学位論文要旨



No 217472
著者(漢字) 川崎,昌宏
著者(英字)
著者(カナ) カワサキ,マサヒロ
標題(和) 有機トランジスタの高性能化・高信頼化に関する研究
標題(洋) Organic thin-film transistors with high performance and high reliability
報告番号 217472
報告番号 乙17472
学位授与日 2011.03.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 第17472号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 教授 雨宮,慶幸
 東京大学 教授 森,初果
 東京大学 准教授 三尾,典克
 東京大学 准教授 田島,裕之
内容要旨 要旨を表示する

1.目的

近年の急速な情報化社会の進展に伴い、シート状ディスプレイや、IF-IDタグ等の新しい電子デバイスの開発が活発化している。これらのデバイスには、単結晶シリコン、または多結晶Siや非晶質Siを半導体に用いた薄膜トランジスタが使用されている。しかし、これらSi系半導体を用いたトランジスタの作製には、高価な真空成膜装置等が必要な上、フォトリソグラフィー等の多数の工程が必要で、コストが高いという問題がある。一方、有機材料を半導体層に用いた有機薄膜トランジスタは、溶液化した材料を用いて印刷・塗布法を用いて局所的に形成できるため、材料の使用量を抑えられ、製造コストの抑制のみならず、環境にやさしいデバイスといえる。また、プロセス温度が100℃以下と低く、フレキシブルなプラスチック基板上にも形成でき、薄くて軽い超大面積シート状ディスプレイやウエアラブルデバイス等といった新たな価値を有するデバイスへの応用が期待されている。このため、近年、有機トランジスタの研究が活発化している。

しかし、有機トランジスタはSi系トランジスタに比べて電界効果移動度等の性能や、連続駆動時の安定性が低いことに加え、プロセス時の溶液耐性や機械的な負荷に対する耐性が不十分であるという問題がある。そこで、本研究では、これらの課題を解決するため、以下のような検討を行った。

・電極/半導体界面の接触抵抗低減を目的とした、ODT(Octadecanthiol: C16H33SH)分子を用いた電極表面の単分子修飾によるキャリア注入障壁の低減による有機トランジスタの高性能化

・半導体、絶縁膜およびそれらの界面に存在するキャリア捕獲準位低減による有機トランジスタ性能の高信頼化

・有機トランジスタの液晶ディスプレイへの用いた際、有機半導体を劣化することなく形成でき、性能を保持できる形成プロセスの検討

2.内容

2.1 電極/半導体界面におけるキャリア注入障壁の低減による有機トランジスタの高性能化

図1に、ボトムゲート/ボトムコンタクト構造を有する有機トランジスタの断面概略図を示す。有機トランジスタの高性能化には、トランジスタを構成する各部材の材料開発に加えて、(1)有機半導体/電極、(2)有機半導体/ゲート絶縁膜の界面の状態を制御することが重要である。(1)は注入効率に直接影響し、(2)を制御することにより、電子のトラップを抑えてキャリアの移動能力を高めることが可能となる。本研究では、半導体と接触するソース/ドレイン電極表面に長鎖アルキルチオールの一種であるOctadecanthiol (ODT: CH3(CH2)15SH)分子の自己組織化単分子膜(SAM: Self Assembled monolayer)を修飾することにより、キャリア注入効率の向上を試みた。

図2(a)に、金電極の和周波分光(SFG)スペクトルのODT溶液への浸漬時間依存性を示す。ここで、2850cm-1、2920cm-1、2935cm-1、2960cm-1の各ピークはそれぞれCH2対称、CH2非対称、CH3 フェルミ共鳴、CH3非対称の各振動モードに帰属する。電極ODT溶液に浸漬する時間が長くなる程、CH2の振動が帰属するピークが弱くなりCH3の振動に帰属されるピークが大きくなる。これは次のことを示唆する。処理時間が短いときは表面に吸着している分子の密度が低いため、アルキル鎖の自由度が大きく、アルキル鎖は折れ曲がってランダムに配向する。電極への吸着量が増加し、分子の密度が大きくなるとアルキル鎖は相互作用によって直線的に伸び、CH3が電極面に対して垂直に近い角度で配向する。この結果から、浸漬時間に応じて、電極表面でODT分子の吸着状態が変化していく様子は、図2(b)のように模式的に表すことができる。電極/半導体界面の接触抵抗Rcは、図2(b)の左図のようにODT分子が横たわり、疎に吸着した場合は減少し、図2(b)の右図のようにODT分子が立ち上がり、密に吸着した場合は増加する。図2(c)に、電極/半導体界面のキャリア注入エネルギーのモデルを示す。ODT分子が立った状態で密に吸着すると、Rcが増加する。この原因はAu(ソース・ドレイン電極)の仕事関数の減少に帰着できる。図2(d)に示すように、20分を超える処理ではAuの仕事関数が減少し、それと同量分ショットキー障壁が増加する。また、トンネル障壁の増加も考えられる。ODT分子内には伝導に寄与する捕獲準位がないため、キャリアは電極から半導体内の捕獲準位に単分子層をトンネルにより移動しなければならない。この必要なエネルギー(トンネル障壁)はSAMの厚さの2乗に比例するため、ODT分子が立つにつれて急増する。一方、ODT分子が横たわり疎に吸着した状態で、ODT分子の吸着がない場合に比べRcが減少するのは、鏡像力減少のためと推測した。電極からホールが半導体内の準位に捕獲されると、電極は一時的に負に帯電する。このためホールには、電極に戻される力が働く。この鏡像力は、電極表面とキャリアが最初に捕獲される準位との距離の1/4倍、つまりほぼSAM厚の1/4倍に比例する。電極/半導体界面におけるキャリア注入エネルギーは、ショットキー障壁、トンネル障壁、鏡像力の和であると考えられ、図2(c)のようにある厚さで極小値になることを見出した。ODT分子のSAMを障壁エネルギーが極小になる付近の条件で用いた場合には、半導体/電極界面の抵抗が約1/2に低減し、電界効果移動度が約25%向上した。

2.2 キャリア捕獲準位低減による有機トランジスタ性能の高信頼化

まず、半導体内の半導体の分子レベルの乱れによる局在準位の影響を検討するため、同一の熱酸化膜(絶縁体)付きSi基板上に、結晶性(局在準位量)の異なる6, 13-bis (triisopropylsilylethynyl) pentacene (TIPS-pentacene)の半導体膜を形成した。結晶性が良い膜程、分子の乱れが少なく局在準位が少なくなる。図3に示したように、しきい値電圧および電界効果移動度の変化量の駆動時間依存性のグラフから、半導体の局在準位量は電界効果移動度の変化に影響を与えるが、しきい値電圧の変化量にほとんど影響を与えないことが分かる。局在準位が増えると電界効果移動度の減少量が増えるのは、局在準位に捕獲されるキャリア数nが増えるからである。半導体/絶縁膜界面に誘起されたキャリア数Nの内、局在準位に捕獲されたキャリア数nは伝導に寄与しないので、実際に伝導に関与するキャリア数はN-nになるからである。また、伝導キャリアが局在準位に捕獲されたキャリアに散乱されることも電界効果移動度の減少に影響すると考えられる。次に絶縁膜および絶縁膜と半導体との界面の局在準位の影響を検討するため、有機絶縁体のbenzocyclobutene-resin (BCB)をTIPS-pentaceneとSi熱酸化膜との間に介在させた。BCBを介在させることにより、しきい値電圧の変化量、電界効果移動度の減少量が共に低減する。これは、BCB膜中に存在する局在準位がSi熱酸化膜のものに比べて少ないことに加え、水分吸着によってできるSi熱酸化膜上のOH-基が形成する局在準位をBCB膜によって覆ったためであると考えられる。

