学位論文要旨



No 217591
著者(漢字) 吉兼,光葉
著者(英字)
著者(カナ) ヨシカネ,ミツハ
標題(和) 有機フッ素化合物の汚染実態解明のための生物モニタリング法開発と応用
標題(洋)
報告番号 217591
報告番号 乙17591
学位授与日 2011.12.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 第17591号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 吉永,淳
 東京大学 教授 影本,浩
 東京大学 教授 徳永,朋祥
 東京大学 准教授 多部田,茂
 東京大学 准教授 大友,順一郎
内容要旨 要旨を表示する

第1章緒言

Perfluorooctane Sulfonate (PFOS) に代表されるフッ素系界面活性剤(以下Perfluoro compounds (PFCs) と総称する)は、1950年代から一般生活に用いる衣類やじゅうたん、傘など表面加工(撥水加工)やポリマー製造、半導体製品の製造過程などの産業分野など、様々な用途で広く使われてきた。

しかしながら、一般人や野生生物をはじめ、遠隔地を含む様々な地点の環境媒体からPFOSが検出され、生物や環境に対する有害性が懸念されたことから、2009年5月にストックホルム条約(国際協調のもと残留性有機汚染物質の廃絶あるいは削減を進める条約)の第4回締約国会議でPFOS及び前駆体POSFが条約対象物質に追加されることとなった。また、これを受けて国内の化審法においてもPFOSは2010年4月に第一種特定化学物質に指定された。更に、PFOAに関しても有害性や蓄積性が懸念され、諸外国では水道水の暫定基準が作られている。しかしながら、PFCs はその多岐に渡る用途ゆえに使用実態は不明であり、実際の環境中における汚染実態の把握と発生源の探索は今後の大きな課題となっている。

本研究では生物モニタリング手法を用いて、PFCsの国内における汚染実態の解明と発生源の探索を行うことを目的とした。

第2章 生物試料中のPFCs微量分析法開発

本章では、生物試料中に蓄積する微量なPFCsまで正確に測定できる分析法の開発を目的とした。

2.1 試料組織からの抽出効率の検討

2.1.1 目的

従来法の試料組織からの抽出効率が十分であるかを確認することを目的とした。

2.1.2 方法

従来法に加えて、より強力な抽出法として、以下の2つの抽出法をイオンペア抽出の前に行い抽出効率の差を比較した。

[1]アルカリ分解法:試料組織をアルカリで溶かしてから抽出する方法。水と有機溶媒で分配する液々抽出において組織が邪魔をしない、原理的に最も高い抽出効率が期待できる方法である。

[2]高速溶媒抽出機 (PSE) 法:試料を耐圧セルに入れて温度と圧力をかけて溶媒溶液中に目的成分を抽出する方法で、比較的安定な化学物質の効率的な抽出方法として生物試料や土壌、底質試料を対象とした多くの適用例がある。

2.1.3 結果と考察

比較調査の結果 (Table1) 、PFOS、PFOAともに従来法やPSE法では見えずにアルカリ分解で初めて見えてくる成分があることが分かった。そのため、最も試料からの抽出効率が良いと考えられるアルカリ分解法を用いて以降の分析は行った。

2.2微量分析のためのブランク低減

2.2.1 目的

信頼性のあるデータを出すため、ブランクの低減をはかることを目的とした。

2.2.2 方法

操作中に用いる様々な器具などを個別に調査し、混入汚染の可能性のあるものは排除、あるいは洗浄を行った。

2.2.3 結果

ブランク対策の結果、検出下限値は1試料あたり、PFOS 0.03ng、 PFOA 0.04 ngのレベルに低減された(Table 2)。これにより、バックグランド地点を含めほとんどの場所の二枚貝中のPFCs濃度を明らかにすることができた(4.1章)。

第3章 トンボを使った陸域生物モニタリング手法の検討

本章では、陸域のPFCs汚染実態を明らかにするため、化学物質の生物蓄積を利用して汚染の状態を見るツール(化学物質捕集剤)として使える指標生物の探索とモニタリング手法の提案を目的とした。

3.1昆虫等の生物に蓄積されるPFCs

指標生物を探索する過程で、昆虫及び昆虫食の生物の中にモニタリングの対象化学物質(PFCs)が比較的高い濃度で蓄積していることが見出された(Fig.2)。

PFCs蓄積量の高い肉食性の生物の中でも、行動範囲が比較的広く、簡便に採取できるトンボが、PFCsモニタリングの指標生物として、最も高いポテンシャルを持っていると考えられた。

3.2 トンボの陸域モニタリングの指標生物としての適用性調査

PFCsの陸域生物モニタリングの指標生物として、トンボを提案するために基礎的な情報を集めて、より詳細な適用性評価と適した候補種の選定を行った。

3.2.1生態と生活史からの絞り込み

トンボ目の中でも、広域に分布し採取しやすい不均翅亜目トンボ科のトンボで、長距離移動性のないものが、本研究目的にそった生物種であると考えられ、以降この科に属するトンボについて基礎情報を集めた。

