学位論文要旨



No 217583
著者(漢字) 大川,謙作
著者(英字)
著者(カナ) オオカワ,ケンサク
標題(和) 抗争する歴史 : チベット現代史とその語りをめぐる歴史人類学的研究
標題(洋)
報告番号 217583
報告番号 乙17583
学位授与日 2011.11.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17583号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 名和,克郎
 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 准教授 箭内,匡
 東京大学 准教授 渡邊,日日
 東京大学 教授 尾崎,文昭
内容要旨 要旨を表示する

1959年に新中国の民主改革によって崩壊したダライラマ政権統治下の中央チベット社会、いわゆる「チベット旧社会」の実態については、今日もなお知られるところが少なく、その実態を解明することはきわめて困難な研究分野といってよい。筆者はこのような課題をして「チベット社会論」と名づけている。チベット現代史の研究にはある特殊な困難がつきまとう。それは「チベット問題」の存在である。チベット問題とは、チベットの政治的な地位をめぐる中国政府とチベット亡命政府との抗争であり、チベットの現状としては「中国の不可分の一部」としての現状の追認を求める前者と、独立や完全自治を求める後者の主張との衝突である。このような状況下、争点となるのはただにチベットの現状という一点だけではない。歴史もまたチベット問題の争点となり、歴史記述の場は両陣営がその歴史観を衝突させる抗争の現場となりうる。

本論文はこうしたチベットをめぐる言説の抗争の現場に潜入し、その言説構造を明らかにし、その知見をもってこれまで未開拓であったチベット旧社会の実態を明らかにしようとする歴史人類学的試みである。それゆえ本論文は二つの課題を達成しようとするものである。第一が「チベット問題の言説分析」であり、第二が「チベット社会論の探求」である。前者の課題は後者の課題に取組むにあたっての研究の前提条件となるものである。筆者の主張は、チベット問題には独自の文法構造が存在し、その文法への知見をもってはじめて後者のチベット社会論の探求という課題を深化させることができる、というものである。それゆえ本論文は二部構成をとった。第一部においてチベット問題の言説分析が行われ、第二部においてチベット社会論の具体的な探求が行われる。以下本論文の構成と内容について概観する。

まず「はじめに」において本論文の目的および二部構成をとる理由が説明される。論文全体のイントロダクションとなる第一章においては、人類学的チベット研究の歴史を振りかえりながら本論文の知的な位置づけが明らかにされる。本論文でとりくまれるチベット社会論は一見歴史学の守備範囲に入るような課題であるかに見えるが、興味深いことに、実は人類学者によってリードされていた。どのように定義するにせよ人類学が現地調査をその学的アイデンティティの核としていることは間違いないが、しかしチベットは長らく現地調査が不可能な地域であり、人類学的チベット研究というのはその意味で一種の形容矛盾であった。それゆえ研究者たちは調査可能な代替フィールドへと赴き、それぞれの課題を追求していた。筆者はこれを「代替民族誌の試み」と名づけ、チベット難民キャンプをフィールドとした亡命以前のチベット旧社会の聞き書きによる歴史再構成すなわちチベット現代史は、そのような人類学者による代替民族誌として存在したことを指摘し、それゆえ本論文がとりくむ歴史人類学的研究は、人類学的チベット研究の流れの中に位置づけられるものであるということをも確認した。

第一部はチベット問題の言説分析であり、第二章から第四章までの三つの章が第一部を構成する。筆者はここでチベット問題における言説が親中と親チベットに二極化された相互排除的な構造を持つことを指摘し、これを手がかりにチベット問題における経済言説(第二章)、チベット語による現代文学の動向(第三章)、台湾の亡命チベット人(第四章)に関する問題を議論した。

第二章においてはチベット問題をめぐる議論の中で近年目立つようになった、チベット問題の背景に経済的要因を見出そうとする言説を「経済言説」と名づけて整理して、そのような言説出現の背景にあるものを探った。同一の経済データが中国批判に用いられたり中国擁護に用いられたりする様が明らかにされ、ここから筆者は本論文全体とりわけ第一部における鍵概念である「二極化された語り」の基礎構造を抽出した。

