学位論文要旨



No 115825
著者(漢字) 宮寺,隆之
著者(英字)
著者(カナ) ミヤデラ,タカユキ
標題(和) 有限系における熱力学的に異常な量子状態の脆弱さ
標題(洋) Fragility of Thermodynamically-Abnormal Quantum States of Finite Systems
報告番号 115825
報告番号 甲15825
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第310号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 清水,明
 東京大学 教授 米谷,民昭
 東京大学 助教授 國場,敦夫
 東京大学 助教授 佐々,真一
 東京大学 助教授 久我,隆弘
内容要旨 要旨を表示する

 物理学には扱うスケールに応じて、いろいろな理論が存在する。熱力学は我々のまわりのマクロな現象を良く記述し、量子力学はミクロな重ね合わせの世界を記述している。熱力学によれば、マクロな物理量は揺らぎを殆ど持たない。ところが量子力学によれば、系がマクロであっても有限系であれば、マクロに異なった状態の重ね合わせ(=マクロな物理量が揺らぐ状態)も許される筈である。何故、我々はそのようなマクロな重ね合わせを観測しないのだろうか?系は閉じているようにしばしば仮定されるが、本当は環境と接触していることを思い出そう。純粋状態のうちあるものは、環境に対し脆弱で観測されえないのではないかというシナリオをZurekたちは提案している。そこで次の疑問がわく。「マクロな物理量がゆらぐような状態は脆弱であるのだろうか?」

 マクロだが有限な大きさの量子系を考える。具体的にはd次元の格子上のhypercubeΛ=Ld(L≫1)を考える。今、この系はL→∞で自発的対称性の破れをおこすとしよう。有限系では、系のground stateは対称性を破らない状態Φoを含むが、そのような状態は一般に、示強的な量であるオーダーパラメーター〓(マクロな物理量)の揺らぎ

が熱力学的に異常な大きさ揺らぎ(μ=O(|∧|))を持つ。我々はそのような状態をAFV(Anomolously Fluctuating Vacuum)とよぶ。我々の疑問はこの系において、以下のようになる。「AFVは脆弱なのだろうか?」

 一方、無限系の純位相真空をよく近似する状態Ξを我々はPPV(Pure Phase Vacuum)とよぶ。PPVは対称性を破り、クラスター性をもつ。ただし、ここでいう有限系におけるクラスター性とは、状態の相関を特徴付ける領域(correlation regionと呼ぶ)Ωが無限系の純位相真空におけるそれと同一であることをいう。従って、十分マクロな系(体積|Λ|≫1)のときは、|Ω|≪|Λ|である。以上の概念は論文中で厳密に定義される。我々の目的はAFVとPPVの脆弱性を調べることである。

 さて、今、このような系が環境と弱く接しているとしよう。全系のハミルトニアンは

と書かれる。系と環境の相互作用としては、従来よく用いられてきたnon-localな(マクロな物理量どうしのみがカップルしている)相互作用とは異なり、我々はきちんと物理的な近接的な相互作用を採用する。i.e.,

ただし、ここでα(x)は系のサイトx上の物理量、b(x)は環境の対応する(近接した)サイトの物理量である。また、相互作用のある領域Λ0をcontact regionとよぶ。我々は環境の自由度を縮約し、さらにマルコフ近似してマスター方程式を系の運動方程式として導く。すると(部分)系の時間発展はもはやユニタリーではなくなる。t=Oで純粋状態にあった状態は時間発展とともにdecohereしていき、より混合した状態になっていく。我々は状態が、あっという間に(ミクロな時間スケールで)その純粋性を失うとき、脆弱であると呼ぶ。その指標として本論文の主要部分においては線形エントロピーと呼ばれる量Slin[p]:=1ーtr[ρ2]を採用した。これは、純粋状態にたいしてはゼロをとり、より混合している状態に対してはより大きな値(但し<1)をとる。つまり、純粋状態φが脆弱(fragile)であるとは、ミクロな時間でS[φ,t](初期状態をφとしたときの時刻tでのエントロピー)が増加してしまうことをいい、逆に、ある純粋状態ψが頑健(robust)であるとは、マクロな時間領域にわたってS[ψ,t]がなかなか増加しないことをいう。

