学位論文要旨



No 117447
著者(漢字) 大下,承民
著者(英字)
著者(カナ) オオシタ,ヨシヒト
標題(和) 反応拡散系に現れる安定な微細構造パターン
標題(洋) Stable Stationary Patterns with Fine Structures Arising in Reaction-Diffusion Systems
報告番号 117447
報告番号 甲17447
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第191号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 俣野,博
 東京大学 教授 舟木,直久
 東京大学 教授 山田,道夫
 東京大学 教授 片岡,清臣
 東京大学 助教授 Weiss,Georg
 東京大学 助教授 山本,昌宏
内容要旨 要旨を表示する

本論文では,FitzHugh-Nagumoタイプの非線形性をもつ活性化因子・抑制化因子から成る反応拡散系を高次元の有界領域と全空間の両方で考察する.このシステムは2つの独立な変数υとνをもつ.ここで,υは活性化因子の濃度を表わし,νはυの抑制化因子として働く.

 本論文では,方程式

の,抑制化因子の作用によって生じる,複雑な構造をもつ定常パターンについて,3つのパラメータスケーリングで考察する.ここで,Ω⊂Rnは滑らかな有界領域または全空間,∂/∂νは境界上の外向き法線微分,〓はラプラシアン,γ,τは正の定数,D1,D2,κは正のパラメーターである.fは,いわゆる双安定型の非線形項である.

 方程式(1)は,D1/D2が小さいとき,次のような「相分離パターン」が現れることが多い.すなわち,領域内に,それぞれの領域でυがほぼ定数となっているような異なる2つの状態(相)と,その2つの相を結ぶ薄い層(遷移層)をもったパターンである.D1→0の極限では,遷移層の幅は0に近づき,一般に「界面」と呼ばれる領域内部の不連続面が生じる.これについては,類似の方程式で多くの研究もある.しかしながら,いわゆる接合漸近展開法では,内部遷移層が,有限の面積をもつある滑らかな界面(超曲面)に近づいていく場合しか考えられなかった.著者は,変分法を応用することで,振動の激しさが増していく複雑な構造をもった相分離パターンを見出すのに成功した.

 FitzHugh-Nagumo方程式は,最初,生理学における神経パルスの生成と伝導のモデルであるHodgkin-Huxleyシステムの簡略化された方程式として導入された.高次元での問題は,短期メモリーの神経ネットワークや心臓筋肉の神経細胞の問題に現れる.その後,拡張されたFitzHugh-Nagumo方程式が生物学のパターン形成の数理モデルとして提案された.例えば,抑制化因子の「側方抑制」がプランクトン分布のパターン形成に重要な役割を果たしていることが,示唆されている.本論文の活性化因子・抑制化因子のシステムは,Belousov-Zhabotinskiiモデルとも呼ばれ,化学反応の分野でも研究されている.

 本論文では,以下の3つの異なるパラメータスケーリングを考察した.

 (i)D1=O(ε2),ε→0,および固定したκ,D2.

 (ii)D1=O(ε2),κ=O(ε),ε→0,および固定したD2

 (iii)D1=O(ε2),κ=O(ε),ε→0,およびD2→∞

〓(υ)が,典型的な非線形関数〓(υ)=υ(1-υ)(υ-a),0<a〓1/2のとき,(i)では,〓〓(ν)dν>0,つまり0<a<1/2,(ii)および(iii)では,〓〓(ν)dν=0,つまりa=1/2を仮定する.また,liminf〓>0を満たすとする.〓が,〓(υ)=υ(1-υ)(υ-a),0<a〓1/2のとき,(υ,ν)=(0,0)はパラメーターの値にかかわらず,安定な定常解である.γ/κが小さいとき,問題(1)は(υ,ν)=(0,0)以外に定数定常解をもたない(単安定)が,γ/κが大きい場合,(1)は3つの定数定常解をもち,その内2つは安定で,1つは不安定である(双安定).本論文は,(i)のスケーリングにおいては,双安定なケースを完全には排除しないでかつ単安定な場合を含むパラメータ範囲を仮定する.(スケーリング(ii)および(iii)は,必然的に双安定なケースに対応する.)

 高次元では,(i)のスケーリングにおいて,滑らかな超曲面に近づく内部遷移層をもった解は,不安定であることが知られている.(1次元では,状況が異なり,有限個の点に近づく内部遷移層をもつ安定な定常解が存在する.)

 本論文第I部では,(i)のスケーリングで,高次元において非定数安定定常解を構成し,遷移層の厚さが0に近づく極限での解の生成するYoung測度を調べることにより,我々の解は,遷移層の厚さεより大きく,領域サイズよりはずっと小さい中間スケールで振動し,その全変動は,無限大に発散することを示した.特に,我々の解の界面はどんな滑らかな(n-1)次元の曲面にも収束しない.さらに,解υ=υεのパターンは1点凝縮を起こすわけでもない.

 本論文第II部では,(ii)および(iii)のスケーリングで,相分離パターンへ収束する安定な定常解を構成し,内部遷移層の位置を決定する幾何学的変分問題を考察した.

 定理(本論文第I部Theorem 1.1,2.1および第II部Theorem A)

 Ωは有界とする.(i)-(iii)のそれぞれの極限において,問題(1)-(2)は非定数定常解(υε,νε)をもち,もしさらに,τκ<γ2が成り立てば,安定である.また,以下が成り立つ.

 (1).(i)のスケーリングで,υεはL1で収束部分列をもたない.特に,全変動はε→0のとき発散する.(典型的には,全変動は,界面の面積の定数倍で近似できる.)また,υεは,ε→0のとき,Young測度μ=(μx)x∈Ωを生成する.ここで,ある定数α≠βとθ∈(0,1)に対して,ほとんどいたるところ,

μx=θδα+(1-θ)δβ

 が成立する.

 (2).(ii)および(iii)のスケーリングで,υεは,有限の全変動(界面面積)をもつ相分離パターンへL1−収束する部分列をもつ.

 また,(ii)のスケーリングにおいて,〓を小さくすることにより,極限として現れるパターンの全変動は,いくらでも大きくとれることも示した.他方(iii)のスケーリングでは,〓を小さくとったとしても,極限問題のパターンの全変動は有界であって,いわゆる「等周問題」の解に近づく.すなわち,体積一定での境界の面積を最小にする問題である.(本論文第II部Theorem B.)(iii)のスケーリングにおいては,νの効果は,υの分離した2相の体積比をある一定値に近づけるものとなり,激しく振動する解は,得られない.ここで,〓をεとは独立なパラメータとして導入したのが,著者のアイディアである.これによって,(i)とは異なり,界面パターンの生成と極限問題におけるパターンの複雑性を分離することができた.

 「等周問題」の解への収束は,旧来,勾配系であるvan der Waals-Cahn-Hilliard理論や,保存量をもったAllen-Cahn方程式において応用されていたが,本論文のフルシステムにおけるパターン形成では,考えられたことがなかった.

 また,多くの非線形拡散方程式においては,ある特異極限下で現れる不連続面の運動が,平均曲率流のような界面方程式の解で近似できることが知られている.(ii)および(iii)のスケーリングでは,曲面の曲率という局所的な効果と,νに起因する非局所的な効果が同じオーダーで現れるため,保存量を持たないけれども,通常の平均曲率流とは異なり,非自明な平衡状態が存在し得る.本論文第II部において導いた極限問題の解は,その界面方程式の平衡状態に対応している.

 最後に,Ω=Rでかつ〓(υ)=υ(1-υ)(υ-a)の場合には,フロントをもった進行波や,局在化した非定数定常解の存在など,多くのことが研究されている.また,Ermentrout-Hastings-Troyらは,〓の場合に,空間的に周期的な定常解を構成した.本論文の周期解の結果(本論文第I部Theorem 1.2,Corollary 1.1)は,非線形関数〓(υ)とパラメータ範囲について,Ermentroutらの結果の拡張になっている.

審査要旨 要旨を表示する

 論文提出者大下承民は,FitzHugh-Nagumoタイプの非線形性をもつ活性化因子・抑制化因子からなる反応拡散系を考察し,微細な秩序構造をもつ空間的なパターンの存在と安定性を示した.

 論文提出者が考察したのは,以下の反応拡散系である.

ここで,Ω⊂R〓は滑らかな有界領域または全空間,γ,τは正の定数,D1,D2,κは正のパラメーターである.fは,いわゆる双安定型の非線形項である.また∂/∂νは通例のように境界上の外向き法線微分,〓はラプラシアンである.

