学位論文要旨



No 120480
著者(漢字) 福田,幸二
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,コウジ
標題(和) 記号力学を用いた拡大的な非線形力学系の解析
標題(洋) An Analysis on Expanding Nonlinear Dynamical Systems by Symbolic Dynamics
報告番号 120480
報告番号 甲20480
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第100号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 教授 岡田,真人
 東京大学 教授 浅井,潔
 東京大学 助教授 杉田,精司
 東京大学 助教授 堀田,武彦
内容要旨 要旨を表示する

1. はじめに

 ロジスティック写像の場合によく知られているように,拡大的な非線形な写像を繰り返し適用するとカオスが観察される。このような複雑な挙動を示す力学系の解析手法の1つに[Smale, 1967]によって導入された「記号力学」がある.これは,位相空間を生成分割で位相分割して得られる元の力学系と位相共役な記号力学系の上でいろいろな解析をする手法である.1次元写像・エノン写像・標準写像などの多くの写像について生成分割が求められているが,残念ながら与えられた非線形写像の生成分割を求める一般的な方法は知られていない.離散時間力学系における生成分割に対応する概念として,連続時間力学系のfamily of good local cross sections (FGLCS)という概念がある.

 一方で,実験・観測等で得た時系列を解析するのに,しばしば適当な閾値で観測値を区切っていくつかの離散状態にすることがある.たとえば,日本では最高気温が30℃以上の日を真夏日と呼んでいる.当然ながら,この30℃という閾値は生成分割ではない.本論文の主要な目的は,生成的ではない分割(以下,非生成的な分割と呼ぶ)で位相分割したとき,分割に付随する記号力学系がもとの力学系とどのような関係にあるかを調べることである.

 本論文では,離散時間と連続時間の力学系をともに扱う.2節で,全射なテント写像の非生成的な位相分割について考察する.3節で,双峰写像で駆動されるカオスニューロンモデルの記号力学を解析する.4節で,連続時間力学系のFGLCSを求めるアルゴリズムを提案する.5節で,連続時間力学系における,Threshold-crossing inter-spike intervals (TISI)を使った,力学系の再構成について考察する.

2. 全射なテント写像の非生成的分割

 この節では,全射なテント写像を非生成的に位相分割したときの各点の旅程からなる記号力学系の振る舞いを,位相エントロピーを通して考察する.

 全射なテント写像Xnt1=f(Xn)=1-2|Xn-1/2|を考える.区間[0,1]をpe[0,1]を境にして位相分割し,領域(0,p)に記号a,(p,1)に記号bを割り当てたとき,全ての軌道の旅程を集めた記号力学系を〓{a,b}2(p)で表す.とくに,1次元写像は極値をとる点を境とする生成分割を持つので,全射性を考えると〓{a,b}2(1/2)はベルヌーイのfull 2-shift 〓{a,b}2(1/2)となる.[Bollt et.al., 2000]に従って,分割の閾値pの影響を,系の位相的な複雑さを表す位相エントロピーh(〓{a,b}2(p))で評価した(図1).グラフは無限個のプラトーと段差を持ついわゆる「悪魔の階段」状の形をしているが,単調ではなく所々に極値を持っている.数学的には,連続で,かつ,すべての微分可能な点での傾きが0であるグラフを「悪魔の階段」と呼んでいるが,本節ではとくに,このグラフがすべての微分可能な点での傾きが0であることを証明する.

 閾値pを△p>0〓だけ微小変化させる.pの変化の方向に応じて2種類のエントロピーの微小変化,〓と〓を考える.さらに,位相空間を〓に制限したときのエントロピーを考えると,〓として,〓,とエントロピーの微小変化を正負の成分に分けることができる.ここで以下の定理が成り立つ.

[定理1] 十分小さな△p>0について,以下の4つの性質が成立する.

 (1) 〓または〓

 (2) 〓または〓

 (3) 〓または〓

 (4) 〓または〓

したがって,微分可能な点でのグラフの傾きは常に0である.図2に閾値とエントロピーの微小変化との関係を示した.さらに,ギャップがあるテント写像についいての解析も行った.

3. カオスニューロンモデル(双峰写像)

 この節では,カオスニューロンモデルを扱う.[Aihara et.al.,1990]によって提案されたカオスニューロンモデルは,双峰写像の繰り返し適用によって時間発展する内部状態を,ある閾値を境にして発火・非発火の2状態として出力するモデルである.写像の極大値・極小値と出力関数の閾値を境に位相分割すると,4記号の記号力学系に変換できる.

