学位論文要旨



No 119446
著者(漢字) 増田,弘毅
著者(英字)
著者(カナ) マスダ,ヒロキ
標題(和) ミキシング性をもつ確率過程に対する統計推測に関する幾つかの結果
標題(洋) Some Results Concerning Statistical Inference for Mixing Processes
報告番号 119446
報告番号 甲19446
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第250号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,朋広
 東京大学 教授 新井,仁之
 東京大学 教授 楠岡,成雄
 東京大学 教授 舟木,直久
 東京大学 助教授 稲葉,寿
 九州大学 助教授 内田,雅之
内容要旨 要旨を表示する

本論文は3つの章から成り,ミキシング性をもつある種の確率過程モデルに絡んだ統計的漸近推測に関するいくつかの結果を提示する.興味の対象は,レヴィ過程によって駆動されるミキシング過程,およびそれを潜在過程として記述する連続時間の一種の状態空間モデルであり,特に一般のレヴィ過程で駆動されるオルンシュタイン-ウーレンベック型のマルコフ過程(以下OU過程と略す)を主対象(第1, 3章),または例(第2章)として扱った.d次元OU過程X=(Xt)t∈R+は線形確率微分方程式〓で記述される特殊な確率過程であり,その解は明示的に〓によって与えられる.ここでQ∈Rd×Rd, Z=(Zt)t∈R+はd次元レヴィ過程である.OU過程は,レヴィ過程で駆動される他の確率微分方程式の解とは共有され得ない多くの固有の性質を持つことが知られている.

まず第1章において,一般のd次元レヴィ過程Z=(Zt)t∈R+で駆動されるd次元OU過程X=(Xt)t∈R+が以下の性質を持つ為の十分条件を,検証し易い形で与えた:(OU1) 強フェラー性をもつ;(OU2) 滑らかな遷移密度関数をもつ;(OU3) 特にXが定常な場合,指数的β-ミキシング性をもつ.

本論文において重要となるのが(OU3)の指数的β-ミキシング性であり,これは続く2つの章において具体的に統計へ応用される.(OU3)は,本論文に限らず,OU過程から成る統計モデルに対する推測を行うの為の1つの重要な一般的な道具となる.(OU1)と(OU2)は本論文では特には応用されないが,確率過程論においては重要な概念である.特にOU過程の固有の遷移構造により,これら2つの性質の為の十分条件はZの生成要素の観点から簡単な形で与えることができる.Kwon and Lee (1999, Stochastics Stochastics Rep.) により,一般のジャンプ付き拡散過程の強フェラー性の為の十分条件が導出されたが,そこでは拡散係数の非退化性が不可欠であった.対象をOU過程に制限する場合,本章の結果によって,拡散係数が退化した場合においてもZのレヴィ測度が発散し,かつ密度をもてば強フェラー性を示せる.また滑らかな遷移密度関数の存在に関しても,よく知られたマリアヴァン解析を用いるまでもなく,Zの生成用素だけで簡単に十分条件を記述できることを確認した.

また,非正規型OU過程の例として,OU過程のあらゆる不変分布は作用素型自己分解可能分布と1対1に対応するという既存の結果を踏まえ,歪みのない多次元一般化双曲型分布(GH 分布)の作用素型自己分解可能性を示した上で,GH分布を不変分布としてもつような具体的なOU過程を構成した.GH分布は近年様々な分野で応用されている分布であり,多次元非正規分布の一つの標準的なものといえよう.更に既存の1次元の結果を拡張して,多次元GH分布のレヴィ密度関数の陽な表示も与えた.

続く第2章において,部分的かつ離散的にしか観測されないような確率過程モデルの一つのクラス(X, Y, L)に対して,古典的なモーメント推定を行うことを考えた(この章の結果は筆者の修士論文の結果の拡張である).ここでLはr次元のレヴィ過程,Xは観測されない,即ち直接的にデータを得ることができない潜在過程,YはΔ>0を定数として離散的なn+1個の時刻{kΔ : k=0,1,…,n}においてのみ観測される確率過程を記述している.モデル(X, Y, L)が未知母数θ∈Θ⊂RPを含んでいるとし,データ{YkΔ : κ=0,1,…,n}からθを推定したいという状況を考える.これは隠れマルコフモデルにおける推定問題に直接結び付き,一般に推奨される最尤推定法は理論的に困難であることが知られている.仮に最尤法が実行可能であるとしても,尤度関数が一般に複雑な形になる為,推定値の算出における計算量コストなどの更なる問題が生じる.モーメント法は,最尤法よりも一般に推定精度は劣るものの,推定値を算出し易いなどの利点をもつ.本章ではこのモーメント法を実行できるような(X, Y)の構造を以下のように与えた:(AX) X=(Xt)t≧-εはd1次元のcadlagなεマルコフ過程で,Lで駆動されるものであるとする.ここで初期過程X0=(X0t)t∈[-ε, 0]はLと独立なd1次元のcadlagな確率過程であり,更にXは強定常で強ミキシング性を持つ.(AY) Y=(Yt)t∈R+はd2次元のcadlagな確率過程で,各k∈Nに対してYkΔ-Y(k-1)ΔはβX, dL[(k-1)Δ, kΔ]-可測になる.ここでβX, dL[(k-1)Δ, kΔ]=σ(Xs, Lt-Ls : )(k-1)Δ≦s, t≦kΔ)である.

