学位論文要旨



No 121522
著者(漢字) 余郷,能紀
著者(英字)
著者(カナ) ヨゴウ,タカトシ
標題(和) 一重項酸素生成のoff/on制御可能な光増感剤の開発 : 標的タンパク質・細胞の特異的不活性化システムの開発
標題(洋)
報告番号 121522
報告番号 甲21522
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1165号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 柴,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 船津,高志
 東京大学 講師 山田,麻紀
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

蛍光プローブは観察対象とする生体分子を可視化し時空間的解析を可能とするツールとして大きな成果を挙げている。当研究室では蛍光の制御原理として光誘起電子移動(photoinduced electron transfer、PeT)を用いることで蛍光プローブの論理的設計法を確立し、多くの生体分子の可視化に成功してきた。一方、光増感剤は光照射に伴い一重項酸素(1O2)などの活性酸素種(ROS)を生成する色素化合物であり、光増感剤から生成する1O2も蛍光と同様に励起一重項状態を経由して生成する。この光増感剤の1O2生成能を制御する原理はほとんど開発されておらず、もしPeTで1O2生成能が厳密に制御可能であれば多くの光機能性分子を創製できる可能性が秘められている。そこで、PeTを原理として1O2生成のoff/on制御可能な光増感剤を開発し、更にそれを用いた新たな酸化ストレス負荷システムを構築することを目的に研究を行った。

【本論】

環境感受性off/onスイッチを有する新規光増感剤の開発

当研究室では、溶媒極性の変化により蛍光量子収率の変化するBODIPY類(Figure 1A)が見出され、生体内の疎水的環境を検出する環境感受性蛍光プローブとして応用されている。このBODIPY類の溶媒極性依存的な蛍光特性の変化はPeTにより制御可能であることが示されている。そこで、BODIPY類にヨウ素原子を導入し光増感剤へ誘導化すれば、溶媒極性依存的に1O2生成能の変化する環境感受性光増感剤(Environmental Sensitive Photosensitizer、ESPer)になると考え、Figure 1Bに示す化合物群を合成した。次に、ESPer類の光照射に伴う1O2生成効率(φΔ)をジフェニルイソベンゾフラン法で評価した。その結果、ESPer類のφΔは高極性溶媒(CH3CN、MeOH等)では抑制され、低極性溶媒(CH2Cl2、CHCl3等)で大きくなることが示された。またelectron donorの電子密度に依存して1O2生成能がoffからonに切り替わる境界が変化することが明らかになった(Figure 1C)。以上の結果より、ESPer類は溶媒極性を検知して1O2生成のoff/on制御が可能な光増感剤であることが示された。

次に、ESPer類における1O2生成のoff/on制御を細胞系に適用し、光分子機能不活性化法(Chromophore-assisted Light Inactivation:CALI)の新たな展開を図った。CALIは光増感剤が結合したリガンドを細胞内に導入し、標的分子に結合した後、この結合体に光を照射し、光増感剤から生じるROSにより標的分子を不活性化する方法である。CALIは標的分子不活性化の時間的・空間的制御が可能なことから有用性が期待されているが、既存の光増感剤を用いるCALIの実験ではしばしば不活性化したい標的分子以外に非特異的障害が生じることが報告され問題となっている。そこで、CALIの光増感剤としてESPer類を用いることで1O2生成のoff/on制御が可能となり、特異性の高い不活性化が行えるのではないかと考えた。CALIの標的分子としてリガンド結合部位近傍に疎水性ポケットが存在することが示唆されているイノシトール三リン酸受容体(inositol 1、4、5-trisphosphate receptor、IP3R)を選択した。まず、IP3R近傍の環境を環境感受性蛍光プローブであるBODIPY類(Figure 1A)を用いて検討した。BODIPY類の結合したIP3Rリガンドを合成し、DT40細胞に負荷した際の蛍光像と抗IP3R抗体による蛍光染色像を比較した結果、IP3R近傍の環境はCH2Cl2程度の疎水性を有することが示唆された。

次に、IP3Rの近傍の疎水性で1O2生成能がoff からon に切り替わる光増感剤として1bを選択し、1bの結合したIP3Rリガンド(ESPer d-IP3)をデザイン・合成した。また、環境感受性スイッチを持たず常に1O2生成能を有する光増感剤の結合したIP3Rリガンド(Con d-IP3)もESPer類の比較対象として合成した(Figure 2)。まず、ESPer d-IP3、Con d-IP3それぞれを細胞に負荷し、光照射した際の非特異的酸化ストレスを1O2蛍光プローブ(DMAX-2)により検討した。その結果、ESPerd-IP3はCon d-IP3とは異なり高極性環境である細胞質において1O2生成せず、非特異的障害が抑制されていることが示唆された(Figure 3)。次に、細胞質では1O2生成しないESPer d-IP3が受容体結合による環境変化を認識して1O2を生成しIP3Rの不活性化を引き起こせるか検討した。DT40細胞のIP3R活性を測定した後に、ESPer d-IP3を負荷し光照射を行った。その後再びIP3R活性を測定し、光照射前の活性と比較したところ、顕著な受容体活性の低下が観察された(Figure 4)。この受容体活性の低下は1O2のquencherであるNaN3の添加で抑制されたことから1O2関与であることが示された。以上の結果より、ESPer類における1O2生成のoff/on制御が細胞系でも機能することが示された。

β-galactosidaseを認識して酸化ストレス負荷が可能な新規光増感剤の開発

当研究室ではfluorescein誘導体のPeT過程を精査することで、代表的なレポーター酵素であるβ-galactosidaseに対する蛍光プローブ、TG-βGal(Figure 5A)を開発した。そこで次に、TG-βGalを蛍光プローブから光増感剤へと機能変換することで、lac Zの発現した細胞にのみ酸化ストレスを付与し、選択的な細胞死を誘導できる新たなプローブになるのではないかと考えた。以上のシステムが完成すれば、特定の種類の細胞機能を光によってノックダウンする新しいloss of functionの手法や、がん細胞等の特定の細胞種だけを殺傷し治療する医療応用、など幅広い展開が期待できる。具体的には、Figure 5Bに示すTGI-βGalをデザイン・合成した。TGI-βGalは、(1)electron acceptorとしてxanthene環にヨウ素原子を導入した増感団部位、(2)electron donorとして電子供与能を有するベンゼン環部位、(3)酵素反応部位としてβ-galactopyranosyl基、の3つの構造からなる。TGI-βGalはβ-galactosidaseとの反応前は、PeTにより1O2生成能が抑制されているが、lac Z発現細胞に取り込まれ、β-galactosidaseによりβ-galactopyranosyl基が切断されてTGIに変換されると、electron acceptorの還元電位が変化しベンゼン環部位から電子移動が起こらなくなり1O2を生成すると考えられる(Figure 5B)。

まず、TGI-βGal及びTGIの光照射に伴う1O2生成能をヨウ化物イオン酸化反応により評価した。その結果、TGI-βGalは光を照射してもほとんど1O2を生成せず、β-galactosidaseとの反応後のTGIはTGI-βGalと比較して約20倍の1O2生成能を有することが示された。次に、TGI-βGalをlac Zを発現した細胞、発現していない細胞、それぞれに負荷し光照射を行ったところ、lac Zを発現し、かつ光照射を行った細胞においてのみ細胞死を誘導することに成功した(Figure 6)。

【結論】

PeT型蛍光プローブを光増感剤へと機能変換することで、1O2生成能のoff/onスイッチを有する光増感剤を開発した。さらにこれら新規光増感剤を培養細胞に適用し、細胞内の疎水性環境、あるいはレポーター酵素の発現などの特定の条件によって光増感剤の機能を変化させることに成功した。光増感剤の1O2生成能の制御はほとんど報告例がなく、このようなoff/onスイッチを有する光増感剤が細胞レベルで機能することを示したのは世界で初めてである。

Figure 1.(A)Structures of environmental sensitive fluorescence probes.(B)Structures of ESPer library with vanous electnon donor moieties.(C)Relationship between the relative efficiency of lO2 generation(φΔ)of ESPer library(1a-1d)and dielect「ic constant of solvents. Solvents used in this study were CH3CN、MeOH、acetone, CH2Ch, and CHCI3, whose dielectric constants were described as 37.5, 33.6, 20.7, 9.14, 4.81, respectiVely. [filled circle;1a, open square;1b, open diamond;1c, star; id.]

Figure 2. Structures of ESPer-conjugated IP3 derivatives.

Figure 3. Imaging of non-specific cytosolic damage of ESPer d-IP3、compared with that of Con d-IP3 using fluorescence probe for 1O2(DMAX-2). Permeabilized DT40 cells(wt)were loaded with ESPer d-IP3(or Con d-IP3)and DMAX-2、followed by light illumination.(A)-(C)Single DT40 cells under transmitted light(A)and fluorescence image excited with blue light before(B)and after(C)excitation of ESPer d-IP3 by green light.(D)-(F)Single DT40 cells under transmitted light(D)and fluorescence image excited with blue light before(E)and after(F)excitation of Con d-IP3 by green light. Scale bar indicates 10 μm.

Figure 4. ESPer d-IP3-mediated photoinactivation of IP3R.

Figure 5. Structures of(A)TG-βGal and(B)TGI-βGal.

Figure 6. Selective killing of β-galactosidase expressing cells using TGI-βGal.(A-C)DIC and fluorescence images of HEK 293 cells(lacZ(+))loaded with calcein AM(living cell marker)and EthD-1(dead cell marker)after photosensitization with TGI-βGal.(D-F)HEK 293 cells(lacZ(-))was not affected by photosensitization with TGI-βGal.