第三章においては筆者らのグループが本邦初の翻訳公開作業を継続しているところのチベット語現代文学を題材にした。チベット現代文学の創設者と目されているトゥンドゥプジャなる人物の宗教批判ともとれる問題作「化身」とそれをめぐる騒動をもとに、時として単純な親中・反チベットと決めつけられるこの作家の執筆活動が、実際にはそのような単純な枠には収まりきらないことをその精読によって示し、二極化された語りが現代チベットの言論に与えている影響が議論された。

第四章においては、台湾の亡命チベット人を題材にして、チベット問題における言説構造の議論がさらに深化された。台湾チベット人はその親=中華民国という立場からして、中国共産党政権からもチベット亡命政府からみても敵対視される立場であり、それゆえ二項対立にもとづくチベット問題の言説構造の中で見えにくい存在となっている。ここでは世界的に見ても稀な台湾チベット人の歴史と現状についての現地調査に基づく紹介も行ないつつ、それが如何にして隠されてきたかを明らかにした。以上が第一部の考察であり、チベット問題の文法学とでもいうべき試みであった。

第二部は「チベット社会論」と筆者によって命名されたところの、ダライラマ政権統治下の中央チベット(本論文でいうところの「チベット旧社会」)の社会史的研究であり、筆者は建国直後の1950年代に行なわれた新中国による民族社会歴史調査の報告書を主たる資料としてしつつ、欧米のチベット旧社会研究の代表的存在ともいえるMelvyn C. Goldsteinの業績なども参照しながら、それらの研究に内包されている前提を洗い出すことで、チベット旧社会の実態に迫ろうとする試みである。

まず第五章においては、「解放のレトリック」が議論される。これは本来1951年に「外国帝国主義からの解放(民族原理)」として為されたはずの中国による「チベット解放」が、1959年のチベット動乱やチベット問題の発生を受けて、今日では「暗黒の封建農奴制からの解放(階級原理)」へとすりかえられているという事実の指摘と共に、このような言説の転換の過程と背景を議論したものである。この作業は第二部が依拠する新中国の社会歴史調査報告の史料評価という意味を持つ。今日の中国において支配的な、チベット旧社会をして「暗黒の、遅れた、残酷な社会」とする見解は1959年以降に成立したものであってみれば、1950年代にその主要部分が行なわれ執筆された調査報告にはこうした見解の影響が弱いことになり、このような前提のもとに報告書をコーパスとして用いることが可能になるということであり、本章はそれに続く三つの章の前提となる議論を行なう場所であった。

第六章においては、チベット旧社会に存在したナンセン(nang zan)なる存在に着目した。ナンセンは今日の中国の歴史記述においては虐げられた家内奴隷として描かれているが、1950年代の報告書の創造的な精読や筆者による聞き書きなどから、こうした見解が史実の矛盾した解釈から成り立っていることを明らかにした。1950年代の報告書・今日の中国の研究・欧米の研究の三分野すべてにおいて、従来ナンセンはチベット旧社会の平民の社会階層の一つとして位置づけられていたが、実際にはナンセンとはこうした生得的な身分という社会階層のひとつというよりは、さまざまな集団単位(家族・村落・政府役所・政府そのもの)などにおいて「周辺的業務を行なう者(minor worker)」という職業的特性によって定義されるものであり、それゆえ家内奴隷どころか高い権力を持って地方政治に関与する政府の実務官をも含む存在であったことが明らかにされた。先行研究の過ちは、欧米系研究と中国系研究の双方が身分制に固執していたことにあり、こうした身分制への固執の背景には筆者が第一部で明らかにした二極化された語りが影響している。