3.2.2 蓄積時期

トンボにPFCsが蓄積する時期を明らかにするため、羽化後の経過日数の分かるトンボを再捕獲実験(羽化したてのショウジョウトンボにマークをつけて放ち、マーク付きのトンボを数週間後に再捕獲する)を行い、個別にPFCs蓄積量を分析した。

調査の結果、羽化後の未成熟期間(1週~2週目)にショウジョウトンボのオスはPFOSを蓄積しつづけ、3週目以降、成熟すると体内のPFOS量には大きな変化がない様子が明らかになった(Fig.3)。

生活史の異なるノシメトンボのオスにおいても羽化後の未成熟期に比べて成熟期のPFOS蓄積量が高い様子が示された。メスは産卵のためか成熟後期にPFOS蓄積量が下がる様子が見られた。これらの結果から、体色が変化して識別しやすい成熟オスを用いることで、比較可能なデータが得られることが示された。

3.2.3 種差性差

トンボの種類や性によりPFCsの蓄積量や蓄積組成に違いがあるのか、同一採取地点において複数種を採取して調査した。

同一採取地点で採取されたトンボ科の4種類のオスは、PFCs濃度、組成がともに類似しており、統計的にも有意差がないことが分かった。一方、トンボ科のメスは組成や濃度が異なったり、個体間のばらつきが大きい様子が見られた(Fig.4)。これらの結果から、オスを用いると種類の異なるトンボを併用できる可能性が示された。

3.3陸域モニタリン手法の提案

以上の検討結果をまとめ、複数の異なる種類のトンボの成熟オスを併用して、広い範囲をカバーできる陸域モニタリング手法を提案した。

第4章 生物モニタリングによるPFCs環境汚染調査

本章では二枚貝及び今回新たに開発したトンボを用いた生物モニタリングによる沿岸と陸域のPFCs汚染実態の把握を目的として研究をすすめた。また、生物モニタリングにより発見されたPFCs濃度の高い地域について、河川水分析を組み合わせた発生源の探索と特定を行った。

4.1 二枚貝による沿岸のモニタリング

国内沿岸で採取した二枚貝全試料からPFCsが検出された。例としてPFOSのモニタリング結果をFig.5に示す。

本研究の分析結果をもとに、二枚貝中の各PFCs蓄積量の中央値が0.04から0.31 ng g-1の間におさまることが示された。また、生物濃縮を経て水からほとんど検出されないPFuDA (C11)やPFdDA (C12)が約97%以上の二枚貝試料で検出された。また、各地点のPFCs濃度や組成の比較から、大都市に近く人間活動の影響を受けやすい半閉鎖的な海域にPFCsレベルが高い傾向が認められた。

4.2 トンボによる陸域のモニタリング

トンボ全試料からPFCsが検出された。例としてPFOSのモニタリング結果をFig.6に示す。

組成については二枚貝とよく似た結果となったが、平均濃度は全体的に二枚貝よりずっと高いことが示された(PFCs蓄積量の中央値が0.29-3.83 ng g-1)。PFOSは採取地点全体を通して濃度が高い様子が見られ、二枚貝でも高い地点が見られた関東圏、北陸に加えて沖縄と北海道でも10ng g-1を超える濃度が検出された。

4.3 発生源調査

分析の結果、北陸及び北茨城にも人口密集地点と匹敵する汚染源があることが示唆されたため、現地での詳細調査を行った。

その結果、PFCs の特徴的な組成を持つ北茨城では、河川の調査から、製材業の会社が発生源として見出された。北陸においては、沿岸および河川の調査の結果、沿岸付近の二つの会社、併せて3つの工場が大口の発生源であることが見出された。一方、内陸の山間部に存在する産業廃棄物埋め立て処分場の周辺にもPFCs 汚染が広がっている様子が明らかになった。

第5章 結語

本研究で開発した分析法を用いて、全国二枚貝中のPFCs蓄積組成、蓄積レベルが明らかになった。特に、水中からほとんど検出されない長鎖PFACsを含むPFCsが全国ほとんどの地点で検出され、国内の汚染の概要と地域ごとの特徴が明らかになってきた。新たに提案したトンボによる陸域生物モニタリング手法を通して、内陸でのPFCsの汚染の広がりや発生源と目される環境中濃度の高い地点が示された。また、発生源探索の足掛かりとして、モニタリング結果が有効に活用できることが示された。

既に規制対象物質であるPFOSはもとより、一部の国ではPFOAや長鎖PFACsも廃絶への動きが始まっている。これらをうけて、国内のPFCsの排出状況も、今後大きな変動が予想される。本研究で実用化した生物モニタリングの手法は、その変化をとらえるための鋭敏で有用なツールと考えられ、この研究で得られた測定情報をベースライン値としつつ、今後の研究によって規制効果の確認やリスク評価のための基礎情報の獲得、残された発生源の発見などが進むことが期待される。