審査要旨 要旨を表示する

蛍光プローブは観察対象とする生体分子を可視化し、時空間的解析を可能とするツールとして大きな成果を挙げている。薬品代謝化学研究室では蛍光の制御原理として光誘起電子移動(photoinduced electron transfer、PeT)を用いることで蛍光プローブの論理的設計法を確立し、多くの生体分子の可視化に成功してきた。一方、光増感剤は光照射に伴い一重項酸素(1O2)などの活性酸素種(ROS)を生成する色素化合物であり、光増感剤から生成する1O2も蛍光と同様に励起一重項状態を経由して生成する。この光増感剤の1O2生成能を制御する原理は開発されておらず、もしPeTで1O2生成能が厳密に制御可能になれば多くの光機能性分子を創製できる事になり、薬学研究においても極めて有用である。

余郷はPeTを原理として1O2生成のoff/on制御可能な光増感剤を開発し、更にそれを用いた新たな酸化ストレス負荷システムを構築した。以下、その詳細を紹介する。

環境感受性off/onスイッチを有する新規光増感剤の開発

溶媒極性の変化により蛍光量子収率の変化するBODIPY類が薬品代謝化学研究室で見出され、それに基づいて生体内の疎水的環境を検出する環境感受性蛍光プローブが開発された。このBODIPY類の溶媒極性依存的な蛍光特性の変化はPeT原理により制御可能であることが示された。この原理は機能性増感剤の設計にも応用可能と考えられる。具体的には、BODIPY類にヨウ素原子を導入し光増感剤へ誘導化することにより、溶媒極性依存的に1O2生成能の変化する環境感受性光増感剤(Environmental Sensitive Photosensitizer、ESPer)になると考えられる。この考えに基づいて種々の化合物群を合成した。検討の結果、ESPer類のφ.は高極性溶媒(CH3CN、MeOH等)で抑制され、低極性溶媒(CH2Cl2、CHCl3等)で大きくなることが示され、さらにelectron donorの電子密度に依存して1O2生成能がoffからonに切り替わる境界が変化することが明らかになった。以上の結果より、ESPer類は溶媒極性を検知して1O2生成のoff/on制御が可能な光増感剤として機能することが示された。

次に、ESPer類における1O2生成のoff/on制御を細胞系に適用し、光分子機能不活性化法(Chromophore-assisted Light Inactivation:CALI)の新たな展開を図った。CALIは光増感剤が結合したリガンドを細胞内に導入し、標的分子に結合した後、この結合体に光を照射し、光増感剤から生じるROSにより標的分子を不活性化する方法である。CALIは標的分子不活性化の時間的・空間的制御が可能なことから有用性が期待されているが、既存の光増感剤を用いるCALIの実験ではしばしば不活性化したい標的分子以外に非特異的障害が生じることが問題となっていた。CALIの光増感剤としてESPer類を用いることで1O2生成のoff/on制御が可能となり、特異性の高い不活性化が行えると考えた。CALIの標的分子としてリガンド結合部位近傍に疎水性ポケットの存在が示唆されているイノシトール三リン酸受容体(inositol 1.4.5-trisphosphate receptor、IP3R)を選択した。IP3Rの近傍の疎水性で1O2生成能がoffからonに切り替わる事が予想される光増感剤を選択し、その増感剤が結合したIP3Rリガンド(ESPer d-IP3)をデザイン・合成した。種々検討の結果、IP3RにESPer d-IP3が結合する事で、環境が親水性から疎水性に変化し、特異的にIP3Rを不活化することが可能となった。すなわち、ESPer類における1O2生成のoff/on制御が細胞系で機能することが実証された。

β-galactosidaseを認識して酸化ストレス負荷が可能な新規光増感剤の開発

当研究室ではfluorescein誘導体のPeT過程を精査することで、代表的なレポーター酵素であるβ-galactosidaseに対する蛍光プローブTG-βGalを開発した。TG-βGalを蛍光プローブから光増感剤へと機能変換することで、lacZの発現した細胞にのみ酸化ストレスを付与し、選択的な細胞死を誘導できる新たなプローブになると考えられる。これが開発できれば、特定の種類の細胞機能を光によってノックダウンする新しいloss of functionの手法や、がん細胞等の特定の細胞種だけを殺傷し治療する医療応用、など幅広い展開が期待できる。デザイン・合成したTGI-βGalは、(1)electron acceptorとしてxanthene環にヨウ素原子を導入した光増感団部位、(2)electron donorとして電子供与能を有するベンゼン環部位、(3)酵素反応部位としてβ-galactopyranosyl基、の3つの構造からなる。TGI-βGalはβ-galactosidaseとの反応前は、PeTにより1O2生成能が抑制されているが、lacZ発現細胞に取り込まれ、β-galactosidaseによりβ-galactopyranosyl基が切断されてTGIに変換されると、electron acceptorの還元電位が変化しベンゼン環部位から電子移動が起こらなくなり1O2を生成すると考えられる。検討の結果、当初の予想通り、TGI-βGalを用いる事により、lacZを発現し、かつ光照射を行った細胞においてのみ細胞死を誘導することに成功した。光増感剤の1O2生成能の制御はほとんど報告例がなく、このようなoff/onスイッチを有する光増感剤が細胞レベルで機能することを示したのは世界で初めてである。

上記の成果は、薬学研究に極めて大きな寄与があり、薬学(博士)の学位に値するものと認めた。

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