学位論文要旨



No 121571
著者(漢字) 佐藤,隆夫
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,タカオ
標題(和) 自由群の自己同型群のホモロジー,及び付随するリー代数の組み合わせ群論的研究
標題(洋)
報告番号 121571
報告番号 甲21571
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数第293号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 河澄,響矢
 東京大学 教授 松本,幸夫
 東京大学 教授 森田,茂之
 東京大学 教授 織田,孝幸
 東京大学 教授 河野,俊丈
 岡山大学 教授 中村,博昭
内容要旨 要旨を表示する

この論文は3部構成であり,第1部では,自由群の自己同型群のねじれ係数2次元ホモロジー群の組み合わせ群論的な計算を紹介する.また,第2部では,自由群の自己同型群のJohnson準同型の全射性に関する新しい障害の構成を考える.最後に第3部では,自由群の合同IA-自己同型群と呼ばれる,自由群の自己同型群のある正規部分群に関して,そのアーベル化を決定する.以下はそれぞれの要旨である.

第1部:自由群の自己同型群のねじれ係数2次元ホモロジー群について.

nを2以上の整数,Fnを階数nの自由群,AutFnを自由群Fnの自己同型群とする.また,HをFnのアーベル化,H*=Homz(H,Z)をそのZ-双対加群とする.すると,自由群の自己同型群AutFnは自然にH,従って,H*に作用する.論文[7]では,これらの作用に関するAutFnのねじれ係数1次元ホモロジー群を,自由群の自己同型群の表示を用いて計算した.第1部では,同作用に関する2次元ホモロジー群が,係数環が1/2を含むような場合に,0となることを示した.即ち,〓を有理整数環Zに1/2を添加して得られるQの部分環とし,任意なZ-加群Mに対して,係数をLに拡大したL-加群を〓とおく.このとき,以下のような結果が得られた.

定理1n〓6のとき,

最近,Hatcher及び,Wahl[3]らは,ある3次元多様体の写像類群のホモロジーの安定性を考察することにより,n〓3i+9のとき,

となるという,注目すべき結果を得た.従ってn〓15のとき,我々の結果のひとつであるH2(AutFn,HL)=Oは,彼らの結果から直ちに得られることが分かる.しかしながら,我々の手法は彼らのものとは全く異なり,自由群の自己同型群の表示を用いて組み合わせ群論的に行われる.群の表示を用いて計算することの利点の一つは,彼らの手法では直接計算できな,H2(AutFn,H*)の場合についても計算できるところにある.計算の概略は以下の通りである.まず,AutFnのHへの作用により,自然な全射準同型写像

が得られるが,このρによるSL(n,Z)の逆像をAut+Fnとおき,自由群の特殊自己同型群と呼ぶ.Gersten[2]により,Aut+Fnは有限表示を持つことが知られている.いま,これを〈X〓R〉とおき,FをX上の自由群,RをFにおけるRの正規閉包とすれば自然な完全系列

が得られる.この完全系列が誘導するホモロジー群の5項完全系列を考察することによって,Aut+Fnのねじれ係数2次元ホモロジー群が算出される.これらの結果を用いてAutFnのホモロジー群が計算される.

第2部:自由群の自己同型群のJohnson準同型の全射性に関する新しい障害について.

第2部では自由群の自己同型群に付随するリー代数,特にその斉次成分に関する考察を行う.Γn(1)=Fn,Γn(2),...をFnの降中心列とする.各k〓Oに対して,Fn/Γn(k+1)に自明に作用するAutFnの元全体をAn(k)とおくと,自由群の自己同型群の正規部分群の降下列

が得られる.Andreadakis[1]によって,これは中心列となることが知られている.各k〓1に対し,次数商grk(An)〓An(k)/An(k+l)は有限生成アーベル群であり,その次数和をgr(An)とおくと,gr(An)には,An(1)の交換子積から誘導される自然なブラケット積により,Z上のリー代数の構造が入る.これをAutFnに付随するリー代数と呼ぶ.各次数商grk(An)はAutFnの逐次近似とみなすことができ,これの構造を調べることはAutFnのホモロジーを考察する上でも重要である.しかしながら,一般にgrk(An)の構造は殆ど解っておらず,k=1,2の場合にその階数が知られているくらいであった.第2部の目的の一つは,gr3(An)の階数を求めることにある.

〓をHが生成するZ上の自由リー代数とする.AutFnに付随するリー代数の各次数商grk(An)の構造を調べる強力な手段の一つとして,Johnson準同型写像

が定義される.各Johnson準同型写像はGL(n,Z)同変であり,構成の仕方から単射である.k=lのときJohnson準同型は全射,したがって同型になることが知られているが,k〓2のとき,Johnson準同型は全射ではない.実際,森田traceと呼ばれるGL(n,Z)同変な全射準同型写像

であって,Johnson準同型写像の像に制限すると零写像となるものが,森田茂之によって構成されている.ここで,SkHはHのk次対称テンソルを表す.

さて,部分群An(1)は自由群のIA-自己同型群と呼ばれ,IAnとも表される.〓をIAnの降中心列とする.定義から明らかに〓であるが,現在,これらは完全に一致することが予想されている.実際,n=2のときは一致し,n〓3に対しては〓,([4]参照.)及び,〓はAn(3)の中で指数有限となることが知られている.([6]参照.)従って,〓たちを考察することは,〓たちを調べる上でも重要である.特に〓を考えることの利点は,〓の生成元が,IAnの生成元の交換子として帰納的に得られる点にある.今,上述のJohnson準同型と同様な方法によりGL(n,Z)一同変な準同型写像

が定義される.これもAutFnのJohnson準同型と呼ぶ.第2部の主な目的は,この〓の全射性に関する新しい障害を構成することにある.以下,便宜的に,Z-加群Mに対して,係数環をQに拡大したQ-ベクトル空間を,Mに添え字Qをつけて表すことにする.また,Z-加群の間の準同型写像fが誘導するQ-ベクトル空間の間の写像も同様に,添え字Qを付けてfQなどと表すことにする.このとき,次の結果を得た.

定理2

(1)3〓k〓nを満たす奇数kに対し,〓

(2)4〓k〓n-1を満たす偶数kに対し〓

ここで,AkHQはHQのk次交代テンソル〓はkの分割[2,1k-2]に対応する,HQのSchur-Weyl加群である.

この定理を証明するために,以下のような,GL(n,Z)-同変な準同型写像であって,Johnson準同型写像〓の像に制限すると零写像となるものを構成した.

これらの写像は,森田traceと構成の仕方が似ているので,trace写像と呼ぶことにする.trace写像がJohnson準同型写像〓の像に制限すると零写像となることが証明の重要なポイントであるが,これは〓たちの和〓が,An(1)の降中心列に付随するリー代数から,H上の自由リー代数の微分代数への,リー代数としての準同型になるという性質を用いて,帰納的に証明される.

さて,上述のように,〓及び,〓はAn(3)の中で有限指数であるので,A=2,3のとき,〓である.一方,Magnus[5]によって,IAn=An(1)の有限生成系が与えられており,これより各次数商gr2(An),〓の生成元が記述される.このとき,それらの像を計算することにより,以下の結果を得た.

定理3 n〓3に対して,

及び,

はGL(n,Z)-同変な完全系列である.

この定理の系として,以下を得た.

系1 n〓3に対して,

第3部:自由群の合同IA自己同型群のアーベル化について.

第3部では,GL(n,Z)-の主合同部分群に対応する,AutFnの正規部分群のアーベル化を考察する.まず,第1部で考えた準同型写像ρ:AutFn→GL(n,Z)に対して,ker(ρ)=IAnであった.n〓2及び,d〓2に対して,GL(n,d)をZ/dZ上の一般線形群とし,πd:GL(n,Z)→GL(n,d)を法dによる還元が誘導する自然な準同型写像とする.また,leveldの主合同部分群をr(n,d):=ker(πd)と表す.さて,合成写像πdoρ:AutFn→GL(n,d)の核をIAn,dとおいて,leveldの自由群の合同IA-自己同型群と呼ぶ.このとき,IAn,dのアーベル化について以下の結果が得られた.

定理4 n〓2及び,d〓2に対して,

この定理は,群の完全系列

のホモロジカル5項完全系列

において,ηが分裂単射となることを自由群の自己同型群の"拡張された"Johnson準同型を用いて示すことによって得られる.ここで言う拡張された"Johnson準同型とは,[4]において河澄響矢が自由群のMagnus展開を用いて構成したもので,[4]ではこれを用いて,IAnのアーベル化がGL(n,Z)-加群として〓に同型となることが示されている.

一方,IAn,dの,自由群の外部自己同型群における像を考える.即ち,InnFnを自由群Fnの内部自己同型群とするとき,剰余群IAn,d/InnFnをIOn,dとおく.このとき,IOn,dのアーベル化に関して以下のような結果が得られた.

定理5 n〓2及び,d〓2に対し,

謝辞

この博士論文を製作するに際して,河澄響矢先生のご指導,及び数々のご助言に心より感謝致します.また,著者の研究内容について,度々の相談にも快く応じて下さり,ご助言を頂いた森田茂之先生のご厚意にも深く感謝致します.最後に,著者が東京都立大学在学中にお世話になった指導教官で,大学院在学中も研究に関して数々のご助言と激励を下さった,岡山大学の中村博昭先生に改めて心から感謝致します。

S. Andreadakis; On the automorphisms of free groups and free nilpotent groups, Proc. London Math. Soc.(3)15(1965),239-268.S. M. Gersten; A presentation for the special automorphism group of a free group,J. Pure and Applied Algebra33(1984),269-279.A. Hatcher and N. Wahl; Stabilization for the automorphisms of free groups with boundaries, Geometry and Tbpology, Vol.9(2005),1295-1336.N. Kawazumi; Cohomological aspects of Magnus expansions, preprint, The University of Tokyo. UTMS 2005-18(2005),http://xxx.yukawa.kyoto-u.ac.jp/abs/math.GT/0505497.W. Magnus; Uber n-dimensmale Gittertransformationen,Acta Math. 64(1935),353-367.A. Pettet; The Johnson homomorphism and the second cohomology of IAn, Algebraic and Geo-metric Topology5(2005)725-740.T. Satoh; Twisted first homology group of the automorphism group of a free group, Journal of Pure and Applied Algebra,to appear.
審査要旨 要旨を表示する

自由群の自己同型群は、組み紐群や曲面の写像類群とならんで低次元位相幾何学で重要な役割を果たす無限群であり、これら二つの群を部分群として含んでいる。20世紀前半のM.Dehn,J.NielsenおよびW.Magnus以来の研究史をもつとはいえ、他の二つに較べて未解明の点が多く残されている。複素解析的代数幾何学的アプローチを許さない反面、ある種の簡明さをもつため20世紀初頭以来の組合せ群論の技法が活躍できる余地も充分にある。いずれにせよ当面は、20世紀後半に大きく進歩した写像類群の研究を自由群の自己同型群に翻訳することが研究の有力な道標であり、21世紀初頭の今日、自由群の自己同型群研究の泰斗であるK.Vogtmannの一連の仕事についても、写像類群に関するW.ThurstonやJ.Harerの仕事の影響を指摘することができる。

曲面の写像類群の研究においてはジョンソン準同型に象徴されるように、ねじれ係数ホモロジーや、自由群の降中心列への作用が重要な意味をもつ。論文提出者佐藤氏は、自由群の自己同型群についてねじれ係数ホモロジーおよび自由群の降中心列への作用から誘導されるジョンソン準同型を、組合せ群論的手法および群のコホモロジーの手法を用いて研究している。幾何的および解析的手法が容易に使用できる写像類群とことなり、自由群の自己同型群については現在のところ使用できる手法は限られており、しばしば組合せ群論の手法による膨大な計算が必要となる。論文提出者はこれら膨大な計算をこなし、幾つかの重要な結果を得ている。

論文第1部(および参考論文)は、自由群の可換化およびその双対に係数をもつ(1次元および)2次元ホモロジー群を計算したものである。S.Gerstenが与えた自由群の自己同型群の表示を用いる。群の表示から自明係数2次元ホモロジー群を求めることはHopfの定理という理論的な処方箋によってある程度対処できるが、ここで扱っている2次元ホモロジー群はねじれ係数であり、自明係数に較べ、質的にも量的にも大きな困難が生ずる。佐藤氏はGerstenの表示における関係式相互の関係を明断に整理し、膨大な計算を処理して、これらねじれ係数2次元ホモロジー群の計算を実行した。なお、論文第1部の(自由群の可換化を係数とする)容易な半分についてはA.HatcherとN.Wahlの3次元位相幾何学を用いた結果(Geometry and Topology9,(2005),pp.1295-1336)の系としても導かれるが、(自由群の可換化の双対を係数とする)困難な半分については彼等の結果は使えない。自由群の自己同型群の研究の現状では、論文第1部の結果は実行可能なもののうち最良であると言えよう。

論文第2部は、自由群の自己同型群の第二および第三ジョンソン準同型をほぼ完全に記述した。その際、森田茂之(Duke Math.,70(1993),699-726)による「森田 trace」を発展させた「佐藤 trace」とも言うべき新しい現象を発見している。これらの結果はいずれも、今後、自由群の自己同型群の構造を解明していく上で、基本的重要性をもつものである。.

最後に、論文第3部は自由群の合同IA自己同型群の1次元ホモロジー群を計算したものである。同様の対象である、より複雑であることが予想されるレベルつき写像類群や、より単純な結果をもつ合同部分群と比較して興味深い結果である。

以上の本学位論文において、論文提出者佐藤氏は膨大な計算を実行している。数学的洞察力なしに、これだけの計算を完遂することは不可能である。同時に、得られた結果は極めて明晰なものであり、自由群の自己同型群の研究を確実に前進させたと言うことができる。組合せ群論および群のコホモロジー論に寄与する所は大きい。

よって、論文提出者 佐藤隆夫は、博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

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