学位論文要旨



No 122701
著者(漢字) 石谷,謙介
著者(英字)
著者(カナ) イシタニ,ケンスケ
標題(和) 数理ファイナンスにおける最適制御問題およびパス空間上の発散定理について
標題(洋) On an Optimal Control Problem in Mathematical Finance and Divergence Theorem in Path Spaces
報告番号 122701
報告番号 甲22701
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第303号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 舟木,直久
 東京大学 教授 楠岡,成雄
 東京大学 教授 吉田,朋広
 東京大学 教授 俣野,博
 東京大学 教授 儀我,美一
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では確率論における離散近似の手法を応用し,以下の二つの問題を取り上げ研究を行った.

(1) Optimal execution problem with convex-cone-valued strategies in consideration of market impact.

(2) Integration by parts formulae for Wiener measures on a path space between two curves.

1 Optimal execution problem with convex-cone-valued strategies in consideration of market impact

 投資家が大量の危険資産を売却するとき,価格に影響を与える.そのような影響はマーケット・インパクトと呼ばれ,数学モデルの一つとして加藤恭により研究がなされた(cf.[1]).本研究ではこの市場モデルに関連して,複数の危険資産を保有する投資家の多期間最適執行(売却)問題について論じた.

 投資家は初期時点t=0においてd種類の危険資産をΦi>0(1≦i≦d)単位保有しており,売却期間最終時点t=1の資産に対して期待効用を最大化する問題を考える.以下,主な結果を概説する.

 (Bt)(0〓t〓1)は確率空間(Ω,F,(Ft)(0〓t〓1,P)上のd1次元(Ft)-Brownian motionとする.閉凸錐F⊂[0,∞)d,t∈[0,1],ψ∈Πd(i=1)[0,Φi]に対し,F-値許容(売却)戦略を

と定める.非減少連続関数hi:[0,∞)→[0,∞)に対しgi(x'):=∫(x')0hi(y)dy,(1〓i〓d)とおき,インパクト関数をg(x):=(gi(xi)))d(i=1),x=(xi)d(i=1)∈[0,∞)dと定義する.

D=[0,∞)d×Πd(i=1)[0,Φi]×[0,∞)d上定義された非減少連続関数uでm(>0)次の多項式増大度を満たすものを効用関数のクラスCmとする.

 金利は定数R〓0で定める.残存売却期間t∈[0,1],初期値(w,ψ,s)∈DとF-値許容戦略(ζr)0〓r〓tに対し確率過程の3つ組みΞt(w,ψ,s;(ζr)r):=(Wr,ψr,Sr)(r〓t)⊂Dは次のSDEの解とする.

ただしa,b∈Rdに対しα〓b:=(aibi)d(i=1)とおく.効用関数u∈Cmに対し,連続時間の値関数を

と定義する.まずI:={i∈{1,...,d};hi(∞)<∞}とおき,次の条件を仮定する.

[A1]ψ∈Fならば,ψ(I):=ψ〓1(I)∈Fが成立.ただし1(I):=(1I(i))d(i=1)∈{0,1}d.

以上の設定のもと,値関数の連続性に関して以下を示した.

定理1.1 Fと1が[A1]を満たすならば,各u∈Cmに対しVFt(w,ψ,s;u)は(t,w,ψ,s)∈(0,1]×D上連続.さらにt↓0のときVFt(w,ψ,s;u)は(w,ψ,s)∈Dに関して広義一様に

に収束する.ただし0×∞:=0,h(∞)=(hi(∞))d(i=1),Hi(ψi)=∫(ψi)0exp(-hi(∞)x)dxかつH(ψ)=(Hi(ψi))d(i=1)と定める.

取引時刻を0,1/n,...,(n-1)/nと考え,k∈{1,...,n}とψ∈Πd(i=1)[0,Φi]に対し離散時間モデルのF-値許容戦略を

と定める.またインパクト関数g(n)(x)=(g(n)i(xi))d(i=1)を適切に定めて,次を仮定する.

各(w,ψ,s)∈Dと(ψ(n)l)(k-1)(l-0)∈Α((n),F)k(ψ)に対し,(W(n)l,ψ(n)l,S(n)l)k(l=0)を以下で帰納的に定める.初期値はS(n)0=sとする.l/n時における価格S(n)l=(S((n),i)l)d(i=1)とlog-price X(n)l=logS(n)lに対し,ψ(n)lの売却後,log-priceはX(n)l-g(n)(ψ(n)l)に変化し,l/n時に得るcashはψ(n)l〓S(n)l〓exp(-g(n)(ψ(n)l))であるとする.さらに(l+1)/n時において,X(n)(l+1)とS(n)(l+1)は次で与えられるとする.

ここで(Y(t;r,x))(t〓r)は以下のSDEの解とする.

