学位論文要旨



No 121562
著者(漢字) 逆井,卓也
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,タクヤ
標題(和) 曲面の写像類群,ホモロジー同境のなす群と3次元多様体の不変量
標題(洋) Mapping class groups, groups of homology cobordisms of surfaces and invariants of 3-manifolds
報告番号 121562
報告番号 甲21562
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数第284号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森田,茂之
 東京大学 教授 松本,幸夫
 東京大学 教授 坪井,俊
 東京大学 教授 河野,俊丈
 東京大学 教授 古田,幹雄
 東京大学 助教授 河澄,響矢
内容要旨 要旨を表示する

本論文は次の2部構成となっている.

Johnson準同型と曲面の写像類群の部分群の有理コホモロジー.

曲面のホモロジー同境全体のなす群の構造.

これらの内容は独立しており,どちらからも読み始めることができる.しかしながら,2つの共通部分として曲面の写像類群があることを注意しておく.曲面の写像類群の役割は多岐にわたるが,位相幾何の視点からは,曲面束のモノドロミーとしてのはたらき,写像トーラスやHeegaard分解などにみられるような低次元多様体の構成要素としてのはたらきなどが代表的である.本論文の第1部は前者,第2部は後者の立場に近い.

第1部の主題は写像類群の部分群の有理コホモロジーである.よく知られているように,写像類群のコホモロジーは曲面束の特性類を与える.さらに,写像類群の曲面のホモロジーへの作用の核であるTorelli群を考えると,そのコホモロジーは,底空間の基本群がファイバーのホモロジーに自明に作用するような曲面束の特性類となっている.本論文ではまず,このTorelli群のコホモロジーに注目する. Torelli群は,写像類群より複雑な構造をもっているがJohnsonは一連の研究のなかで,現在第1 Johnson準同型と呼ばれている有限生成自由アーベル群への準同型を定義し,Birman-Craggs準同型による振れ元の部分とあわせて,Torelli群のアーベル化を決定した.

いま第1 Johnson準同型をTorelli群の「近似」とみなし, Torelli群との差をコホモロジーの視点で見てみる.すなわち,第1 Johnson準同型が誘導する有理コホモロジーの間の準同型を考え,その核と像を決定することを考える.1次の部分はJohnsonが示したように同型となっている.さて,この誘導準同型の定義域はトーラスのコホモロジー環そのものであり,その構造は簡明であるが,ベクトル空間としての次元は,曲面の種数やコホモロジーの次数の増加に伴って急激に大きくなる.そこでJohnson準同型の写像類群同変性に注目すると,誘導準同型の核は,有理数係数のシンプレクティッタ群Sp(2g,Q)-加群である定義域の中のSp(2g,Q)-部分加群になっていることがわかる.こうして,問題をSp(2g,Q)の表現論という「対称性」を利用して考えることができる.

2次の部分については,Hainや森田茂之氏によって解決され,非自明な核が存在することが示されている.証明は,Sullivanの完全列を用いて核に入る部分を特定し,残りの核に入らない部分をTorelli群の可換部分群の基本類(アーベリアンサイクルと呼ばれている)を用いて具体的に評価することによってなされている.

主結果の1つ目は3次の部分に関するものである.具体的には,考えている誘導準同型の定義域は安定域において24個の既約成分に分解するが,まずそのうちの23個の成分に関して,核に入るか否かを決定する.それは,2次のところで現れた核とのカップ積を調べたり,3次のアーベリアンサイクルを構成して評価することによってなされる.残りの1つの成分に関しては,その答えが得られていないが,それが核に入るための必要十分条件を,写像類群のコホモロジーの元であるMorita-Miller-Mumford類たちの間のTorelli群上でのある関係式の成否によって表す.この問題は偶数番目のMorita-Miller-Mumford類がTorelli群上で非自明か,という予てからの問題と密接に関係している.本来は4次以上のコホモロジーの問題であるが,得られた同値性は,その問題の一部が3次のコホモロジーと関連しているということを示唆していることに注意する.

続いて,第1 Johnson準同型の核(Johnson核と呼ばれる)を考える.この群はJohnsonによって,曲面上の分離単純閉曲線に沿ってのDehn twistたちが生成する群と一致することが示されているが,定義の簡明さに反して,その理解はあまり進んでいない.森田氏の結果に見られるように,この群はホモロジー3球面のCasson不変量や曲面束の2次特性類との関連をもっており,その構造は興味深いものとなっている.Johnson核に対して,第2 Johhnson準同型と呼ばれる,有限生成自由アーベル群への写像類群同変な準同型が定義される.主結果の2つ目は,第2 Johnson準同型が誘導する2次の有理コホモロジーの間の準同型の核の決定である.証明の基本的な方針は第1 Johnson準同型のときと同様であるが,その中でJohnson準同型のLie代数準同型としての記述が証明の鍵となり,結果として,核はより深い第4 Johnson準同型の像として現れる既約成分と一致する.

こうして,Torelli群やJohnson核の低次の有理コホモロジーの次元の下からの評価(無限次元の可能性もある)が得られる.しかしながら,ここで得られたものはすべてアーベリアンサイクルによって評価可能であり,これですべてであるとは考えられない.これらの外にある非自明な類(Torelli群の3次に現れたものが第1候補である)をみつけることは今後の課題である.

第2部の主題は曲面のホモロジー同境全体のなす群の構造であり,主として,閉曲面から1つの開円板を取り去った曲面のホモロジー同境と境界のマーキングを組にしたホモロジーシリンダーと呼ばれるものを考察する.それらの同型類全体の集合には自然な方法でモノイドの構造が入る.ホモロジーシリンダーは葉廣和夫氏によって,クラスパー手術の理論の応用に適した対象として導入され,それをきっかけとして閉3次元多様体の有限型不変量との関連とともに体系的な研究がなされてきた.ホモロジー3球面やpure string link(純くみひもの一般化)から標準的なやり方でホモロジーシリンダーを作ることができる.また,与えられたホモロジーシリンダーに対し,マーキングを写像類群の元を用いて変えることにより異なるホモロジーシリンダーができる.このように,ホモロジーシリンダーは, 3次元多様体論において重要な役割を担っている対象を同時に考えることができるものであり,それ故,それらのなす集合をモノイドの構造を用いて調べていくことは非常に有用であると思われる.

ホモロジーシリンダーの研究の1つの方法として,GaroufalidisやLevineによって導入されたホモロジーシリンダーのホモロジー同境群Hg,1を考察するというものがある.これは,ホモロジーシリンダーを閉じるという操作により,閉3次元多様体をホモロジー同境を法として考えることとも繋がっている.第2部では,この群Hg,1の構造について得られた結果を述べる.

まず,群Hg,1が写像類群のある意味での拡大であるという観点から,写像類群におけるDehn-Nielsenの定理をHg,1に対して拡張する.Stallingsの定理を用いてGaroufalidis-Levineは自由群の幕零完備化の自己同型群への表現としてDehn-Nielsenの定理の拡張を構成したが,その表現先はHg,1を表現するものとしては若干大きい.本論文ではLevineによって導入された自由群のacyclic closureなる群を用い,その自己同型群の部分群としてDehn-Nielsenの定理の拡張を与える.自由群のacyclic closureを用いることの有用性の根拠のひとつとして,その自己同型群が, Hg,1から基本群に関する情報を抽出して得られる群と自然に同型であるということが挙げられる.なお,得られた表現は単射でないことを注意しておく.

次に自由群のacyclic closureの自己同型群に関するJohnson準同型を記述する.Johnson準同型の像の決定の問題は写像類群や自由群の自己同型群において重要な問題となっているが,いま考えている状況では簡単な考察ですべて決定することができる.これらの群の位置関係が如実に表れている例となっている.続いてMagnus表現の拡張を行う.これは,Le DimetやKirk-Livingston-WangによるGassner表現のstring linkへの拡張に対応している.拡張されたMagnus表現は,それ自身がHg,1の行列値の不変量であるが,後述の不変量の構成においても広く用いられる重要な研究道具となっている.

以後の章では,関連するHg,1の不変量を構成し,その性質を調べていく.不変量の中には,写像類群上で自明となるものもあり,その過程は写像類群の理論の拡張にとどまっていない.例として,ホモロジーシリンダーを閉じて得られる閉3次元多様体を用いたボルデイズム不変量,Atiyah-Patodi-Singerによるρ-不変量を応用した不変量,CochranやHarveyらによる非可換Alexander不変量の応用した不変量などがある.これらの不変量を調べることにより,ホモロジーシリンダーが豊富に存在することや,それぞれの不変量の特徴,相互関係をみてとることができる.

審査要旨 要旨を表示する

向きづけ可能な閉曲面の写像類群は,代数幾何学,複素解析学,位相幾何学,微分幾何学,さらには数理物理学等,数学の多くの分野に関わる極めて重要な研究対象である.位相幾何学の立場からは,曲面バンドルのトポロジー,およびHeegaard分解を通して3次元多様体論との関わりが,二つの重要なテーマとなる.論文提出者の逆井氏は,これら双方の観点からの写像類群の研究を行い,いくつかの結果を得た.本論文は二つの部分からなり,第一部は前者,第二部は後者の観点からの結果を述べたものである.

第一部のテーマは,写像類群の種々の部分群の有理係数コホモロジー群に関するものである.写像類群にはJohnsonフィルトレーションと呼ばれるフィルトレーションが定義され,その第k番目の部分群からは,第kJohnson準同型写像と呼ばれる,あるアーベル群への準同型写像が定義されている.第一の部分群は,曲面のホモロジー群に自明に作用する写像類全体の成す部分群として定義されるTorelli群と呼ばれる部分群であり,また第二の部分群は, Johnson核あるいはJohnson部分群と呼ばれ,いずれも写像類群の極めて重要な正規部分群である.

第一Johnson準同型写像が有理コホモロジー群に誘導する準同型写像は,種数が3以上の場合,次数1では同型であることはJohnson自身の基本定理である.また次数2においては,Hainおよび森田の仕事により完全に決定されている.逆井氏は,次数3の場合を研究し,一つの未確定の部分を除き決定した.つぎに第二Johnson準同型写像が有理コホモロジー群に誘導する準同型を研究し,ここでは,次数2の場合を完全に決定した.これによりJohnson核の2次元有理コホモロジー群の次元の下からの評価を得た.この評価は,現在知られている範囲で最良の評価を与えるものである.

第二部のテーマは,ホモロジーシリンダーのホモロジー同境類全体の成す群の構造の研究である.ホモロジーシリンダーの概念は,葉廣氏およびGoussarovにより独立に導入され, 3次元多様体論,とくに有限型不変量の理論において,重要な役割を果たしてきている.一方Garoufalidis-Levineは,ホモロジーシリンダーのホモロジー同境類を考え,それら全体が写像類群を自然な部分群として含む,ある大きな群をなすことを示し,その構造の研究を開始した.しかし,この群については,現状では未知のことが極めて多く,神秘的な群ともいえるものである.

逆井氏は,この群に関する組織的な研究を行い,いくつかの重要な結果を得た.まずLevineにより1980年代末に導入された,群のacyclic closureの概念を発展的に駆使することにより,写像類に関する古典的な定理であるDehn-Nielsenの定理の,ホモロジーシリンダーのホモロジー同境類全体の成す群に対する一般化を定式化し,それを証明した.つぎに,逆井氏は,自由群の自己同型群や写像類群に対して定義される,古典的なMagnus表現を,この群に対して拡張定義した.これらの結果は,この群のこれからの研究にとって基本的な定理となるものと思われる.

最後に逆井氏は,上記の諸道具を用いることにより,上記の群に関する種々の不変量を定義し,それらの性質を調べた.たとえば,ホモロジーシリンダーを閉じて得られる3次元多様体を用いたボルデイズム不変量,あるいはある種の非可換Alexander多項式不変量等である.これにより,この群が写像類群より極めて大きいことが端的に示されている.

以上のように論文提出者の研究は,写像類群およびホモロジーシリンダーのホモロジー同境類全体の成す群に関して,いくつかの新しい知見を与えるものであり,これらの群の構造の研究に貢献するものである.

よって,論文提出者 逆井卓也は,博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める.

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