更に重要な仮定として,不可避的なモーメント条件の他,ミキシング過程に対する中心極限定理を適用する為に,Xのミキシング係数αX(t)に関して,ある定数δ>0に対してΣ∞k=1{αX(κ)}δ/(δ+2)<∞となることを仮定する.Yが確率微分方程式で記述される場合,Yの一つの自然な形は〓である.実際,本章では(X, Y)が確率微分方程式で記述される状況を主として扱い,その上で,キュムラント母関数に基づいて推定方程式を系統的に導出する手段を与えた.数値例を幾つか与え,推定量の収束の状況を確認したが,そこでは具体的なXとしてOU過程を対象とした(ここで第1章の結果が応用される).ここで非正規型のLとしては,逆正規分布および normal inverse Gaussian 分布に対応するレヴィ過程を扱った.OU過程はε=0の場合であるが,より一般のε>0の場合に関しては,遅延を持つ一種の線形拡散過程を本内容の枠組みに入る例として紹介するに留め,詳しくは扱わなかった.

最後の第3章は,現在投稿中である,吉田朋広教授との共同内容に基づいている.本章では以下の特別な2次元マルコフモデル(X, Y)を扱う:〓ここでZ,ωは互いに独立なレヴィ過程,ウィーナー過程を表す.本章の自的は期待値E[f(T-1/2HT)]のT→∞の時の形式的エッジワースの正当性を導くことにある.ここでf : R→Rは高々多項式オーダーで増加する可測関数であり,またHT=YT-E[YT]である.以下の2つの場合を扱った:(Case A)θ≠0かつZは従属化過程(単調増加レヴィ過程);(Case B)θ=0, β≠0かつρλ+β≠0. θ=β=0の場合は,Y自身がレヴィ過程になってしまうので興味の対象から外した.CaseA, B共にXは強定常であり,その不変分布は任意の次数のモーメントをもつと仮定する.

Case A は Barndorff-Nielsen & Shephard の確率的ボラティリティ変動モデルであり,近年ファイナンスにおいてその有用性が実証された.このモデルは "Aggregational Gaussianity" と呼ばれる,ファイナンスなどの分野において実際に観察される重要なデータの性質を解析的に表現できることが分かっている.これはよく知られた,長期期間におけるブラック-ショールズモデルの有用性と結びつくものである.Aggregational Gaussianity はマルチンゲール中心極限定理で記述されるが,本章で得られた漸近展開を介して Aggregational Gaussianity を精密化することができる.これにより,ファイナンスにおいて実際に観測される,短期期間の資産収益の分布の強い非正規性,長期期間の対数資産収益の分布の(近似的な)正規性を統一的に表現する展開公式が得られたことになる.Case A における更なる正則条件として,ある空でない開集合B⊂R+が存在し,その上でZのレヴィ測度の一部がC3級の正の密度関数を持つということを仮定する.

Case B においてはYの拡散係数√Xtが消える為,Zは従属化過程でなくてもよい(XはRに値をとるものでもよい).特にβ=1かつρ=0の場合,本章の結果は潜在OU過程Xの不変分布の自然な位置推定量T-1∫T0 Xsdsの分布の漸近展開を与える.パラメーターに関する制限ρλ+β≠0はT-1/2HTの漸近正規分布の非退化性の為に必要となる.Case B においては,Zの正規分散が正であるか,または Case A と同様の,Zのレヴィ測度に関する条件がみたされることを仮定する.