Fig. 1 PFCsの化合物名、略号と構造式

Table 1 抽出法検討結果

Table 2 ブランクレベルと検出下限値

Fig.2 昆虫等の生物に蓄積するPFCs

Fig.3 羽化後の経過週数とPFOS蓄積量

Fig.4 トンボの種差と性差

Fig.5日本全国の二枚貝中のPFOSレベル

Fig.6日本全国のトンボ中のPFOSレベル

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、生物モニタリングの手法を活用して、近年その環境残留性や生物蓄積性、毒性等の点から残留性有機汚染物質(POPs)の新規追加物質に認められたペルフルオロオクタンスルホン酸(PFOS)を含む有機フッ素化合物(PFCs)の国内での汚染実態把握と発生源探索を目的としたものである。

本論文は5章からなる。

第1章では、序論として、研究を始めるにあたっての問題意識、研究の背景、目的、及び、全体の構成について説明している。

第2章では、生物モニタリングを行う上で重要な、信頼性の高い測定データの取得を目的として、生物試料中に蓄積する微量なPFCsまで正確に測定可能な分析法開発を行っている。既存法における問題点を改善した結果、抽出効率の高いアルカリ分解法を用いた分析前処理法を見出し、生物中のPFCs蓄積量をより正確に求めることを可能とした。更に、徹底したブランク対策の結果、既報の1000分の1のレベルまで検出下限値を下げることを可能とし、試料(トンボ)1個体ごとの個別測定や、国内沿岸に生息する二枚貝中のPFCs の定量が可能な分析法を提案している。

第3章では、陸域モニタリングに適した新たな指標生物を探索する過程で、昆虫や昆虫食の生物の中に、PFCsが二枚貝よりもはるかに高い濃度で蓄積していることを初めて見出している。中でも、トンボに注目し、様々な基礎情報を調査した上で、複数の異なる種類のトンボの成熟オスを用い、広い範囲をカバーできる陸域モニタリング手法を提案している。

第4章では、2章の分析法、3章で提案したモニタリング手法を用いて、二枚貝及びトンボを用いた生物モニタリングを行い国内のPFCsによる汚染実態の調査を行っている。その結果、PFCsが全国規模で生物中に蓄積されている事実を明らかにしている。地域によっては沿岸のみならず内陸部まで汚染が広がっており、また、地域ごとに発生源のPFCs成分に特徴があることを示している。二枚貝、トンボのいずれのモニタリングにおいても、長鎖長ペルフルオロアルキルカルボキシレート(PFACs)がほとんど全ての試料から検出されている。PFACsはペルフルオロオクタン酸(PFOA)と同等の毒性を持つと考えられているが、水中濃度が低いために測定が難しく、これまで広範囲のモニタリングデータは報告されていない。これらの化合物の広範囲にわたる汚染の実態をはじめて明らかにするとともに、生態系への影響評価のため今後PFACsに対する監視の必要性を示している。

従来の生物モニタリングの枠にとどまらず、さらに本論文では、発見されたいくつかの特徴的な汚染地点を取り上げ、発生源調査を行っている。その結果、これまでに発生源として注目されていなかった業種の事業所からPFCsが排出されていることを特定している。また、廃棄物処分場などの内陸の発生源についても陸域モニタリングを用いることによりその発見・特定を効率的なものとしている。これらの成果は、従来、汚染の空間・時系列情報を得るだけであった生物モニタリングを、汚染源探索の有効的な手法へと発展させる可能性を示している。

第5章では、本研究で実用化した生物モニタリングの手法が、規制の開始や廃絶のためのプログラムによって今後大きな変動が予想されるPFCsの国内における排出状況や環境中濃度の変化をとらえるための鋭敏で有用なツールとして活用できることを示している。更に、得られたモニタリング結果は今後のベースライン値として、規制効果の確認やリスク評価のための基礎情報として役立たせることができると結論づけている。

なお、第2章は高澤嘉一氏、田中敦氏、小森住美子氏、小林美哉子氏、神田裕子氏、Nasrin Jahan氏、柴田康行氏との共同研究である。第3章は、小森住美子氏、小林美哉子氏、矢内美幸氏、上田哲行氏、柴田康行氏との共同研究である。また、第4章は、高澤嘉一氏、田中敦氏、小森住美子氏、小林美哉子氏、神田裕子氏、柴田康行氏との共同研究であるが、いずれにおいても論文提出者が主体となって手法開発及びモニタリングを行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上のように本研究は、新たな指標生物を導入した新規な生物モニタリング手法を用いて国内沿岸域・陸域のPFCs汚染の現状を明らかにした点、また単なる汚染モニタリングにとどまらず、汚染源特定へと発展性を示した点など、環境システム学に大きな貢献をしたものである。したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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