学位論文要旨



No 121556
著者(漢字) 齊木,吉隆
著者(英字)
著者(カナ) サイキ,ヨシタカ
標題(和) カオス力学系の不安定周期軌道に基づく数値的研究 : マクロ経済学の景気循環モデル
標題(洋) Numerical study about a chaotic dynamical system based on unstable periodic orbits : Business cycle model of macro-economics
報告番号 121556
報告番号 甲21556
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数第278号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 時弘,哲治
 東京大学 教授 楠岡,成雄
 東京大学 教授 吉田,朋広
 東京大学 助教授 稲葉,寿
 東京大学 助教授 ウィロックス,ラルフ
 京都大学 教授 山田,道夫
 慶応義塾大学 教授 丸山,徹
内容要旨 要旨を表示する

本論文では,カオス的景気循環連続力学系モデルに対して,多数の不安定周期軌道を数値的に検出し,それに基づいて様々な解析をおこなった.そして,大局的なふるまいに関しては,あるひとつの不安定周期軌道で十分捉え得ることを明らかにし,安定周期軌道を生み出すモデルとの間に本質的な差がないという示唆を得た.

自然科学,社会科学のあらゆる分野において散逸的カオス現象は出現しており,現象の観察やモデル力学系の数値的カオス軌道に基づいて,さまざまな発見がなされてきたが,未解明な点も非常に多い.カオス力学系やカオス的不変集合の定義は,現在までにひとつに定まっていないが,「不安定性」と「回帰性」の二つの概念が,カオスに関する定義の中には一般に組み込まれている.カオス力学系の不安定周期解は,これら二つの特徴を持ち合わせた特殊解であり,また,カオスアトラクタには無数の不安定周期軌道が埋め込まれていることが知られている.そのため,不安定周期軌道は,力学系の特徴づけにおいて本質的な役割を果たすことが容易に想像され,実際,公理A力学系やDevaneyによるカオス的不変集合の定義をはじめとして力学系の理論研究において周期軌道は頻繁に用いられている.しかし,応用科学においては,カオス制御に関連して,不安定周期軌道を用いたいくつかの研究は存在したものの,カオス力学系の具体的な特徴を考察する目的で不安定周期軌道が用いられることは極めて少なかった.その最大の理由は,不安定周期軌道は,その不安定性ゆえに正方向の時間積分を行うことによって検出することが不可能なため,数値的にも検出困難であることであろう.しかし,この数年の間に流体力学の分野において,ナヴィエ・ストークス方程式や乱流シェルモデルの不安定周期軌道を数値的に検出し,それに基づいて乱流における秩序構造を明確に捉える非常に興味深い研究(Kawahara and Kida(2001),Kato and Yamada(2003))がおこなわれ,広く注目を集めている.ただ,これらの研究においては,力学系の次元が高いこともあり,検出される不安定周期軌道の個数は高々数個に留まっている.カオスアトラクタの不安定周期軌道による詳細な特徴づけに関する理論研究は存在する(Bowen(1970),Cvitanovic(1988))ものの,一般に極限操作を伴うために,十分多くはない有限個の周期軌道しか検出し得ない具体的な系への応用には直接つながっていない.応用上十分多くはない周期軌道に基づいたカオス解析に対する知見を深めていくことは非常に興味深く,本論文におけるひとつの主題となる.

ところで,失業とインフレーションの経済学と言われるマクロ経済学において,景気循環は最も重要な話題のひとつである.景気は極めて多くの要因によって変動していると考えられ,さまざまな偶然に支配されていることも想像に難くない.しかし,マクロ的な観点に立てば,景気の循環を生み出す基本的メカニズムは少数の要因に基づいていると考えることは自然であり,景気循環を少数自由度の力学系として捉える研究は盛んに行なわれてきた(Kaldor(1940),Goodwin(1967),Pohjola(1981).その際,安定解をもつ力学系モデルとカオス的な解をもつ力学系モデルの双方が取りあげられてきたが,ダイナミクスに大きな違いがないと思われる場合にもそれらの間には大きな隔たりがあるように受け止められてきた.しかし,景気循環とは,その言葉のとおり景気の周期的な変動であり,安定周期軌道をもつ力学系モデルばかりでなく,カオス的な解をもつ力学系モデルを考察する際にも,系に無数に埋め込まれている周期軌道に着目することは極めて自然であり,周期軌道解析はその隔たりを埋める上で非常に有効であると予想される.

本論文では,労働者,雇用者,ケインズ的財政政策を行なう政府の三主体が経済を織りなす国と,より強いケインズ政策を行なう政府をもつ国の間に投資構造が存在することによってカオス的景気変動を生じる,純粋に資本主義的な構造をもつケインズ・グッドウイン型の二国景気循環連続力学系モデルに対して,系の不安定周期軌道に焦点をあてた考察をおこなった.その際,系に埋め込まれた多数の不安定周期軌道を数値的に検出することが重要な手続きとなる.検出にはニュートン・ラフソン・ミーズ法を用いたが,本論文では,検出を試みる周期軌道の安定性指数と周期に対応した減速係数を導入することによって,各イテレーションにおいて,周期軌道からの本質的なずれのみを取り出す改良を施し,不安定性が高い周期軌道や周期が長い周期軌道を含む,より多くの周期軌道の検出を可能とした.この数値手法を用いて8000個以上の周期軌道を検出し,重複を除いた実質の種類でも800個以上を数値的に同定することに成功した.この検出で,周期の短い500個程度の周期軌道については,ほぼ網羅されていると考えられる.これらの周期軌道に基づいて,モデルが生み出す景気循環に関し,

1.典型的ダイナミクス

2.統計的性質

3.位相的性質

の観点で考察をおこなった.

ダイナミクスにおける典型的構造に着目して,カオス軌道と不安定周期軌道との間の詳細な対応関係を確認した.ある経済変数(第一国の労働分配率)の時間変動における極大値に着目して,それが減少に転じるまでに存在する極大の数によってダイナミクス(レジーム)を分類した.カオス軌道は,事実上(99%),7種類のレジームに分類されるが,それら7種類のレジームのみで構成される周期軌道が検出された.また,レジーム間遷移も周期軌道の存在によって捉えられることを確認した.カオス軌道においては,46種類のレジーム間遷移が確認されているが,1種類を除いた45種類のレジーム間遷移は検出された周期軌道の中に確認され,カオス軌道において確認されなかったレジーム間遷移は,検出された周期軌道の中にはひとつも検出されなかった.これらの結果は,本モデルのカオスダイナミクスの特徴的構造が,数値的に検出可能な周期軌道によって十分捉えられることを示している.

なお,二国間の相互作用パラメタを減らしていき,系が安定化してリミットサイクルをもつ状態まで周期軌道の分岐追跡を行ない,追跡過程で一部の周期軌道がアトラクタからはずれていくこと,およびそれに伴って,アトラクタの構造(出現レジーム)が変化していることを確認した.この結果は,アトラクタの構造変化が,主に,不安定周期軌道の構造変化ではなく,埋め込まれた不安定周期軌道の種類の変化に対応していることを示唆している.一方,ある一つの周期軌道(UPO2)は,大きな構造の変化もなく,力学系が安定化した後にもアトラクタに埋め込まれ続けていることを確認した.

