学位論文要旨



No 117444
著者(漢字) 高橋,淳也
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ジュンヤ
標題(和) リーマン多様体の崩壊とp−形式のラプラシアンの固有値
標題(洋) Collapsing of Riemannian manifolds and the eigenvalues of the Laplacian on p-forms
報告番号 117444
報告番号 甲17444
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第188号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 今野,宏
 東京大学 教授 落合,卓四郎
 東京大学 教授 野口,潤次郎
 東京大学 教授 河野,俊丈
 東京大学 教授 古田,幹雄
 東京大学 助教授 吉川,謙一
内容要旨 要旨を表示する

 コンパクトRiemann多様体の幾何とその上の関数に作用するLaplacianの固有値との関係は良く知られている.例えば,正の第1固有値はRicci曲率の下限と直径の上限を用いて下から評価できる.ところが,微分形式に作用するLaplacianの固有値において同様の問題を考えた場合,もはやこれらの幾何学的量では評価できない.これは,微分形式の固有値が,関数の場合とは異なる幾何学的情報を含んでいることを意味する.しかし,その詳細は不明である.

 一方,さらに単射半径の下限を用いると,AndersonとCheeger(1992)によるコンパクト性定理から,微分形式の正の固有値は下から評価できる(Lott(1999)).しかし,この評価は微分形式の次数pに依らない一様な評価のため,各次数pの幾何学的情報を反映した形ではない.従って,ベストな評価ではない.そこで,単射半径の条件を外した族,すなわち,崩壊におけるp−形式の固有値の振る舞いを調べることが重要であると考えられる.

 関数に作用するLaplacianの固有値の場合は,CheegerとColding(2000)によって,Ricci曲率が下に有界で直径が上に有界なRiemann多様体の列が測度付きGromov-Hausdorff収束すると,対応するLaplacianの固有値も収束することが証明された.一方,微分形式に作用するLaplacianの場合は,固有値の振る舞いは関数の場合ほど良く分かっていない.状況はより複雑である.最近,Lott(1999)は,断面曲率が上下一様に有界で固定された直径の崩壊における微分形式に対する固有値の収束定理を証明した.

 そこで,我々は断面曲率が下にのみ有界な族における崩壊と微分形式の固有値の収束問題に興味がある.しかし,一般的状況でこれを調べるのは難しいように思われる.そこで,我々は大きい固有値と小さい固有値という2つの興味深い現象を調べることにした.ここで,大きい固有値とは,断面曲率が下に有界で直径が有界な崩壊において,∞へ発散する固有値のこと,また,小さい固有値とは0へ収束する(正の)固有値のことである.大きい固有値の研究はLott(1999)により,また,小さい固有値の研究はColboisとCourtois(1990)によって始められた.もちろん,関数の固有値の場合には,大きい固有値,小さい固有値ともに存在しない.

 さて,(M, g)をm次元の連結,向き付けられた,閉Riemann多様体とし,λ(p)k(M,g)で(M,g)上のp−形式に作用するLaplacianの正の(重複度込みで数えた)第k番目の固有値を表わす.

 まず,第2章では,大きい固有値に関する研究を行う.断面曲率が有界の場合にはLott(1999)によってその性質が調べられているため,我々は断面曲率の有界性が無い場合を調べる.その特別な場合として,Riemannian submersionの標準的な崩壊を扱った.π:(Mm, g)→(Nn, h)を連結,向き付けられた,閉Riemann多様体(Mm, g)と(Nn, h)の間のRiemannian submersionとする.ここで,次元はそれぞれm〓2とn〓1とし,fiber Fの次元をr=m−nと置く.この時,Riemannian submersionの標準的な崩壊(M, gε)→(Nn, h)は,gVとgHをそれぞれ,gの垂直と水平成分としたとき,〓で与えられる.この時,Forman(1995)の結果を用いると次が分かる.

定理1.上のRiemannian submersionの標準的な崩壊において,次は同値である:

(1)〓;

(2)ある〓に対して,〓

(3)n<p<rかつ,〓であるすべてのqに対して,Hq(F;R)=0.