 線形エントロピーの振る舞いを調べるために、我々は相互作用の強さ∈に対して摂動展開を行い、Slin[φ,t]=Slin(0)+Slin(1)+Slin(2)+…と書く。ただし、Slin(N)は∈2Nに比例する項である。ミクロな時間領域においては、最低次の項Slin(1)(初期状態を純粋状態に選んだのでSlin(0)は常にゼロ)が支配的であることが示される。そこで、状態の脆弱さを議論するためには一次近似を調べればよいことがわかる。まず、AFVに対しては以下の定理が成り立つことを我々は示した。定理 0.1〓に対して、

ただし、g00は環境のみによって決まる定数。

すなわち、AFVのdecoherenceはマクロな物理量Aの揺らぎで下から抑えられる。a(x)=m(x)(オーダーパラメーター)であるときこの定理は

を導く。まさにこのとき、AFVは脆弱である。また、その時PPVΞの脆弱性はAFVの脆弱性を超えないことが次の定理のように示される。

定理0.2

ただし、∈'は系の大きさ|Λ|→∞で∈'→Oな小さな数である。

つまり、PPVは少なくともAFVほどは脆弱ではない。

 では、PPVは頑健な状態だろうか。まず、ある状態が頑健であることをいうためには、摂動の一次で評価を止めてはいけない。何故ならばマクロな時間領域では高次の項も効いてくる筈だからである。我々は特殊なケース、大雑把に言ってマスター方程式の散逸の項が細かい波数を拾わないときには、実際にPPVは頑健であることを示した。ただし、条件はcontact regionがcorrelation regionよりも十分大きいことである。

定理0.3

ただし、||a||は a(x)のノルム、εはΩを定義するときに用いる微小な許容誤差である。この定理の項掛〓はcontact regionがcorrelation regionよりも十分大きければPPVは脆弱であることを示している。

 まとめると、我々はa(x)=m(x)であるとき一般の散逸に対して、マクロな物理量が大きな揺らぎをもつ対称な真空AFVは脆弱であることをまず示した。次に、対称性を破りクラスター性をもつ(無限系での真空を近似する)PPVはAFVほどは脆弱ではないことを示した。最後に、ある特殊な散逸の場合には、PPVは頑健であることを示した。今までの研究は本質的に一自由度のモデルであるものが多かったので、その正当性も普遍性も一般には不明であったのに対し、本研究は多体系をまともに取り扱って普遍的な結論を導き出したのが特徴である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は8章からなり、第1章は序論、第2章は量子系の古典化について、第3章は自発的対称性の破れに対する有限サイズ効果について、第4章はZ2自発的対称性の破れの系のデコヒーレンスについて、第5章はU(1)自発的対称性の破れの系のデコヒーレンスについて、第6章は定理の証明の詳細、第7章は議論、第8章はまとめと結論、をそれぞれ論じている。

 経験によれば、マクロスケールでは、熱力学や流体力学などのマクロ物理学が成り立っている。一方、ミクロスケールでは、量子論が成り立っていて、それは、マクロスケールまで成り立っていると信じられている。ところが、有限サイズのマクロ系を量子論で扱うと、基底エネルギー状態は、マクロ物理学と整合しない状態になっていることが多い。このような状態を、AFV(Anomolously Fluctuating Viacuum)と呼ぶことにする。宮寺氏が問題にしたのは、なぜこのような状態が現実には現れないのか、ということである。宮寺氏が着目したのは、現実の物理系は、厳密に閉じているということはありえず、多少なりとも、必ず環境との相互作用がある、と言う事実である。この相互作用が、たとえ微少であっても、AFVに対しては、大き影響を及ぼし、量子状態を壊してしまうのではないか、というアイデアである。

 このアイデアを確かめるべく、マクロだが有限な大きさの一般の量子系を考える。具体的にはd次元の格子上のhypercube Λ=Ld(L≫1)を考える。今、この系はL→∞で自発的対称性の破れをおこすとしよう。有限系では、系のground stateは対称性を破らない状態Φ0を含むが、そのような状態は一般に、示強的な量であるオーダーパラメーターM:〓(マクロな物理量)の揺らぎが熱力学的に異常な大きさ揺らぎ(μ=0(|Λ|))を持つ。そのような状態をAFV(Anomolously Fluctuating Vacuum)とよぶ。一方、無限系の純位相真空をよく近似する状態ΞをPPV(Pure Phase Vacuum)とよぶ。PPVは対称性を破り、クラスター性をもつ。ただし、ここでいう有限系におけるクラスター性とは、状態の相関を特徴付ける領域(correlation regionと呼ぶ)Ωが無限系の純位相真空におけるそれと同一であることをいう。従って、十分マクロな系(体積|Λ|≫1)のときは、|Ω|≪|Λ|である。以上の概念は論文中で厳密に定義される。目的はAFVとPPVの脆弱性を調べることである。