数値的に検出された不安定周期解に関して,時間平均や分散などの低次の統計量を計算して,どの周期軌道もカオスの統計量を近似していること,さらに周期軌道(UPO2)の各経済変数に関する出現確率密度関数が,カオスのそれを早く近似していることを確認した.また,同じポアンカレ写像周期をもつすべての周期軌道に関し,すべての経済変数に関する統計量は,連続力学系の周期に対してほぼ線形な滑らかな依存を示すことを見出した.本結果は,周期無限大の周期軌道とみなせるカオス軌道を含めて,モデルの任意の周期軌道が大局的には同じ種類のダイナミクスをもつことを示唆する.さらに500個の周期軌道を周期の短い順に複数のグループに分類して統計量を考察し,カオス軌道の統計量の近似の目的で,ひとつの周期軌道を選ぶ場合には,周期の短い周期軌道(例えばUPO2)で十分であるという結果を得た.なお,多数の周期軌道に基づくと,カオス軌道の低次の統計量は,およそ2%の誤差で近似可能であることも確認した.

カオス軌道は,周期無限大の周期軌道と解釈可能なため,周期軌道の周期に対する個数増大度に基づいて,「カオス軌道の種類」,すなわちカオスの複雑さを見積もることが可能である.この増大度は,力学系の位相エントロピーに関連する量であり,力学系を特徴づける極めて本質的な指標である.本論文では,短い周期をもつものに関してほぼ網羅された不安定周期軌道を,ボアンカレ写像の周期に基づいて分類してその個数を数え上げることで,指数増大度を1.4程度と見積もり,ローレンツ系の古典パラメタと比べてもカオスの複雑さが小さいことを明らかにした.数値的に検出可能な個数の周期軌道によって周期軌道の個数増大度を十分に見積もることが可能であることは,本力学系の位相的骨格が,周期が短い周期軌道によって捉え得ることを示唆している.

本論文において考察した二国景気循環モデルは,埋め込まれた周期軌道に基づいて得られた結果から,カオス状態においてもダイナミクスの複雑さが極めて低く,大局的構造に関しては,ある周期軌道(UPO2)と異なるダイナミクスはもっていないことが明らかになった.そして,その周期軌道(UPO2)の分岐追跡に基づき,二国間投資の相互作用を減らすことによって力学系の安定性変化は生じるものの景気循環を生み出す基本メカニズムには変化は見られないという示唆を得た.このように,本論文では,従来,考察する適切な手段に欠いていた安定モデルとカオスモデルのダイナミクスの類似性を,周期軌道に着目することによって捉えることに成功した.

なお,カオス力学系の妥当な数値計算という観点でも,周期軌道は有意義であり,周期軌道解析は,その点でも価 値のあるカオス解析手法であると考えられ,今後の更なる進展が期待される.

審査要旨 要旨を表示する

本論文では,労働者,雇用者,ケインズ的財政政策を行なう政府の三主体が経済を織りなす国と,より強いケインズ政策を行なう政府をもつ国の間に投資構造が存在することによってカオス的景気変動を生じる,純粋に資本主義的な構造をもつケインズ・グッドウイン型の二国景気循環連続力学系モデルに対して,系の不安定周期軌道に焦点をあてた考察をおこなっている.その際,系に埋め込まれた多数の不安定周期軌道を数値的に検出することが重要な手続きとなるが,検出にはニュートン・ラフソン・ミーズ法を用い,検出を試みる周期軌道の安定性指数と周期に対応した減速係数を導入することによって,各イテレーションにおいて,周期軌道からの本質的なずれのみを取り出す改良を施し,不安定性が高い周期軌道や周期が長い周期軌道を含む,より多くの周期軌道の検出を可能としている.この数値手法を用いて8000個以上の周期軌道を検出し,重複を除いた実質の種類でも800個以上を数値的に同定することに成功した.この検出で,周期の短い500個程度の周期軌道については,ほぼ網羅されていると考えられる.これらの周期軌道に基づいて,モデルが生み出す景気循環に関し,

典型的ダイナミクス

統計的性質

位相的性質

の観点で考察をおこなっている.