 第3章では,小さい固有値の研究の第一歩として,具体的な崩壊の例,すなわち,偶数次元球面の崩壊の場合について調べた.連結コンパクトLie群Gが閉Riemann多様体(M, g)に効果的かつ等長的に作用しているとする.この時,Yamaguchi(1991)によって,M上に計量の族gεで,(M, gε)が(M, g)/Gへ曲率の下への有界性を保ちながら崩壊するものが構成出来る.我々の場合,G:=S1, (M, g):=S2n(1)と取る.S2n(1)へのS1−作用は,大球に平行な小球S2n-1にHopf fibrationとしての作用を考える.この時,Yamaguchiの構成法から,我々は(S2n,gε)のCPn-1のspherical suspensionへの崩壊を得る.(S2n,gε)の断面曲率は上に有界ではなく,また,極限空間は特異点を持つ空間で多様体ではないことに注意しよう.この崩壊に対して次の小さい固有値の存在が分かった.

定理2.2n次元球面S2n(n〓2)上に,断面曲率Kgε〓κかつ直径diam(S2n, gε)〓dとなる,ある計量の族{gε}ε>0が存在して,pがnかつ奇数の場合を除くすべての1〓p〓2n−1に対して,

を満たす.ここに,Cはεに依らない正の定数である.

 pがnかつ奇数の場合は,固有値が0に収束するかどうかは不明である.さらに,この4元数版についても同様の結果を得た.すなわち,G:=S3が(M, g):=S4l(1)に,各小球S4l-1にHopf S3-fibrationとしての作用を考えると,(S4l, gε)のHPl-1のspherical suspensionへの崩壊を得る.この崩壊に対して小さい固有値の存在が言える.

 また,小さい固有値の存在は,微分形式におけるCheegerの不等式の類似の反例を与える.さらに,この結果は第6章で用いられる.

 第4章では,曲率の有界性が保存されないある崩壊における関数の固有値の振る舞いを研究した.具体的には,同じ次元m〓2の2つの多様体(Mi, gi), i=1,2,の連結和を取り,その一方(M2, g2)を一様に1点に潰す崩壊である(崩壊の正確な記述は省略する).この連結和の崩壊を(M, gε)と書く.曲率の下への有界性が保たれないと,一般に極限空間の存在が言えず,固有値の収束も成立しない.しかし,ChavelとFeldmanのハンドルの崩壊やAnneの鉄亜鈴の崩壊のような特別な場合には,固有値の収束が成立する.我々は曲率の有界性を外すという観点の他に,第6章で必要な固有値の貼り付け定理の確立という観点からもこの連結和の崩壊を研究した.AnneとColboisによる方法(1987,1995)を用いて次を示した.

定理3.すべてのk=0,1,...,に対して,以下の固有値の収束が成立する.

 なお,微分形式の場合は,固有値の上からの評価は得ることができた.これは,第6章で証明する.

 第5,6章では,閉Riemann多様体(M, g)上の固有値〓の差に,どのような幾何学的性質が反映しているか,というテーマで研究を行った.最初に,任意の閉多様体Mに〓と〓の差がある計量gを許容するかどうかについて考察した.まず,p=1の場合を行った.この時,Δとdの可換性から,常に〓が成立する.

定理4.Mmを任意のm〓3次元,連結,向き付けられた閉多様体とする.このとき,M上に2種類の計量gi(i=1,2)が存在して,

を満たす.

 第5章ではMの1次のBetti数が消えているという仮定の下で証明しているが,第6章では,この仮定無しで証明できた.次に,一般のp〓2の場合は,λ(p)1>λ(0)1という関係式も成立しうることに注意しよう.

定理5.Mmを任意のm〓4次元,連結,向き付けられた閉多様体とする.このとき,M上に3種類の計量gi(i=1,2,3)が存在して,pが〓かつ奇数の時を除くすべての2〓p〓m−2に対して,

を満たす.

 最後に,Riemann多様体に制限を課した際の,〓の差について考察した.始めに,Ricci曲率が正のEinstein多様体の場合は,〓が成立すれば,恒等写像が調和写像の意味で弱安定となることが分かった.しかし,一般のRiemann多様体ではもはやこれは成立しない.他方,(M, g)が0でない平行なp−形式を持つ場合には,〓の成立が分かった.