一方,(W(n)l)k(l=0)と(ψ(n)l)k(l=0)は初期条件(W(n)0,ψ(n)0)=(w,ψ)と次の関係式ψ((n)(l+1)=ψ((n)l)-ψ((n)l),W(n)(l+1)=e(R/n)W(n)l+ψ(n)l〓S(n)l〓exp(-g(n)(ψ(n)l)),(l=0,...,k-1)により帰納的に定義する.この3つ組み(W(n)l,ψ(n)l,S(n)l)k(l=0)をΞ(n)k(w,ψ,s;(ψ(n)l)l)と表す.

 効用関数u∈Cmに対し離散時間の値関数V((n),F)k(w,ψs;u)を

と定める.ただし(W(n)l,ψ(n)l,S(n)l))k(l=0)=Ξ(n)k(w,ψ,s;(ψ(n)l)l)とする.

ψ(n)l:=sup{ψ∈[0,Φi];ψ〓g(n)i(ψ)〓1}(i=1,...,d)とし,各n∈Nに対し閉部分集合Fn⊂Fが存在して次の条件[A3],[A4],[A5]が成り立つと仮定する.

[A3]各ψ∈F\Fnに対し,区分的にC1級の連続関数c=(ci)d(i=1):[0,1]→[0,∞)dで,c(0)=ψ,c(1)∈Fnかつ

を満たすものが存在する.

 以上の設定のもとで離散時間の値関数V((n),F)k(w,ψ,s;u)の収束について次の定理を得た.

定理1.2[A3],[A4],[A5]を満たす{Fn}(n∈N)の存在を仮定する.このとき(w,ψ,s)∈D,u∈Cmに対し

この結果を用いることにより,非線形作用素TFt:Cm→CmをTFtu(w,ψ,s)=VFt(w,ψ,s;u)と定めるとき{TFt;t∈[0,1]}が半群となることが示せる.この半群性と定理1.1の連続性をもとに,伊藤の公式を用いて,値関数が適切なHamilton-Jacobi-Bellman方程式の粘性優解となることを確かめた.

 d=d1=1,R=0,F=[0,∞)の場合は定理1.1,定理1.2は[1]の結果として知られている.本研究は多次元の場合について,1次元と同様の結果を得た.

2 Integration by parts formulae for Wiener measures on a path space between two curves

 2曲線の間のパス空間に制限されたWiener測度に対する部分積分公式について研究を行い,境界測度を2曲線の曲率を用いて特徴づけた.ここで,パス空間とは[0,1]上で定義された実数値連続関数の空間C≡C([0,1])である.2曲線f±∈Cは条件

を満たすものとし,f±の間のパス空間をK(f-,f+)={x∈C;f-(t)〓x(t)〓f+(t) for everyt∈[0,1]}とする.K(f-,f+)上でピン止めBrown運動の法則P(a,b)に対する部分積分公式について議論を行った.

 f∈C(r1,r2)に対し,K(r1,r2)(f)={x∈C(r1,r2);x(t)〓f(t)for every t∈[r1,r2]}と定め,K(r1,r2)-(f)は条件をx(t)〓f(t)で置き換えて定義する.次に(2.1)を満たすf±∈C(r1,r2)に対しK(r1,r2)≡K(r1,r2)(f-,f+)=K(r1,r2)+(f+)∩K(r1,r2)-(f-)と定める.P(r1,r2)(a,b)をx(r1)=a,x(r2)=bなるC(r1,r2)≡C([r1,r2])上のpinned Wiener measureとし,条件付き確率P(r1,r2)(a,b;f-,f+)(・)=P(r1,r2)(a,b)(・|K(r1,r2))及びP(r1,r2)(a,b;f,±)(・)=P(r1,r2)(a,b)(・|K(r1,r2)±(f))を定義する.

α,β〓0,f∈W(1,2+)([r1,r2])=U(p>2)W(1,p)([r1,r2])に対し

と定める.ここでP(r1,r2;+)(α,β)≡P(r1,r2)(α,β;0,-)はx(r1)=α,x(r2)=βなる3次元Bessel bridgeであり,M(r1,r2)(f)はCameron-Martin density M(r1,r2)(f):=exp{∫(r1)(r2)f'(t)dx(t)-〓∫(r1)(r2)f'(t)2dt}である.このときf'∈U(p>2)LP([r1,r2])に対し∫(r2)(r1)f'(t)dx(t)はx(t)に関するWiener積分とする.また熱核p(r,a,c)=e(-(a-c)2/2r)/〓,0

各0

定理2.1f±∈W(1,2+)([0,1]),f-(0)

が成り立つ.ここで,〓は〓に関する期待値とし,

とおく.またH10((0,1))はC∞c((0,1))≡{h∈C∞([0,1])having compact supports in (0,1)}のSobolev空間H1([0,1])≡W(1,2)([0,1])における閉包とする.

