No | 115834 | |
著者(漢字) | 藤本,仰一 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | フジモト,コウイチ | |
標題(和) | 速いスケールから遅いスケールへの統計的性質の伝搬 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 115834 | |
報告番号 | 甲15834 | |
学位授与日 | 2001.03.29 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(学術) | |
学位記番号 | 博総合第319号 | |
研究科 | 総合文化研究科 | |
専攻 | ||
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 生物システムの発達、発生、学習通程といった履歴をひきずりながら発展していくシステムにおいては、その各段階における速いダイナミックス(例えば、条件反射行動のような感作的行動)から遅いダイナミックス(例えば、適応、学習)に至る様々なスケールのダイナミックスが何桁にもわたって混在し、互いに影響を及ぼしあっている。このような状況は生物システムのみならず、気象システムにおける雲や海流などのダイナミックスにも見られる。スケールが混在する系の特徴を抽出する指導原理として、Hakenにより提唱された隷属化原理がある。この原理の基礎には断熱近似があり、その精神は、速い変数はその平均+ノイズと見て、遅い変数の変化のみに注目せよというものである。これは、多変数の振舞を扱う統計物理学や非線形解析学で、非常に有効で重要な役割を果たしている。速い変数と遅い変数のスケールが十分に離れている場合には断熱近似の有効性は揺るぎ無いが、上記の如く様々なスケールが混在して各スケール差が縮まってくると数理的にその近似の有効性は揺らぎだし、現象のレベルでも経験的に感じることが出来る。例えば、記憶形成過程や発達過程では、むしろ速いダイナミックスが遅いダイナミックスを支配する状況が(相転移点のような特殊な状況のみでなく)定常的に機能していると考えられるこの感覚に対応する数理の可能性を追求し、生物システムや気象システムの理解を深めることが本研究の動機である。 明らかに断熱近似描像では捉えられない性質として、『速い変数の統計的性質に、遅い変数の統計的性質が依存する』性質に注目する。以下に、様々な時間スケールのダイナミックスが何桁にもわたって混在し互いに影響を及ぼしあうモデルを導入し、そこでこの性質を見出し、そのメカニズムの解析を行った。トポロジカルな性質が同じ非線形振動子を複数個用意し、それらの時間スケールのみに異なりを導入して結合する。スケールの異なりは等比級数的に分布させる。各素子の非線形振動子をとし、その時間微分項に変数変換を施して、 とし、それらを近い時間スケールを持つ素子と結合して、 とする。Xは各素子の変数で、各素子i(=1,2,,,,,L≡system size)の特徴的な時間スケールはTi>Ti-1で、iが大きいほど遅いダイナミックスになる。 このモデルで、トータルの時間スケール差を例えばτL-1=103と一定にし、Lを大きく(τを小さく)すると、スケールの混在度が強まる。即ち(L,τ)をパラメーターとしてスケールの混在度が記述出来る.このモデルを用いて、ある範囲内τ*〓τで、『速いダイナミックスの統計的性質を変えると遅いダイナミックスの統計的性質が変わる』ことを示した。これを、個々の素子に(a)カオスを示すLorenz方程式を用いた場合と、(b)移流不安定性を持つ非線形振動子を用いた場合とに見出した。(c)さらにこれらの時間スケールから空間スケールへのアナロジーとして、各素子にTuring Patternを生成する反応拡散方程式を用い、空間微分項へ変数変換を施してそれらを結合するモデルを導入し、様々な空間スケールのTuring Patternの生成に加え、それらに空間スケールを貫く相関が生成されることを見出した。以下に各場合の説明を述べ、最後に全ての場合に共通して見られる性質を述べる。 (a):カオスを示すLorenz方程式を用いた場合:個々の素子Xiに時間スケール差が無い場合(τ=1.0)に、(相互作用による)引き込みと(カオスによる)その崩壊を繰リ返す系に、時間スケール差τ>1をつける。ある程度τが小さければ、様々な時間スケールでの引き込みと崩壊が起こる。この場合に、一番速い素子X1の非線形パラメーターγへ、遅いダイナミックスXLの統計的性質が依存性することを見出した。 