 このような系が環境と弱く接しているとしよう。全系のハミルトニアンは

と書かれる。系と環境の相互作用としては、従来よく用いられてきたno-localな(マクロな物理量どうしのみがカップルしている)相互作用とは異なり、きちんと物理的な近接的な相互作用を採用する。i.e.,

ただし、ここでa(x)は系のサイトx上の物理量、b(x)は環境の対応する(近接した)サイトの物理量である。また、相互作用のある領域Λ0をcontact regionとよぶ。環境の自由度を縮約し、さらにマルコフ近似してマスター方程式を系の運動方程式として導く。すると(部分)系の時間発展はもはやユニタリーではなくなる。t=0で純粋状態にあった状態は時間発展とともにdecohereしていき、より混合した状態になっていく。状態が、あっという間に(ミクロな時間スケールで)その純粋性を失うとき、脆弱であると呼ぶ。その指標として本論文の主要部分においては線形エントロピーと呼ばれる量Slin[ρ]:=1-tr[ρ2]を採用した。これは、純粋状態にたいしてはゼロをとり、より混合している状態に対してはより大きな値(但し<1)をとる。つまり、純粋状態φが脆弱(fragile)であるとは、ミクロな時間でS[φ,t](初期状態をφとしたときの時刻tでのエントロピー)が増加してしまうことをいい、逆に、ある純粋状態ψが頑健(robust)であるとは、マクロな時間領域にわたってS[ψ,t]がなかなか増加しないことをいう。

 線形エントロピーの振る舞いを調べるために、相互作用の強さ∈に対して摂動展開を行い、Slin[φ,t]=Slin(0)+Slin(1)+Slin(2)+…と書く。ただし、S(N)lin)は∈2Nに比例する項である。ミクロな時間領域においては、最低次の項S(1)lin(初期状態を純粋状態に選んだのでSlin(0)は常にゼロ)が支配的であることが示される。そこで、状態の脆弱さを議論するためには一次近似を調べればよいことがわかる。まず、AFVに対しては以下の定理が成り立つことを示した。

定理 0.1〓に対して、

ただし、g00は環境のみによって決まる定数。

すなわち、AFVのdecoherenceはマクロな物理量Aの揺らぎで下から抑えられる。a(x)=m(x)(オーダーパラメーター)であるときこの定理は

を導く。まさにこのとき、AFVは脆弱である。また、その時PPVΞの脆弱性はAFVの脆弱性を超えないことが次の定理のように示される。

定理0.2

ただし、∈'は系の大きさ|Λ|→∞で∈'→0な小さな数である。つまり、PPVは少なくともAFVほどは脆弱ではない。

 では、PPVは頑健な状態だろうか。まず、ある状態が頑健であることをいうためには、摂動の一次で評価を止めてはいけない。何故ならばマクロな時間領域では高次の項も効いてくる筈だからである。特殊なケース、大雑把に言ってマスター方程式の散逸の項が細かい波数を拾わないときには、実際にPPVは頑健であることを示した。ただし、条件はcontact regionがcorrelation regionよりも十分大きいことである。

定理0.3

ただし、||a||は a(x)のノルム、εはΩを定義するときに用いる微小な許容誤差である。この定理の項〓はcontact regionがcorrelation regionよりも十分大きければPPVは脆弱であることを示している。

 まとめると、a(x)=m(x)であるとき一般の散逸に対して、マクロな物理量が大きな揺らぎをもつ対称な真空AFVは脆弱であることをまず示した。次に、対称性を破りクラスター性をもつ(無限系での真空を近似する)PPVはAFVほどは脆弱ではないことを示した。最後に、ある特殊な散逸の場合には、PPVは頑健であることを示した。今までの研究は本質的にー自由度のモデルであるものが多かったので、その正当性も普遍性も一般には不明であったのに対し、本研究は多体系をまともに取り扱って普遍的な結論を導き出したのが特徴である。

 なお、本論文は、清水明氏との共同研究であるが、論文提出者が主体になって分析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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