第七章と第八章はチベット旧社会の人口の絶対大多数を占めるミセー(mi ser)と呼ばれていた平民層についての考察であり、上で明らかにされたチベット旧社会研究の旧パラダイムの主流であった身分制によるチベット旧社会理解の限界を明らかにしようとする試みである。まず旧パラダイムから「チベット旧社会を理解するための鍵は荘園制と身分制」であるという発想を抽出し、それぞれ荘園制を中心とする観点(ECP)と身分制を中心とする観点(SCP)と名づけた。第七章においてはECPを批判的に検討しながらチベット旧社会における荘園制の実態について考察した。結果として、従来言われていた政府荘園・貴族荘園・寺領荘園という区分が必ずしも有効なものではないこと、実際には一つの荘園の中にも政府・貴族・僧院など複数の権力関係が錯綜していることが明らかにされ、またチベット荘園制なるものは古典荘園制が想定するところの「自営地+保有地」型ではなく、むしろ「自営地+内税地(保有地)+外税地(政府への義務を負う土地)」という構造であることも明らかにされた。

続く第8章では、SCPの批判的な検討とともに、筆者自身の観点として耕地を中心とした観点(LCP)なる概念が提起され、この観点を採用することによって旧パラダイムに存在したいくつかの矛盾が解消できることが示された。旧パラダイムにおいては、チベット平民の分類は生得的な身分(SCP)に基づいて行なわれてきた。しかしそのような分類体系には矛盾があり、実際に旧社会で流通していた人のカテゴリーの単語を検討すると、それは生得的な身分に基づく体系だけではなく、それに加えて個々人が耕す耕地およびその耕地が負う納税義務に基づいた体系が混入したかたちになっていることが明らかになった。そしてよりチベット旧社会における人の分類に近いのはLCPの観点であったことも示された。結果的に、チベット旧社会における人のカテゴリーは、身分にもとづく発想と土地にもとづく発想の両者が並存しており、こうした異なった原理の並存状況の背景にあるのは、チベットが地代のみに基づく単純な封建的国家ではなく、地代と租税の二重構造をとった「分節的」国家であったことという見解が示された。

論文の末尾となる結語においては、以上の成果をまとめて、チベット研究においては同時代を研究するにせよ旧社会を研究するにせよ、政治的な事情による独特の制限があること、しかしそのような制限がかえって人類学者たちを歴史のフィールドに向かわせて独特の貢献を為したことを振り返り、本論文もその潮流に属するものであり、また新たな研究可能な対象に向かうことで過去の問題を棚上げするよりは、困難でもそのように積み重ねられてきた過去の営為との連続を重視するものであることを主張して論を閉じた。

審査要旨 要旨を表示する

大川謙作氏の論文、『抗争する歴史:チベット現代史とその語りをめぐる歴史人類学的研究』は、チベット社会を論じる際に学問分野を問わずほぼ不可避的に立ち現れる困難の内実を分析し、その知見を前提として、1959年以前のダライラマ政権統治下の中央チベットの社会構成を仮説的に明らかにしたものである。本論文は、「はじめに」と9つの章から構成され、そのうち序論と結論を除く7章は、第1部「チベット問題と「言説の二極化」」、第2部「チベット社会論の再検討」に大きく二分されている。

本論文が言説分析と社会構成史研究という二つの部分から成る理由を「はじめに」で予備的に説明した後、第1章では、現代チベット研究の展開を批判的に振り返りつつ、本論文をその中に位置づける作業が行われる。1959年のダライラマ政権崩壊以降、チベットでの調査が出来ない人類学者の多くが、代替民族誌として亡命者からの情報によるチベット旧社会の歴史的再構成に向かう一方、チベットに存在する多くの史料への外部からのアクセスがほぼ不可能になったため、チベット社会研究は歴史学者ではなく人類学者により主導されることとなった事情が説明される。さらに、1959年以降チベットに関する全ての議論が「チベット問題」の影響を受けて二極化している状況にあっては、「チベット社会論」の抜本的再検討を行うためにも、広汎な言説分析の作業によってチベット問題の「文法」を明らかにする作業が不可欠であることが論じられる。

