学位論文要旨



No 216753
著者(漢字) 伊藤,裕一
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ユウイチ
標題(和) LESによる乱流噴霧燃焼場の数値予測
標題(洋)
報告番号 216753
報告番号 乙16753
学位授与日 2007.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16753号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,千幸
 東京大学 教授 笠木,伸英
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 助教授 高木,周
 北海道大学 教授 大島,伸行
内容要旨 要旨を表示する

 化石燃料の枯渇の問題は,その有限性・可採年数から見ても非常に深刻な問題であり,エネルギ資源をより有効に利用することは必要不可欠な技術である.

 各種工業,産業に用いられるガスタービンなどの内燃機関や工業用燃焼炉の効率向上を図るためには,燃焼により得られた熱エネルギの機械仕事への変換効率が重要となる.同様に,地球環境問題の観点から燃焼と有害排出物の発生の因果関係を知ることも必要である.このような要請を受けて,現実の燃焼器設計や改良に関して,経験的でなく,合理的かつ客観的なデータに基づく指針を示す必要が出てきており,燃焼器の設計支援ツールとしての数値シミュレーションにかかる期待は大きい.

 これらの工業用燃焼場では制御性の容易さ,高負荷燃焼が可能,という利点から噴霧燃焼形態を採用する燃焼炉が非常に多い.このような乱流噴霧燃焼場は,燃料の微粒化,液滴の気相への分散,蒸発,燃焼化学反応といった素過程が相互作用を及ぼしながら進行する,マルチスケール・マルチフィジックスの非常に複雑な現象であり,これらの素過程を分離して計測,理解することは難しく,この面からも数値解析による現象理解への期待が高まっている.

 そこで,本研究では実用工学問題としての乱流噴霧燃焼問題の予測手法の確立を目指し,マルチスケールで非定常な複合現象を直接的に解析しうる LES(Large-Eddy Simulation)を基礎とした乱流噴霧燃焼場の高精度な非定常解析手法を開発することを目的に掲げ,特に噴霧液滴と乱流の挙動の相互作用および噴霧蒸発の予測と噴霧燃焼場の温度予測に焦点をあてた.

数値解析手法とエネルギカップリングモデルの提案

 乱流噴霧場を数値的に表現する手法として,気相乱流燃焼場を LESによりEuler 的に取り扱い,噴霧液滴は個々の液滴パーセルを Lagrange的に追跡することで表現する(DDMモデル).気相基礎方程式は LESのために粗視化された低 Ma数近似圧縮性流体の運動量,質量保存式と空気と燃料気体の混合分率 Zの輸送方程式である.燃焼モデルには flameletモデルを採用し,SGS変動は β-PDFによって表現した.

 液滴については,個々のパーセルの位置,質量,運動量に関する運動方程式を解く.液滴の蒸発は単一液滴の準定常蒸発を仮定し,周囲雰囲気との分圧差(濃度差)による物質拡散としてモデル化した.なお,液滴の変形や分裂を考慮していない.

 上記の手法を用いて噴霧燃焼現象を表現するためには,気相と液滴の間の熱交換についても運動量や温度と同様のカップリングを行なう必要がある.実際の解析においては気相温度は flamelet libraryによって一意に決定されるが,そこには噴霧の存在による影響は考慮されていない.そこに噴霧の存在による影響を考慮するために,次のような「Lagrange型エネルギカップリングモデル」を提案した.噴霧の存在による火炎の冷却を考慮した気相温度を以下のように表現する:

ここで,Tは気相温度,T0は flamelet libraryから算出される(仮の)気相温度,右辺第2項が液滴によって燃焼ガスが冷却される寄与である.

乱流中を飛散する蒸発噴霧の数値解析

 本研究ではまず最初に,蒸発する噴霧挙動の予測精度に注目して検討を行なった.解析対象はWidmann and Presser (2002)によるメタノールの噴霧実験とした.常温常圧下において,ホローコーンインジェクタにより液体メタノールが噴霧され,その周囲流入部から約 3m/s,スワール数 約0.6の旋回空気が流入する体系で,Reynolds 数は約 10,000である.

 図1に本解析で得られた,流れ方向速度コンタ(図中左側)と,混合分率 Z(図中右側)および液滴の様子を示す.流れ方向速度コンタを見ると,非定常の強い流れとなっていることが見てとれる.また,インジェクタが設置されている流入部中心付近に旋回流れによる逆流域が形成されており,図中右側の混合分率分布を見ると,液滴が蒸発することで発生する燃料ガスは,周りの空気と混合しながら下流へと輸送され,その混合気は空気の流れ同様に非定常な乱れた状態になっていることが見て取れる.また,逆流域に滞留する蒸発ガスも存在しており,実機においては,ここが保炎がなされる,すなわち燃料ガスが滞留する箇所であるが,数値解析においても同様の現象を捕らえることに成功した.