審査要旨 要旨を表示する

 リーマン多様体の上で定義された関数の空間に、ラプラシアンとよばれる2階の楕円型微分作用素が作用する。ラプラシアンの固有値がリーマン多様体のどのような幾何的性質を反映するか、ということは微分幾何学の基本的な問題のひとつで、現在ではいろいろなことが明らかにされている。一方、関数空間のみならず、微分形式の空間に作用するラプラシアンも定義され、この固有値もリーマン多様体のさまざまな幾何的性質を反映していることが期待される。けれども、関数の場合と異なる難しさがあるため、その性質は現在まであまり知られていない。そこで論文提出者高橋淳也は微分形式に対するラプラシアンの固有値の研究を行った。

 微分形式に対するラプラシアンの研究の困難さを示すひとつの事実として、次のことがある。コンパクトな距離空間全体にはグロモフ−ハウスドルフ距離が定まるが、この距離の定める位相に関して、直径が上から、リッチ曲率が下から一様におさえられた次元が一定のコンパクトリーマン多様体の族はプレコンパクトになることが知られている。したがって、多くの幾何学的な量は直径の上限とリッチ曲率の下限で評価される。関数に対するラプラシアンの固有値に対してはこのタイプの評価式が成立する。ところが、微分形式に対するラプラシアンの固有値に対してはこのタイプの評価式が成立しない。すなわち、直径を上から、リッチ曲率を下から制限しても、微分形式に対するラプラシアンの固有値はいくらでも大きくなり得るし、またいくらでも0に近づき得る。そこで、論文提出者はこれらの微分形式に対するラプラシアンの固有値の特徴的な現象の研究を行った。

 リーマン沈めこみが与えられたとき、ファイバーの大きさを小さくしてゆく、というリーマン計量の族は、直径は上から、リッチ曲率は下から制限した範囲での変形である。これはリーマン多様体の列が、グロモフーハウスドルフ距離の定める位相に関して次元の低い空間に収束する、いわゆる崩壊という現象の典型的な状況であるが、論文提出者は、この状況において、微分形式に対するラプラシアンの第k番目の固有値はいくらでも大きくなり得る、という現象が生じるための必要十分条件を、位相的な言葉で与えた。これはFormanによる議論のひとつの応用である。

 一方、同じ状況のもとで、微分形式に対するラプラシアンの第k番目の固有値は0に収束する、という現象も生じうることが容易にわかる。論文提出者は、この現象をもっと一般の状況に拡張することを試みた。すなわち、リーマン多様体が特異点を持った空間に崩壊してゆくときの微分形式に対するラプラシアンの固有値の挙動を研究した。これに関しては一般論の建設にはいたらず、具体的な場合に関する解析を行うにとどまったが、論文提出者の結果は、0に収束する微分形式に対するラプラシアンの固有値と、リーマン多様体が崩壊してゆく特異点を持った空間のL2コホモロジーとの関係を示唆しており、大きな理論に発展してゆくことが期待される。

 さらに論文提出者は、以上の結果の応用として、n次元コンパクトリーマン多様体において、関数に対するラプラシアンの第1番目の固有値とp次微分形式に対するラプラシアンの第1番目の固有値の大小関係について考察した。pが2以上n-2以下のとき、いずれの固有値も他方の固有値より大きくなることがあり、そのような性質を持つリーマン計量を実際に構成した。この結果を示すために、リーマン多様体を張り合わせたときの固有値の挙動を調べたが、この議論は解析的にも興味深い。さらにある特別な場合に、上記の固有値の大小関係と、恒等写像の安定性との関係を調べた。この結果は、微分形式に対するラプラシアンの固有値とリーマン多様体の幾何的性質を結び付けたものとして大変興味深い。

 以上より、論文提出者は、微分形式に対するラプラシアンの固有値という、詳しくその性質が知られていない未開拓な分野において、その特徴的な現象を抽出して記述し、その現象が生じる理由を調べた。まだ狭いクラス、あるいは特別な例にとどまっている部分も多いが、この研究は、将来大きく発展すると期待される理論の基礎となる、と考えられる。よって、論文提出者高橋淳也は、博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

UTokyo Repositoryリンク