そして、ダイナミックスの中立安定性(不安定性指数がゼロに近い正であること)とτがある範囲内にあることを要請することで、以下のメカニズムを導出した。 1.速い変数のパラメーター変化が、各素子の不安定性指数(Lyapunov exponentλ(i))の符号反転をカスケード的に引き起こせる。 2.この連鎖が遅いスケールのλ(i)の符号反転へ伝搬されて、統計的性質の変化を引き起こす。 3.この場合に、遅い変数のパラメーターを変化させても、λ(i)の符号反転カスケードを引き起こすことは出来ない。 4.時間スケール方向の統計的性質の伝搬に関する非対称性が断熱近似描像と逆方向であることを、1,3で述べた不安定性指数(Lyapunov exponentλ(i))の符号フリップカスケードが可能/不可能であることにより説明できる。 (b):移流不安定性を持つ非線形振動子を用いた場合(※移流不安定性とは、乱れを時間的に減衰するが空間的には増幅伝搬する性質で、水道の蛇口などの開水路系に普遍的に存在する。移流不安定性の指標として、流れに沿って速度vで動きながらLyapunov exponentを測定したco-moving Lyapunov exponentλvが知られている。) このシステムでも速いスケールi=1のパラメーター依存性が遅いスケールのダイナミックスに現われることを見出し、以下のメカニズムの流れを解明した。 1.移流不安定性λvは乱れの時間スケールに依存し、各素子でのλvは伝搬波の時間スケールΔiを各素子の時間スケールTiで相対化した時間スケール〓で特長づけられる。 2.伝搬波の時間スケールを遅いスケールへシフトするメカニズムとして、一部の波の淘汰消滅により周期倍加を見出した。これは、λv(i)が正から負に反転することで発生する。これを何回も繰り返すことで伝搬波の時間スケールが遅くなる。 3.周期倍加により、各素子のダイナミツクスの伝搬波のλvがスケール方向に振動し、i=1のバラメーターγに依存してその位相がシフトする。 4.位相シフトが各素子のλv(i)に差異を生み、スケール方向にわたるその積算exp(Σi=1i=Lλv(i))の差異が遅いスケールのダイナミックスの性質に大きな差を生む。 以上のスケール方向の統計的性質伝搬過程の力学を抽出した。 (c):時間スケールから空間スケールへのアナロジー:1素子として、Turing Patternを生成し、定常状態では時間的に固定点になる反応拡散方程式 を用い、時間微分項の代わりに空間微分項のみに変数変換を施して、 とし、それらを近い空間スケールを持つ素子と結合して、 とする。このシステムでは、様々な空間スケールをあらかじめ分布させてあるので、その各スケールでTuring Patternが生成される。これに加えて、トータルの空間スケール差δL-1≫1を一定にしてsystem size Lを大きく(δを小さく)していくと、ある範囲内δ*〓δで『各パターン間にスケールを貫くが相関が生成される』ことを示した。ここで相関とは、各スケールで生成されるパターンの空間的な位相の相関を意味し、様々な空間スケールのパターン形成が協同的に行われることを示す。このメカニズムにも、パターン形成過程で、小さいスケールのTuring Pattermの一部の淘汰消滅により空間周期倍加し、大きなスケールの素子に伝搬されるというメカニズムが本質的になっており、(b)の時間周期倍加との共通が見られる。この場合には、ある空間波数モードに対するTuring不安定性の指数が、正から負に反転することで周期倍加が説明できる。 以上のメカニズムを比較し、共通する以下の一般的な性質を抽出した。 ・τやδをある程度小さいことで初めて、「速いダイナミックスの統計的性質への遅いダイナミックスの統計的性質の依存性」が現われる。 ・特長的な不安定性指数の符号反転が連鎖的に起こることが統計的性質伝搬に本質的に重要である。 ・τやδを小さくしていくと、断熱近似的描像である「遅いダイナミックスの統計的性質への遅いダイナミックスの統計的性質の依存性」は現われない。 | |
審査要旨 | 生命システムにおいては発生、学習過程のように履歴をひきずりながら発展していく例が多くみられる。そこでは条件反射のような速い変化から学習のような遅い変化までの様々な時間スケールのダイナミックスが何桁にもわたって混在し、相互干渉している。また、こうした異なる時間スケールの干渉は生物のみならず、気象システムなどにも見い出される。スケールが混在する系の特徴を抽出については、速いスケールの運動を消去して遅いスケールの運動とそのまわりの雑音としてとらえる方法が、広く一般的にとられてきた。