 図2は噴霧液滴の流れ方向速度の半径方向分布をいくつかの流れ方向距離 (zで表す)でとったものである.この図より,噴霧速度の減衰の推移や半径方向への拡散の様子が実験値と非常に良く一致しており,噴霧挙動を定量的に予測できていることがわかる.これは本研究で採用したモデル体系,とくに噴霧の抗力と蒸発モデルが適切であったことによる.

乱流噴霧燃焼場の解析

 上記の知見を元に実験室レベルの乱流噴霧燃焼場の解析を行なった.参照する実験体系は,Karpetis and Gomez (2000)による,乱流非予混合噴霧火炎である.メタノール噴霧が超音波スプレーノズルにより約20m/sで噴霧され,ノズル内点火後縮流部を通過し,燃焼を伴った流れとして直径 12.7mmの開口部より開空間へ噴出する.そのときの気相速度はおおよそ25m/sである.

 図3に本解析で得られた代表的な流れ場の様子を示す.噴霧は(時間方向に)均質に投入されるが,投入後 5D 程度下流では粗密な構造ができている.これは,局所渦によってできる粗密構造であると考えられる.また,中心軸上における気相速度 ugおよび噴霧速度udを計算と実験とで比較したものを図4に示す.この図から,投入直後の噴霧が周囲の気相成分によって加速される過程は実験値と非常によい一致を見た.このことから,本解析においては,気相-液相間の相互干渉をGS成分の two-couplingで表現したが,そのモデル化が妥当であったことも伺える.なお,本体系における噴霧現象は Elghobashi (1994)による regime diagramに照らし合わせてもtwo-way coupling領域であるため,その面からも本解析でも採用した two-way couplingが妥当なモデルであることを裏付けられる.また,下流部においては実験同様に噴霧液滴は気相に追従している.この領域は one-way coupling領域であり,このregimeに対しても本解析は実験とよい一致を示すことがわかる.

 図5は,本研究で提案した Lagrange型エネルギカップリングモデルの使用/未使用による影響を示す図である.図中,左側にはカップリングを施した結果を,右側にはカップリングを施していない結果をそれぞれ示している.なお,右図は左図の中心軸付近を拡大したものである.この図から,本カップリングモデルにおいて,噴霧液滴への熱伝達と蒸発潜熱による火炎の冷却効果が認められ,噴霧濃度の濃い流入ノズル近傍および中心軸付近においてその効果が大きく見られる.このため,火炎温度がより現実に近い分布を示すようになり,本カップリングモデルの有効性を示すことができた.

まとめ

 本研究では,実用工学問題としての乱流噴霧燃焼問題の高精度予測手法の構築を目指し,Euler/Lagrange法と flamelet approachに基づく乱流噴霧燃焼LES解析手法を開発した.

 その過程において,まず LES乱流燃焼場解析手法の乱流噴霧燃焼場への拡張を行ない,その問題点を指摘し,噴霧の存在による火炎の冷却効果を導入した「Lagrange型エネルギカップリングモデル」を提案した.この解析手法を用い,蒸発噴霧を含んだ乱流解析への適用とその予測精度の検証を行なった結果,旋回による逆流域生成などに対しても LES を用いることによって精度良く予測できることを示し,噴霧液滴の空間分布は,初期の液滴粒径,位置,速度を正確に模擬した上で,適切なモデルを選択することで実験値と非常に良い一致を見た.これらのことから,本研究で採用したモデルや計算手法の妥当性を示すことができた.

 この知見を元に,乱流噴霧燃焼場への LES解析の適用を行なった.その結果,気相温度分布においては,本研究で提案したLagrange型エネルギカップリングモデルの導入により,噴霧の蒸発による火炎の冷却効果が導入され,本カップリングモデル導入前と比較して,実験値とより整合する結果を得た.また,噴霧速度分布において,気相成分による加速過程を定量的にも正確に予測することができた.本解析においては,気相-液相間の相互干渉をGS成分のtwo-couplingで表現したが,そのモデルの妥当性についても解析結果とregime diagram両面から検証できた.一方,燃焼流れ速度分布においては,ダイナミクスの定性的な一致は見られたものの,定量比較では実験データとの差異が見られた.これは,流入変動成分の導入方法を再検討することでさらなる予測精度の向上が見込まれる.

 以上の成果から,本研究で提案した LES解析手法を用いることで,乱流噴霧燃焼場における気相温度や噴流燃焼の発達過程の全容を捉えることができ,個々の噴霧の挙動,運動量交換や液滴の蒸発など噴霧燃焼に関わるダイナミクスを正確に予測できることがわかった.

図1 代表的な流れ場の様子(左:流れ方向速度,右:混合分率)

図2 液滴速度の半径方向分布(実験値と比較)

図3 代表的な噴霧燃焼場の速度分布と噴霧の様子

図4 中心軸上における気相速度と噴霧速度の実験値との比較

図5 Lagrange型エネルギカップリングモデルの影響(右図は左図の中心付近を拡大したもの)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「LESによる乱流噴霧燃焼場の数値予測」と題して全6章から構成されている.

