学位論文要旨



No 116513
著者(漢字) 沈,維孝
著者(英字) Shen,Weixiao
著者(カナ) チン,イコウ
標題(和) 区間多峰写像の計量的性質と公理Aの稠密性について
標題(洋) On the Metric Property of Multimodal Intervals Maps and Density of Axiom A
報告番号 116513
報告番号 甲16513
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第184号
研究科 数理科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坪井,俊
 東京大学 教授 落合,卓四郎
 東京大学 教授 古田,幹雄
 東京大学 助教授 大鹿,健一
 東京大学 助教授 林,修平
 広島大学 教授 宍倉,光広
内容要旨 要旨を表示する

 コンパクト多様体Mからそれ自身への写像fが与えられたとき、z∈Mに対して、その軌道{fn(z)n=0∞の性質を調べることは(離散)力学系理論の課題である。多くの自然現象を力学系で表せることは昔から知られている。

 一次元力学系では区間(或は円周)写像を考える。区間に高次元多様体にない順序関係、affine構造などが入ってるおかげで、色々な道具を用いることは可能である。一方、これらの写像は研究に十分値する豊富な力学系をもっている。高次元力学系のいくつかの面白い例が一次元力学系に帰着できることも知られている。

 1980年代から、Sullivanは複素解析的手法を実一次元写像の繰り込み理論に用いた。それ以来、複素解析的手法は一次元力学系、特に単峰写像の場合に重要な進展をもたらした。

 本論文では、区間写像の力学系において次の問題を考える。

 予想1 すべての自然数rに対して、すべての写像f∈Cr([0,1],[0,1])は公理Aを満たすCr写像によってCr位相で近似できる。

 ここで、C1写像f:[0,1]→[0,1]が公理Aを満たすとは、次の二つを条件を満たすことである。

 (A1) fのすべての周期点は双曲的である;

 (A2) B(f)をfのすべての吸引的周期点の吸引領域とすると、Ω=[0,1]-B(f)は双曲的になる。すなわち、ある定数C>0とλ>1があって、すべてのx∈Ωと自然数nに対して、次が成り立つ:

 この予想は一次元力学系において最も重要な問題のひとつである。この予想が正しければ、位相幾何学的意味での「ほとんとすべて」の力学系の特徴づけが得られる。さらに、この予想が正しければ、〓のとき、Cr-構造安定な力学系はCr([0,1],[0,1])の中で稠密であることも分かる。

 r=1のとき、この予想はJakobsonにより純粋に実の手法で示された。最近、BlokhとMisi-urewiczはr=2の場合を考えて、予想1より弱い結果を得た。彼らは次の性質をもつ写像fがC2([0,1],[0,1])の中で稠密であることを示した:fの各分岐点cは吸引的周期点の吸引領域に入るか、またはその極限集合w(c)は極小集合である。しかし〓のとき、純粋に実の手法では予想0を解くのは極めて困難なようである。

 実際、この予想を解くことは最近の複素力学系の研究の主な目標のひとつになっている。複素力学系の手法を用いて、Graczyk,Swiatek,Lyubichらは公理Aが実二次多項式の族の中で稠密であることを示した。その後、彼らの結果及びLevinとvan Strienのある定理を用いて、Kozlovskiはすべての自然数rに対してfが単峰写像のとき上の予想を解決した。

 本論文では上の予想をr=2とすべてのf∈02([0,1],[0,1])に対して証明する。主結果は

 主定理 公理AはC2([O,1],[O,1])の中で開かつ稠密である。従って、C2-構造安定な写像はこの空間の中で開かつ稠密である。

 この証明の過程で以下に述べるような定理1-6も得た。主定理の証明の方針を述べる前に、いくつかの定義の準備をする。

 区間写像の空間:いくつかの区間写像の空間を定義する。Nを[O,1]からそれ自身へのC3写像で次を満たすものの全体とする:

 1)f({0,1})⊂{0,1};

 2)fの各分岐点cが(0,1)にあり、その点のある近傍Uで、

f(x)=ac(x-c)2+f(c)

が成り立つ。ただし、αcは0でない定数である。

 すべての自然数n,に対して、gnwを次の条件を満たす写像

の全体とする:

 (C1)Ii(〓)は互いに交わらない開区間で、Jj(0〓j〓m)はf1に含まれる互いに交わらない開区間である;

 (C2)各〓に対して、ある〓があって、f:Ji→Ilは実解析微分同相である;

 (C3)各U∈{J0,I2,I3,…,In}に対して、ある〓があって、f|Uはx→φ((x-cU)2)という形に書ける。ここで、cUはUの中点であり、φ=φUはIkの上への実解析微分同相写像である;

 (C4)fの各分岐点cと各自然数Kに対して、fk(c)はfの定義域に入る、さらにw(c)はfのすべての分岐点を含む極小集合である;

 (C5)fのすべての周期点は反発的である。

 (1)のようなfに対して、集合Ui=1nをその写像のrangeと呼ぶ。Nに属する写像fのrangeを[0,1]とする。f∈N∪(Un=1∞gnw)をひとつ取って固定しよう。そのrangeに含まれる開集合fがniceとは、1のすべての境界点xとすべての自然数Kに対して、fk(x)が定義できる限り、〓が成り立つことである。fのすべての再帰的分岐点cに対して、その点を含む任意に小さいniceな開区間が存在する。適当なniceな開集合へのfirst return mapを調べて、もとの写像fの性質を理解する手法はいわゆる“繰り込み理論”で、最近の一次元力学系の研究で良く使われる。

 われわれはある種の特別なfirst return mapに注目する。niceな開集合Tが与えられたとき、Tに戻る点の集合をDTと書く。任意なx∈DTに対して、DTのxを含む連結成分をLx(T)と書く。cをfの再帰的な分岐点とし、それを含む十分小さいniceな開区間をIとする。[c]をw(c')=w(c)∋c,c'となるようなfの分岐点の集合とし、Vを[c]と交わるI∪DIの連結成分の和集合とする。Vがniceになることに注意しよう。UをDVのcのforward orbitと交わるような連結成分の和集合とする。われわれはfirst return map BI:U∩V→Vに注目し、この写像のことをIに付随する「real box mapping」と呼ぶことにする。

 主定理の証明は四つのステップに分かれる:実力学系の解析;適当なfirst return mapのpolynomial-like拡張;実多項式の複素反復;摂動。

 ステップ1、実力学系の解析。

 以下、cをfの再帰的な分岐点とする。cを含むniceな開区間IはC-niceとは、すべてのfn(c)∈Iとなるような自然数nに対して、Lfn(c)(I)はIにコンパクトに含まれて、I-Lfn(c)(I)の各連結成分の長さはC|Lfn(c)(I)|以上である。fはがcでlarge boundを持つとは、任意定数C>0に対して、cを含むC-niceな開区間が存在するすることである。fはcでessentially bounded geometryをもつとは、ある定数C>Oがあって、cを含み、cに関して対称なniceな開区間Iについて、〓が常に成り立つことである。

 定理1 (実アプリオリ評価)w(c)が極小集合であると仮定する。ある定数C>0があって、cを含む任意に小さい開区間Iで(1+C)I-Iがw(c)と交わらないものが存在する。

 定理2 fはcでlarge boundを持つか、またはessentially bounded geometryをもつ。

 定理3 w(c)が極小集合でなければ、fはcでlarge boundを持つ。

 さらに、fがessentially bounded geometryを持つ場合、その幾何学性質をもっと詳しく分析する。その幾何的構造の有界性はsaddle node typeのlong central cascadeが存在するときのみ崩れることも分かる。これらの分析から、次の結果が得られる。

 定理4 (剛性)f,f∈gn3はそれぞれessentially bounded geometryをもち、組合せ的同値であると仮定する。このとき、fとfの分岐点の軌道の間に擬対称共役が存在する。

 予想として、上の定理は「essentially bounded geometryを持つ」という条件がなくても成り立つ。この予想を剛性予想と呼ぶことにしよう。恐らく、剛性予想を示せれぱ、予想1も示せるであろう。n=1のとき、剛性予想が正しいことはGraczyk,Swiatek,Lyubichらにより示された。これは最近の一次元力学系の研究でもっとも重要な結果のひとつであり、予想1の単峰写像の場合における解決の中でも重要な位置を占めている。

 ステップ2、Polynomial-like拡張。

 定理5 (Polynomial-like拡張)f∈Un=1∞gnwとし、cをその分岐点とする。任意のε>0に対し、cを含み、cに関して対称なniceな開区間Iがあって、次の条件を満たす:

 1) その長さがε以下であり、

 2) Iに付随するreal box mappingは実軸に関して対称な(複素解析的)polynomial-like boxmappingに拡張できる。

 ここで、polynomial-like box mappingとは次の条件を満たす複素解析的写像F:(Ui=0rUj)∪(Ui=2nVi)→Ui=1nViである:各Viは互いに交わらない単連結領域であり、各UjはV1にコンパクトに含まれる互いに交わらない単連結領域であり、Fの定義域の各連結成分に制限したものはあるViの上へのbranched coveringであり、F|U0とF|Uj(〓)のdegreeが2で、F|Uj(〓)は同相写像である。

 この定理はステップ1で得られた結果とLyubich-Yampolskyの方法を用いて示された。この定理はf∈gnwの力学系の研究を多項式の力学系の研究に帰着させる。事前に期待されたように、この定理を示すとともに、複素アプリオリ評価の存在も証明された。

 ステップ3、実多項式の複素反復。

 定理6 (Julia集合にサポートをもつ擬等角変形の非存在)fを実多項式とし、その分岐点はすべて実軸にあって、orderが偶数と仮定する。fはJulia集合上にinvariant line fieldをもたない。

 ここで、fのJulia集合はfの双曲的反発周期点の集合の閉包である。Invariant line fieldとは、fで不変な可測的Beltrami微分である。定理3の主張は言い替えれば、fで不変な可測的Beltrami微分はJulia集合の(Lebesgue測度について)ほとんと至る所で0であることを意味する。

 本論文で与えた証明はを複素アプリオリ評価用いる。実は、この定理を示すために、その評価は必ずしも必要でない。実アプリオリ評価のみを用いて、この定理を示すことも可能である。

 ステップ4、摂動。

 主定理を示すために、f∈Nをひとつ固定して、それが再帰的な分岐点cをもつならば、C2-構造安定にならないことを示せばよい。もしfはcでlarge boundをもつなら、BlokhとMisiurewiczの手法(実の手法)によってこの主張を示すことが容易である。もしfはcでessentially boundedgeometryをもつならば、複素の手法(定理1、2、3)を用いて、fのいくらでも近くに、fと同じ分岐点をもつ写像hが存在し、hがcを再帰的な分岐点として持ち、その点でlarge boundをもつことが示される。再び、実の手法を用いれば、主張の証明はできる。

審査要旨 要旨を表示する

 論文提出者,沈維孝は,実1次元力学系に関し,双曲幾何学や擬等角写像論,くりこみ理論を用いた研究を行い,C2位相に関する公理A系の稠密性を示した.

 力学系の研究はNewton以来の長い歴史をもつが,1970年代以降の研究で明らかになってきたことは,比較的単純な力学系でさえ,非常に複雑で予測不可能な軌道を生み出し,また力学系を変化させたときに錯綜した分岐現象を引き起こすことである.その典型例は2次多項式fa:x〓ax(1-x)で定義される実1次元力学系で,この族はパラメータaを変えるとともに,ほとんどの軌道が吸引的周期点に収束するものから完全にランダムなよう動きをするものまで,多種多様な力学系的現象が起こり,それらがパラメータ空間の中で非常に入り組んだ構造をもっていることが知られている.

 実1次元力学系は,非自明な性質を持つ最も簡単な力学系であり,それらについて詳しく理解することは,より高次元の力学系を研究する際に,それらを記述し,理解していくための枠組みを与えてくれると期待される.それだけでなく,無限次元を含む高次元の(特に散逸的な)力学系は,しばしば中心多様体や慣性多様体により,比較的次元の低い力学系の研究に帰着されることがあり,1次元での精密な研究がそのまま高次元での結論を導くこともある.

 実1次元の「カオス的」力学系の研究は,Sarkovskiiによる周期性の間の順序関係の発見やLi-Yorkeの「カオス」の概念により本格的に始まり,Milnor-Thurstonのkneading theoryにより,位相的側面がかなり解明された.測度論的,エルゴード理論的側面については,Lebesgue測度について絶対連続な測度をもちそれについて強い混合性をもつ場合の研究も行われ,さらにJacobsonによって,絶対連続な測度をもつパラメータaの集合が正のLebesgue測度をもつという画期的な結果も得られた.また,同時に周期倍分岐の普遍性に関するFeigenbaum,Coullet-Tresserによるくりこみ理論とLanfordらによるそのcomputer assisted proofもあった.一つの大きな転機として,Sullivanらが,くりこみの普遍性を複素解析的手法を用いて,computerを使わず,証明のメカニズムを数学として,理解できる形で与えることを提案した.これ以降,実1次元力学系の研究は複素力学系の理論と密接に結びついて,発展していくことになった.その後,Yocoozのくりこみ不可能なジュリア集合に関する結果や,McMullenの不変直線場の非存在に関する研究を経て,Lyubich,Graczyk-Swiatekらによって,2次多項式族の中の公理Aをみたす力学系の稠密性が示された.公理Aをみたす実1次元力学系では,ほとんどの軌道は吸引的軌道に収束し,様々な面で最も理解しやすい力学系のクラスとなっている.Lyubich,Graczyk-Swiatek方法を応用して,Kozlovskiはなめらかな単峰写像(単項区間が二つだけで位相的には2次多項式と同様な写像)の空間の中でも公理Aをみたす力学系が稠密であることを示した.

