学位論文要旨



No 216658
著者(漢字) 安部,正真
著者(英字)
著者(カナ) アベ,マサナオ
標題(和) はやぶさ探査機搭載近赤外線分光器の開発と小惑星イトカワの近赤外線分光観測
標題(洋) Development of Near-Infrared Spectrometer onboard Hayabusa Spacecraft and Near-Infrared Spectral Observation of Asteroid Itokawa
報告番号 216658
報告番号 乙16658
学位授与日 2006.12.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第16658号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮本,正道
 東京大学 教授 杉浦,直治
 総合研究大学院大学 助教授 吉川,真
 東京大学 教授 加藤,學
 東京大学 教授 早川,基
内容要旨 要旨を表示する

 小惑星は惑星のように形成の過程で大きな熱変成を経験しておらず、太陽系の比較的初期の情報を保持した天体であると考えられている。また小惑星は太陽系の広い範囲に分布しており、その形成場所による物質の違いの情報を持っていると考えられている。したがって、小惑星の構成物質や状態を調べることにより、太陽系の初期の物質分布に関する情報を得ることができ、太陽系の形成と進化に対して大きな制約を与えることができると考えられる。このような観点で進められてきた、小惑星の構成物質を推定する研究のひとつが、小惑星の反射スペクトルの研究である。

 小惑星の反射スペクトルの研究は、主に地上望遠鏡を用いた観測によって進められてきたが、小惑星表面を空間分解して観測するのが非常に困難であるため、表面の鉱物種推定や隕石との対応関係の推定には限界があった。本研究では小惑星近傍に到達する探査機に搭載する近赤外線分光器を設計・開発し、小惑星表面を空間分解して観測することに成功した。

 図1に開発した近赤外線分光器の概観を表1に分光器の最終的な仕様を示す。探査機の打ち上げ前には、分光器の性能評価試験を実施し、分光器の感度特性(図2)などの、小惑星近傍での観測データを解析するために必要なデータを取得した。

 本分光器は2003年5月9日に宇宙科学研究所(現在の宇宙航空研究開発機構)によって打ち上げられた小惑星探査機はやぶさに搭載され、2005年9月から11月にかけて、S型小惑星イトカワの近傍観測を行った。

 図3に本分光器で得られた小惑星イトカワの反射スペクトルと、LL5コンドライトの反射スペクトルとを比較した結果を示す。この結果からS型小惑星であるイトカワの表面物質について、普通コンドライトとの対応関係を支持する結果が得られた。

 図4に本分光器で得られたイトカワの平均的な反射スペクトルにおける1ミクロン帯の3バンド強度比を、普通コンドライトや始原的エイコンドライト、輝石・橄欖石混合物における値と比較して示す。この図からイトカワの表面物質は、輝石・橄欖石混合物における橄欖石の割合が70〜80%のものに対応し、同じくS型小惑星であるエロスに比べても橄欖石を多く含んだS型小惑星であることが分かった。また普通コンドライトの中ではLLコンドライトに対応し、これまでに発見されている始原的なエイコンドライトとは対応しないことが分かった。

 一方、空間分解した観測では、光学カメラの情報から、イトカワの表面は岩塊の多い領域と、平坦な領域に分けられ、岩塊の多い領域には反射率の高い部分と低い部分があることがわかっており、本分光器でもそれぞれに対応する領域の反射スペクトルを取得することに成功した。その結果を図5に示す。

 本分光器の観測結果から、3つの代表的な領域は反射率の違い以外に、1ミクロン帯の吸収バンドの深さに違いがあることが分かった。この違いは、表面の粒子サイズの違いや、宇宙風化作用の程度の違いに原因があると考えられる。ただし、3バンド強度比を調べた結果では、3つの領域に大きな違いはなく、輝石・橄欖石の存在比に違いがないことも分かった。

 本研究をまとめると以下のようになる。

 ・はやぶさ探査機搭載近赤外線分光器を開発した。

 ・打ち上げ前の性能評価を実施し、小惑星の観測に適した分光器ができたことを確認した。

 ・打ち上げ後も性能モニタを実施し、小惑星到着までその性能を維持していることを確認した。

 ・S型小惑星イトカワ近傍での近赤外線分光観測を実施し、地上では得ることのできなかった、空間分解した反射スペクトルの取得を含む、初期成果を得ることができた。

 ・その初期成果とは、イトカワ表面物質に対応する隕石はLL5-6普通コンドライトが尤もらしいことを明らかし、その表面状態には、粒子サイズや宇宙風化の程度の違いによる大きな変化があるものの、鉱物組成的には一様で、S型小惑星イトカワは、分化を経験していない始原的な天体であると考えられることである。

図1:はやぶさ探査機に搭載された近赤外線分光器

表1:本分光器の仕様

図2:打ち上げ前の性能評価試験で得られた本分光器の感度特性曲線

図3:本分光器で得られた小惑星イトカワの平均的なスペクトルと、普通コンドライト隕石の反射スペクトルの比較

図4: 1ミクロン帯3バンド強度比。小惑星イトカワ、エロス、普通コンドライト、始原的なエイコンドライト、輝石・橄欖石混合物のデータをプロット

図5:小惑星イトカワ上の3つの代表的な領域の反射スペクトルの比較

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章から構成されている。第1章はイントロダクションである。小惑星構成物質研究について、特に地上観測の観点と隕石反射スペクトル研究の観点から紹介している。小惑星反射スペクトルデータが、小惑星分類と表面物質推定および隕石との関係を考える上で有用であることを示すと同時に、S型小惑星と普通コンドライト隕石との関係など、まだ明らかになっていない問題のあることを論じている。その問題を解決するひとつの方法として、探査機による近接観測およびサンプルリターンによる直接探査の必要性を述べている。

 第2章では、そのような背景から計画された小惑星探査機「はやぶさ」に搭載された近赤外線分光器の開発について述べられている。開発された分光器の観測波長域は764nm〜2100nmで、小惑星表面に存在すると考えられている輝石やカンラン石による吸収バンドの特徴を捉え、それらの存在比について十分議論できる。小惑星近傍に到達した探査機が、小惑星表面を0.1度で空間分解して観測できる性能を持っていることを確認した。この性能クラスで宇宙使用の分光器としては、国内ではもちろん、海外ミッションでも例のない小型軽量化を実現している点は高く評価される。

 第3章では、探査機打ち上げ後小惑星イトカワ到着までに実施した分光器の性能評価と性能の経年変化のモニタ結果について述べられている。開発した分光器が、宇宙空間においても目的の性能を有していること、および、その性能が維持できていることを確認した。また、地球スイングバイ時に取得した月の裏側の反射スペクトルは、地上からは観測することが出来ないため科学的にも貴重なデータである。

 第4章では、探査機の小惑星イトカワ到着後に実施した観測内容と観測条件(太陽位相角、太陽光入反射角条件)の違いによる反射スペクトルへの影響についてまとめている。小惑星近傍では、小惑星からの距離50〜3.5kmの範囲で観測を実施し、小惑星のほぼ全領域の表面を90〜6mの空間分解能で観測することに成功している。これだけ高い空間分解能で小惑星表面の分光観測が実施されたことはこれまでになく、世界で初めてのデータを得ることができた点は高く評価すべきである。また、低太陽位相角における急激な明るさの増加(opposition effect)を検出することにも成功した。イトカワのようなレゴリス(細粒な表土)の少ないと考えられる天体表面にもopposition effectの存在を示したことは、今後研究を進めるべき重要な問題を提起している。

 第5章では、S型小惑星イトカワの分光観測結果について詳しい議論と考察がなされている。小惑星反射スペクトルの1μm付近の吸収バンドの特徴に注目し、吸収係数の強度比を比較するという新たな手法を用いることにより、イトカワのカンラン石/(輝石+カンラン石)量比が70〜80%であること、普通コンドライトの中ではLLコンドライトに対応することを明らかにした。さらに、空間分解した反射スペクトルデータ解析からは、小惑星イトカワ表面には、反射率および1μm吸収バンドの強さにおいて、10%以上の変化があることを発見した。この違いの原因は、表面鉱物種の違いではなく、小惑星表面状態の違いで説明できること、特に、宇宙風化進行度の低い領域ほど、普通コンドライトの反射スペクトルに近い特徴をもつことも明らかにした。本論文によって、今まで不明であったS型小惑星と普通コンドライトの対応関係について、小惑星近傍観測により、それらの対応関係を支持する結果を得たことは、惑星科学において重要な知見が得られたと考えられる。

 第6章は、本論文のまとめであり、得られた結果が簡潔にまとめられている。

 本研究は、小惑星探査機に搭載する近赤外線分光器を開発することによって、これまで地上観測からは得ることが出来なかった、近傍観測による小惑星表面の空間分解された反射スペクトルを得ることができたという点で高く評価される。さらに、小惑星表面の鉱物種の推定だけでなく、粒子サイズや宇宙風化進行度などの表面状態の違いについても議論されており、地上観測からだけでは不明であった、S型小惑星と普通コンドライトのスペクトルの違いを説明できる証拠を発見したことも、高い評価をあたえるべきであろう。

 なお、本論文の第4章の一部および第5章の一部は近赤外線分光器のデータ解析チームとの共同研究による結果も含んでいるが、論文提出者が主体的に装置の開発・運用、およびデータの解析・解釈を行っており、その寄与は十分と判断する。

 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UT Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42885