学位論文要旨



No 116503
著者(漢字) 乙部,厳己
著者(英字)
著者(カナ) オトベ,ヨシキ
標題(和) 反射壁確率偏微分方程式の観点による剛体壁ポテンシャルを持つギブス分布
標題(洋) Gibbs Measure with Hard-wall Potential from a View Point of Stochastic Partial Differential Equation with Reflection
報告番号 116503
報告番号 甲16503
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第174号
研究科 数理科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 舟木,直久
 東京大学 教授 楠岡,成雄
 東京大学 教授 谷島,賢二
 東京大学 教授 片岡,清臣
 東京大学 助教授 吉田,朋広
 名古屋大学 教授 長田,博文
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、反射壁を持つ放物型の確率偏微分方程式の解の定常分布となるGibbs分布について考察することを目的とする。放物型の確率偏微分方程式とは一般に、反応拡散方程式に対して白色雑音の揺動を受けた次の形のものをいう。

ここでfは外力項と呼ばれ、σは拡散係数と呼ばれる。fに対して〓をポテンシャルと呼ぶ。これを▽U=fと略記することもある。Wは時空間の白色雑音を表わす。これは、直観的には時空間の各点で独立かつ正規分布をしている熱雑音である。

 この種の方程式は種々の動機の下に様々な研究が行われてきた。たとえばランダムな媒質中を漂う弦のランダムな運動がこのような方程式で記述されるほか、統計力学的な観点からたとえば強磁性体のスピンのランダムな時間発展を記述する方程式としても知られている。その外にも構成的な場の量子論におけるゲージ理論に関連して現われることも知られている。これらの方程式はたとえ初期値が正でfが0の場合であっても、解は正負の両方の値をとりうることに注意する。

 一方において、有限次元の確率微分方程式が記述する拡散現象の取りうる値の空間を適切に調整する問題に関しては古来より様々な深い研究がなされてきた。その中でも代表的なものはTanakaによる伊藤公式を応用した研究に続く、Skorokhodによる確率微分方程式の方法である。この方法は、特に1次元の拡散過程Btを正に条件付けるときについて、非常に簡明な次のような形式的表現を与える。

ここで、(Xt,LtX)の両方が未知関数であるが、LtXはXの原点における局所時間とも呼ばれ、広義単調増加な連続函数である。従って上記右辺第2項の時間微分は測度として意味を持つことに注意する。

 NualartとPardouxはこのSkorokhodによる方法を確率偏微分方程式に適用することに成功し、非負の値をとる次のような自然な方程式を定式化した。

ここで、ηがSkorokhod方程式におけるdLtX/dtに相当する項で、測度として記述される。彼らの研究ではσ≡1とし、x∈[0,1]の場合についてDirichlet境界条件の下で連続関数の空間C([0,1],R+)に値を取る時間発展の存在と一意性が証明された。続くPardouxとDonati-Martinの研究ではより一般の拡散係数について解の存在が示されたが、一意性は未解決である。この種の方程式は微視的な観点からも、壁上の▽φ境界相模型の研究に関連して、その平衡揺動を記述する方程式として導出されることがわかっている。この方程式を反射壁を持つ確率偏微分方程式、あるいは単に反射壁確率偏微分方程式と呼ぶ。

 そこで、反射壁確率偏微分方程式をたとえば非負値スピン場の連続模型のランダムな時間発展を記述する方程式のように考え、その統計力学的性質を論じることが本論文の目的である。特に、Gibbs分布と呼ばれる確率分布と反射壁確率偏微分方程式の解の定常分布との関係について議論する。一般にGibbs分布は、数学的にはDLR方程式と呼ばれる関係を満たす、状態空間全体の上に定義される確率測度として定式化される。それは、ある有限領域影[l,r]の外部における状態がすべてわかったという条件下における条件付確率分布が、[l,r]における定常状態に一致するという測度である。本論文では、C(R,R+)における1つのGibbs分布を定義し、それと反射壁確率偏微分方程式の解の定常分布との関連を議論する。言い換えれば、そのようなGibbs分布に対する動力学的な解釈を与えることが目的である。そのGibbs分布を本要旨では反射壁Gibbs分布と呼ぶ。