第一章においては序論として本研究の背景にあるエネルギ問題,地球環境問題について述べ,これらの問題点を解決するために,高効率・低公害の燃焼器の設計支援ツールとしての数値シミュレーション手法の開発の必要性を述べている.また,従来用いられてきた RANS解析の欠点およびその限界とLES解析を行なうことで解決しうる点を挙げることで LESに基づく解析手法を用いて乱流噴霧燃焼場を高精度で予測できる手法の必要性とその実現可能性を述べている.その上で乱流噴霧燃焼場における乱流火炎温度分布(気相温度分布)の予測精度の評価と,噴霧液滴の挙動とその蒸発モデルの評価を目的として掲げている.

第二章,第三章では,本研究で用いる流れ場の基礎方程式および噴霧場の基礎方程式,そしてそれらのカップリング手法と蒸発現象および燃焼燃焼の数理モデルについてこれまでの提案・使用されてきたモデルを概観し,本研究で採用する Euler/Lagrange手法および Flamelet modelの基礎方程式とその有効性とその組み合わせによる優位性を明らかにしている.同時に乱流噴霧燃焼場に Flamelet modelを導入する際の問題点を提起し,その問題点を克服する数理モデル「Lagrange型エネルギカップリングモデル」を提案した.

第四章においては,第二章,第三章で提案した手法のうち,液滴挙動と蒸発モデルの検証を目的として,旋回流にホローコーン噴霧を噴射した実験体系に適用し,その評価を行なっている.解析対象はWidmann and Presser(2002)によるメタノールの噴霧実験とした.常温常圧下において,ホローコーンインジェクタにより液体メタノールが噴霧され,その周囲流入部から約 3m/s,スワール数 約0.6の旋回空気が流入する体系で,Reynolds 数は約 10,000である.この実験体系に則した数値解析を,噴霧液滴の初期条件(粒径分布と初期速度)を実験における代表的な数値で表現したもの (case I)と,粒径分布と初期速度を代表値ではなく,実験における値をそれぞれ直接用いた (case II)2ケースで解析を行なっている.その結果, case Iの解析においても噴霧液滴速度の減衰の推移など定性的な予測が十分で可能であることを示し,また気相乱流場が噴霧場に与える影響を評価した.その上で case IIでは液滴の初期条件をより実験に即した条件を与えることで噴霧速度の減衰の推移だけでなく,その半径方向への拡散の様子が実験値と非常に良く一致し,噴霧挙動を定量的に予測可能であることを示した.このことは噴霧挙動と蒸発モデル(蒸発量)が正確に表現できている証左であり,本論文で提案する解析手法は乱流噴霧場を精緻に予測可能であることを示している.

第五章においては,第四章までで明らかとなった乱流噴霧場の解析手法を用いて,実験室レベルの乱流噴霧燃焼場の解析を行ない,気相温度分布の予測精度を評価している.参照する実験体系は,Karpetis and Gomez(2000)による,メタノールによる乱流非予混合噴霧火炎である.予備解析として位置づけている非燃焼場の解析によって,渦構造の発達と崩壊といった乱流噴流構造のダイナミクスが表現できることを示し,この知見を元に,乱流噴霧燃焼場への LES解析の適用を行なった.その結果,燃焼流れ速度分布においては,定量比較では実験データとの若干の差異が見られたが,せん断層の発達や噴流構造の崩壊といった流れ場におけるダイナミクスの定性的な一致が見みられた.定量予測精度の向上に関しては,流入変動成分の導入方法を再検討することで解決が見込まれることを過去の例と併せて指摘されている.気相温度分布においては,本研究で提案したLagrange型エネルギカップリングモデルの導入により噴霧の蒸発による火炎の冷却効果が導入され,本カップリングモデル導入前と比較して,実験値とより整合する結果を得た.また,噴霧速度分布において,気相成分による加速過程を定量的に正確に予測することができ,気相速度分布の比較より気相-液相間の相互干渉モデリングの妥当性についても解析結果と regime diagram両面から検証できている.

第六章では本研究で得られた成果が述べられている.

以上を要約すると,本論文では実用工学問題としての乱流噴霧燃焼問題の高精度予測手法の構築とその温度予測精度および液滴挙動・蒸発現象の予測精度の評価を目的として,Euler/Lagrange法と flamelet approachに基づく乱流噴霧燃焼 LES解析手法を開発し,高精度な乱流噴霧燃焼場解析手法の指針を示すことができた.この成果は乱流噴霧燃焼場の解析手法の提案のみならず,その数値解析技術の発展につながるもので,流体工学,燃焼工学,エネルギ変換工学,化学工学といった広範な工学分野において寄与するところが大きい.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42888