学位論文要旨



No 120804
著者(漢字) 下野,寿之
著者(英字)
著者(カナ) シモノ,トシユキ
標題(和) エンタングルメントコストの解析とホレボ容量の計算
標題(洋) Analysis of the Entanglement Cost and Calculation of the Holevo Capacity
報告番号 120804
報告番号 甲20804
学位授与日 2005.11.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第67号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 コンピュータ科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 須田,礼仁
 東京大学 教授 萩谷,昌己
 東京大学 助教授 稲葉,真理
 東京大学 教授 山本,博資
 東京大学 助教授 津村,孝治
内容要旨 要旨を表示する

量子情報理論において量子もつれは本質的である。それ無しに量子計算は考えられず、また考案された量子テレポーテーション(1993年)や superdense coding (1992年)などの量子通信プロトコルはそれを利用したものである。本論文では、2体間の混合状態の量子もつれについての漸近的な性質(対象となる状態の単一の個体から直接分からないが、その状態の複製を多量に用意することで分かる性質)を追求するために、量子もつれの定量化及び量子もつれに関連してホレボ容量の計算について、研究を展開した。

量子もつれを定量化する方法はいくつか提案されているが、以下の2通りの考え方(共に1996年)が主なものである。一つは、2体間上の状態ρが与えられたとき、N組(N→∞)のρを作り出すためにNの何倍の量のベル状態が必要であるかであり、EC(ρ)と表される。もう一つは、N組(N→∞)のρからNの何倍のベル状態が取り出せるかを考えED(ρ)と表される。ここで状態を操作するために許されている操作はLOCC(局所操作と古典通信)のみであると仮定してある。

一般のρに対してEC(ρ)を計算できるとすれば、物の長さや重さが量れたことと同じくらい重要な意味を持つと考えられる。しかしながら、それを計算する数式で知られているもの(2001年)は、entanglement of formation (以下、EF と書く)と呼ばれる最適化演算子を含む数式で表示されたものにさらに極限操作を加えたものなので、計算は二重に困難なように思われる。それでも、もしもEFに加法性と呼ばれる性質が成り立てばECがいつでもEFに一致するので、その困難を解決するための第一歩としてEFが加法的であるかどうかについて解決を試みた。本論文では、2準位系(以下、量子ビットと書く)2体の系以外においてEFを計算された例が乏しかった中、3準位系2体の系の反対称状態に着目した。その状態のECの下限値を計算し、3準位系2体の系の反対称状態2組に対するEFの加法性を確かめた。

本研究がなされた当時、EFが量子通信路のホレボ容量とMSW対応と呼ばれる関係で結びついたことを通じて、EFの加法性とホレボ容量の加法性が同値であることが証明された(2003年)。この結びつきは、一つの量子通信路からある対応によって導かれる量子状態について、そのEFがホレボ容量とフォンノイマンエントロピーの差で表されるというものである。この対応を用いて、加法性が成り立つことが知られているユニタル量子ビット通信路から導かれる量子状態のECを、ホレボ容量からEFを計算してそれがECに一致することを用いて計算できる。本論文では、先に定義したEDの上限値が別の方法で計算できることを利用して、EC(ρ)が真にED(ρ)より大きい場合があることを確かめた。このようなECとEDに差が生じるようなLOCCに不可逆性があることを示す例としては、3準位系2体の場合(1998年)と2準位系2体の場合(2002年)に続く例となった。

また、EFの加法性が全ての場合で成り立つこととEFのstrong superadditivityと呼ばれる不等式が全ての場合で成り立つことが同値であることが証明された(2003年)。従って、この不等式に反例が存在したとすると、EFの加法性が成り立たない場合があることを意味している。本研究では、自明でない最低の次元の場合、つまり2準位系の2体を2組含む系に対してこの不等式が成り立つかどうかを数値的に確かめた。この不等式にランダムに量子状態を代入することを100万回程度繰り返したり、不等式の両辺の差を目的関数としてその最小値を求める方法で量子状態を変えながら代入しその最小値を求めることを数十回繰り返したりしたが、いずれも反例は見つからなかった。結論としては、EFの加法性はいつでも成り立っている、もしくは、反例が存在したとしても発見は難しい、と言える。

本研究の後半は量子ビット通信路のホレボ容量の計算に関するものである。先に記したようにEFの加法性とホレボ容量の加法性は同値である。従ってホレボ容量の加法性が破れる例が見つかれば、EFの加法性の破れが証明されることになる。そのためにホレボ容量の加法性が破れる可能性があると思われた特殊な量子ビット通信路を発見することを試みた。その一つがホレボ容量を達成するために異なる入力状態を4個必要とする量子ビット通信路である。

まず最初に量子ビット通信路のホレボ容量を計算するためのアルゴリズムを開発した。ホレボ容量を表す式は、複数の量子状態とそれらの上の確率分布を引数とする目的関数の最大値として表される。この関数は、引数の量子状態に対して凸関数であり引数の確率分布に対して凹関数であるので、最適化計算を行った結果の局所最大値が真の最大値であることを保証することは一見困難なように思われる。これを回避するために、誤差を許容しながら凹関数の最大値を求める問題に置き換え、その許容誤差が0に収束していくような個々の問題を順次解いていく方法でホレボ容量を求めた。これによって、任意の量子ビット通信路のホレボ容量とその容量を達成する入力信号が求まるようになった。この計算方法を用いて4個の異なる入力状態を必要とする量子ビット通信路を発見し、その通信路2本に対してホレボ容量の加法性が破れていないかどうかを数値計算により確かめることを試みた。その結果として加法性が成り立つことを強く示す結果が得られた。

審査要旨 要旨を表示する

量子通信や量子計算は、古典通信や古典計算のもつさまざまな限界を超えうる通信・計算原理として注目されている。これらの量子情報処理が広く実用になるにはまだ解決しなければならない課題が多く残っているが、本論文では量子情報処理が古典情報処理と異なる本質的なポイントである「量子もつれ」を取り上げ、その「定量化」を中心に研究を展開している。

量子もつれは量子情報処理の基本要素であり、古典計算・古典通信を超える量子計算や量子通信の手法は量子もつれを不可欠な要素として含む。量子状態がどれほどもつれているかは、量子特有の情報処理がどれだけ可能かに直結する。この定量化は、純粋状態と呼ばれる系では完成している。しかしながら、混合状態における量子もつれを定量化することは自明でも容易でもない。従来の提案の主なものとして、entanglement cost EC と entanglement distillation ED がある。これらの指標はBell状態と量子状態とを局所操作と古典通信 (LOCC) により変換することで関連付けるものとなっている。本論文ではこれらの指標と、それに関連するEntanglement of formation EF、量子通信路のHolevo容量に関して、解析的・数値的に取り組んでいる。

これらの指標の問題点の一つに、解析的にも数値的にも計算が非常に困難である点が挙げられる。これが量子もつれの定量化の研究において一つの重大なハードルとなっている。この問題点の緩和策として、本論文の3章では3準位系2体の系の反対称状態に着目し、そのECの下限値を導出している(その後この系のECが計算された)。

量子もつれの程度を示す2つの指標 ECとEDは一般には異なる。しかし、解析的にも数値的にも計算することが困難であるため、その違いを明らかにすることは自明でない課題である。本論文の5章ではユニタル量子ビット通信路から導かれる量子状態について、Holevo容量からECを計算し、EDの上限値と比較することにより、両者が異なる新たな例を挙げた。これはまた局所操作と古典通信 (LOCC) による量子操作における不可逆性をも示す結果でもある。(それ以前に2例知られており、3例目となる)

純粋状態の量子もつれの定量指標である縮約フォンノイマンエントロピーは加法性という性質を満たす。一方、EDは加法性を満たさない例が知られているが、ECが加法性を満たすかどうかは現在でも未解決問題である。これに関して Matsumoto-Shimono-Winter (申請者を含む)などにより次の4つの命題が同値であること(MSW対応)が示された。

(1)EC とEF の同値性

(2)EF の加法性

(3)EF の超加法性

(4)Holevo 容量の加法性

本論文ではこれを鍵にして、さらにECの加法性の問題に切り込んでゆく。

まず、本論文の4章では3章で導入した3準位系2体の系の反対称状態においてECの加法性を証明している。すなわち、MSW対応の4つの命題がこの範囲では成立していることを証明した。

次に上記MSW対応の (3) に関して、本論文の6章においてEFが超加法性を満たさない例を数値的に探索することを行っている。量子系をランダムに生成した場合も、超加法性を満たしにくい方向に系を変化させた場合も、いずれも超加法性を満たさない例を発見することはできなかった。

さらにMSW対応の (4) に関して、本論文の7章においてHolevo容量の加法性に関して検討している。そのためにまず解析的に計算することの困難なHolevo 容量の近似計算法を提案した。これによって、任意の量子ビット通信路のホレボ容量とその容量を達成する入力信号が求まるようになった。さらにこの計算法を用いて4信号を最適とする量子通信路を世界で始めて発見している。この通信路に関してHolevo容量の加法性の成否を分析し、加法性が常に満たされていることを確認した。これらの結果は量子通信路の研究においても極めて重要な成果であり、その後上記の近似計算法の改良の提案も行われている。

これらの結果をまとめると、MSW対応の同値な4つの命題の成否を決するには至らなかったが、その成立を強く示唆する複数の結果が得られたと考えることができる。すなわち、以上の成果は、世界中で多くの研究者が苦しみながら取り組んでいる量子もつれの定量化および量子通信路の容量の根本問題に対して、今後の研究の方向性を示唆し、解決への足がかりを与える極めて重要な成果である。実際にこれらの成果を発展させた研究が現れ始めており、それは本論文の研究成果のインパクトを暗示するものである。

よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク