学位論文要旨



No 217147
著者(漢字) 京本,政之
著者(英字)
著者(カナ) キョウモト,マサユキ
標題(和) 人工関節の長寿命化のためのリン脂質ポリマーを用いた水和潤滑表面の設計
標題(洋) Design of Surface with Hydration Lubrication by Phospholipid Polymers for Extending Longevity of Artificial Joints
報告番号 217147
報告番号 乙17147
学位授与日 2009.03.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17147号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石原,一彦
 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 教授 光石,衛
 東京大学 教授 鄭,雄一
 東京大学 准教授 古川,克子
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、人工関節の長寿命化、特に耐摩耗特性の向上を目的として、水和潤滑という新しいコンセプトに基づき、生体適合性・親水性の高いリン脂質ポリマーを用いて表面設計・構築が行なわれており、6つの章により構成されている。

生体関節は、運動機能を支える重要な器官である。関節疾患、すなわち運動機能の低下は日常の生活動作に大きな支障をきたす。高齢化が進んでいる現在、外傷や疾患により関節がその機能を発揮できなくなったとき、その代替として用いられている人工関節置換術は患者の痛みをとり、より良い生活の質を取り戻す治療として既に確立している。人工関節には、ポリエチレン(PE)と金属(主としてコバルトクロム合金)を組み合わせた摺動システムが、主に使用されている。しかし、PE摩耗粉により引き起こされる骨吸収は、人工関節の入れ換え(人工関節再置換術)にいたる主因の一つであり、人工関節置換術において深刻な問題である。人工関節の耐用年数(寿命)は約10~15年といわれる現在において、人工関節置換術を受けた患者は再置換術の潜在的な対象である。10%前後の割合で必要となる再置換術は、患者やその家族に大きな負担を強いることになる。筆者は人工関節の弛みを阻止し、再置換術をなくすことを研究の目的とした。

インプラント周囲の骨吸収と弛みの主因であるPE摩耗粉の産生を減少させるために、摺動面の組み合わせや素材自体の改良といった様々な試みが行われている。近年では、PEにガンマ線などの高エネルギー線を照射することで得られる架橋ポリエチレン(CLPE)が、摺動システムに投入され広く臨床使用されている。CLPEのin vitroにおける摩耗量は、PEのそれと比較して10~20%にまで低減したとの報告が数多くある。これらの報告により、CLPE の有用性は認められている一方で、in vivoにおける摩耗量は40~60%の低減にとどまっており、更なる改善が求められている。

そこで、筆者は生体内で長期間にわたり、優れた摩擦・摩耗特性を発揮する生体軟骨に注目した。生体軟骨の主な成分はコラーゲンとプロテオグリカンであり、特にプロテオグリカンに引き付けられた水が、その潤滑に重要な役割を果たしている。コラーゲン・プロテオグリカンといった親水性高分子が固定された表面が高潤滑特性を示すのは、表面が親水性になったためだけでなく、親水性高分子に引き付けられた水が荷重を支えるのと同時に潤滑作用を行なうためであると考えられた。従って本研究では、この生体軟骨の構造・機能を戦略的に模倣し、生体適合性・親水性の高い化合物であるリン脂質ポリマーをCLPE表面にグラフト重合させた人工関節表面を創製した。

生体適合性・親水性の高い化合物であるリン脂質として、2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)を選択した。MPCは、細胞膜を構成するリン脂質分子に着目し分子設計されたメタクリル酸エステルであり、そのポリマーは様々な方面で応用が進められている。このMPCポリマーを用いて基材表面を処理すると、容易に人工細胞膜構造を構築できる。この表面は、優れた生体親和性・抗血栓性を発揮するともに、親水性であることから水の薄膜層を形成する。これらの特性を利用した様々な医療デバイスが開発されており、すでに国内外で承認を受け臨床使用されるなどMPCポリマーの生体内での機能性・安全性は確立されつつある。これらのMPCポリマーの利点を活かし、高い潤滑性を持った人工関節摺動面を創製するため、その処理方法として紫外線による光開始ラジカル重合法を適用した。これは、CLPEから直接MPCをグラフト重合する方法で、ポリMPC(PMPC)鎖の末端とCLPEの炭素原子が、安定した状態にて共有結合される。長期にわたり、高い負荷がかかる人工関節においては、これらの構造が必須であると考えた。表1に、長期にわたり有効な水和潤滑を保つために6つの条件(戦略)を示す。