 「反応拡散系」と呼ばれる非線形拡散方程式のクラスは,物理学や数理生物学をはじめ,自然科学の多くの分野における重要な数学モデルとして盛んに研究されてきた.この方程式系においては,ある条件下で解が複雑多様な空間的パターンを呈することが知られている.実際,上の問題(1)は,D1/D2が小さいとき,しばしば次のような「相分離パターン」が現れる.すなわち,領域内に,それぞれの領域でυがほぼ定数となっているような異なる2つの状態(相)と,その2つの相を結ぶ薄い層(遷移層)をもったパターンである.D1→0の極限では,遷移層の幅は0に近づき,一般に「界面」と呼ばれる領域内部の不連続面が生じる.

 それらのパターンの構造やメカニズムの研究に,これまで分岐理論や特異摂動法,力学系の不変多様体の理論などの数学的手法が適用され,パターン形成に関する数学的理解は飛躍的に進歩してきた.しかしながら,いわゆる接合漸近展開法を用いたアプローチでは,内部遷移層がD1→0の極限で何らかの滑らかな界面(超曲面)に収束する場合しか扱えない.このため,現実の世界でしばしば観察される,より複雑な微細構造パターンの数学的研究はほとんど進んでいなかった.論文提出者は,FitzHugh-Nagumo型の反応拡散系に現れる微細構造を変分原理を用いて数学的にとらえることに成功し,微細構造パターンの安定性も同時に示した.

 論文提出者が考察したシステムは,数理生物学や高分子化学などにおいて盛んに研究されている重要な方程式である.実際,FitzHugh-Nagumo方程式は,最初,生理学における神経パルスの生成と伝導のモデルであるHodgkin-Huxleyシステムの簡略化された方程式として導入された.その後,化学反応におけるBelousov-Zhabotinskiiモデルや生物学のパターン形成の数理モデルとしておなじみのものとなっている.

 論文提出者は,以下の3つの異なるパラメータスケーリングを考察した.

 (i) D1=O(ε2),ε→0,および固定したκ,D2.

 (ii) D1=O(ε2),κ=O(ε),ε→0,および固定したD2.

 (iii) D1=O(ε2),κ=O(ε),ε→0,およびD2→∞.

 高次元では,(i)のスケーリングにおいて,滑らかな超曲面に近づく内部遷移層をもった解は,不安定であることが知られていた.論文提出者は,(i)のスケーリングで,高次元において非定数安定定常解を構成し,その解の生成するYoung測度を調べることにより,そこで得られた解は,遷移層の厚さεより大きく,領域サイズよりはずっと小さい中間スケールで振動し,その全変動は,ε→0のとき無限大に発散することを示した.このような現象が起こることは,既知の不安定性の結果からある程度予測されていたことであるが,実際に数学的解明がなされたのはこれが最初である.

 また,論文提出者は,(ii)および(iii)のスケーリングの下で,滑らかな界面をもつ相分離パターンに収束する安定な定常解を構成するとともに,その内部遷移層の位置を決定する幾何学的変分問題を考察した.その結果を用いて,(ii)のスケーリングにおいては,〓を小さくすることにより,極限として現れるパターンの全変動は,いくらでも大きくできることも示した.

 他方,(iii)のスケーリングでは,〓を小さくとったとしても解のパターンの全変動は有界にとどまり,極限でいわゆる「等周問題」の解に近づく.すなわち,体積一定という制約条件下での境界の面積を最小にする問題である.つまり,(iii)のスケーリングにおいては,υの効果は,υの分離した2相の体積比をある一定値に近づけるものとなり,激しく振動する解は得られない.

 このように,スケーリングの取り方で極限の状況が大きく変わることが示された.これらの結果を得るにあたって,論文提出者は,〓をεとは独立なパラメータとして導入し,この2つの組み合わせによって,「界面パターンの生成」と極限問題における「パターンの複雑性」を分離してコントロールすることに成功した.

 「等周問題」の解への収束は,従来は,勾配系であるvan der Waals-Cahn-Hilliard理論や,保存量をもったAllen-Cahn方程式において応用されていたが,FitzHugh-Nagumo型のフルシステムのような非勾配系では考えられたことがなかった.この点においても,論文提出者のアプローチは斬新である.

 これまでこの方面の研究の多くは,比較的粗いスケールのパターンの研究が中心であり,実験や数値シミュレーションで確認されているようなはるかに微細な秩序構造をもったパターンを数学的にどのように特徴付けたらよいかという問題が長らく懸案であった.論文提出者の仕事は,こうした微細構造パターンに関する研究において新しい展開を与えたものとして高く評価できる.

 以上の諸点を考慮した結果,論文提出者大下承民は,博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい十分な資格があると認める.

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