理学的手法及びマクロダイアリシス法を用いて検討した。背側縫線核(DRN)におけるセロトニン神経の発火頻度はMGS0039の投与により有意に増加した(Fig.2(a))。また、その投射先の一つである内側前頭前野(mPFC)でのセロトニン放出量も増加していた(Fig.2(b))。以上の結果から、グループII mGluR antagonistがセロトニン神経系の活動を活性化させることが示された。

 グループII mGluR antagonistの抗鬱様作用及びセロトニン神経系活性化がAMPA受容体を介しているかを検討するため同受容体antagonistのNBQXを用いて検討した。マウス尾懸垂試験におけるグループII mGluR antagonistの抗鬱様作用は、NBQXの10mg/kgによって有意に拮抗された(Fig.2(c))。同様にグループII mGluR antagonistの内側前頭前野でのセロトニン放出量増加は、NBQX前処置により抑制された(Fig.2(d))。

 以上の結果から、グループII mGluR antagonistの抗鬱様作用の発現には、AMPA受容体刺激を介したセロトニン神経系の活性化が関与することが示唆された。

まとめ

 本研究において以下のことを明らかとした。

 ・MGS0039はグループII mGluRに選択的な競合的antagonistであった。

 ・グループII mGluR antagonistは動物モデル試験において抗鬱及び抗不安様作用を示した。

 ・グループII mGluR antagonistの抗鬱様作用の発現にはAMPA受容体刺激を介したセロトニン神経系の活性化が関与することが示唆された。

Table 1. In virto profile of MGS0039 to mGluR2 and mGluR3

Data represent mean±SEM from 3-10 separate experiments.

Fig. 1 Antidepressant and anxiolytic effects of MGS0039

Antidepressant effects of MGS0039 were evaluated by both the method duration of immobility (a) and by the time-sampling technique (b) in the forced swimming test and in the tail suspension test (c). Anxiolytic effect of MGS0039 was determined by the marble burying test (d). Data represent mean ± SEM. vehicle: 1/15 phosphate buffer (pH=8) ip: intraperitoneal *:P<0.05, (**):P<0.01 vs vehicle (Dunnett's test) N=8-15

Fig. 2 Effects of MGS0039 on serotonergic neurons and AMPA receptor mediation

MGS0039 increased the firing rate of DRN serotonergic neurons (a) and extracellular serotonin concentration in the mPFC (b). NBQX, AMPA receptor antagonist, attenuated MGS0039-induced reduction of immobility time in the tail suspension test (c) and MGS0039-induced enhancement of extracellular serotonin concentration in the mPFC (d). Data represent mean ± SEM. vehicle: 1/15 phosphate buffer (pH=8) iv: intravenous sc: subcutaneous ip:intraperitoneal (**):P<0.01 vs vehicle or saline+vehicle, ##:P<0.01 vs saline+MGS0039 (Dunnett's test) N=5-18

審査要旨 要旨を表示する

 鬱病は主要な精神疾患の一つであり、日本では罹患率6%とされ患者数は年々増加している。現在用いられて抗鬱薬は選択的セロトニン再取り込み阻害薬などであるが、全て1960年代に提唱された「モノアミン仮説」に基づくものだけである。これらの治療薬には(1)有効率が70%程度であり既存の抗鬱薬が奏効しない難治性の患者が存在する事、(2)消化器系及び性機能障害等の副作用、(3)3〜6週間の服用が薬効発現まで必要であること、などの問題がある。従って、「モノアミン仮説」に基づかない抗鬱薬の開発が求められている。

 グルタミン酸受容体はイオンチャネル型(iGluR)と代謝調節型(mGluR)の2つに分類され、後者は共役する情報伝達系及び薬理学的特性により3つのグループ(グループI〜III)に分類されている。その中で、グループII mGluRはGi共役型のGPCRで、主に神経終末に発現する自己受容体である。グループII mGluRのアゴニスト及び増強物質が不安障害や統合失調症の治療に有効である可能性が示唆されているが、鬱病とグループII mGluRの関係については検討されていない。本研究ではグループII mGluRの選択的拮抗薬であるMGS0039を用い、鬱病動物モデルでの検討を行った。

 まず、MGS0039の薬理学的プロフィールを明らかにした。ラットのリコンビナント受容体発現細胞膜を用いた結合実験において、グループII mGluRに高い親和性を有した。グルタミン酸によるグループII mGluRを介したForskolin刺激性cAMP蓄積抑制作用に拮抗した。また、MGS0039単独負荷ではcAMPが変動しなかったことから、グループII mGluRにアゴニストとして作用しない事を確認した。グルタミン酸による細胞内カルシウム濃度上昇を指標にMGS0039の阻害様式を検討した結果、競合的な拮抗薬であることを明らかにした。また、MGS0039は高濃度においても、他のmGluR及びiGluR、モノアミン受容体及びトランスポーターに対して作用しなかった。以上のことから、MGS0039はグループII mGluRに対し選択的かつ競合的な拮抗薬であることが明らかとなった。

 鬱病のモデル試験であるラット強制水泳試験において、MGS0039は腹腔内投与で用量依存的な抗鬱様作用を示した。climbingには影響を与えずswimmingを上昇させたことから、MGS0039の作用にセロトニン神経系活性化が関与する事が示唆された。また、別の鬱病のモデル試験であるマウス尾懸垂試験においてもMGS0039は有意な抗鬱様作用を示した。

 不安障害モデル試験の一つであるガラス玉覆い隠し行動試験において、MGS0039は有意な抗不安様作用を示した。以上の結果から、グループII mGluRが抗鬱及び抗不安様作用を有することが示唆された。

 グループII mGluR選択的拮抗薬がセロトニン神経活動に及ぼす作用を電気生理学的手法及びマクロダイアリシス法を用いて検討した。背側縫線核(DRN)におけるセロトニン神経の発火頻度はMGS0039の投与により有意に増加した。DRNの投射先の一つである内側前頭前野でのセロトニン放出量も増加していた。以上の結果から、グループII mGluRの選択的拮抗薬がセロトニン神経系の活動を活性化させることが示された。

 グループII mGluRの選択的拮抗薬の抗鬱様作用及びセロトニン神経系活性化作用がAMPA受容体を介する可能性を検討した。マウス尾懸垂試験におけるMGS0039の抗鬱様作用はAMPA受容体の選択的拮抗薬であるNBQXにより抑制された。同様に内側前頭前野でのセロトニン放出量増加もNBQX前処置により抑制された。以上の結果から、グループII mGluRの選択的拮抗薬の抗鬱様作用の発現には、AMPA受容体刺激を介したセロトニン神経系の活性化が関与することが示唆された。

 本研究において、グループII mGluRの選択的拮抗薬が抗鬱及び抗不安様作用を示し、その作用にAMPA受容体刺激を介したセロトニン神経系の活性化が関与することを示唆した。鬱病の病態解明に貢献するだけでなく新規抗鬱薬開発への道筋を示した研究であり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認められた。

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