第1章では、以上のような生体関節軟骨表面の水和潤滑機能を模倣したPMPCを用いたグラフト表面を設計した(図1)。

第2章では、表面処理層の安定性・運動性が、人工関節摺動面の耐摩耗特性に与える影響について評価するため、コポリマーを用いたコーティング法と紫外線照射によるグラフト重合法を用いたMPC処理CLPEを比較した。様々な荷重負荷を受ける人工関節摺動面において、基材と親水性高分子との強固な共有結合、親水性高分子の運動性は不可欠な因子であり、PMPCグラフト重合法はこれらを満たす方法として有効であることが分かった。

第3章では、PMPC層の密度、厚さという特性を、グラフト重合における紫外線照射時間、モノマー濃度により制御した。そして、得られたPMPC層の特性が、耐摩耗特性に与える影響について評価した。長期にわたり、安定して耐摩耗特性を発揮するためには、高密度なPMPC層の形成が必要であり、紫外線照射時間の制御が有効あると分かった。また、モノマー濃度を変えることで形成するPMPC層の厚さを制御でき、10~100 nmのPMPC層の形成により良好な耐摩耗特性を発揮することが分かった。

医療機器にとって、滅菌処理は重要な工程である。第4章では、人工関節にとって、最もよく使用される滅菌方法の一つであるガンマ線照射が、PMPC処理CLPEに与える影響について評価した。ガンマ線照射は、PMPCグラフト鎖、PMPCグラフト鎖とCLPE基材、CLPE基材に架橋を起こすと考えられた。これらの架橋は、PMPCグラフト鎖の運動性をわずかに低下させるものの、安定した耐摩耗性を維持するという点で有用であることが分かった。

第5章では、コバルトクロムモリブデン(Co-Cr-Mo)合金などの金属からなる摺動表面へのPMPC処理の応用性を検討した。2つのグラフト重合法"grafting to"、"grafting from"により、PMPC処理Co-Cr-Mo合金を創製し、その表面特性を評価した。PMPC処理により、Co-Cr-Mo合金表面を親水化、低摩擦化へと導けた。従って、PMPC処理は、金属表面にも応用可能であることが分かった。

表面にグラフト結合されたPMPC(リン脂質ポリマー)の層に含まれる水、もしくはPMPC層表面に形成する水の層により発現する水和潤滑機構が、CLPEの摩擦係数、摩耗量を著しく低減させた。生体関節軟骨表面にはナノスケールのリン脂質層が存在し、この層が関節面の保護と潤滑作用に寄与していることがすでに知られている。すなわち、PMPCの導入によりCLPE表面にナノスケールのリン脂質層の構築が可能となるPMPC処理CLPE表面の作用メカニズムは、生体関節軟骨表面のそれを模倣していると考えられる。結論(第6章)として、種々の特性を制御したナノスケールのPMPC層をCLPE表面に構築することで発現する水和潤滑機構により、人工関節の長寿命化が可能である。このPMPC処理CLPE表面による人工関節は、増え続ける再置換術を減らすともに、これまで手術適応になり難かった若年患者への治療法の選択肢が広がるなど多くの可能性を持っている。

Table 1 Strategies for hydration lubrication

Figure 1. Schematic model of PMPC grafted CLPE surface mimicking cartilage.

審査要旨 要旨を表示する

生体関節は、運動機能を支える重要な器官である。この関節の疾患は、日常の生活動作に大きな支障をきたす。現在、我が国では年間7万例以上の人工関節置換術が行なわれ、運動機能の早期回復に大きな役割を果たしている。その人工関節には、ポリエチレン(PE)と金属を組み合わせた摺動システムが主に使用されているが、長期使用によるPEの摩耗が原因となる骨吸収と人工関節の弛みは、人工関節の入れ換え(人工関節再置換術)にいたる主因の一つであり、人工関節置換術において深刻な問題である。本研究では、人工関節の弛みを阻止し、再置換術をなくすための人工関節の長寿命化、特に耐摩耗特性の向上を目的として摺動システムに水和潤滑という新しい概念が提案され、生体適合性・親水性の高い化合物であるリン脂質ポリマーを用いた表面設計・構築が行なわれている。生体関節において優れた摩擦・摩耗特性を発揮する軟骨の構造・機能を戦略的に模倣し、2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリンポリマー(PMPC)を架橋PE(CLPE)表面にグラフトさせた人工関節表面を創製し、その特性に影響を与える因子について詳細に検討している。