ダイナミクスにおける典型的構造に着目して,カオス軌道と不安定周期軌道との間の詳細な対応関係を確認した.ある経済変数(第一国の労働分配率)の時間変動における極大値に着目して,それが減少に転じるまでに存在する極大の数によってダイナミクス(レジーム)を分類した.カオス軌道は,事実上(99%),7種類のレジームに分類されるが,それら7種類のレジームのみで構成される周期軌道が検出された.

また,レジーム間遷移も周期軌道の存在によって捉えられることを確認した.カオス軌道においては,46種類のレジーム間遷移が確認されているが,1種類を除いた45種類のレジーム間遷移は検出された周期軌道の中に確認され,カオス軌道において確認されなかったレジーム間遷移は,検出された周期軌道の中にはひとつも検出されなかった。これらの結果は,本モデルのカオスダイナミクスの特徴的構造が,数値的に検出可能な周期軌道によって十分捉えられることを示している.

なお,二国間の相互作用パラメタを減らしていき,系が安定化してリミットサイクルをもつ状態まで周期軌道の分岐追跡を行ない,追跡過程で一部の周期軌道がアトラクタからはずれていくこと,およびそれに伴って,アトラクタの構造(出現レジーム)が変化していることを確認した.この結果は,アトラクタの構造変化が,主に,不安定周期軌道の構造変化ではなく,埋め込まれた不安定周期軌道の種類の変化に対応していることを示唆している.一方,ある一つの周期軌道(UPO2)は,大きな構造の変化もなく,力学系が安定化した後にもアトラクタに埋め込まれ続けていることを確認した.

数値的に検出された不安定周期解に関して,時間平均や分散などの低次の統計量を計算して,どの周期軌道もカオスの統計量を近似していること,さらに周期軌道(UPO2)の各経済変数に関する出現確率密度関数が,カオスのそれを良く近似していることを確認した.また,同じボアンカレ写像周期をもつすべての周期軌道に関し,すべての経済変数に関する統計量は,連続力学系の周期に対してほぼ線形な滑らかな依存を示すことを見出した.本結果は,周期無限大の周期軌道とみなせるカオス軌道を含めて,モデルの任意の周期軌道が大局的には同じ種類のダイナミクスをもつことを示唆する.さらに,500個の周期軌道を周期の短い順に複数のグループに分類して統計量を考察し,カオス軌道の統計量の近似の目的で,ひとつの周期軌道を選ぶ場合には,周期の短い周期軌道(例えばUPO2)で十分であるという結果を得た.なお,多数の周期軌道に基づくと,カオス軌道の低次の統計量は,およそ2%の誤差で近似可能であることも確認した.

カオス軌道は,周期無限大の周期軌道と解釈可能なため,周期軌道の周期に対する個数増大度に基づいて,「カオス軌道の種類」,すなわちカオスの複雑さを見積もることが可能である.この増大度は,力学系の位相エントロピーに関連する量であり,力学系を特徴づける極めて本質的な指標である.本論文では,短い周期をもつものに関してほぼ網羅された不安定周期軌道を,ポアンカレ写像の周期に基づいて分類してその個数を数え上げることで,指数増大度を1.4程度と見積もり,ローレンツ系の古典パラメタと比べてもカオスの複雑さが小さいことを明らかにした.数値的に検出可能な個数の周期軌道によって周期軌道の個数増大度を十分に見積もることが可能であることは,本力学系の位相的骨格が,周期が短い周期軌道によって捉え得ることを示唆している.

以上のように本論文は,マクロ経済学モデルとして目新しい観点,方法を与えた論文であり,独立な不安定周期軌道を約800個も系統的に求めたのは他に例がなく,従来漠然と信じられていた長い不安定周期軌道にわたる平均はカオス平均にほぼ一致する直感的な議論が実は正しくないことを示した高く評価できる.論文全体を通して,複雑な計算を実行して明快な結果を得る計算力や,大規模計算のための効率的なプログラム作りにおいていくつか独創的なアイデアが見て取られる.また,論文の記述も明快である.よって,論文提出者齊木吉隆は,博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める.

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