TIPS-pentaceneは温度に依存する結晶多系を有するが、TIPS-pentaceneの結晶構造は電界に対して安定であり、局在準位に捕獲された電荷の影響で、TIPS-pentacene膜の結晶構造が変化し、新たな局在準位が形成されることはない。これは、トランジスタに電界を印加しながら測定可能なXRD装置を組み上げ、一定電界を2時間印加する前後での結晶性を測定し、結晶系の変化が無いことから確認した(図4)。また、溶液から形成した有機半導体断面の結晶構造のTEM観察にも初めて成功した(図5)。

2.3 ディスプレイへの応用

本研究で得られた知見の一部を利用して試作した、有機トランジスタ駆動の液晶ディスプレイの写真と仕様である。塗布プロセスで形成した有機トランジスタ駆動のカラーディスプレイとしては、2006年において、世界最大かつ最高精細度(5インチ、80ppi (pixels per inch))であった。この試作により、有機トランジスタをディスプレイの駆動スイッチとして使用できることを実証した(図6)。

図1 電極/半導体間にODT分子層を介在させた有機トランジスタの断面概略図

(a) SFGのODT 処理時間依存性

(b) ODT 分子層の処理時間による変化

(c) キャリア注入エネルギーモデル

(d) 金電極の仕事関数および接触角のODT 処理時間依存性

図3 連続直流電圧駆動時における各トランジスタの安定性比較

図4 電界印加前後における TIPS-pentaceneのXRDの比較

図5 TIPS-pentacene(001)のフーリエ変換断面 TEM 像

図6 有機 TFT 駆動カラ 液晶試作ディスプレイ

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、低分子材料を半導体として用いた有機トランジスタ(有機TFT)について、そのキャリア伝導と劣化メカニズムの解明を目的とし、半導体/電極および半導体/絶縁膜界面の基礎物性評価について述べている。また、有機TFTの微細化印刷技術とプロセス劣化を防止した集積パターン化に関する研究について報告している。

本論文は7章から構成され、各章の概要は以下の通りである。

第1章では、塗布プロセスで形成可能な有機TFTを用いたエレクトロニクスの展望と先行研究を紹介している。続いて、有機TFTの課題がキャリア伝導・性能劣化メカニズムの解明や、微細化印刷技術とプロセス劣化を防止した集積パターン化技術の開発にあることを示し、それら解決するための本研究の目的と意義について説明している。

第2章では、本研究で使用した材料と成膜方法、TFTの評価・解析方法、および使用した装置について記載されている。

第3章では、Au電極上のオクタデカンチオール(ODT)の自己組織化単分子膜(Self-Assembled Monolayer: SAM)修飾によるキャリア注入効率向上に関する研究がなされ、キャリア注入効率が向上するメカニズムについて考察されている。ODT膜はAu電極を形成した基板を溶液へ浸漬することにより形成し、その浸漬時間によって電極/半導体界面のコンタクト抵抗Rcが増減することを明らかにした。膜和周波分光によるODT膜の配向測定とTFTの電気的測定の結果から、RcはODT分子が横たわった状態で疎に吸着した場合に減少し、ODT分子が立ち上がった状態で密に吸着した場合に増加することを明らかにした。また、大気中における光電子分光測定により、Au電極がODT溶液の浸漬時間により変化することが示されている。この結果とODT分子の配向の変化を対応付けて、ODT分子が横たわって疎に吸着した状態でRcが減少するのは、ODTの分極により、電極の仕事関数が増加することと、絶縁体であるODT膜の厚み分、鏡像力が減少することが原因であると説明している。一方、ODT分子が立ち密に吸着した状態でRcが増加する原因はODTの分極による電極の仕事関数の減少とトンネルエネルギーの増加であると説明している。以上から、電極上のSAM修飾によるキャリア注入効率向上理由が、電極の仕事関数、鏡像力、トンネルエネルギーの変化による界面のエネルギー障壁の増減によるものと結論付けている。