本学位請求論文は全体で6章から構成されている。

第1章では、人工関節の現状、特にPEを中心とした摺動材料に焦点をあて課題を抽出し、それを解決するために、細胞膜を構成するリン脂質分子に着目し分子設計されたPMPCを機軸に、生体関節における軟骨表面の水和潤滑機能を模倣したPMPCを用いたグラフト表面設計と戦略について系統的にまとめている。

第2章では、表面処理層の安定性・運動性が、人工関節摺動面の耐摩耗特性に与える影響について評価するため、PMPCを成分とするポリマーによるコーティング法と紫外線照射によるグラフト重合法を用いたPMPC処理CLPEを比較している。様々な荷重負荷を受ける人工関節摺動面において、基材と親水性ポリマーとの強固な共有結合、親水性ポリマーの運動性は不可欠な因子であり、PMPCグラフト重合法はこれらを満たす方法として有効であることを明らかにしている。

第3章では、PMPC層の密度、厚さという特性を、グラフト重合における紫外線照射時間、モノマー濃度により制御し、得られたPMPC層の特性が、耐摩耗特性に与える影響について評価している。長期にわたり高い耐摩耗特性を発揮するためには高密度なPMPC層の形成が必要であり、紫外線照射時間の制御が有効あると示している。また、モノマー濃度を変化させることで形成するPMPC層の厚さを制御でき、10~100 nmのPMPC層の形成により良好な耐摩耗特性を発揮することを明らかにしている。

第4章では、人工関節にとって最もよく使用される滅菌方法の一つであるガンマ線照射が、PMPC処理CLPEに与える影響について評価している。ガンマ線照射は、PMPCグラフト鎖、PMPCグラフト鎖とCLPE基材、CLPE基材に架橋を起こすことを見出している。これらの架橋は、PMPCグラフト鎖の運動性をわずかに低下させるものの、安定した耐摩耗性を維持するという点で有用であることを明らかにしている。医療機器にとって滅菌処理は重要な工程であり、これらの結果は実用化に重要な知見を提供している。

第5章では、コバルトクロムモリブデン(Co-Cr-Mo)合金などの金属からなる摺動表面へのPMPC処理の応用性を検討している。2つのグラフト重合法"grafting to"、"grafting from"により、PMPC処理Co-Cr-Mo合金を創製し、その表面特性を評価している。PMPC処理により、Co-Cr-Mo合金表面を親水化へと導き、金属表面にも応用可能であることを見出した。また、PMPC処理CLPEなどと組み合わせることで、動摩擦係数にして0.01という生体関節に匹敵する潤滑性を実現した。

第6章は、水和潤滑という新しい概念に基づいた、生体適合性・親水性の高いリン脂質ポリマーを用いた表面設計・構築に対する総括である。本研究の結果により、表面にグラフト結合されたPMPCの層に含まれる水、もしくはPMPC層表面に形成する水の層により発現する水和潤滑機構は、CLPEの摩擦係数、摩耗量を著しく低減させることが明らかにされた。生体関節軟骨表面にはナノメートルスケールのリン脂質層が存在し、この層が関節面の保護と潤滑作用に寄与していることがすでに知られている。すなわち、PMPCによりCLPE表面にナノメートルスケールのリン脂質層を構築することで、生体関節と同様の機構を実現できることを見出した。また、ポリマー材料に加え金属・セラミックスなど様々な材料を組み合わせ、水和潤滑機構を持った動的界面を設計するために有効な指針を示している。

本研究成果は、バイオマテリアル工学を基盤として、優れた摩擦・摩耗特性を発揮する水和潤滑機構を持った表面設計および創製を実現し、人工関節の長寿命化を可能としている。本研究におけるPMPC処理CLPE表面による人工関節は、増え続ける再置換術を減らすともに、これまで手術適応になり難かった若年患者への治療法の選択肢が広がるなど多くの可能性を持っており、バイオエンジニアリングの立場から革新的な先端医療の実現に大きく貢献するものと評価できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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