 そのような動力学的解釈を与えるためには、反射壁Gibbs分布がC(R,R+)上の測度として与えられることに応じて、C(R,R+)に値を取る時間発展を考察せねばならない。すなわち、NualartやPardouxらによって定式化された反射壁確率偏微分方程式を実数軸R上で考察することが必要である。確率偏微分方程式をR上で考察する場合、たとえ初期値が非常によいものであったとしても、白色雑音の影響が瞬時に無限遠点に到達するため、その影響を制御する必要が生じ、解が存在することすら自明なことではなくなる。本論文の第1章ではσ≡1の場合についてはfがLipschitz連続という条件下で解の存在と一意性を示し、より一般の拡散係数の場合にはLipschitz連続性に加えて増大度に関する適切な条件を与えて解の存在を示している。一般の拡散係数の場合において解の一意性の問題は未解決のままである。

 次の問題は、NualartやPardouxらによって与えられた有限区間[l,r]上の時間発展と第1章で与えられたR上の時間発展との関係を議論することである。とくに、[l,r]がRに収束する場合に、対応する解の収束の問題である。確率偏微分方程式の場合、解の区間が広がることによって、白色雑音の影響は複雑に寄与するため、この収束は全く自明でなくなってしまう。そこで、解全体の法則分布を議論する。すなわち、[l,r]上で考えた確率偏微分方程式の解uはC(R+,C([l,r],R+))上に確率測度を導入するが、この確率測度の収束を問題とする。また、反射壁確率偏微分方程式の解は函数と測度の組(u,η)として与えられているので、方程式の結果を適用するために、ηによって導入される[l,r]×R+上の測度の空間上の確率測度についても同時に議論することが必要となる。

 そこで、反射壁確率偏微分方程式の解を、C:=C(R+,C(R,R+))および適切な可積分条件を満たすR×R+上の正測度の空間Mに対して、W:=CxM上の確率測度として定式化する。ここで、方程式を考えている空間が[l,r]の場合には適切にR上に解を拡張しておく。また、空間が[l,r]およびRのそれぞれの場合について反射壁確率偏微分方程式の解(特に区別するときには強解と呼ぶ)を(ul,r,ηl,r)および(u,η)と記す。W上の確率測度によって定義された反射壁確率偏微分方程式の解を弱解と呼び、空間が[l,r]であるかRであるかに応じてPl,rおよびPと記す。本論文の第2章第3節においてこの弱解をマルティンゲール問題の概念を援用して定義する(Definition 2.3.2)。もちろん、強解は自然に弱解を定める(Proposition 2.3.1)。しかし、実は弱解と強解はある意味で同値であることもわかる(Proposition 2.3.2)。さらに、もし強解が一意であれば弱解も一意であること主張するYamada-Watanabe型定理も示す(Proposition 2.3.3)。

 この結果と本論文第1章の結果により弱解の存在が示されるので、次にPl,rの相対コンパクト性を証明する。もしこの相対コンパクト性が示されると、その極限点はすべて再び弱解であることがわかる。そのために、弱解がある適切な確率空間の上では強解とみなすことができるという結果を援用して、確率偏微分方程式の議論に立ち戻り、その解に対して適切なノルムの意味での有界性を示す。この有界性の議論から、Pl,rは相対コンパクトであることがわかる。M上に分布に関しては、Mを線型空間に拡張すると、ある核型のFrechet空間の双対空間になっている事実が重要である(Lemma 2.4.4)。さらに、Kolmogorovの連続性定理を援用するとC上の測度の相対コンパクト性の問題をul,rに対する正則性の問題として議論することが可能になる(Lemma 2.4.6)。この証明において、反射壁確率偏微分方程式の解uが空間方向に関しては(1/2)-δ程度、時間方向に関しては(1/4)-δ程度のHolder連続性を持つことも同時に証明された(Remark 2.4.3)。一方において、Yamada-Watanabe型定理の主張からσ≡1のときには、(ul,r,ηl,r)の導く分布が(u,η)の導く分布に収束することが示される(Theorem 2.4.2)。

 ここまでの結果によって、反射壁Gibbs分布を動力学的立場から特徴づける目標のうち、動力学の存在および収束に関する点は明らかとなった。そこで、次に反射壁Gibbs分布を定義する。反射のない場合、Gibbs分布はGauss測度を基礎にして適切な変換を行うことで定義される。反射壁のある場合、そのGauss測度を3次元ピン留めBessel過程の導く確率測度に置き換えることで、反射壁Gibbs分布が定義される。この定義の自然さは、すでに修士論文において示された。すなわち、有限体積上においてはそのような測度が反射壁確率偏微分方程式の解に対する可逆確率測度であることが容易に示される(Theorem 2.5.1)。特に、3次元ピン留めBessel過程は、1次元ピン留めBrown運動を正に条件付けたものと同分布であることを注意する。すなわち、反射壁Gibbs分布は、反射のない場合のGibbs分布を正に条件付けたものとみなすことができる。このGibbs分布が反射壁確率偏微分方程式の解uの定常可逆分布となることは、反射壁確率偏微分方程式の解が定める分布が収束することからから直ちに示される(Theorem 2.5.3)。さらに、もしポテンシャルが真に凸であった場合、再び確率偏微分方程式に戻ってエネルギー不等式(Proposition 2.5.4)を導くことでそのような可逆分布は一意でなければならないことが示される(Theorem 2.5.5)。以上をまとめることで本論文の主定理が導かれる。