 まず,双峰写像の極大値の旅程を固定して極小値のみを変化させたときの出力の位相エントロピーを計算した(図3).単峰写像でよく知られている「悪魔の階段」構造を見ることができる.さらに,極小値の旅程と,極大値の旅程の相互の関係を解析した.

次に,極小・極大値をいろいろな値に固定して,閾値を変化させたときの位相エントロピーを計算した(図4).この場合には,非単調な「悪魔の階段」構造が見られる.この段差が,極大・極小値の像あるいは,写像の高階の像同士の交点において出現することを,マスク関数の概念を使って示した.さらに,段差の幅とパリー測度との関係を考察した.

4. 連続時間力学系におけるFamily of good local cross sectionsの推定

 本節と次節では連続時間力学系(流れ)を考察する.次元の位相空間上に,local cross section (LCS)とよばれるk枚のm-1次元の局所的な超平面S1,S2,...,SKがあるとする.ある軌道が貫くLCSを順番に並べたものを,可能な軌道全てについて集めると,S1,S2,...,SKをアルファベットとする記号力学系が得られる.ここで,LCSをうまく選ぶと,この記号力学系の懸垂と,もとの流れとが位相共役になる.このようなLCSの組をfamily of good local cross sections(FGLCS)と呼んでいる[Sun & Vargas,1999].FGLCSは,離散時間力学系(写像)における生成分割の概念に対応する.この節の目的は,[Kennel & Buhl, 2003]で提案された写像の生成分割を求める手法を流れに拡張し,与えられた流れのFGLCSを推定することである.この手法は,FGLCSの元では異なる軌道は異なる記号列に写される,という事実を利用する.すなわち,異なる軌道でありながら同じ旅程記号列を持つような軌道の組(Symbolic False Nearest Neighbor (SFNN))の数を最小化するようにfamily of LCSを決める.具体的なアルゴリズムを以下に示す.

1. LCSの数k=2をとする.

2. 各LCSをA枚のm-1次元超円盤の和集合で表す.

3. 2.の元での位相空間上の全軌道の旅程を計算する.

4. 全軌道に対するSFNNの割合を最小化するようにA枚のm-1次元超円盤の中心・半径を最適化する.

5. 最適化の結果SFNNがある割合以下になれば終了.そうでなければ,k←k+1として1.へ戻る.

本手法をRossler系とLorenz系に適用した結果を,それぞれ,図5と図6に示した.各LCSは,ポアンカレ写像の極大値のところで区切られている.これは3次元流れにおけるテンプレートの理論とよく一致している.テンプレートの理論が3次元流れに限られるのに対して,FGLCSは高次元流れでも考えることができるという利点がある.

5. Threshold-crossing inter-spike intervals (ISI) と位相エントロピー

 連続時間力学系の位相空間上に任意に閾値となる超平面をとり,軌道がそこを通過する時刻の時間間隔(ISI)を観測する.これは,実験・観測で得た連続時間時系列を疎視化するもっとも単純かつ一般的な方法と考えられる.この解析手法によって有意な結果を得るには,閾値をどのような範囲にとる必要があるのかが問題となるが,[Nishikawa & Sauer]によるISI埋め込み定理によると,ほとんど全ての場合についてISIから元の力学系のアトラクタを再構成することが可能である.しかし,この定理は,元の力学系の時間的な情報については言及しておらず,ISI再構成によって,エントロピーやリアプノフ指数などの時間依存な特徴量を計算することが可能かどうかは知られていない.一方で,閾値がある範囲にある場合には,ISI再構成によって最大リアプノフ指数を推定できるという実験的な報告がある[Jansen et.al.,1998; Pavrov et.al.,2001].

本節の目的は,どのような閾値の範囲で,ISI埋め込みから時間依存な情報を計算可能なのかを考察することである.とくに時間依存な特徴量であるISI列の位相エントロピーに注目する.時間軸を幅Wごとに区切り,各ビンにspikeが存在すれば記号1,しなければ記号0を割り当てたシフト空間の位相エントロピーをhWとする.ISI列の位相エントロピーは,limw→0hw/wで定義される.この定義はシフト空間の位相エントロピーの自然な拡張になっている.また,ISIエントロピーは,もとの力学系の滑らかな変換に対して不変であることを示した.ここで,以下の定理が成り立つ.

[定理2] x=xcで極大値をとる単峰写像f:I→Iと,プラトーを持たないC2関数ω:I→R+について,以下の式で定義されるfの周波数ωのもとでの懸垂(∧fI,ψ)

のx=p>xcを境とするthreshold-crossing ISIのISIエントロピーは,fの位相エントロピーに等しい.