 この結果より境界測度のサポートは上下の曲線f±の間を動くパスのうち一度だけ一方の曲線f±にヒットする経路の集合となることがわかり,曲線f±の曲率がv±(a,b)に与える影響も解明できた.

 f-=constant,f+=∞かつa=bの場合はZambotti[2]が(2.2)を示している.彼はBianeの公式などを本質的に用いて証明を行った.一方,我々の一般的な設定ではこの手法を用いた証明は困難であったため,ピン止めBrown運動を折れ線近似することで問題を有限次元の部分積分の計算に帰着させた.

 またK(f-,f+)に制限したBrown運動の法則Paについても,折れ線近似の方法を用いて定理2.1と同様の結果を得た.この部分は舟木直久教授との共同研究である.

参考文献[1] T. KATO, Optimal Execution Problem with Market Impact, in preparation.[2] L. ZAMBOTTI, Integration by parts formulae on convex sets of paths and applications to SPDEs with reflection, Probab. Theory Relat. Fields, 123 (2002), pp. 579-600.
審査要旨 要旨を表示する

 論文提出者石谷謙介は、数理ファイナンスにおける最適制御問題およびパス空間上のWiener測度に関する部分積分公式について、離散近似という共通の視点に基づき確率論的な考察を行った。

 まず論文の前半で、石谷は数理ファイナンスにおける最適制御問題を論じた。ある投資家が大量の危険資産を所有している状況の下で、損失を可能な限り小さく抑えながら最適にそれらを売却するには、どのように行動すればよいかという問題を考える。ここでいう投資家とは一般には個人ではなく法人であることが多い。このような問題を考えるにあたって注意しなければならない点は、売却量が非常に多いために、売却行為自体が株価等の市場価格に影響を与えることである。このような影響はマーケット・インパクトとよばれ、危険資産が一種類の場合に、対応する数理モデルが加藤恭氏により提唱され研究がなされている。本論文では、危険資産が複数の場合に同様の問題を論じた。

 投資家がd種類の危険資産を所有するとき、それらの価格はd次元確率微分方程式によって記述される。この確率微分方程式には、投資家が資産を売却することにより価格を押し下げる要因を表す項が含まれる。このような設定の下で、売却戦略を許容される範囲内でとったとして、ある一定時刻後の期待効用を表す効用関数を最大化する問題を考える。この効用関数の最大値のことを値関数とよぶ。石谷が考察したのは、特に、瞬間的な売却戦略が与えられた凸錐に入るという条件の下での最適制御問題である。

 論文の前半の結果をまとめれば、以下の通りである。

 (1)ある仮定[A1]の下で、値関数の連続性を示した。

 (2)時間を離散化したモデルを考え、離散時間の値関数が適当な連続極限の下で連続時間の値関数に収束することを、ある仮定[A3]〜[A5]の下で示した。

 (3)上記の結果から連続時間の値関数はHamilton-Jacobi-Bellman方程式の粘性優解になることがわかる。特に、瞬間的な売却戦略が有界であれば、これは同時に粘性劣解でもあり、したがって粘性解であることが証明される。

 論文の後半では、2曲線の間に挟まれる領域内にパス空間を制限してWiener測度を考え、対応する部分積分公式を導出した。これは、よく知られたGreen-Stokesの公式の無限次元版に相当するものである。制限されたパス空間の位相的境界は、2曲線のいずれかに1回以上触れるパスの全体であるが、部分積分公式において現れる境界測度は2曲線のいずれかにちょうど1回だけ触れるパスの集合上に台をもつことが示される。

論文では、境界測度の具体形を求めることに成功している。より詳しく述べれば、まずパスが2曲線のいずれかに触れる点の分布を与えるウェイトを求め、さらに触れる点を指定したときのパスの確率が、その点以外で2曲線間に留まり、かつ指定した点のみで曲線に触れるようにもとのWiener測度を条件付けて得られる条件付確率になることを示している。証明では、Brown運動をランダムウォークにより近似し、有限次元の部分積分公式を書き下した後に、その極限として無限次元空間における部分積分公式を得るという方法が用いられている。また、主定理に現れる条件付確率は下に1曲線のみが置かれかつそれが定数レベルにあるときには、Brownian meanderあるいはピン留め3次元Bessel過程になることが知られている。一般の曲線の場合にはCameron-Martin公式を用いた表示が可能であり、その際上記の確率過程に関するWiener積分が必要になる。論文ではそのようなWiener積分の構成についても論じている。本論文で得られた結果は、2曲線のいずれかに接触したときに反射により解が2曲線間に留まるように修正を加えた確率偏微分方程式への応用をもつ。

 これらはいずれも重要な結果であり、数理ファイナンスにおける最適制御問題およびパス空間上の発散定理に対する新しい視点を開くものとして大変興味深い。

 以上のような理由により、論文提出者石谷謙介は博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

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