定理 反射壁Gibbs分布は、反射壁確率偏微分方程式の解の定常可逆分布である。さらに、ポテンシャルが真に凸である場合には定常可逆分布はGibbs分布であり、共に一意である。

審査要旨 要旨を表示する

 反応拡散方程式に白色雑音によるランダムな揺動項を付け加えて得られる確率偏微分方程式は、統計力学、場の量子論、集団遺伝学、工学、経済学など様々な分野において現れ、これまでに数多くの研究がなされてきた。特に原点に剛体壁を置けば、解が常に非負の値をとるように制限することができる。そのような確率偏微分方程式は、NualartとPardouxによって導入された。これは有限次元のSkorokhod型反射壁確率微分方程式の無限次元への拡張であり、確率反応拡散方程式に原点における局所時間に相当する項を付け加えて得られる方程式である。あるいは、特異なポテンシャルから定まるドリフト項を付け加えたと言ってもよい。その後、PardouxとDonati-Martinは一般の拡散係数をもつ場合へと研究を進め、解の存在と一意性に関する基礎理論が確立された。ただし、拡散係数が一般のときの解の一意性は現在に至るまで未解決である。

 これらの研究において考察の対象になったのは、両端でDirichlet境界条件をもつ1次元の有界区間上の反射壁確率偏微分方程式である。統計力学や場の量子論に関係する諸問題においては、無限体積、つまりR上でこのような方程式を考察することが望まれる。このような問題意識に基づいて、論文提出者乙部は、まずPardouxらの結果をR上の反射壁確率偏微分方程式に拡張し、解の存在と一意性に関する結果を得た。無限領域だから遠くからの白色雑音の影響を制御する必要があり、適当な関数空間を設定して議論している。さらに、この方程式の平衡状態を調べるという新たな方向に研究を進め、拡散係数が定数の場合に連続場のGibbs測度との関係を明らかにした。

 Gibbs測度はDLR方程式とよばれる関係式によって特徴付けられる。すなわち、各有界区間の外部の状態がわかったという条件の下で、この区間の内部における条件付き確率を規定する関係式である。反射壁確率偏微分方程式の解は常に非負だから、Gibbs測度もR上の非負連続関数のクラスの上の確率測度になる。このようなGibbs測度のことを論文提出者乙部は反射壁Gibbs測度とよび、それが反射壁確率偏微分方程式の可逆測度であることを証明している。そのためにまず、有界区間における条件付き確率に相当する有限Gibbs測度が、有界区間上の反射壁確率偏微分方程式の可逆測度であることを示す必要がある。しかしこのことは、既に論文提出者の修士論文において示されている。また、その後全く同じ結果がZambottiによって異なる手法を用いて示されたが、乙部の方法の方が簡明であることを注意しておきたい。

 次の段階は、有界区間を無限領域R全体に広げる極限操作を実行することである。そのために乙部は、反射壁確率偏微分方程式の弱解、あるいは同じことだが対応するマルチンゲール問題の解の収束を証明した。極限のR上の方程式の弱解の一意性が必要になるが、有限次元の確率微分方程式に対する山田と渡辺の結果を拡張することにより示された。特にポテンシャルが真に凸の場合には、エネルギー不等式の手法を援用して反射壁確率偏微分方程式の定常確率測度の一意性を2次モーメントが存在するクラスにおいて示し、したがって可逆測度も一意的であることがわかった。このようにして、凸ポテンシャルに対して反射壁確率偏微分方程式の可逆測度と反射壁Gibbs測度が完全に一致することを示したのである。

 今後は、例えばDirichlet形式理論に基づく時間発展の構成との比較、反射壁確率偏微分方程式の系、つまり値が多次元である場合の研究などへと展開していくことが期待される。

 よって、論文提出者乙部厳己は博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

UTokyo Repositoryリンク