 実際にRossler系について平面x=pを閾値としたときのISIエントロピーを[Hirata & Mees,03]の手法を用いて推定した(図7).定理2は,ωがxのみに依存するとしているため,Rossler系には直接適用することはできないにもかかわらず,定理2から予想されるように,閾値がFGLCSの境よりも内側にある限りISIエントロピーがRossler系のエントロピーに等しいという結果を得た.さらに,[Pavrov et.al., 2001]で報告された,最大リアプノフ指数を正しく推定可能な範囲とも一致している.

図1. 分割閾値pとh(〓{a,b}2(p))の関係

図2. 閾値pとエントロピーの微少関係の変化

図3 極大値の変化とエントロピー

図4 閾値の変化とエントロピー

図5 Rossler系のFGLCS

図6 Lorenz系のFGLCS

図7. 閾値pとISIエントロピーの関係

横破線はもとのRossler系エントロピー

縦破線は,FGLCSの境を表す.

審査要旨 要旨を表示する

 ロジスティック写像の場合によく知られているように、非線形な方程式に支配される系の振舞いはしばしば決定論的カオスとなる。このような複雑な挙動を示す拡大的な非線形力学系の解析手法の1つに、「記号力学」がある。系の状態空間を「生成分割」と呼ばれる領域に分割し、各領域に記号を割り当てることで、元の力学系を位相共役な記号力学系に変換し、その上で種々の解析を行う手法である。記号力学は、力学系の位相的な特徴を解析する非常に有効な方法として、数多くの理論的な研究がなされている。

 一方で、実験・観測等で得られた時系列を解析するのに、しばしば恣意的に与えた閾値で状態空間を区切っていくつかの離散状態に変換することがある。この方法はcoarse-grained-descriptionと呼ばれ、生体系、物理系、工学系を問わず多くの分野で行われている。しかし、恣意的に与えた分割のもとでは、対応する記号力学系は元の力学系と位相共役にならず、一般的な記号力学の理論をそのまま当てはめることはできない。本論文の主要な目的は、生成分割ではない恣意的に与えた閾値で状態空間を分割したときに、対応する記号力学系が元の力学系とどのような関係にあるかを理論的に明らかにすることである。これによって、coarse-grained-descriptionの手法の有効性に理論的な裏づけが与えられ、同時にその限界が明らかとなる。

 本論文は、"An Analysis on Expanding Nonlinear Dynamical Systems by Symbolic Dynamics"(和文題目 記号力学を用いた拡大的な非線形力学系の解析)と題し、全5章より成る。

 第1章では、非線形現象の理論的な解析手法としての記号力学に関する従来の研究を概説すると同時に、記号力学とcoarse-grained-descriptionとの関連を説明している。また、本論文の構成を示し各章の位置付けを明確にしている。

 第2章では、全射なテント写像について、非生成的な分割による記号力学系と元の力学系の関係をとくに位相エントロピーの観点から解析し、分割の閾値の変化に伴なう位相エントロピーの変化が、非単調な「悪魔の階段」の構造を持つことを記号力学の手法を使って証明している。この結果は、分割の閾値とそのもとでの記号力学系が、従来考えられていたよりもずっと複雑かつ密接に関係していることを示している。

 第3章では、カオスニューロンモデルについて、出力の閾値の変化がニューロン特性にどのような影響を与えるかを理論的に解析している。特に、閾値が内部状態を駆動する双峰写像の周期の短い周期点近辺にある時、ニューロンの位相エントロピーが著しく低下するという結果は興味深い。従来、研究者によって恣意的に決められていた出力の閾値の設定に、一定の指針を与えることになる。

 第4章では、与えられた連続時間時系列データから、現象を支配する連続時間力学系のLocal Cross Sectionsを推定するアルゴリズムを提案している。これによって、時系列をcoarse-grained-descriptionによって解析する際に問題となる閾値を、理論的な裏づけのもとで決定することが可能となる。

 第5章では、ISI (Interspike Intervals)時系列に関して、ISI位相エントロピーについて種々の定理を証明するとともに、閾値やISI再構成などの観点からその諸特性を解析している。さらに、単峰写像の懸垂の場合について、coarse-grained-descriptionにおける閾値が第4章で示された理想的な位置からずれている場合に、対応する記号力学系と元の力学系の関係を解析して、分割の閾値が単峰写像の極値を超えない限り、分割に伴う記号力学系が元の力学系のエントロピーを保存するという定理を示した。

 以上のように、本論文は記号力学系およびcoarse-grained-descriptionの手法の理論及び応用に関して大きな成果を上げ、複雑理工学上貢献するところが大きい。なお、本論文は全編にわたって合原一幸との共同研究であるが、論文提出者が主体となって問題を提起しその結果の導出を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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