たしかに、スケール差が大きく離れている場合にこの手法は有効であるが、その一方で、記憶形成過程や発達過程を考えてみれば、速いダイナミクスの変化が遅いダイナミクスにいかに影響を与えるかを理解するのが重要と考えられるが、そのような伝搬の理解は現時点ではあまり行われていない。藤本仰一氏は博士論文で、速いスケールから遅いスケールへの伝搬を可能にする力学系モデルの例を提示し、その機構の解明を試みている。 本論文は11章119ページからなる。第1章では、こうした問題意識が力学系、生命システム、物理現象の観点から広く論じられ、この問題の重要性が示されている。ついでこの問題を考えるために、異なる時間スケールを持った力学系が1次元の格子上で近接相互作用しているモデルが第2章で導入される。ここで格子の両端の2要素は十分離れた時間スケールを有しており、2要素だけの系を考えれば速いスケールの要素は遅い要素に影響を与えられない。そこで、この要素の間にτ倍ずつスケールが増大していく要素をN個介在させて、そのダイナミクスを調べることでこうしたモデルに対して速い要素の変化が遅い要素へ影響を与えるかが調べられる。 まず第3章では要素としてカオスを示すローレンツモデルを用いられ、その要素が双方向に(拡散的に)結合している場合が数値計算で調べられている。この時カオスの強さを規定するパラメータが適度な大きさの時、要素数N(言いかえると隣の要素の間の時間スケールの比τ)がある範囲の場合に、速いスケールのパラメータを少し変えると、それがもっとも遅いスケールの要素の運動の性質まで変化させることが見出された。たとえば、遅いスケールの要素の変動の分散の変化をτに関してプロットすれば、ある範囲のτで大きな値を持つ。このような伝搬ができた場合、個々の要素の運動は、相互作用による引き込みとカオスによる崩壊を繰り返していることがさまざまな量を測ることで示される。このようなカオス的不安定性とひきこみを行き来するカオス的遍歴においては運動の中立安定モードがみられることに着目した上で、「介在している要素の安定性が交代し、それがカスケード的に伝わるので、速いスケールの状態の変化が遅いスケールの要素に伝搬する」という仮説が提唱されている。 ついで、第4章では興奮性のダイナミクスを持った要素が一方向で結合している場合が調べられる。特に、乱れを時間的に減衰するが空間的には増幅伝搬する移流不安定性を持つ場合に、介在する要素数がある程度以上あると、速いスケールから遅いスケールへの伝搬が可能であると示されている。これは伝搬する波が途中で周期倍分岐をおこし、安定性を変えていくためであることが示される。この解析は、ダイナミクスの移流不安定性が要素の持つ時間スケールに依存することに着目し、流れにそったリヤプノフ指数が上流から下流にむけてどう変化するかを調べることで行われている。こうした移流不安定系での理論解析は、藤本氏により確立された「流れにそったリヤプノフ指数による構造形成解析」に基づいている。第7、8章で述べられているように、流れにそったリヤプノフ指数の空間的変化の累積をみることで、上流の入力や雑音が増幅されるかの判定がなされるのである。この理論を用いて第9、10章では、入力の違いが雑音を通して敏感に増幅され構造が形成される例やその機構が示され、第11章にまとめられている。 以上、安定性の交代による速いスケールから遅いスケールへの性質の伝搬という新しい考えが、モデル計算と力学系の解析によって示された。一方、この問題の空間スケールの違いへの拡張が異なる拡散係数を持った反応拡散系を用いて第5章で行なわれている。これまでの時間スケールの違いを空間スケールの違いにおきかえることで、大きく異なる波長を持ったTuringパタンの間にスケールを貫く相関が生成されることが示される。3-5章の異なるスケール間の伝搬の問題は第6章にまとめられている。 このように、藤本氏はその論文において、速いダイナミクスの統計的性質が遅いダイナミクスに連鎖的に影響を与えうる例を示し、そこでは安定性の交代が連鎖的に起こることが重要であることを明らかにした。この考えをさらにつめて一般的理論として確立させていくのは今後の問題であるが、上のような例をはじめて明示し、その機構を論じたのは今後さまざまな問題に大きな意義があると思われる。自由度の大きい力学系としての重要性のみならず、物理現象、生命現象において記憶や適応とみなせるような状態変化の形成を考える上での1つの規範を与えると思われる。 なお、本論文の第8章、第9章の結果は既に2篇の論文として出版されており、第3-5章はそれぞれ論文として投稿準備中である。 以上の点から本論文は博士(学術)の学位を与えるのにふさわしい内容であると審査委員会は全員一致で判定した。 | |
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