第1部では、チベット問題に関する議論が親中国と親チベットの立場に相互排除的に二極化されるという事態が、3つの領域について詳細に分析される。まず第2章では、チベット問題の背景に経済的要因を見出そうとする種々の「経済言説」が取り上げられ、大川氏が「二極化された語り」と呼ぶものの基本構造が抽出される。第3章では、現代チベット文学の創始者とされるトゥンドゥプジャの小説「化身」の詳細な読解を通して、この小説への様々な批判が、テクスト自体を裏切る形で二極化されている様相を明らかにする。第4章では台湾の亡命チベット人の歴史と現状を現地調査の結果に基づいて整理し、語りの二極化によりこの人々の存在が見えにくくなってきた経緯を明らかにしている。

第2部では、二極化された語りの存在の故に従来十分に検討されてこなかった1950年代の新中国による民族社会歴史調査の報告書を批判的に読み直すことから、1913年から1959年に至るダライラマ政権統治下の中央チベットの社会についての新たな像が提示される。まず第5章では、1951年には「外国帝国主義からの解放」であった筈の中国による「チベット解放」のレトリックが、1959年以降「暗黒の封建農奴制からの解放」へとすり替えられたことが指摘され、1950年代の中国側の資料の重要性が論じられる。第6章では、従来家内奴隷として描かれていたナンセンが、生得的身分ではなく、「周辺的業務を行う者」という職業的特性により定義される存在であると論じられる。第7章では、チベットの荘園制について、先行研究の述べるところとは異なり一つの荘園の中に複数の権力関係が存在し、また「自営地+保有地」ではなく「自営地+内税地+外税地」という構造を持つ、と指摘される。第8章では、チベット旧社会の平民層ミセーを生得的な身分のみから分類しようとする先行研究を批判し、当人が耕す耕地および耕地がもたらす租税義務に基づいた体系が同在しているという仮説により従来の議論に見られた矛盾を解決すると共に、チベット旧社会が地代と租税の二重構造をとった「分節的」国家であったことを強調する。

結論では、第1部と第2部の議論を再び統合する形で、本論文のチベット社会論に対する貢献をより広い観点から要約し、さらに本論文の行った作業全体を、通常の民族誌を書くことが困難な地域における人類学的営為として、学説史の中に位置づけつつ再帰的に検討している。

大川氏自身が認めるように、本論文は文化人類学の博士論文としてはかなり異例な構成と内容を持つものであるが、その必要性は本文中に説得的に述べられており、またそのような構成を採ることにより、以下の諸点において顕著な学的貢献が為されることとなった。第一に、チベットの文化人類学的研究の展開とそこに見られる困難の性質を、チベットを巡る歴史的展開や隣接諸学との関係をも含めて、明晰に提示したことである。日本語、英語、中国語、チベット語等の文献を縦横に駆使して行われたその作業は、優れたメタ人類学の試みとしても評価出来る。第二に、「二極化された語り」の強力さと、それに回収されない部分の存在とを、経済言説、現代チベット文学、台湾チベット人というそれぞれ意外性のある主題について、詳細な分析に基づいて提示したことである。経済言説に関する先行研究の批判は怜悧であり、チベット文学及び台湾チベット人に関する議論は、新たな研究領域を開拓したものである。第三に、従来十分に用いられていなかった資料に基づき、既存のチベット社会論の寄って立つ前提を批判し、新たなチベット社会像を提示したことである。その主張の成否は、将来チベット自治区に眠っている文書類が公開された後に最終的に明らかになる性質のものではあるとは言え、中国史の故・並木頼寿教授を指導教員とした大川氏の分析は堅固であり、かつ極めて論争的である。

口頭試験においては、幾つかの細かな用語上、表現上の問題点が指摘された他、「チベット解放」言説の変化と中国全体の革命の性質の変化との関係、チベットにおける「文学」概念、言説空間に見られる偏りへの配慮の必要性、インテリではない「普通の人々」の位置づけ、自身のポジショナリティの問題といった点に関して、審査委員から質問がなされた。各審査委員は、それぞれの質問に対する大川氏の回答が、今後の課題とされた部分も含めて説得的であること、及び指摘された問題点はいずれも本論文の価値を損なうほどのものではないことを確認した。審査の結果、本論文が文化人類学の研究に対して重要な貢献をなしていることが、審査委員全員により確認された。したがって、本審査委員会は、全員一致で、本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク