学位論文要旨



No 122071
著者(漢字) 内山,優
著者(英字)
著者(カナ) ウチヤマ,マサル
標題(和) 1次元確率過程の非平衡的性質に関する厳密解析
標題(洋) Exact Analysis on Nonequilibrium Properties of One-Dimensional Stochastic Prosesses
報告番号 122071
報告番号 甲22071
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4934号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 國場,敦夫
 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 助教授 加藤,雄介
 東京大学 助教授 羽田野,直道
 東京大学 助教授 岡本,徹
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、1次元系の確率過程、特に厳密に解けるモデルを対象とし、非平衡現象に関する精密な議論を行った。主眼として2つの非平衡的性質、流れのある定常状態の性質、界面成長過程の漸近的時間発展について詳細に調べた。学位論文では、研究対象の導入を行った後、2つの性質に関してそれぞれ厳密に解けることで知られているモデルを説明し、解析結果の議論を述べた。

研究の背景

 近年、非平衡系に関する研究がますます活発になってきている。一つには様々な現象にあふれ尽くせぬ興味を湧かせるという理由があり、緩和現象、反応拡散過程、界面成長、生体現象、経済現象、ネットワーク成長、交通流など我々の身近なところには数多くの非平衡的な現象がある。また、もう一つには非平衡系に関する一般的な基礎理論・基本的性質の確立がまだ未発達であり成果が待たれているという理由がある。平衡系については、熱力学・統計力学ともに基礎理論、定式化に関して完璧な理解が得られている一方で、非平衡系に関しては平衡系近傍の狭い範囲にのみ適用できる理論が得られているのみである。こうした背景の中で我々は様々な試行錯誤の段階にあると言ってよい。

 特に近年活発に行われている研究は特定のモデルに関する研究である。昨今の計算機の発達により数値実験が容易になり、現象のモデル化・妥当性の議論がやりやすくなっている。その一方で、厳密に解けるモデルもいくつか見つかり研究されている。厳密に解けるモデルの優れている点は、物理量を解析的な表式で計算できるところで、計算機の数値的な限界に依存しないだけでなく、数学的に関係性、極限、評価の議論を曖昧さなく実行することができる。厳密に解けるモデルは現象論に対する実験場としての役割を果たすという意味でも重要性は疑いないものである。本研究では特に厳密に解けるモデル2つについて数学的事実を巧みに援用し非平衡現象の解析を行った。

1次元非対称排他過程-非平衡定常状態について

 1次元非対称排他過程(略称ASEP)は1次元格子上の多体ランダムウォーカーの粒子系に対する確率過程のモデルである。特に粒子のランダムホッピングを非対称にすることにより、ある方向に粒子が流れやすくなり定常状態に緩和した後も粒子流の存在する非平衡系となる。また、体積排除効果によって粒子たちは同じ格子点上には来れないという相互作用を課すことにより本質的に多体問題である(図1を参照)。このモデルは読み替えによってスピン鎖の問題にも還元され、これまでよく知られている厳密に解けるスピン鎖モデルと関連して議論できる特徴もある。

 本研究では系を有限サイズ(Lとする)に取り、左右両端の境界から粒子の出入りを許す開放系を解析した。今考えている系には、左右からの粒子の出入りのパラメータ4つ(a,b,c,dとする)とホッピングの非対称性を表すパラメータ(qとする)のあわせて5つがあり、これらを全て一般的に取り扱った。この境界系における定常状態は行列を用いた方法によって定常状態を構成することが知られていたが、この行列がAskey-Wilson 多項式という直交多項式と関係しているという数学的事実を発見した。モデルにおける分配関数の定義に関して基礎的な処方箋は未だ存在していないが、確率過程に自然に現れる規格化定数を分配関数として考えると実際にバルク量の母関数になっていることが分かる。これらの結果、分配関数、バルク的な物理量および多点相関関数に関する厳密に成り立つ積分公式を導出することができた。分配関数の積分公式は次のような積分公式となった。

但し、積分路Cは境界パラメータに依存する。更に系のサイズを大きくする熱力学的極限についてこれらの厳密な積分公式の振舞いを詳細に調べることにより、境界系についての相図を得た。その結果として、左右の粒子の出入りの割合の大小によって系のバルクでの振舞いが決まり、(A)希薄相、(B)渋滞相、(C)最大流量相が現れた(図2)。また、相関関数の振舞いから熱力学極限での相関長の関数形を明らかにしその分類により新たに小さな相の分類も行った。相関関数の有限サイズ補正の計算も行い、境界、粒子間の複雑な相関を見出した。

 ASEPには様々な拡張形が考えられているが、本研究では更に2種類粒子のいる境界系を考察した。但し、新しく導入した粒子は境界からの出入りを禁じる条件を課すため系の中で一定量を保っている。パラメータとして新たに第1種粒子、第2種粒子のフガシティー(ξ,ζ′とする)を導入し、1種系と同様のアプローチを採用することにより、定常状態を与える行列が今度はcontinuous big q-Hermite多項式と関係していることを見出し、分配関数、バルク量および多点相関関数の厳密表式を得た。分配関数の積分公式は次のようになった。

この表式において、ξ=1,ζ′=0とおくと式(1)に還元されるので確かに拡張となっている。更に熱力学的極限を調べることにより、1種系とほぼ似た相図を得た。但し、新しく導入した粒子の存在のため、密度に関して異なる値が出る。

 また、ASEP の解析で用いた行列の方法と厳密に解けるモデルの解析における基礎として使われている量子逆散乱法との関係についても議論し、行列積が頂点作用素の言葉で理解できることも示した。量子逆散乱法はモデルを階層的に取り扱う方法であるため、ASEPを含むようなモデルの階層についての新たな知見を示したことになる。

 本研究で得られたような非平衡系に対する分配関数の厳密公式は非常に稀であり、物理的にも数学的にも価値が高いものであると言える。

多核成長モデル-漸近的時間発展について

 多核成長モデル(略称PNG)は1次元的な基盤上の界面成長のモデルで、KPZユニバーサリティクラスに属する厳密に解析できるモデルとして知られている。界面成長については研究が進んでおり、KPZユニバーサリティクラスはスケーリング指数まで解析的に求められている。一般的に相関関数のスケーリング形などの計算は理論的に難問とされているが、ごく最近、PNG の時間一定での空間多点相関の漸近形が厳密に求められた。スケール相関関数を記述するAiry過程はランダム行列理論やランダム分割といった物理・数学の分野と密接に関わるため特に注目を集めている。

 本研究では、系を無限系/半無限系にとり、滴型初期条件での離散型PNGの時間発展を調べた。この系はマップにより無限系/半無限系ASEP とも関連している。数学的に解析できるために多層に拡張したPNGを考え組合せ確率論的な側面を駆使することにより、「空間的」時間空間相関関数の厳密表式を新たに見出した。これは時間一定の条件を含むより一般的な結果である。

 また、次のような様々な条件下でPNG の長時間T 経った時の漸近形を調べた。

(I)無限系において界面の端にk(=o(T))個の縮退した値を持った外場が加わった場合。

このとき、界面はKPZ スケーリング、ガウシアンスケーリングされる領域に分かれ、それぞれ空間相関関数はAiry過程、k×k GUEの相関核を積分核にもつFredholm行列式で表されることを示した。またその境界では中間的なFk型と呼ばれる積分核をもつFredholm行列式となった。

(I')無限系において界面の端にk(=O(T))個の縮退した値を持った外場が加わった場合。

このとき、多層の中ほどにカスプが現れその周りの多層に対する相関関数がPearcey過程を積分核にもつFredholm行列式で記述されることを示した。

(II)半無限系において原点と界面の端にそれぞれ外場が加わった場合。

このとき、バルク領域は無限系でk=1とした時と同じ振舞いが見出され、KPZスケーリング、ガウシアンスケーリングされる領域が現れた。一方、原点付近ではGSE型、ガウシアン(G)型のゆらぎが現れ、図5のような相図を得た。

結論

 以上のように、本学位論文では流れのある定常状態および界面成長の漸近的時間発展といった非平衡的な振舞いについてそれぞれ厳密なモデルを解析した。これにより、基本量について物理・数学的に重要な厳密公式をいくつも見出した。

図1:ASEPの模式図。パラメータa,cおよびb,dはそれぞれα,γおよびβ,δと関係し、q=pL/pR<1である。

図2:ASEPの相図。(A)希薄相、(B)渋滞相、(C) 最大流量層。ζ0 = 1 が1種系に対応する。横軸は左端からの流入量、縦軸は右端からの排出量の大きさを表している。2種系でも同じ相図となる。

図3:無限系PNGの漸近形。右端にのみk個縮退した外場を加えた場合。スケーリング(相関関数を表す積分核)を示した。

図4:半無限系PNGの漸近形。スケーリング(相関関数を表す積分核)を示した。

図5:半無限系PNG の原点付近でのゆらぎ・相関関数に関する相図。αは原点での外場、γは界面右端での外場の大きさを表す。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文の主題は1次元の確率過程における非平衡的性質の解析的研究である.平衡系からのずれが摂動的に扱える非平衡系については既に線形応答理論等により系統的な理解が得られている.これに対し,平衡からのずれが著しい系の理論は発展途上であり,様々な研究・理論が試行・模索されているのが現状である.本論文ではミクロな確率過程の模型から出発し,マクロな物理量の確率分布,揺らぎ,漸近的振る舞い等を導出するという統計力学的なアプローチを展開している.その最大の特徴は厳密に解ける確率過程モデルを扱うことにある.解けるという状況設定のために単純化された1次元の系ではあるが,非自明な相転移があり,平衡統計力学において2次元イジング模型のような規範的模型となる可能性が期待される.またその解析には,直交多項式や可積分系の理論,表現論,組み合わせ論等が駆使されており,ランダム行列理論との関連を呈するなど数理物理的にも意義深い成果を達成している.具体的な対象系としては外場に駆動された体積排除効果を持つ多粒子系(非対称排他過程)の模型と多核生成型の結晶成長の模型の二つがあり,それぞれ論文の2-4章と5-7章で扱われている.