 しかしながら,この方法は単峰でない1次元力学系に対しては,全く適用できなかった.それは,もとをたどれば,Yocoozの理論の中で,特異点の次数が2次かそれ以上かによって,そのまわりの力学系的構造(例えば不動点の逆像の集積具合)が劇的に変化するからであった,したがって単峰であっても特異点の次数を2次以上に固定されたときには,Yocooz,Lyubich,Graczyk-Swiatek,Kozlovskiの方法は通用しなくなるのであった.

 論文提出者,沈維孝は,単峰でない1次元力学系の研究の突破口として,公理Aをみたす力学系の稠密性の問題に着目し,それをC2位相に関して肯定的に解決した.すなわち,次の主結果である.

主定理.公理Aをみたす力学系はC2級1次元力学系の中で(C2位相に関して)稠密である.

 彼は,その証明の過程で以下に述べる数々の興味深い結果も得ている.

 その証明の方針であるが,これまでに1次元力学系の研究で蓄積された様々な方法論を駆使し,それにさらにオリジナルなアイデアを付け加えている.最初のステップでは,Sullivanやvan Strien-de Meloらによって開発された,区間上のポアンカレ距離の評価を用いる.(Koebe評価とも呼ばれる.)これを用いて,特異点のまわりのくりこみ(高次の反復合成から導かれる新たな力学系)について,ある種の幾何学的なスケーリングの評価を与えた.この時点ですでに,複数ある特異点をうまく整理して,本質的に重要な状況は,大きく二つ(large boundをもつ場合と,essentially bounded geometryをもつ場合)に分けられることを示した.large bound.をもつ場合には,純粋に実の方法で,C2摂動を構成する.(この構成はMisiurewizらも同様のことをやっている.)

 したがって,本質的に新しいのは,essentally bounded geometryをもつ場合である.この場合はまず複素解析的拡張ができるとして議論を始めてよく,このような写像で同じ組み合わせ型をもつものが二つあるとき,Sullivanらによって始められた方法により,まず擬対称共役を(もとの区間を含む)実軸上で構成できる.擬対称性によりそれは複素平面の擬等角写像に拡張でき,さらに「pull-back argument」という方法で,擬等角な共役にまでとることができる.もしここで,ジュリア集合上にサポートをもつ擬等角変形があるとすれば,何も矛盾はなく,公理Aをみたさせるような摂動の存在は保証できない.

 論文提出者はここで,巧妙にとった,閉曲線のいくつかとその逆像を組み合わせることにより,この仮想的擬等角変形のサポート自体がある種の良い拡大的再帰点の列をもち,そこから(ルベーグの密度定理を用いて)擬等角変形をあたえる不変直線場は非常になめらかになることを示し,そこから矛盾を導いた.(この手法が,この学位論文の中でも最も独創的な部分である.)

 いったん不変直線場の非存在が示されると,それをうまく構成した摂動の族に対して適用することにより,組み合わせ型を変えるような摂動が存在することを示した.これは,あくまでもくりこみ後の力学系に関するものであるが,これをもとの力学系まで翻訳すれば,勝手な1次元力学系に対し組み合わせ型を変えるような摂動が存在し,Milnor-Thurstonのkneading theoryによれば,組み合わせ型の列に対して「中間値の定理」を適用できて,公理Aをみたす摂動をえる.

 論文提出者は,Koebeの評価や擬等角写像など,様々なテクニックを使いこなし,1次元力学系の重要な問題の一つを解決した.その結果のみならず,不変直線場の非存在で用いた方法は,今後他の問題の考察においても重要であると思われる.今後も彼の力学系の分野における活躍が期待される.

 よって論文提出者、沈維孝は、博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

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