Case A, Bに共通して,エッジワース展開の正当性の証明は,近年Yoshida (2001, preprint) において(または Kusuoka and Yoshida (2000, Probab. Theory and Related Fields) において)展開された,ミキシング過程に対するエッジワース展開の一般論を援用してなされる.その際に本質的となる道具は剪定を伴うマリアヴァン解析であり,汎関数の分布の局所非退化性を部分積分の公式によって証明することで,エッジワース展開において本質的となる特性関数の減衰を導出する.ここで用いるマリアヴァン解析は Bichteler, Gravereaux & Jacod (1987, Gordon and Breach Science Publishers) によって定式化された,ウィーナー・ポアソン空間上のマリアヴァン解析を指す.それを用いる際に要求される正則条件は,特に Case A の場合には導関数が原点で非正則になるYの拡散係数√Xtの影響で直接的にはみたされないが,勢定関数を上手く設定することでXが原点の適当な近傍には到達しないような都合の良い事象のみを対象として考えることができ,この不都合を回避することが可能となる.Yoshida (2001, preprint) の議論の適用の際に不可欠であるOU過程Xの(指数的)ミキシング性は,第1章の結果によって保証される.

Case A, Bの両方に共通していえる重要な事として,エッジワース展開の係数が任意の次数まで初等的な関数のみで陽に書き下せるという点がある.これはOU過程の固有の性質が本質的に作用している.エッジワース展開の正当性自体は,より一般の確率微分方程式に対して導出可能であるが,展開の係数を計算機などを用いた数値的な手法に頼ることなく陽に書き下したいという立場に立つと,上記のモデルまで制限することは自然であり,実際本章のモデル設定はその立場に立った上で成されたものである.

審査要旨 要旨を表示する

確率過程に対する統計推測理論は近年ますますその応用の範囲を広げつつある.伝統的な独立観測のモデルに対する統計推測の理論を確率過程モデルに拡張しようとするとき,エルゴード性,分布の極限定理等,理論を構成する多くの要素を新たに揃える必要が生じる.その中の最も基本的な概念の一つがミキシングであり,統計量の一致性,漸近正規性の証明および漸近展開において本質的な役割を演じる.

ジャンプ型の確率微分方程式に対する統計解析は,セミマルチンゲールに対する解析の例として,統計学の一つの対象となってきた.近年そのようなモデルが具体的な形でファイナンスデータ解析等で用いられるようになり,エルゴード性等諸性質を,そのような具体的なモデルに対して証明することが重要となっている.

レビ過程で駆動されるオルンシュタイン・ウーレンベック過程(OU過程)がBarndoff-Nielsen, Shephard等によって,最近ファイナンスへ応用されいる.この確率過程は作用素型自己分解可能分布のクラスに関係し,とくに一般化双曲型分布は表現力豊かな族としてデータ解析において有用である.論文第一章ではOU過程に対するミキシングとその他の性質が示されている.拡散過程のミキシング性は幾つかの論文で与えられているが,ジャンプ型の確率微分方程式に対するミキシング性は,Tweedie 等による研究があるが,多くのことは知られておらず,その意味でも増田の結果は興味深いものである.

第2章では,レビ過程で駆動されるジャンプ型拡散過程を潜在過程とする隠れマルコフモデル (HMM) に対して,観測過程の離散時点での観測値に基づいて,システムの未知パラメータを推定する問題を扱っている.特殊な場合を除き,HMMにおいては一般に最尤推定量の漸近挙動はまだ証明されておらず,また,それが理論上示されたとしても,無限次元の積分を含む尤度関数の計算と最適化は現実的な方法ではない.論文ではモーメント推定量を構成し,漸近正規性まで示している.キュムラントに基づくこの方法によると,ノイズの独立性から,パラメータの一部を他から分離した推定関数で推定することができ,次元低減によって最適化が容易になるのが長所である.モーメント法は漸近有効ではないが,収束のレートは,データ間隔が一定の場合n1/2であり,また,推定量が陽に書けることもしばしばあり,初期推定量としても都合のよいものである.増田論文はジャンプも扱え,Genon-Catalot, Jeantheau and Laredo (2000) を一般化している.レビOU過程をボラティリティとする確率ボラティリティモデル(SVM)を含み,応用上もこの拡張は意味がある.

第3章では,レビOU-SVMを含む2次元ジャンプ型拡散モデルに対して,分布の漸近展開を示している.対数収益率について,長期においては "aggregational Gaussianity" が見られる一方,短期ではその非ガウス性が顕著になるが,漸近展開によってその様子を説明することが可能となる.漸近展開の係数の表示には,一般にはポアソン方程式の解が必要になり,多くの場合陽に表現することが難しいが,増田が扱ったモデルでは,展開係数が具体的に計算でき,使いやすい公式になっている.Bichteler 等によるジャンプ型のマリアヴァン解析を用い,モデルに合った剪定汎関数を構成することで汎関数の局所非退化性を示し,ミキシング条件を満たすε-マルコフ過程に対する漸近展開の一般論を適用して漸近展開の正当性(validity)を証明した.

以上のように,提出論文は確率過程の統計推測理論およびその応用において重要な結果を与えており,よって,論文提出者増田弘毅は,博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める.

UTokyo Repositoryリンク