 まず2-4章における非対称排他過程の模型に関する主な成果を要約する.1次元の格子上に,右向きと左向きに相対確率1:qでホップする粒子の集団を考える.ただし排除効果のために,最隣接サイトが占有されている場合は遷移を禁じ,これにより本質的に多体効果が取り入れられる.また,左右の境界で,排他性を満たしながら一定の確率で粒子の注入,除去をおこなう.これらの確率として2個のパラメーターがあり,左端と右端で独立に設定できるので,境界条件は4個のパラメーターα,β,γ,δで指定される.遷移確率qと併せて合計5個のパラメーターが入った模型を解析的に取り扱い定常状態を導くことに成功した.その結果,粒子流,密度などのバルクに関する物理量をはじめ,相関関数についても熱力学的極限における厳密な結果が得られた.それによると粒子流と密度はパラメーターα,β,γ,δにより3つの領域で異なり,境界条件に駆動されて稀薄相,渋滞相,最大流相の間に相転移があることが示された.さらに希薄相と渋滞相は,相関長の振る舞いが異なる領域に分かれること,境界の影響で3点相関関数は単調でないことなどを見出した.以上は粒子が一種類の場合であるが,この他に第二種の粒子が介在する拡張模型についても厳密解を得た.

 次に5-7章における多核成長模型に関する主な結果を要約する.多核成長模型とは以下のような離散時間・空間上で定義される確率過程である.一次元基板上に確率的にステップが生成される(核生成).ステップは左右に速さ1で成長する(界面成長).ステップが衝突する際は,高い方がそのまま成長し,低い方は仮想的に下の相に移る(多層バージョン).ただし初期時刻では平らな状態から原点にのみ核生成が起こり,以後の核生成はその核が成長した界面上のみに起こるとする.直感的に期待されるように,界面は蒲鉾型の形状に漸近的に近づいていくが,その高さ,左右の揺らぎは時間の〓,〓乗でスケールするなど(Kardar-Parisi-Zhangユニバーサリティー),豊かな振る舞いを呈することが知られていた.論文提出者は,無限系および半無限系において外場を導入し,長時間での相関関数の漸近的振る舞いを解析した.特に,外場の自由度を増やした状況を詳しく調べ,その影響により,漸近界面の一部がKPZと異なる様々なスケーリング則に従うことを見出した.これはSchur, Pfaffian, Airy, Pearceyといった確率過程の多点相関関数をFredholm行列式/パフィアンとして表示し,漸近解析を遂行して得られる結果であり,技術的にも高い水準を達成している.

 以下,章ごとにその内容を概説する.第1章では導入として,本論文の主題である非対称排他過程と多核成長模型について概説し,非平衡系の研究全体の中での位置づけ,意義等について述べている.

 第2章では非対称排他過程を扱っている.行列積の方法,Askey-Wilson直交多項式などを要約し,定常状態を厳密に構成した.またバルクの物理量,相図,相関関数などの導出が詳しく記載されている.

 第3章では粒子を2種類にした場合の拡張を与えた.この場合,関与する直交多項式はcontinuous big q-Hermite多項式であることを初めて見出し,熱力学極限の物理量を導出した.相図自体は定性的には2章のものと同じ結果となっている.

 第4章では行列積の方法と可積分系の手法との関連について幾つかの視察,注意が与えられている.

 第5章では多核生成模型を導入し,関係する確率過程とその多点相関関数に関する既知の結果を総括している.

 第6章では無限系で,境界にk個の外場を入れた場合の多核成長模型の解析を行った.相関関数は,バルクではKPZ的な振る舞いをし,境界近傍ではk×k GUEランダム行列における相関核のフレドホルム行列式になる.これはk=1の場合の先行結果の拡張になっている.

 第7章では半無限系の右端と原点に外場をかけた場合を扱い,バルク領域でKPZ,境界領域でガウス型のスケーリングをすることを示した.

 第8章では論文全体の要約と展望が述べられている.

 本論文は非平衡系について新しい知見を提供するとともに,技術的にも高い水準の解析的手法を完遂しており,学位論文として十分な内容を持っている.

 なお,本論文2章の一部は和達三樹氏,笹本智弘氏との共同研究に基づくものであるが,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 以上のことから,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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