第4章では、有機TFTを連続駆動させた際の電界効果移動度μとしきい値電圧V(th)の不安定性に関する内的要因について検討している。熱酸化膜付きのSi基板上に結晶性が異なる有機半導体を形成した2種類のTFTのストレス電圧に対する安定性を比較することにより、Vthシフトは絶縁膜に、μの減少は半導体と絶縁膜に起因する電荷捕獲準位にあることが結論付けられている。また、溶液から形成した有機半導体結晶の断面TEM観察により、半導体膜中にキャリア捕獲準位を形成する分子配列のみだれが存在することが明らかになった。更に、TFTにストレス電圧を印加しながら半導体結晶の構造解析が可能なin-situ XRD (X-ray diffraction)装置を組み立て、半導体結晶がTFTの動作中に半導体/絶縁膜界面に誘起された電荷によって結晶転移を起こさず、構造的に安定であることが明らかになった。

第5章では、微細パターンを形成するための有機TFTの印刷法に関する研究がなされている。筆者は、超微粒子などのナノ材料が自然に集まって構造形成する「自己集積」、と有機半導体分子が分子間相互作用で「自己組織化」する現象を利用している。まず、TFTの下部電極を遮光マスクとして用いることにより、絶縁膜表面に感光性撥水SAMを下部電極と同一パターンになるように転写する方法が説明されている。この撥水SAMの作用により、基板上に塗布する金属超微粒子と半導体分子の集積状態や配列状態が制御されることが説明されている。従来の印刷法では20-30 μm程度のピッチが限界であったが、この製法により、3 μmピッチの電極パターンの形成が可能になったことが示されている。また、Agの超微粒子水溶液から形成した自己集積電極と蒸着形成した有機半導体との組み合わせにより、電界効果移動度0.15cm2/Vs、しきい値電圧-5 V、電流オン・オフ比5桁と、高い性能が得られることが明らかになった。この結果は、撥水性SAMの表面エネルギーによってSAM上に高い結晶性を有する有機半導体膜が形成されたためであると結論付けている。

第6章では、有機TFTを液晶ディスプレイのスイッチ素子として用いた際に、プロセス時に生じる半導体層の劣化を防止する多層保護膜の研究がなされている。低分子半導体上に塗布法で新たに膜を形成する場合、形成する膜の溶媒が水かフッ素系以外のものでは半導体の分子配列が崩れて著しくTFT性能が劣化することを見出した。これに対し、半導体パターンの側壁をフッ素系樹脂で覆うことにより、上部に形成する膜の溶媒の半導体/絶縁膜界面のチャネル(電流経路)への侵入を防止し、TFT性能の劣化を抑制できることが明らかになった。このフッ素系樹脂を含む多層保護膜と、第2章のSAM修飾法、第3章の半導体結晶制御法を組み合わせることにより、塗布法で形成した有機TFTをスイッチ素子として用いた液晶ディスプレイでは最大の対角5インチ、精細度80 ppi (pixel per inch)の試作に成功したことが示されている。

第7章では、本論文全体の結論が示されており、本研究を通して明らかになった有機TFTの基礎物性と、検討された応用研究の結果が総括され、今後の研究への展望について述べられている。

以上のように本論文で著者は、電極/有機半導体界面における電荷注入メカニズム、有機TFTの動作不安定性の内的要因を解明し、また、微細化印刷技術を検討し、有機TFTを用いた液晶ディスプレイの試作することにより、有機TFTが実デバイスに適用できる可能性を示した。これら一連の研究成果は、有機トランジスタの基礎、応用両面における研究に大きな進展をもたらすことが予想される。

本論文の内容において、第3章は今関 周治、大江 昌人、安藤 正彦との共同研究、第4章は寺田 尚平、安藤 正彦との共同研究、第5章は安藤 正彦、今関 周治、佐々木 洋、鎌田 俊英との共同研究、第6章は今関 周治、關口 好文、廣田 昇一、安藤 正彦、夏目 穣、南方 尚、植村 聖、鎌田 俊英との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験を行い解析したものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。よって、本論文は博士(科学)の学位論文として合格と認められる。

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